6 誇りも意地も、全て砕かれて
平和な日々が続いたが、それは唐突に終止符が打たれた。
屋敷の中から、イレーネが忽然と姿を消したのだ。
屋敷の書庫で、魔法書を読み解いていた筈だった。午後からは、スラルヴィオと一緒に、実践練習をする予定だった。
使用人の話では、分厚い魔法書を抱えて庭に出るイレーネの姿を見たと言う。
けれど彼女が戻ってくることは無く、ただ持っていた筈の魔法書だけが、庭にポツンと落ちているだけだった。
「・・・・・ッ・・・イタタ・・・」
激しい頭痛と共に、イレーネの目が覚めた。
(何が起きたの?・・・ここ、どこ?)
痛む頭を宥めながら何とか目を開けると、床と天井が見える。身体は縛られ、横倒しになっているのだと解った。
(落ち着け、私・・・・)
こういう時は、先ずは現状把握だろう。身動きも取れないならば、こうなった原因を思い出すしかない。
(確か、あの時・・・・)
スラルヴィオの屋敷の書庫で、魔法書の一冊を手に取って広げた。それはイレーネのために、彼が新しく注文して届けさせた古い魔法書の一冊だった。
(表紙を捲ったら・・・文字が浮かび上がってきたんだわ)
浮かび上がった文字は、ちゃんと文章になっていた。
イレーネは一瞬ギョッとして、本を放り出そうとするが、それでも何とか自制する。
『我は意志を持つ魔法書パピア。我を手に取った者よ、そなたは運が良い。我は知っている。そなたが風魔法を学びたいと思っていることを。以下に示す通り、実践してみるが良い。基礎の、そよ風の魔法である・・・・・・・』
「不気味な魔法書ね・・・」
そう呟いたイレーネだが、文章を最後まで読むと、それが魔法を使う上で正しい手順だという事は解った。
(かなり古そうな魔法書だし、こういう事もあるのかもしれない・・・試してみる価値はありそうだわ)
イレーネは、分厚い魔法書を抱えて庭に出た。
(それから、実際にやってみて・・・そうしたら、いきなり視界が暗転して・・・あれは、もしかしたら転移魔法だったの?)
そう考えれば、辻褄が合うような気がする。そして今の体調や魔力消費量を考えると、それほど遠い距離に転移したのでは無いと解る。
(真っ暗になったのと同時に、手から本が滑り落ちる感覚があったわ。驚いて手を離したんだと思うけど・・・あ、その後・・・ツンとする臭いを嗅いだような・・・)
多分それは、薬を嗅がされたのではないかと思う。おそらく頭痛は、その影響なのだろう。
(誰かが私を騙して、転移魔法をそれと知らずに使わされたってことなんだわ。あの浮かび上がった文も、魔法によるもの?)
嵌められた、と唇を噛む。
(誰が?・・・もしかして、パピア・・・本に浮かびがった文字にあった名前が・・・)
そこまで考えた時、ふいにドアが開いた。
「・・・・・・・・・」
イレーネは何も言わず、キッと睨みつけた。
入って来たのは、見た目は20代くらいの男性だったが、身体が半分くらい透けている。
(ゴースト系の魔物?)
