4 魔王の一目惚れ
イレーネは、様々な種類の魔法習得にチャレンジしていた。
一番相性が良いのは炎系だが、水・雷・氷などの魔法も練習している。炎ほどでは無いが、回復魔法よりも馴染むようで、それなりの成果か出てきている。
ノイの方も、真剣にウィンの指導を受け入れるようになり、精神的な成長もあってか、当初より大分落ち着きが出てきていた。
馬具の装着にも慣れたノイだが、そうなると主であるイレーネの乗馬技術が問題となる。
ある日、勉強の息抜きに乗馬でもどうだ、とウィンがイレーネを誘った。
「乗れるんだろ、馬」
スラルヴィオの屋敷の庭なら、池の周りを駆けるくらいのことは出来る。鞍を付けたノイを引いて来て、イレーネの前に立たせたウィンが尋ねた。
「乗れるわよ、当然じゃない・・・・こんな鞍じゃダメだけど」
「は?」
「だ~か~ら、レディ用のサイドサドル、横鞍じゃないと乗れないわ」
「・・・・・ンなの、ここにあると思うか?」
貴族女性が通常、乗馬に使用する鞍が、サイドサドルと呼ばれる横鞍だ。ドレスでも乗れるように、両足を片側に揃えて乗れるようになっている物で、確かに乗馬姿は優雅だ。
けれど長時間の乗馬や、全力疾走をさせるような激しい動きをする場合には、絶対に向かない。
「今後の事も考えれば、普通の鞍で乗れるようになっとかんとな。ノイの為にもなるんだから、頑張れよ」
ウィンにそう言われてしまえば、やるしか無いではないか。
その日から、イレーネの乗馬訓練が始まった。
ノイは、イレーネが乗ってくれるのが嬉しくて堪らない様子だ。
近頃は、環境が良かったのか、よく食べよく眠り、馬体はすっかり大人の馬に近くなっている。適度な運動で筋肉も付き、艶々した毛並みも伴って、美しい大人の黒馬の身体だ。肩のコブは、相変わらずだが。
イレーネは、スカートの下にズボンを履き、しっかり準備を整えてノイの横に立った。
(鐙に足を駆けて・・・跨れば良いのよね・・・あ・・・あれ?)
片足で身体全体を持ち上げることに慣れていないイレーネは、何度もトライするが、よじ登ることさえ出来ない。
「ふんぬ~~~ッ!!!」
必死に力を入れて鞍に取りつく彼女を見て、ウィンは笑いを嚙み殺しながら、ヒョイと手助けする。
そのお陰で、何とか馬上に座れたイレーネだが・・・
ゴイン!
ウィンの頭に、ゲンコツを1つお見舞いする。
「うぉ! 痛ぇっ!」
何するんだと、頭を押さえて睨むウィンに、イレーネはしれっと答えた。
「レディのお尻に、触った罰ですわ。お陰様で乗れましたから、その程度で許して差し上げます」
サイドサドルではあったが、馬にはそれなりに慣れているイレーネだったし、ノイの方も自分の主に精一杯気を遣っているので、ゆっくりと歩く分には問題は無かった。
けれど、並足から速足へと歩様が変わると、イレーネの口から奇妙な声が漏れる。
「・・・っ・・・な・・・イタ・・・・ゥッ・・・」
「何だ?どうした?」
「お・・・お尻が痛いのよ・・・衝撃が、お尻と股に直撃で」
顔を真っ赤にしているのは、言葉にした恥ずかしさがあるのだろう。
ウィンは平静を装って、指導者の顔で告げた。
「鐙をしっかりと踏んで、ノイのリズムに合わせて身体を浮かせるようにするんだ。なぁに、最初は痛いかもしれねぇが、慣れれば大丈夫になるって」
負けず嫌いなイレーネは、独り言のように文句を垂れ流しながらも、毎日練習は欠かさない。
やがて人馬は、互いの呼吸を合わせられるようになり、ひと月も経つ頃には、イレーネも馬で遠出できるようになった。
それに合わせて、ウィンも自分用の騎乗獣を購入した。この国では主に平民が乗る、馬に近い魔物でコーンホースと言われている。普通の馬の流星がある場所に、小さな角が付いていた。鹿毛の毛色を持つこの牝コーンホースに、ウィンはイブキという名をつけた。
そんなある日、イレーネがいつものように、スラルヴィオに教わりながら魔法書の勉強をしていると、来客の知らせが届く。
「ああ、忘れとったわ。すまんがちと席を外させてもらうが、イレーネはこのまま続けていて構わんからな。客が帰ったら、戻って来るでのぅ」
老人が出てゆき、暫くは1人で本を読み進めていたイレーネだ。けれど師匠であるスラルヴィオは、なかなか戻ってこない。
(今日は、この本を借りて行って帰ることにしようかしら。長引きそうだしね)
使用人に言付ければ大丈夫だろうと、イレーネは分厚い本を抱えて廊下に出た。そのまま歩いていると、客間の方から話し声が聞こえる。
「・・・大分、準備も整ってきております。後は決め手になるものがあれば、処分することができる筈です。全てが終われば、魔王国は安泰で、父上も宮廷にお戻りいただけるかと」
「それは良かったが、こういう時こそ無理や油断は禁物じゃぞ。慌ててはならん。それに、儂は今の生活も気に入っておるでなぁ。儂の事は、気に掛けんでも良いからの」
聞き耳を立てたわけでは無いが、話の内容はそれなりに解った。
(・・・父上って・・・それじゃ、お客様は息子の現魔王ってこと?)
