3 新しい黒
朝日が昇ると、ダークペガサスの母馬クリスタルは、こっそりと運び出されて埋葬された。
ウィンとエルオリーセ、イレーネまでもが牧夫であるヤマニンを手伝い、最後に質素な墓標を立てる。
ただ名前のみを記した墓標だったが、そこに立ち会った全員の心は、可哀そうな母馬を悼む思いでいっぱいだ。
ただ、母を失ってぼんやりしている仔馬を別にして。
仔馬、と言って良いのだろうか。
最後に残ったこのダークペガサスは、ヤマニンの話ではもう若馬と言って良い年だと言う。
けれど、その見かけは幼すぎると言ってよいくらいだ。
先ず、身体が小さく、貧弱だ。精神的にも幼いようで、母親が死んだことも正しく理解していないように見える。
そして驚くことに、この仔馬には翼が無かった。
代わりに、両肩のあたりに大きなコブがある。それは見るからにバランスが悪く、奇形のようにも見える。少なくとも、普通のペガサスの子なら、産まれた時から小さいながらも翼は持っているのだ。
そんな仔馬は、ぼうっとしたように埋葬場所まで付いて来て、ぼんやりと母親が埋葬されるところを見ているだけだった。
花を供え、祈りを終え、静かにイレーネが立ち止まった時、ふいに仔馬が彼女を見て、ほてほてと歩み寄って来た。
「え?・・・何?」
黒い不格好な仔馬を見る彼女は、目と鼻を赤くしている。クリスタルの最後を看取ってから暫くの間、泣いていたのだろう。
「・・・フッ・・・ブフッ・・・フン・・・」
仔馬はイレーネの髪に鼻を突っ込み、臭いを嗅ぐように押し付けて来る。
「ちょっと、ねぇ・・・アルバ、この子、何考えてるのよ?」
イレーネの言葉を聞いて、アルバは仔馬に近づいた。
〈・・・この子、心話がすっごく下手だよ。多分、お母さん以外とは話したことが無かったんじゃないかな。他の誰かとは、心話以外でも、話すことが無かったみたい。少なくとも会話に関しては、人間で言ったら3歳児くらいだね〉
「・・・そ、そうなの?・・・確かに、薄らぼんやりしてるって思ってたけど」
〈他のダークペガサスはいなかったし、お母さんは病気だし、教わることも少なかったんだろうね。で、少し聞いてみたけど、何とか解ったのは、名前と〈一緒にいたい〉ってコトだけだよ〉
「そうか・・・そうよね。名前くらいは、あるわよね。で、何ていうの?」
〈ノイシュヴァルツ・・・母親は、ノイって呼んでたって〉
ノイシュヴァルツ。
異国の言葉で、新しい黒。
ただ1頭、この場所に生まれて育つダークペガサスの子供に、母は何を思ってその名をつけたのだろう。
魔力によって変化させられた、ダークペガサス。その母と父の間に生まれた、奇跡の子。
せめて、その子には新しい未来と幸せを得られるように願っていたに違いない。
「・・・ノイ・・・アンタも、この髪が好きなの?」
イレーネは、少し複雑そうではあったが、それでも優しい笑顔になって仔馬の鼻面をそっと撫でた。
撫でて貰って嬉しくなったらしいノイは、今度はイレーネの腋の下に鼻を突っ込み、胸に顔を押し付けてくる。
「あ、ちょっと! 何なのよ」
困惑するイレーネに、ウィンが笑いながら言った。
「おっぱい強請ってる赤ん坊みたいだな」
イレーネは真っ赤になって、言い返す。
「出ないわよっ! もし出たって、仔馬に授乳する趣味は無いわ!」
埋葬の重苦しい空気が、吹き飛んで行く。
〈ノイは、心話が下手だって言っただろ。誰かに伝えるって事を、あんまりしてこなかったんだよ。お母さんって、子どもの考えてる事は言われなくても解るっていうからね。だから、多分これからノイは、色々と学んでいくと思うよ。今は不安と寂しさでいっぱいみたいで、置いていかないでって思ってるみたいだね〉
イレーネは、しばらく考え込んでいた。
そしてやがて、老コボルトに向かって口を開く。