透け具合が、幽霊男爵オリビエと同じだ。けれど、妙に薄っぺらく見えた。
「フフン、気が付いたようだな」
男は腰に手を当てて、胸をそびやかした。
(虚勢張ってるのが、見え見え・・・)
イレーネは、縛られたまま、何とか頭を上げる。
「貴方が、パピア?」
毅然と言い放った声に、男はギョッとしたように一瞬身を縮めたが、直ぐに元の姿勢に戻る。魔導書に記したことを思い出したのだろう。
「あっ、ああ・・・そうだ。トイ=レッテン・パピアだ。お前は、イレーネ・アルアインだろう? お前の事なら、何でも知ってるぞ」
「は?」
「本当は人間で、魔法を学んでいて、魔王ナラン・フレグの想い人だってこととか、な。・・・ああ、先に言って置くが、私に『朝焼け色の髪』の魅了魔法は効かないぞ。朝焼けは、身震いするほど嫌いなのだ」
薄っぺらい存在感はそのままに、けれど精一杯偉そうに振舞う様が滑稽だとイレーネは思う。
(魅了魔法って、そんな事、してませんけど? 見た相手が勝手にうっとりしてるだけだわ)
けれど、このパピアという男が、自分の髪を嫌っていることは解った。
「それに、この部屋には『魔力封じの香』を焚いているからな。この髪も、意味はないんだな」
パピアはそう言いながら歩み寄り、手を伸ばしてイレーネの髪を掴もうとした。
「無礼者っ!」
イレーネの鋭い声が響くと、パピアはヒイッと声を上げて跳び退く。
その様子は、身に沁みついた反応のように思えた。
「っ・・・ま、まあイイ・・・さっさと計画を進めるだけさ」
パピアは何とか立ち直り、ゴソゴソと服のポケットから何かを取り出す。その様子を見ながら、イレーネは彼を睨んで言う。
「目的は何? 私をどうするつもり?」
男はポケットから小さな瓶を出すと、目にだけ冷酷な光を浮かべて、サラッと答えた。
「そんなの決まってるだろ。道具として利用するのさ」
イレーネが姿を消したと解った後、ウィンは直ぐにスラルヴィオに告げた。エルオリーセたちが魔王都にいない今、協力してくれるのは彼以外にいない。
スラルヴィオはそれを聞いて、キュッと背筋を伸ばすと、普段の好々爺の雰囲気をかなぐり捨てて言う。
「直ぐにナランを呼び寄せよう。都中を捜索する。イレーネが姿を消したと思われる場所に落ちていた本と言うのは、それか?」
ウィンは、拾って来た分厚い本を差し出した。
「・・・・これは、儂が注文した物だが、中身はごく普通の魔法大全だ。しかし・・・魔法の残滓が感じられる。時間は掛かるが、儂はそれを詳しく調べることにしよう」
前魔王でもあるスラルヴィオは、魔力こそ最盛期より衰えてはいるが、その知識とテクニックは健在だ。僅かにに残った魔法の残滓を、何とか解析すると明言する。
「解った、頼む。俺はノイを連れて、街中を探すぜ。何か情報が得られたら、直ぐに戻る」
ウィンが出て行こうとすると、スラルヴィオが呼び止めた。
「ちょっと待つが良い」
そして傍の小テーブルに掛かっていたクロスを取り、その上に黒々と筆を走らせる。
「ノイの首にこれを結んでおきなさい。別々に行動することも、あるかもしれんからな」
『スラルヴィオ・フレグ管理馬 手出し無用』
そう書きつけてくれた白い布は、独りで街中を駆け回った場合に、ノイの行動の自由を保障するものだった。
パピアから無理やり小瓶の中身を飲まされたイレーネは、頭の芯が疼くような不快感と、身体の怠さを感じていた。
「これは、あの香と同じ成分の『魔力封じ薬』さ。これでもう、この部屋から出ても魔力は使えなくなるから安心だよ。水でも掛けられたら、困るからね」
妙に含みがある顔つきで言うパピアに、イレーネは必死で考える。
(水が苦手な・・・魔族? 本性は一体何なの?・・・火?)