そうなると、好奇心が抑えられらくなるイレーネだ。
(どんな魔族なんだろう・・・息子なんだから、スラルヴィオお爺様に似てるのかしら?)
流石に立ち止まってドアに耳を近づけるようなことはしないが、ついゆっくりと足を進めてしまう。
丁度その時、使用人がやって来たので、言付けを頼もうと呼び止めた。
「では、父上、今日はこの辺で失礼します。こっそり抜け出して来たので、急いで戻らないと」
間が良いのか悪いのか、いきなりドアが開いて、彼の息子が出て来た。
「んぉ・・・・!」
ナラン・フレグ魔王、つまりスラルヴィオ前魔王の息子の彼は、妙な声を上げて立ち尽くした。
「ん?・・・おお、イレーネ。長く待たせてしまったが、もう帰るのかね?」
後から息子を押しのけるように出て来た老人は、イレーネを見ると優しく声を掛ける。
「ついでじゃから紹介しておこうかのぅ。ナランや、こちらはイレーネ・アルアイン嬢じゃ。そしてこっちが、儂の息子ナランじゃよ」
肩書も何も無視して、ただの息子とのように伝えて来るスラルヴィオは、堅苦しいことは無用だと言っているのだろう。
「・・・イレーネと申します。スラルヴィオ様には、大変お世話になっております」
挨拶の言葉を述べ、それでもイレーネはきちんと片膝を地につけて腰を屈め、軽く頭を下げた。相手は王様なのだから、ある程度の作法が相応しいと思ったのだ。
そこで漸く、彼は我に返った。
「わ、私は『偉大なる豪炎』ナラン・フレグ、この国を統べる者です。イレーネ嬢、貴女は本当にお美しい・・・魔物では無いとお見受けしますが、その素晴らしい髪は、そんな事など問題無いと思います」
ナランの見かけは、それほど悪くないとは思う。
(顔は・・・少し顎が大きいけど、イケメンの中に入るわよね。でも髪が・・・多すぎじゃない?)
現魔王の髪は焦げ茶色で、獅子の鬣のようにこんもりと頭上にある。そこから大きな角が、曲線を描いて生えているが、長く豊かな髪を押さえるヘアバンドのようだ。
(親子なんだから、お爺様も若い頃はこんなだったのかしら?)