「ねぇ、このままだとノイは、ここで独りで暮らすしかないんでしょう? 私がこの子を、引き取ることは出来る?」
その返事が出る前に、ウィンが口を出した。
「そのダークペガサスの仔を、飼うつもりなのか?」
「あら、ダメ?・・・イイわよね、オリビエ?」
イレーネは、一応この旅のリーダー的なポジションにいるオリビエを見た。一番気難しい彼が良いと言えば、それで決まるだろう。
「・・・私は、エルオリーセが良いと言うなら・・・」
どっちがリーダーか解らない。けれどエルオリーセは、穏やかに微笑んで答えた。
「私は、構わないわ。ただし、世話は全部イレーネがするのなら、だけど」
「えっ!私が? 全部?」
「そう、全部。責任を負うって言う事ね」
「ぅ・・・・・・わ、解ったわ。それじゃヤマニン、ノイを私にちょうだい」
再び老コボルトに迫るイレーネだが、彼の方は困ってしまった。
「いや、その・・・儂としては、コイツが望むならそうしてやりたいが、そもそもダークペガサスやペガサスたちは、前魔王様の所有になるわけだから、勝手なことは出来ないよ」
「それじゃ、私が直接、その前魔王様とやらに会って、譲ってくれるよう頼むわ。クリスタルが亡くなったことは、どのみち報告しないといけないんでしょ?その時に、一緒に行くわ」
「いや・・・報告は、いつも手紙で・・・」
「いいから! 隠居してるって言ってたけど、住んでる場所くらい知ってるんでしょ」
「し、知ってるが・・・隠居と言うか、半ば幽閉と言うか・・・取り次いでもらえないと思うぞ」
「行ってみなきゃ解らないわよ。ダメ元で、行くわよ!」
こうなると、止まらないのがイレーネだ。
結局一行は、ぞろぞろと前魔王が暮らしていると言う屋敷に向かった。ノイは当然のように、イレーネにぴったりと寄り添い、どこか嬉しそうにほてほて歩いていた。
前魔王スラルヴィオ・フレグの住まいは、立派な塀に囲われた、それなりに大きな石造りの屋敷だった。門の前まで来ると、ヤマニンは自分とイレーネだけで行く、と言う。
「大きな声じゃ言えないが、前魔王様は隠居という建前だが、幽閉に近い暮らしをされているそうなんだ。大人数では、中に入れて貰えないだろう」
どうやら40年前の代替わりの時に、何かあったようだ。
不安ではあったが、一応頷いてイレーネだけが行くことを承諾するオリビエたちである。
門番を呼び、老コボルトが事情を説明すると、意外にも特に警戒されることも無く、中に入ることが出来た。
「ご主人様は、庭の方にいらっしゃるから、案内する」
猪の頭を持つ門番は、くぐもった声ではあったが、のんびりと先に立って歩き始めた。
幽閉されていると言う話は、嘘だったのだろうか。ヤマニンとイレーネは、首を傾げながら庭に案内された。
外で待っていたエルオリーセたちだが、彼らが中に入るとウィンが心配そうに言う。
ちなみに、一緒に来たノイはイレーネと離れたくないと駄々をこねているので、それを宥めるのに忙しい。
「大丈夫かね?」
「今が夜なら、オリビエに塀を通り抜けて貰って、見に行って貰えるんだけど、それは無理だからアルバに行って貰うわ」
アルバは軽く頷くと、1羽の烏に姿を変えて飛んで行った。
イレーネ達が案内された庭は、一風変わった造りになっていた。
石で囲われた池があり、実がなる木々が植えられ、木材で作られた長椅子があちこちにある。そんな池のほとりに、1人の年老いた魔物の姿があった。
「旦那様、お客様がいらっしゃいました」
門番の声に振り向いたのが、前魔王なのだろう。
髪は白く、顔には深い皺が刻まれている。その頭にある角は立派な大きさだが、乾いたように白くなっていた。いかにも魔物らしい顔つきだが、真っ白な顎髭が隠遁した老学者のようにも見える。
「おお、そうか。久しぶりの客人じゃ。茶を進ぜような」