「さて、次はその髪を何とかしないとな。その飾りの角は当然外すけど、色はそのままにしておかないといけないし・・・とりあえず、ズタズタに切り刻んでおこうかな」
パピアは、鋏を用意してイレーネの傍へ来る。けれど鋏を持つ手が、どこかおっかなびっくりでぎこちない。
それを見て取ったイレーネは、髪を掴まれた瞬間、体中の力を集めるようにして頭を動かした。
「イッテェーーー!」
パピアは悲鳴を上げて、鋏を放り出す。
渾身の力で、イレーネは彼の手に噛みついていた。
「ーーーーっ! クソッ・・・穴が開いちまったじゃないか!」
罵るパピアだったが、イレーネは噛んだ時の感触に驚いていた。
(・・・え? ゴーストだから、噛みついても効果は無いかもって思ってたけど、何だかガサガサするような・・・乾いたような・・・)
噛みつかれたパピアの手からは、血が流れるような様子もない。彼が言った通り、穴が開いただけなのだろうか。
(そう言えば、パピアって・・・・異国の言葉で・・・)
相手の本性が解ったのではないかと思ったイレーネだったが、彼の次の台詞で凍り付く。
「もっと弱らせないといけないな。時間が許す限り、痛めつけないと。私自身には大した力は無いけど、工夫をすれば出来る筈だしね」
ニィッと笑うパピアの口元を、イレーネは呆然と見ていた。
街中に出たウィンとノイは、必死に駆けまわった。朝焼け色の髪の娘を見なかったか、と聞いて回るが、相手はイレーネを知ってはいても、このところ見てはいないと答えるだけだ。
ウィンは道を歩く魔物たちを捕まえては質問し、店屋にも入って尋ねる。ノイは街中を駆け回り、どこかにイレーネの姿は無いかと見て回った。凄い速さで駆け回る裸馬に、街の民は慌てるが、身体に縛り付けてある前魔王の書付がある布を見て、彼を自由にさせていた。
けれど、日が暮れる頃になっても、手掛かりの1つさえ無い。ふと気が付けば、魔王の配下らしい兵士たちの姿もちらほらと見えるようになった。
「一度、戻るか・・・」
小さく呟いて、ウィンはスラルヴィオの屋敷に向かった。
(・・・・クソッ、どこにいるんだ。イレーネ・・・)
どう考えても、拉致されたとしか思えない。彼女に非は全く無いわけだから、暴れ馬が手綱を引きちぎって遁走したのとは違うのだ。
胸の奥から沸き上がる、不安と焦燥。
(無事でいてくれ・・・頼むから)
汗と埃にまみれたウィンの顔は、泣きそうな表情を浮かべていた。
スラルヴィオの屋敷に戻ると、時を同じくして魔王ナランも来た。
「先ほど、やっと1つだけ報告が入った。兵士の1人が、乞食から聞いたのだが、イレーネ嬢らしい娘を荷車に積むのを手伝ったそうだ。駄賃を寄越したのは、フードを目深に被った、痩せた男らしい。荷車は都の西の方角へ去ったようなので、今はその方面を重点的に捜索させている」
ナランは、険しい顔で説明する。彼も、イレーネが心配でならないのだろう。
スラルヴィオも、同じように報告した。
「魔法書の魔力の残滓だが、どうやら文字が浮かび上がる類のものらしい。どんな文字が浮かんだかは、全く解らないのがもどかしいのだが、これ以上は無理だと思うぞ」
けれどそこで、ナランは顎に手を当てて考え込んだ。
「・・・紙に文字が浮かぶ・・・か・・・どこかで、そんな能力の事を聞いた事があるような・・・よし、私は王宮に戻って、側近たちに聞いてみることにしよう。何か、解るかもしれないしな」
マントを翻して出てゆくナランを見送って、ウィンは再び街へ出る。自分に出来ることは、今はそれしかないと考えていた。
日没になる頃、エルオリーセとアルバは王都の門を潜った。歩き出して直ぐ、オリビエが出て来る。
「陽が沈む前に、王都に入れてよかったわ」