スラルヴィオは白髪だが、髪の量は普通だ。年齢のせいかもしれないが。
「ナラン・フレグ魔王陛下、『朝焼け色の髪の公女』イレーネ・アルアインでございます。ご機嫌宜しゅう。お見知りおきくださいませ」
イレーネは、今度はこの国の礼に適った言葉で名乗り、社交辞令を述べる。そして失礼が無いよう気を付けて、急いでその場を去った。
ナラン魔王は、名残惜しそうな眼をしていたが、イレーネはそれをあっさりと無視していた。
(・・・何か・・・面倒そうだし・・・)
今は、魔法の習得とノイの教育に忙しいイレーネだった。
数日後、イレーネがスラルヴィオの屋敷から帰宅すると、借家の中は、とんでもない事になっていた。
「なっ、何・・・この大量のバラはっ!」
ドアを開けると、家の中は真っ赤なバラの花で埋め尽くされていた。
「おかえりなさい、イレーネ。これ、昼過ぎに王都からの花屋さんが来て、置いていったんだけど・・・」
〈あれよあれよという間に、ドンドン運び込まれてこうなっちゃったんよ。バラに埋もれて、身動き取れない感じなんだけど?〉
エルオリーセとアルバの言葉に、イレーネは何が何だか解らずにいる。
「で、このカードが付いていたのよね」
エルオリーセは、金の縁取りも美しい1枚のカードを見せる。
やんごとなき『朝焼け色の髪の公女』イレーネ・アルアイン嬢へ
貴女の美しさは、このバラの数より多い
「は? 誰よ、こんな変なこと書いたのは。美しさが多いって、意味不明。それを書くなら、数多くのバラでさえ敵わないとかにすれば良いじゃない。美しさを数で数えるなら、どんな美しさなのか列挙するべきじゃない?」
美辞麗句には慣れているイレーネだ。贈り物に添えられるカードは、昔は掃いて捨てるほど届けられたものだ。
貴女に魅了された ナランより
そして最後に記された差出人の名前に、イレーネはギョッとする。
その様子を見たエルオリーセは、どこか面白そうに尋ねた。
「ナランって、ナラン・フレグ魔王? どこで見染められたの?」
「ちょっと待ってよぉぉ~~」
イレーネは、頭を抱えて叫んだ。
「どういうことか、聞いてくるわ!」
そして外に出ると、小屋に戻っていたノイに再び乗って、スラルヴィオの屋敷へ駆けた。聞く相手は、ナランの父親以外にはいないだろう。
「あ、行っちゃった。バラの片付け、手伝ってもらおうと思ってたのに・・・」
玄関の外でイレーネと、その後を追ってゆくウィンの騎乗姿を見ながら、エルオリーセは小さく呟いていた。
「お爺様っ!いったいどういう事なんですのっ!」
帰ったと思ったら戻って来て、部屋に駆け込むなりスラルヴィオに食って掛かったイレーネに、面食らった老人である。
「な、なんじゃね・・・立て続けに驚くことが起こるのぅ」
それでも口調は変わらず、優しく答えた老人に、イレーネは家に届いたとんでもない量のバラの事を話した。
魔王の父親である彼は、皺だらけの頬を人差し指でポリポリと掻きながら、視線を宙に浮かせて呟いた。
「いやはや・・・まさかそこまで素早く動くとはのぅ」
「はぁ?」
「数日前、ナランに会ったじゃろう?あの時、そなたが帰ってから、いきなり言い出したんじゃ」
「ち、父上!私は、イレーネ嬢に一目惚れいたしました!彼女を娶ります!」
「は?・・・いや、イレーネは人間だぞ。魔王が人間の女性を娶るなぞ、かつて無かったことだし、そもそも彼女が、お前をどう思っているか解らないだろうが」
スラルヴィオは驚愕から立ち直ると、至極尤もなことを言う。
「イレーネ嬢が人であることなぞ、どうでも良いのです。あの魔力や魅力があれば、全く問題はない。あの角が飾りでは拙いと言うなら、魔法で頭に埋め込んでしまえば良いではないですか。イレーネ嬢だって、魔王の妃になれるのならば、喜んで承諾してくれますとも」
(この息子は、こういう所がまだまだなのだがなぁ・・・)
前魔王は、こっそりと溜息をついたが、とりあえず真っ当な意見だけを与えておいた。
「プロポーズするにしても、その前にちゃんと段階を踏むのじゃぞ。相手にもちゃんと、考える時間を与えることじゃ。互いの愛が無い結婚は、不幸を呼ぶものだからな。いきなりと無理やりは、禁物じゃぞ」