池の魚に与えていた餌の残りを水面に投げ入れ、前魔王スラルヴィオ・フレグは好々爺の顔で答えた。
庭の四阿でお茶を飲みながら、先ずはヤマニンの報告を聞いた老人は、悲し気な顔になって言う。
「そうか・・・クリスタルは、逝ってしまったか。ずっと気になってはいたんだが、まだ外出は出来ない状況でな。こちらからは、手紙を出すことも出来なかったんじゃ。以前よりは大分、息子との関係も修復されてきて、客人には会えるようになったがな。人数制限はあるのだが」
(息子との関係って・・・お家騒動みたいなのかしら? 魔物の国も、そう言う事ってあるのね)
その辺の事情も、もう少し聴いてみたいイレーネだ。だが、今日はそれよりも大事な話がある。
「確か、クリスタルには子供がいたはずじゃが、その仔はどうなっているんだね?」
「はい、今日はその事でお伺いしました。実はその仔、ノイシュヴァルツですが、こちらのイレーネさんが引き取りたいと申されまして。ノイの方も、すっかり懐いてしまっているのです」
ほう、と再びイレーネをの方に目をやったスラルヴィオ老人は、彼女の髪をまた見て微笑む。
「初めてお目にかかります、前魔王様。イレーネ・アルアインと申します。ノイシュヴァルツを譲っていただきたく、お願いに参りました」
綺麗な淑女の礼で腰を屈めたイレーネに、老人は目を細めた。
「ほう、魅力的な御令嬢じゃな。角を着けておられるが、魔物ではなく、人ではないのかな? 隠居した身だが、そのくらいは解るのでな」
ニコニコして言う前魔王は、イレーネが変装していることを咎めるような様子はない。
「何か訳があるのだろうと思うし、それについてどうするつもりも無いから、心配せんで良いよ。久しぶりに若く美しい女性を見て、年甲斐もなく楽しい気分になったしのぅ」
「・・・はぁ・・・ありがとうございます」
何とも対応に困るイレーネだ。
魔王という地位にあったのだから、もっと恐ろし気な魔物だと思ってここまで来たが、これではただの暇な老人を訪ねて来たようだ。
「ノイは、そなたに譲ろう。ただちょっとした手続きもあるので、明日また来てもらえんかな?ノイを連れてな。客人は一度に3人までは許されておるから、ヤマニンは仕事もあるだろうから、何ならあそこにいるカラスも連れて来れば良かろう」
烏の姿のアルバも、お見通しだったらしい。
とりあえず、その日はそれで辞して、翌日もう一度前魔王の屋敷を訪ねたイレーネだった。
今回の訪問は、イレーネとノイ、そしてエルオリーセが一緒だった。
昨日の前魔王の様子から、女性の訪問を喜ぶらしいという事と、現魔王の話をもっと詳しく聞きたいと思ったからだ。アルバはまた烏になったが、塀の上にいて様子を窺っている。そこならギリギリオッケーだろうと言う判断だ。鍋を持って外で待つウィンは、落ち着かない様子で塀に沿って行ったり来たりを繰り返していた。
スラルヴィオ老人は、上機嫌だった。エルオリーセが人では無いと気づいていたが、特に詮索せずニコニコしている。
「ノイの譲渡については、話を通して置いたからな。おお、この子がノイシュヴァルツは。うんうん、良い子じゃ。イレーネ嬢の言う事を聞いて、可愛がってもらうんじゃぞ」
ダークペガサスの若馬を、優しく撫でながら言う彼に、ふとイレーネは聞いてみる。
「ノイのこの肩のコブって、病気とかじゃないですわよね?」
「・・・それは大丈夫じゃないかのぅ。儂も詳しくは無いが、ノイは小さいが健康だと思うぞ。まだ幼さが残るが、これから身体も心も育ってゆくんじゃないかな」
安心したイレーネの横で、エルオリーセが口を挟んだ。
「前魔王様、お時間があれば少々お伺いしたいことがあるのですが」
