2 イレーネ・カーネリアン女公爵
鹿毛の馬を連れた片腕の男は、王都の外れの木賃宿に泊まっていた。
フードを目深に被り、常にマントを外さずにいたが、目立たないよう物静かに振舞う彼に、不信感を覚える者はいない。王都は今、祝い事に沸き立っていて、それどころでは無かった。
「未練がましい、とは思うんだけどな・・・」
愛馬の肩をポンと叩きながら、ウィンは呟く。
リバティは、ブルルと小さく鳴いてそっと鼻面を近づけた。
「ひと目だけ、遠くからでも・・・アイツの晴れ姿を見ておきたくてな」
けじめとか、区切りとか。
そう言う気持ちだった。
惚れた女の望みを叶える。それが自分にとっても、目標であり望みだった。
そして最後に、彼女を助けることが出来た。
「アイツはもう、立派な女公爵で魔導士だ。アイツも俺も、望みを叶えたんだ。もう、手綱は必要ない」
手綱を握る手は、片方失った。イレーネを守ることは、この先は難しいと思い定めたウィンだ。
お役御免で、良いだろう。
けれど、やはり心は残る。
だから、最後に彼女の晴れ姿を見て、それで満足して、最後にしようと思っていた。
教会前の広場には、既に人々が集まっている。
女公爵として、宮廷魔導士として、行わなければならい儀式を終え、最後に教会で祝福を受けた後、イレーネはお披露目をする。
(流石に、少し疲れたわ・・・)
イレーネは、こっそりと溜息を漏らした。
女公爵に相応しい典礼服のドレスは、薄紅色の豪華なものだ。レースやフリルが、華やかな女性らしさを醸し出し、イレーネに良く似合っている。
けれど彼女は、その上からローブを羽織った。
女公爵であることよりも、魔導士であることの方が誇りに思えた。
マントのようにローブを羽織り、胸には功績を称える勲章、そして新たに下賜されたOraleのサークレットが光る。
(この姿、見せたかったわ。エルオリーセやアルバや、オリビエ・・・それからウィンに)
会いたい、と痛切に思った。
エルオリーセたちには、また会えるけれど、ウィンには会えないかも知れない。
そう思うと、胸の中に想いが溢れる。
けれど今は、やるべき事をやらなければならない。
イレーネは愛用の杖をギュッと握り、足を進めた。
教会の大扉が開かれる。
眩しい光と歓声の中へ、イレーネはしっかりと顔を上げて踏み出した。
扉の外には、ノイとアリスヴェルチェが待っていた。
少しお腹が目立ち始めたアリスヴェルチェだが、この場の介添え役をしている。
数段ある石の階段下には、ジークとグラーネの姿もあった。
教会の壁には、シュバルグラン王国の紋章と、新しいカーネリアン女公爵家の紋章が飾られている。
ダークペガサスと薔薇の意匠である紋章は、アリスヴェルチェのそれと対になるような趣があった。
「カーネリアン女公爵様、おめでとうございます!」
「紅の魔導士、万歳!」
人々の歓声が、広場に響き渡った。
豆粒のようなイレーネの姿を、ウィンは食い入るように見つめていた。
眼に、心に、焼き付けるように。
瞬きさえ忘れて見ている彼の視線を追って、リバティもそちらを見た。
人々の頭の上を通り過ぎた鹿毛の馬の視線は、しっかりとイレーネやノイの姿を捕らえる。
「ヒヒンッ!」
リバティは声を上げ、グイっと頭を引いた。
轡を取っていたウィンは、驚いて左手に力を入れるが、馬の力には敵わない。
「何だ、おい・・・あっちに行きたいのか?」
主を引きずるように数歩足を進めたリバティに、ウィンは寂しそうに笑った。
「そうか・・・そうだよな。イイぜ、行きな・・・」
ウィンは、轡から手を離し、鹿毛の馬の尻をパンと叩いた。
「俺は・・・行けねぇから・・・」
無理やり作った笑顔を向ける主に、リバティは苛立つように前脚を掻いたが、直ぐに意を決したように走り出した。
「うわぁっ!暴れ馬だぁ~~~!」
「あっ、危ねぇっ!」
首を振りながら駆け始めたリバティに気付いた人々は、叫ぶ声を上げながら逃げる。
「止めろ!止めろっ!誰かっ!」
何人かの男が手綱に手を伸ばそうとするが、リバティはそれを許さない。