「・・・と言うわけで、ナランはそなたを娶りたいと本気で思ったようじゃ。王都に戻るなり、手を尽くしてそなたの住まいを突き止め、王都中の花屋にバラを届けるよう命令したのじゃろうな」
「・・・・せめて、花束くらいにしていただきたかったですわ」
今晩はきっと、あのバラの片付けで寝られないんじゃないかと思うイレーネだ。
「おお、そうじゃ。丁度良いから、知らせておこうな。さっき立て続けに驚いたと言ったが、実は儂にもナランから手紙が届いての、状況が整ったから近日中に王都へ戻るように伝えられんじゃよ。なので儂は、近いうちに引っ越してしまう事になる。まだ、イレーネへの魔法の教えも、全て終わったわけでは無いし、ノイの事も気になるしのぅ。じゃから、もし良かったら、イレーネも王都に来ないかね。来れるなら、住まいは用意しておくがの?」
イレーネは、少し考えさせてほしいと言って、家に帰った。
「ただいま・・・」
色々と考えることが多く、低めのテンションで家の中に入ったイレーネに、エルオリーセから声が飛んだ。
「おかえりなさい、イレーネ。早速だけど、手伝って。バラの花びらを、取ってるの」
あまりに数が多いバラの花を、ただ置いておくだけではドンドン萎びてしまうだろう。折角今は美しく咲いている花なのだから、新鮮なうちに有効活用しようとしているらしい。
「オリビエは、キッチンでジャムを作ってるわ。ジャムなら保存が利くし、誰かにあげてもいいしね。私は、花びらを乾燥させておこうと思うの。ポプリや枕も作れるから」
イレーネは、思い切り大きなため息をついた。
「・・・・解ったわ。でも、先にお風呂に入って来てもイイ?」
気分を切り替えようと浴室に向かうと、バスタブには沢山のバラの花びらがある。
「・・・バラのお風呂は、久しぶりだけど・・・」
公爵令嬢だった頃は、たまにバスタブにバラの花びらを浮かべて入浴したこともあった。
「リラックスするには良いかしらね・・・・」
裸のまま、静かに足を入れたイレーネだが、直ぐに違和感に気付いた。
「ちょっと、何よコレ! お湯が全く入ってないじゃないのっ!」
純度100%の、バラの花びら風呂。
いくら山のようにバラがあるからと言って、これは風呂と言えるものなのだろうか。
「ちっともリラックスしないわ」
真っ赤な花びらに埋もれて溜息をつくイレーネだが、絵面としてはかなり美しいのかも知れなかった。
今後の事を全員に相談するイレーネだったが、その前に、とオリビエが口を挟んだ。
「実は、例の黒アガースについてと、ロートホルン城を半壊させた魔物に関する情報が集まった。エルオリーセとアルバと一緒に、あの保護区に入ったんだが、運良く黒アガースと会う事が出来たんだ」
身体が大きく集団で暮らすことが難しい魔物や魔獣がいる保護区は、この魔王国の半分を占めるくらい広大だが、意外に早くその黒アガースを見つけることが出来た。
ロートホルン城の近くで戦う羽目になり、重傷を負ったエルオリーセとアルバは、警戒心MAXで近づいてゆく。
オリビエも、大切な彼女を傷つけた恨みもあるので、下手に出るつもりなど無かった。
「おい、お前は以前、魔王国から出て私の城の近くに来た黒アガースか?」
〈・・・んあ? 何だ、お前たちは。それに俺は、黒アガースなんてモンじゃ無いぞ。俺はブラックレックス種のラッシュってモンだ。まぁここから出て、ひと仕事したことはあるが・・・ん?〉
心話で答えて来た真っ黒な魔獣は、ドラゴンに分類されるのだろう。けれど、あの時とは違い、少なくとも話は出来そうだと思うエルオリーセである。
そんな1人と1匹に気付いたラッシュは、直ぐに思い出したらしい。
〈あの時の、奇妙な人間と犬か?生きてたんだな。何で、こんなトコまで来てんだ?〉
あんな目に遭わせておいて、生きていたんだなで済ませる辺りが、どうにもムカつくと思うオリビエだ。けれどエルオリーセとアルバの方は、気持ちを切り替えているらしかった。
「お陰様で・・・聞きたいことがあるから、ここまで来たのよ。ラッシュさん、貴方は何故ここを出て行かれたの?ここに住む魔物は、出入りが自由なの?」
ブラックレックスのラッシュは、怖れも恨みも無い様子のエルオリーセに、好感を覚えたようだった。