「ん、何かな?暇な隠居じゃから時間はいくらでもあるが、その前魔王様と言うのはのぅ・・・儂はもう、全てを息子に譲った、ただの隠居爺なのだから、名前で呼んでくれんか?何なら、お爺ちゃんでも嬉しいが」
孫娘にそう呼ばれたいと思う、前魔王様である。
「それでは、スラルヴィオお爺様、お伺いしたいのは、現魔王様のことなのです」
「ほう・・・息子のナランの事かね?何故、聞きたいと思うんじゃ?」
「お爺様は、魔王の地位を譲ってから、幽閉に近い状況だったと伺いました。失礼ながら、代替わりの時に何かあったのかと思っていましたが、こうしてお話を伺うと、お爺様は息子である現魔王様を嫌っておられるわけでは無いように見受けられます。茶飲み話のような感じでも良いので、お話を聞いてみたいなぁって」
最後は甘える孫娘のように答えるエルオリーセに、スラルヴィオは苦笑いで答えた。
「アンタはなかなか老獪じゃのぅ。まぁ、秘密にしておくことでもないから構わんがな。そうさな、儂は息子を嫌ってなぞおらんよ。そもそも、そろそろ位を譲っても良いと思っていた頃合いじゃったからなぁ。ただ儂の心づもりでは、もう少し色々と教えてからにしようと思っとたんじゃ。だが、息子は待てず、少々強引に行動したんじゃよ。元々せっかちな性格でもあったし、側近の意見にも流されたんじゃないかと思うがね」
庭でお茶を飲みながら、彼の話は続いた。
クーデターに近いような状況だったが、スラルヴィオ・フレグはそれを受け入れた。お家騒動での争いを、避けたかったのだ。息子は新しい魔王として充分な魔力を持ち、年齢的にも見かけ上も全く問題はない。まだ妻帯してはいないが、政治力もそれなりにあるし、自分は陰ながら力を貸すつもりだった。
「だが、まぁ・・・状況が状況じゃったからのぅ。儂はこの屋敷に、幽閉されることになったんじゃ。だが、息子は直ぐに謝罪の手紙を寄越したし、ここに来て頭も下げた。内部事情も明かしてくれたんで、今はそれで良かったんだと思っとるよ。魔王国は、恙なく平穏で続いておるしな。まぁ、ちょっとしたトラブルはあるが、何とか収まっとるしのぅ。少しずつじゃが、儂の周囲も自由度は上がっとるし、いずれは自由に暮らせるだろうと思っとる」
もう充分に、魔王としての職務は果たしたと思う。後は、好きな時に好きな事をして、悠々自適に暮らすつもりだと言うスラルヴィオは、隠居生活を楽しむ老人なのだろう。
「二つ名も地位も捨てて、ただの魔族の老人として、第2の人生をスタートするんじゃよ。ホッホッホ」
笑う彼を見て、イレーネは何だかこの老魔族に好感を抱くようになった。
「お爺様、魔族と魔物はどう違うのかしら?」
「おおイレーネや、それはのぅ、ここではちゃんと違いがあるんじゃぞ」
フレグ魔王国では、人語を操り知性が高く地位もある者たちを魔族と呼ぶ。二足歩行をし、服を着て暮らし、政治にかかわる者たちの事と言っても良い。一般の平民は、魔物として括られているそうだ。
「つまり、貴族や王族が魔族ってことで良いのかしら?」
イレーネの言葉に、スラルヴィオは穏やかに頷いて言った。
「まぁ、大体はそれで良いよ。そうじゃ、イレーネ。そなたも儂に、人間の王国の話なぞも聞かせてくれんか?何故、そなたはこの魔王国にやって来たんじゃ?」
イレーネは、この老魔族に全てを語った。
謀反人の娘となって没落し、王都を追われたこと。エルオリーセやオリビエ、アルバやウィンと出会って、目標を見つけたこと。
「いつか、女公爵となって、王都に返り咲きたいと思っています。新しい女公爵家を興したいと」
スラルヴィオは、目を細めて聞いていたが、やがて諭すように話し始めた。
「それには、力をつけることじゃな。新しく家を興すと言うのは、簡単なことでは無いじゃろう?必要なのは、何かを成し遂げる力と運じゃ。運は、時期を待ちチャンスを逃さないのが重要じゃが、それまでに己に充分な力を備えねばならん。イレーネは、それについては、どう思っているのかな?」