獅子粉塵の勢いで人混みをかき分け、真っ直ぐにこちらへ向かう馬の姿に、最初に気付いたのはノイだった。
〈イレーネっ!リバティだ!・・・その向こうに、ウィンがいるっ!〉
イレーネは、その言葉を聞いて、遠い人影を見つけた。
「・・・ウィン」
呟いた声を、直ぐ傍にいたアリスヴェルチェが拾う。
そして、きっぱりと言った。
「行きなさい。愛に向かって、貴女らしく生きなさい!」
その言葉を最後まで聞かず、イレーネは階段を駆け下りた。
〈あっ、イレーネ、僕も・・・〉
ノイが後を追うように足を踏み出したが、アリスヴェルチェがサッと轡を取った。
「ダメよ、ノイ。これは彼女自身が、行かなければいけないの。見守りなさい」
ずっと、会いたかった人がいる。
だから、駆けてゆく。
けれど、イレーネの足はもつれて転びそうになった。
「ああ、もうっ!邪魔っ!」
ローブを落とし、杖を投げ捨てて再び走り出す。
けれど今度は、石畳に躓いて派手に転んだ。
「ダメよ、こんなのっ!」
イレーネは、パッと立ち上がり、ハイヒールの靴を蹴り飛ばすように脱いだ。
ドレスの裾を思い切りたくし上げ、裸足で走る。
そんなイレーネの前には、ギョッとして立ち竦む民衆がいた。
「退きなさいっ!お退きっ!」
大声を上げるイレーネの身体から、オーラが立ち上ったように見えた。
薄い色の炎のようなそれの中に、小さな火花がパチパチと爆ぜる。
「ひぇぇぇーーーーっ!」
「うっ、うわぁ!」
紅の魔導士の噂を嫌と言うほど知っている人々は、大慌てで道を開けた。
「ぁ?・・・何だぁ⁉」
踵を返して歩き始めていたウィンは、足を止めて振り返った。
「はぁ⁉」
髪を振り乱して、両足も露わに突進してくるイレーネ。
「な・・・何やってんだ・・・」
呆然とするウィンの前で、イレーネは急停止した。
「ウ・・・ウィン・カーネリアンっ・・・私からっ、離れることは・・・許しませんっ!」
「あ、・・・いや・・・」
何と返して良いか解らず、立ちすくむウィンの眼に、彼女の後から走って来る人々の様子が見えた。
「イレーネ様ぁ~~~」
「お待ちください、女公爵様~~~」
彼らは口々に叫びながら、イレーネが投げすてた諸々の品を拾い集めながら駆けて来る。
「だからっ!・・・もう逃がさないんだからっ!」
次の瞬間、イレーネはウィンの胸の中に飛び込んだ。
「うわっ・・・オイ」
慌てて左手だけで受け止めたウィンに、イレーネはその胸に顔を押し付けながら言い募る。
「次の望みが、出来ちゃったんだから・・・仕方ないでしょっ。ウィンが、必要なのよ」
呆気に取られた民衆と、あたふたと駆け寄って来るお付きの者たち。
それを見たウィンは、呆れたように大きなため息をついた。
「ああ・・・どうやらまだ、手綱は必要みたいだな」
けれどウィンの顔は、泣き出しそうに歪んでいる。
「もう一度、手綱を結いつけ直すか」
浮かべた笑顔に、偽りは無かった。
「ええ、お願い」
イレーネは素直にそう言って、真っ直ぐにウィンを見上げる。
「こんなトコでナンだがな・・・愛してるぜ」
2人は、そのまま唇を合わせた。
人々の目の前で、熱いキスを交わす2人を、ノイとアリスヴェルチェは遠くから見ていた。
ゴォォォ~~ン ゴォォォ~~ン ゴォォォ~~ン・・・
教会の鐘が、いきなり鳴り始める。
そして中から出て来たのは、いつの間にか教会に入っていたらしいジークだった。
「ジーク・・・グッジョブね」
アリスヴェルチェは、笑顔で声を掛ける。
「気が利くだろう?」
近づいてくる彼の手を取ったアリスヴェルチェは、ノイに声を掛けた。
「もう、良いわよノイ。行って、2人を連れて来て。放っておいたら、幾らでもキスをし続けそうだから」
そんな言葉に、ノイは損な役割だと言わんばかりの顔で、静かに翼を広げた。
「片手でしか、抱きしめられなくて悪いな・・・」
「充分だわ。私が両腕で、しっかりと抱きしめているから。これからも、ずっと」
これからはずっと、大切なものを抱きしめ続けていられるように。
それが、叶えたい望みだ。
破天荒な元公爵令嬢は、新しい望みを胸に、これからも周りを振りまわしながら生きてゆくのだろう。