「いや、勝手に出ては行かれないな。許可が必要だが、皆ここでの生活に満足してるから、他所の国に出て行きたがるヤツはいないと思う」
「じゃあ、貴方は許可を得て出たのね。誰が何の目的で、貴方に行くように言ったの?」
エルオリーセの質問に、ラッシュは少し考えてから答えた。
「他の魔物には内緒で、と言われたけど、アンタは魔物じゃ無さそうに見えるから、話してもいいかな・・・そっちのゴーストさんは、魔物じゃ無くて魔族だしな。俺に命令と許可書を出したのは、王都の魔族で、ゼン・インディ公爵さ。『晴嵐の轟音』の二つ名を持つお方で、魔王様の側近なのさ」
「それは凄いわね。直々の内密の任務、っていう感じだったの?」
「ああ、そうだ。魔王国にいるブラックレックスは俺だけだが、他のドラゴンたちではなく、俺が選ばれたってコトだろ。誰にも言えないのがナンだが、俺は誇りに思ってるぜ」
どうやら、そのゼン・インディとか言う魔族が、キナ臭いような気がする。
エルオリーセたちは、他にもその魔族に関する情報を、ラッシュから聞き出していた。
「ラッシュが受けた命令は、ロートホルン城の周囲の探索と、中に入れそうだったら入って調べて来いと言う物だったそうだ。ただし、心話は絶対に使うなと厳命されたと言っていた。邪魔が入ったら、暴れてきても構わないと言われたので、エルオリーセとアルバを攻撃してきたんだ。彼は最後に、命令とは言え悪いことをしたと謝っていたよ」
「ゴメンで済んだら、敵討ちなんて世の中から消えるだろうがな」
ウィンがむっつりと意見を述べるが、それを聞いてオリビエも頷いた。
「その通りなんだがな。私もヤツの尻尾くらいは切り落としたい気持ちだったが・・・まぁ、何とか我慢したよ。そう言えばラッシュは、君の事も言ってたな。素晴らしく強い勇者だ、とな」
「・・・別に、嬉しか無ぇけどな」
「という事は・・・そのゼンという公爵は、王都にいるんだから、行ってみるのもアリって事よね」
やがてイレーネが、ポツリと言葉を漏らす。
「スラルヴィオ爺さんも、そっちへ移るってんなら、好都合じゃねぇか。そろそろこの村も、飽きて来たしな。情報が得られたなら、もう滞在する意味も無いだろ?」
「そうね。ここにいたら、今度は何がどれだけ贈られてくるか解らないしね」
最後のエルオリーセの言葉に、一同は大きく頷いたのだった。
魔王都ルグロリューは、テスタマッタ村の北にある。険しい山脈を背後に置いた魔王都には、『悪霊城』と言う噂が魔王国外にも流れる城があった。
山脈は活動を続ける火山群で、幾つかの峰からは常に噴煙が出ている。
『悪霊城』と呼ばれるに相応しい禍々しさが、そこかしこに漂っているのだろう。
村で拾った情報も加味して、イレーネたちは魔王都を、そんな風に想像していた。
けれど魔王都までの道のりは、地図を見ても遠かった。
イレーネはノイに、ウィンはコーンホースのイブキに乗り、エルオリーセは鍋を背負って変身して貰ったアルバに乗る。それでも魔王都ルグロリューまでは、幾つもの村や小さな町を通過しなければならなかった。
テスタマッタ村では、最初こそ仕事があったピロだが、彼らが案内を必要としなくなってからは、自由気ままに過ごしていた。とは言え、大抵は邪魔にならないように気を付けて、イレーネの傍をうろついていたのだが。
けれど再び旅が始まると、ピロは久しぶりに役に立てると張り切る。
「次に行くのは、ツルマ村だね。山脈から続く森林地帯にあるんだ。雨が少ないこの国じゃ、ちょっと珍しいよ。林業が主な産業で、木こりや木工細工の職人が多いよ」
ピロの説明に、少し嬉しくなる一行だ。魔王国に来てからは、荒野を目にするばかりで、森や林、緑の葉を茂らせる木々は見たことが無い。
「ドワーフとコボルトが多いんだ。村長もドワーフだしね」
緑に囲まれのんびりした、田舎の村らしい。
通行証もあることだし、特に問題も無いだろう。一行は、それぞれの騎乗獣を並べて、のんびりと進む。やがて林が見え、その中を通る街道をゆくと、想像通りの集落に到着した。
魔王国の旅にも慣れた一行は、特に問題も無く宿屋に入る。