「そうだな、荷物もあるし、真っ直ぐに屋敷に帰るか」
2人と1匹が通りを進んでいると、人だかりが見えた。どうやら壁に紙が貼ってあり、それを読んでいるらしい。読み終わった者は、そそくさとそこから離れて歩き出している。
「何かしら?」
足早に近づいて、大きな紙に書かれた文章を読んだ。
『魔法陛下をたぶらかし、王妃の座を狙う『朝焼け色の髪の公女』は、人間である。魔族を装い『魅了の魔法』で、魔王陛下と魔王都の民を欺いた罪により、そのありのままの姿を晒し、吊るして罰を与える。王都の西の外れ、『枯死した巨木』に来るが良い。 P 』
「イレーネっ!」
エルオリーセは一言叫ぶと、アルバの背に乗って西へと駆けた。
その少し前、ウィンも別の場所で、同じ文面の紙を目にしていた。
コーンホースのイブキに跳び乗り、西へと疾走する。『枯死した巨木』の場所は、よく知っていた。その辺りも、何度も探し回っていたのだ。
途中でノイとも合流し、ぞろぞろと歩いている街の民を蹴り飛ばす勢いで疾走した。
屋敷に居たスラルヴィオと魔王ナランは、少し遅れて知らせを受ける。2人は取るものも取りあえず、僅かな手勢を連れて飛び出した。
『枯死した巨木』は、魔王都の西の外れに立っている。その周囲は石畳の広場になっていて、普段は人気も無い場所だが、その日はあちこちに篝火が焚かれ、巨木の様子を照らしている。
そのひと際太い1本の枝。
その途中に、ロープで吊り下げられたイレーネの姿があった。
朝焼け色の髪は、無残に切り刻まれ、汚れてもつれた縄を解したようになり、かろうじてその色が判別できる程度にしか残っていない。
一糸纏わぬ姿で縛られて、10mくらいの高さにぶら下がるその身体には、幾筋もの切り傷や打撲の跡があった。青白い足の先からは、地面に向かってポタポタと血が垂れている。
ぐったりと頭を落としているのは、抵抗する気力も体力も奪われているからだろう。
惨い姿を見上げて、集まっていた群衆が、指をさしながらザワザワと言葉を交わしていた。
(もう・・・・何も・・・・残ってない)
痛い、苦しい・・・苦しい、痛い・・・果てしなく感じる長い時間、責め苦を与えられ続けた。
パピアと名乗った男は、確かに力は無かったが、様々な道具を使って甚振って来た。棒で殴り、蹴りつけ、身体の柔らかい場所を狙って踏みつける。何枚か、爪も剥がされた。
魔力封じの薬で、イレーネは胎児洗礼によって与えられた自己修復や自己防衛が出来ない。痛みを逃がすことも出来ない状態で与えられる、悪意を持った激痛は、産まれて初めての経験だった。
「やめてっ・・・痛いっ痛い痛いーーーッ! イヤぁっ、やめてぇーーーっ!」
悲鳴を上げ、懇願し、泣き叫んだ。
「やめてっ・・・お願い・・・もう、やめっ・・・アァァーーーッ!」
耐えることなど、出来なかった。
喚き、泣き、ただひたすら声を上げた。
意地もプライドも、砕かれて消え失せた。
「やめて・・・何でもするからっ・・・何でも・・・行くことを聞くからぁ~~~」
それでもパピアは、笑いながら続けた。
「アハハッ!どれほど魔力があっても、力があっても、このパピア様の才能があれば、何でもできるんだ!ザマァミロ!アハハハハ!」
そんなパピアの笑い声を聞きながら、イレーネは意識を手放していた。
(・・・いっそ、殺して・・・)
最後に思ったのは、そんなことだったかもしれない。
最初に到着したのは、ウィンだった。
遠目でも解るイレーネの惨状に、心臓に刃が突き立てられるような衝撃を受け、彼は怒鳴る。
「どけっ!」
そして、イブキから跳び下り、大剣を抜き放つと、群衆に向かって振りまわした。
(クソッ!・・・どうやって、降ろす?)