「・・・まだ・・・どうすれば良いかさえ、解っていなくて・・・探しているんです」
「うんうん、それで良いよ。では、儂も少し手助けしようかの。この屋敷には、儂個人の蔵書があってな、特に魔法書は様々な物が揃っておる。儂が見たところでは、イレーネは武術より魔法の方が向いているようじゃ。出来ることが無いか、勉強してみたらどうじゃな?」
スラルヴィオの申し出は、ありがたかった。
イレーネが使える魔法は、回復魔法だけだが、それは対人間に対してだけだ。少なくとも今の状況では、役に立つ場面が少なすぎると、常々思っていたのだ。
イレーネは、即答した。
「ありがとう、お爺様っ!」
そして孫娘のように、前魔王の首に抱きついたのだった。
さて、それからの日々、イレーネは毎日スラルヴィオの屋敷を訪ねて、沢山の魔法書を紐解いた。
常に傍にくっついているノイも、一緒に来ている。
実は、その生き帰りさえも、イレーネにとっては気の休まらない時間だったが。
ノイは、まず最初にイレーネの名を覚えて、心話で呼びかけるようになった。
次に仲間たちの名を覚え、アルバの指導もあって、伝えて来る単語が増えて来る。
そしてそれに伴って、本来の性格も出て来ていた。
好奇心旺盛で、行動的。叱られても凹むこともが無く、前向きで、ある意味能天気。
主であるイレーネに、どこか似ていた。
魔法の勉強にのめり込むイレーネは、毎日早朝に家を出る。ノイはまだ眠そうだが、それでも必ずイレーネに付いてきた。そしてそんな1人と1頭を、護衛するようにウィンが同行した。
(こんな暴れ馬みたいな娘と、調教できていない若馬を野放しにしたら、とんでもない事が起きそうで怖い)
それがウィンの、偽らざる気持ちだ。
そして村の通りを進むと、ようやくはっきり目が覚めたノイは、せわしなくキョロキョロと辺りを見回して、なかなか先へ進まなくなる。
「ノイっ!サッサと歩いてよ。少しでも早く着きたいの!」
イレーネが叱ると、トコトコ戻って来るが、しばらくすればまた同じことを繰り返す。行き交う荷車や、朝市の準備に忙しい魔物たちが珍しくて仕方が無いのだろう。
それでも、早朝はまだ良かった。
夕方、イレーネの勉強が終わって家へ帰るときは、人通りも増えている。
イレーネが勉強している間は、ウィンがノイの教育を行い、馬具に慣らしてはいた。けれどまだ、ノイは轡を取られて歩くことは完全には出来ていない。
「おっと・・・まっすぐ歩けよ」
かなり力づくでコントロールしようとするウィンだが、それでもノイは隙を見つけては店に並ぶ品に近づいた。
「あっ! ちょ、ちょっと! 止めさせておくれよ!」
「ああっ! ごめんなさい!・・・ノイっ!ダメェ~~~」
いきなり八百屋の店先に顔を突っ込み、リンゴやニンジンをモグモグし始めたノイに、親代わりのようなイレーネが謝る。
かと思えば、荷車を弾く家畜に近づいては、いきなり鼻を寄せて臭いを嗅ぎだすから、危ないことこの上ない。
「おいっ!臭いを嗅ぐ前に、挨拶を交わせよ!」
どんな動物でも、挨拶は必要なのだが、母親としか接していなかったノイには、そう言う事も解っていない。お陰でウィンは、保父さんのように気を配らなければならない。
家に辿り着く頃には、とっぷりと日が暮れることも多い。
流石に馬サイズの動物を家の中で飼うわけにもいかないから、ノイ用の小さな小屋を狭い庭に作ったが、そこで独りで寝てはくれないので、毎晩イレーネは添い寝することになっていた。
夜になってオリビエが出てくると、エルオリーセとアルバは彼と一緒に家を出る。村の中で情報収集する事もあれば、保護区の中に入ることもあった。
他の生き物との親和性が高いメタモルファルたちと、エルオリーセの知識、そしてオリビエの能力があれば、特に危険はなく観察が出来る。