主のイレーネと一緒でなくても寝られるようになったノイは、ウィンの騎乗獣イブキと一緒に宿に併設された馬小屋に入った。エルオリーセは鍋をウィンに預け、イレーネと同室になる。アルバが一緒なのは、ここが魔物の国だからだろう。大型犬サイズならば、部屋に入れても大丈夫らしい。ウィンとオリビエが同室になったのは、宿の部屋くらいは男女別にしておこうと考えた結果だ。
夕食までは時間があるし、日没もまだだ。エルオリーセはアルバと一緒に、買い出しに行くと言う。けれどイレーネは、久しぶりに森の中に行ってみたいと思った。この村の治安は良さそうだし、森の中も遠くまで行かなければ危険な生物も出ないと言う。
「良いかしら?」
お伺いを立てたイレーネに、エルオリーセはあっさりと承諾をした。
ノイに乗って森に入ったイレーネは、少し離れてついて来るイブキに乗ったウィンのことは気にも留めていない。いつもの事なのだ。
そして木漏れ日が煌めく大木の下でノイから降りると、イレーネは太い木の根っこに腰かける。頭上から小鳥の囀りが聞こえ、近くの茂みから野兎が顔を出した。
「あら、可愛い」
イレーネの呟きが合図となったように、梢から数羽の小鳥が降りて来る。野兎や栗鼠が、数匹集まって来た。
よく見れば、小鳥も野兎たちも、見慣れた姿では無かった。小鳥たちは、頭が大きく丸っこいものや、頭上に冠羽に隠れた小さな角があるものもいる。野兎も、耳に房が付いていたり、後ろ脚の爪が鋭かったりもする。
けれど、皆嬉しそうにイレーネの肩にとまったり寄り添ったりして、素直な好意を表していた。
(これって、やっぱり・・・髪色のせいかしら?)
けれど今は、微かな不快感も無い。
(こういうのは、良いわね・・・髪の色だけで好意を持たれるのは、何だか居心地が悪い感じがしたけど、警戒心を無くすんだと思えば、良いことなのかもしれないわ。髪だって・・・私の一部だし、それを好かれるなら嬉しいことなのよね)
綺麗で可愛い小鳥や野兎たちと、素の笑顔で戯れるイレーネを見て、ウィンは自然と頬に笑みが浮かんだ。普段の、どこか気を張っている彼女とは、別人のような姿だ。
(あんなあどけない顔も、するんだな・・・・)
ウィンはそんなイレーネを眺めながら、瞼を閉じて思う。
(娘らしい・・・と言うか・・・可愛いと言うか・・・)
そしていつしか、うとうとと微睡んでいた。
一方ノイは、奇妙な気分になっていた。
妙に落ち着かない気がして、イレーネの方をあまり見たくないような気分だ。
それはおそらく、ヤキモチとか嫉妬に近い感情なのだろう。
(・・・まだ、帰らないのかな・・・)
面白くない気持ちのままに、ノイは森の下草を食みながら、少しその場から離れて行った。
暫くして、ふとノイは気づいた。いつの間にか、イレーネから距離を取ってしまったことに。
(もうそろそろ、帰るころかな・・・)
小走りに戻ったノイだが、そこにイレーネの姿は無かった。
〈???・・・イレーネ~~〉
心話で呼びかけてみるが、返事はない。という事は、近くには居ないという事だ。
(・・・先に帰っちゃったの!)
ノイはムッとしながら、大急ぎで村の方角へ向かって走り去った。
その直後、ウィンもハッと目を覚ます。
(あ~~~、いかんな。ウトウトしちまった・・・あれ?)
周囲を見回すが、イレーネもノイの姿も無い。
(ったく・・・帰るなら起こしてくれたって良さそうなモンだぜ)
溜息をついたウィンは、待たせていたイブキに乗って宿に向かって駆けた。
その少し前、イレーネは楽しい戯れを終えて、立ち上がっていた。
ウィンが居眠りをしているのは解ったが、ノイが近くにいない。
(まさか、迷子になってるとか?仕方が無いわねぇ・・・)
ちょと辺りを探してみようと歩き始めたイレーネだったが、それが拙かった。あっと言う間に方向感感覚がおかしくなり、元居た場所が解らなくなる。そこで声を上げれば良かったのだろうが、遠くまで来ていない筈だからと、更に足を進めてしまった。
結局最後は、どうにもならなくなって岩の上に腰を下ろす。
「これって・・・私が迷子になったってこと?」
見知らぬ森の中で、夕暮れも近い。
イレーネは、自分を抱きしめるようにギュッと二の腕を掴んだ。