『枯死した巨木』は、よじ登ろうと手を掛けただけで、小枝は折れて木の肌はボロボロと落ちる。ウィンの体重では、登ることは不可能だ。
「ヒィィィーーーン!」
その時、ノイが嘶いた。
辺りを駆けまわって、やじ馬たちを蹴り散らした後、愛する主を見上げる。
(イレーネ!僕の大事な、主・・・助けたいのにっ!)
ウィンは、足を踏み鳴らして吠えた。
「ブヒィィィーーーンッ!」
(あそこまで、イレーネのところまで、行きたい! あそこまで、飛びたいっ!)
飛びたい・・・飛びたい・・・飛びたい・・・
その想いだけを体に満たして、ノイは全身に力を籠める。
ビシッ!
ノイの両肩にあるコブが、音を立てて亀裂を作った。
血しぶきが飛び、黒い霧のようなものが零れ・・・・・・
その中から、体液を垂らしながら、濡れた大きな翼が出現してゆく。
バサッ・・・バサッ・・・
翼を振るたびに、辺りに血が舞い、肩口からは鮮血が迸った。
「・・・・・ノ・・・イ・・・?」
青褪めたイレーネの瞼が、僅かに持ち上がり、腫れて切れた唇から、血と共に微かな呟きが漏れる。
〈イレーネ! 今行くからっ!〉
ノイは、力いっぱい翼を動かした。
ふわりと浮いたダークペガサスの姿に、群衆は息を飲む。
神々しい程の、高位の魔獣を見たのは何十年ぶりだろう。
漆黒の馬体と、濡れて黒光りする大きな翼。
ノイは、必死に飛び上がった。
(ノイ・・・・ヨシ、今だ!)
ウィンは、その瞬間を見逃さなかった。
片手で大剣を振り、渾身の力で投げ飛ばす。回転しながら飛ぶ大剣は、遥か高い場所にあるロープを切った。
イレーネの身体は、丁度真下に来たノイの背に乗る。落下していたら、その頭も体もぐしゃりと潰れていただろうが、見事なタイミングで、殆ど衝撃も無く乗せることが出来た。
「ノイ!そのまま、真っ直ぐ滑空しろっ!」
ウィンは指示を飛ばすが、乗ってきたはずのイブキが傍にいない。コーンホースは、群衆に押されて逸れてしまったのだろう。
こうなったら、走って追うしか無いと決めたところで、エルオリーセたちが到着した。
「アルバ、お願いっ!」
エルオリーセを背に乗せたまま、アルバはペガサスに変身する。
「ウィン、後ろに乗って!追うから!」
漆黒のダークペガサスの次は、純白のペガサスだ。
呆気に取られる群衆を、宙に浮いた状態で見ていたオリビエが、エルオリーセに鋭く告げた。
「怪しいヤツがいる。私は、そっちを追う」
しっかりと頷いたエルオリーセとウィンを乗せ、ペガサスは力強く翼をはためかせて、薄闇の空へと飛び去って行った。
初飛行でぎこちない飛び方をするノイに、アルバたちは直ぐに追いついた。
〈ノイ!僕に付いて来て!〉
アルバの指示で、ペガサスとダークペガサスは、魔王都から少し離れた場所にある、一軒の小さな農家の前に降り立つ。先にエルオリーセが跳び下り、農家の戸を叩いた。
「オバさん!こんばんは!エルオリーセです!」
それを聞いて飛び出してきたのは、初老の農婦だった。
「どうしたね、昼過ぎに帰ったと思ったら、こんな時間に・・・」
エルオリーセとアルバは、魔王都に帰る途中、この農家に立ち寄っていた。水の補給をしたくて声を掛けたが、そのお礼にと薬草を幾つか分けて行ったのだ。
「ごめんなさい。この家、丸ごと暫く貸して!」
逞しい男が、ダークペガサスから裸の女性を降ろしている様子を見て、農婦は察してくれたようだ。
「ああ、良いよ。ベッドも台所も、好きに使いな。アタシも出来ることは手伝わせておくれ」
白髪交じりの髪から長い耳を覗かせた農婦は、兎の魔物らしいが、たった独りで暮らしているようだ。
「ありがとう、オバさん。お礼はするから、よろしく」
エルオリーセの言葉に、農婦は頭を振りながら戸を大きく開けた。
「ウィン、台所にってお湯と布を持って来て。手当てをするから」
「おっ、おうっ・・・・」
飛び出してゆくウィンを見もせず、エルオリーセはベッドに寝かされたイレーネの傍に寄った。アルバは既にベッドに上がり、彼女にピッタリと寄り添っている。メタモルファルの『癒しの力』を、フルに使っていた。
〈・・・・イレーネ、魔力が封じられているみたいだ。多分、薬のせいだと思う〉
アルバが伝えてくると、エルオリーセは眉を顰めた。
「という事は、イレーネ自身が持つ自己治癒も使えないという事ね」
〈うん・・・薬の効果は、時間は掛かるけど解毒と同じようにすれば消せるとは思う。怪我の治癒も、体力回復も時間さえあればできると思うけど・・・精神的なダメージが大きそうなんだ〉
「解ったわ。とりあえず、補助的な手当てはするわね。先ずは、身体を拭いて暖めないと」
エルオリーセは、てきぱきと手当てを始めた。
ひと通りの手当てを終えると、イレーネはアルバとウィンに任せて、エルオリーセは外に出た。中に入れないノイは、窓の傍で心配そうにずっとウロウロしている。
「ノイ・・・イレーネは大丈夫だから。アルバが癒しているし、ウィンが傍にいてくれるから」
それでもノイは、何度も窓の中を窺う。
「頑張ったね、ノイ。立派なダークペガサスの姿だわ」
優しく撫でるエルオリーセに、それでもノイは伝えてくる。
〈そんなの・・・どうでもイイ・・・もっと早く・・・探せたらヨカッタ〉
「うん、それは皆同じよ。でも今は、出来ることをしなくちゃ。ノイ、翼の付け根はどんな感じ?」
ノイの翼は、肩のコブを割るようにして生えた。裂けて血を吹きだしだした箇所だが、見た感じでは出血も止まり、腫れているような様子も無い。
〈ゼンゼン・・・ダイジョーブ・・・飛べるよ〉
「それじゃ、まだ完全じゃ無いのに悪いけど、魔王都まで飛んでくれる?オリビエを探して、ここに案内して欲しいの」
〈それって・・・イレーネのためになる?〉
「うん、多分、きっと」
ノイはブルっと胴震いをすると、大きく翼を広げて飛び去って行った。
イレーネが横たわる藁のベッドの傍に腰を下ろし、ウィンはきつく唇を噛み締めていた。アルバは彼女に寄り添ってじっと目を瞑り、癒しに集中しているようだ。
(クソッ・・・誰が、こんな・・・)
煮えくり返るような怒りが、ジリジリと沸き上がって来る。
その時、フッとイレーネが目を開けた。
「イ、イレーネ・・・俺が、解るか?」
必死に気持ちを押し殺して、小声で囁くウィンだが、イレーネの視線は定まらない。
「もう、大丈夫だからな・・・話せるか? 誰にやられた?」
苦し気に息を継ぎながら、それでも彼女の唇は微かな音を紡いだ。
「・・・・パ・・・ピア・・・」
「パピア? パピアって奴だな? タダじゃおかねぇ!」
指が掌に食い込むほど固く拳を握り締め、ウィンは立ち上がった。
今すぐ、魔王都に戻って、パピアとか言うやつを探し出してやる。そして・・・
けれどその時、イレーネの包帯に包まれた手が、ぎこちなく動いて、彼の袖をそっと掴んだ。
「え?」
「・・・行か・・・ないで・・・・ここに、いて」
いつの間にか、彼女の視線は彼の顔に向いていた。
力の無い瞳だったが、それでもイレーネはウィンを見ている。
ウィンは、ストンと腰を下ろした。
「ああ、解った・・・ここに、いるから」
彼女の手をそっと握り、優しい声で告げる。
イレーネは、安心したように、また瞼を降ろした。
話は、少し前に遡る。
ノイとアルバが飛び去った後、オリビエも気配を消して、不審な男の後を追った。
黒っぽいフードを被って、足早に広場から離れた男は、そのまま1軒の小さな家に入って行った。
「中途半端で終わっちゃったじゃないか・・・ここからが、イイところだったのに。でも、まぁ、ある程度騒ぎにはなったし、あの女を甚振って面白くもあったし・・・」
ブツブツと独り言を漏らしながら、男はフードを外した。
「ほう、それがお前の素顔か」
突然、背後から冷ややかな声が掛かった。
「ーーーーっ!」
薄っぺらい印象の貧相な男は、振り返るなり硬直した。
「どっ・・・どちら様でっ・・・」
彼の眼の前には、半分透けた姿に、恐ろしいまでのオーラを纏ったゴーストの姿があった。
「どちらが先に名乗るべきか、解らんとは言わせぬぞ」
低く鋭い声は、氷の刃のように男の胸に突き刺さった。
自宅に侵入されたのは自分だが、魔族としては完全に自分より格上の相手だと解る。
「ト、トイ=レッテン・パピア・・・と申します。貴方様は、大層お力のあるゴーストであるとお見受けしますが、私めは、しがない肖像画の幽霊でございます」
(肖像画の幽霊か・・・絵から抜け出すゴーストの類だな。人を脅かすくらいで、大した力は無いと聞くが・・・)
オリビエは彼の後をつけてこの家まで来ると、気配を消して壁を通り抜け、彼の独り言を聞いていた。
(コイツが、イレーネを拉致したのは確実だし、他に仲間がいそうな感じではないな)
「私は『幽霊城の主』ロートホルン男爵だ。聞きたい事がある。正直に答えないと・・・」
オリビエは、一歩足を進めた。
「ヒッ・・・ハ、ハイッ・・・何でも正直に答えますからっ・・・どうか、水だけは掛けないで下さいませぇ~~」
卑屈に膝まづいて言い募るパピアに、オリビエは冷たく答えた。
「水?・・・本当に怖いのは、火ではないのか? 肖像画の幽霊ならば、本性は紙だろう。水に濡れるのは苦手だろうが、火で燃やされるのが一番マズイはずだ。それをわざわざ、水を掛けるなと言うのは、本能的に嘘をつくのが習性になっていると見える」
オリビエは、このパピアという卑屈なゴーストの性質を見抜いた。
時には虚言で立ち回り、周囲を翻弄することを喜びとするような性格なのだろう。力で敵わない相手には擦り寄り、けれど陰でこっそりと何かを画策するような。
パピアは、目に見えて恐れおののいていた。
オリビエは、更に言う。
「生憎、私は水や火の魔法は使えないが・・・こういうのは、どうだ?」
部屋の空気が、唐突に歪んだ気がした。
パピアの周りの空気が、いきなり重みを増して纏わりつく。
「ヒィッ・・・・ウッ・・・・ウワァァーーーー!」
グシャグシャ、グシャグシャッ!
オリビエの能力、目に見える物なら手も触れずに動かすことが出来るそれは、パピアの身体を押しつぶした。
紙くずを丸めるように、グシャグシャと。
「イ、、痛いッーーー! 痛いですっ。な、何故こんなっ!」
メロンほどの大きさに丸められたパピアは、それでも生きているようで、必死に声を上げた。
「イレーネ・アルアインは、私の大切な友人なのでな」
オリビエは丸めたパピアを手に乗せ、そのまま外へ出た。
見上げた夜空には、星が瞬いている。
(西の方へ、向かっていったな)
オリビエは、ふわりと宙に浮くと、滑るように夜の中を飛んだ。