そんな日々の中で、イレーネは多くの事を学んでいった。
スラルヴィオの蔵書は、魔法の基礎知識から応用、そして高等魔術についてもひと通り揃っていた。
イレーネは、親切に教えてくれる彼の勧めで、先ずは基礎知識から学ぶ。
「イレーネは、対人間用の回復魔法は使えるが、あまり得意そうじゃないようじゃのぅ」
「うん・・・」
「儂が見るところだと、適性が合っていないようじゃな。魔力の感知や行使力は高いと思うから、先ずは魔法にはどういう物があるのか、知識を蓄えると良いぞ」
そして最初は初歩の魔法を色々と試してみて、自分に合う物を見つけるのが良いとスラルヴィオは言った。
(ええと・・・回復魔法以外だと、攻撃魔法になるのよね。シュバルグランだと、『戦う者』が使う魔法は・・・・ええと、付与魔法になるんだわ。あ、それ以外にも・・・武器に付与するんじゃなく、魔法だけで攻撃することも出来るのね)
火・水・雷・氷。それぞれがドラゴンのブレスのように、術者から飛んでゆく魔法。
イレーネは初めて知る攻撃魔法を、本気で学び始めた。
夜、ノイの小屋の寝藁に腰を下ろし、イレーネは借りて来た魔法書を読む。
(・・・ええと、ここまでは教えて貰ってたわね。明日の予習として、続きを少しやってみようかしら)
スラルヴィオは、炎系の魔法が一番相性が良いと言っていた。発動させる前の準備段階までは、出来ているイレーネだ。
(先ずは集中・・・一番低レベルだから・・・呪文は短く設定して・・・安直だけど『ファイア』でイイか。それで・・・指先に魔力を集めるような感じで・・・)
指先に、小さな炎が出せたら成功。
そんな感じで目を瞑り、集中していた時、ノイがすぐ傍で身震いした。
身体に付いていた寝藁の屑が、舞い上がってイレーネの鼻をくすぐる。
「・・・ファイ・・・ァックション!」
呪文の途中で、くしゃみが出てしまう。
「----っ・・・あっ!」
指先に灯った炎が、飛び出してしまった。
「あ、拙いわ!」
飛んだ炎は、寝藁の上に落ち、乾燥した細かい藁に燃え移ってしまった。
「あぁーーーー!」
イレーネは慌てて、何とか消そうと試みる。
手でバタバタと叩いてみたが、それはかえって自分のスカートの上に火のついた藁を乗せる結果になってしまう。
「キャァ!」
悲鳴を上げるが、ノイさえも驚いて足踏みを始めるので、収拾がつかなくなる。
イレーネがパニックになった時、いきなり頭の上から水が降って来た。
ザバァッ・・・バシャッ・・・
「何やってたんだ!馬鹿野郎!」
怒鳴ったのは、両手に空のバケツを下げたウィンだった。
イレーネがノイの小屋で寝るようになってからずっと、こっそり庭で寝るようにしていたウィンだった。家の外から来るかもしれない敵から守るつもりだったが、まさか敵は中にいたと言うことだ。
彼女の声と煙と臭いに、ウィンはノイ用の水が入ったバケツを引っ掴んで、飛び込んできたのである。
済んでのところで、火事になるところだった。自分も火だるまになって、ノイも火傷をしただろう。
流石にイレーネも、びしょ濡れのまま俯くしかない。
「ごめんなさい・・・助けてくれて、ありがとう」
素直に謝罪とお礼を言うイレーネに、ウィンは大きなため息をつくしかなかった。
(・・・まぁ、そのために俺がいた・・・って、言えないコトも無ぇか)
「とりあえず、着替えて来いや。濡れた寝藁は、俺が交換しといてやるから」
その言葉に頷いて、素直に家の中へ入ってゆくイレーネを見送りながら、ウィンは独り言を呟く。
「ホント、目が離せない暴れ馬だぜ。何しでかすか、解ったもんじゃねぇ」
それでもその表情は、暖かい。
「なぁ、ノイ。お前も早く、一人前になれよ。お前の主は、ああいう女なんだからよ。覚悟して、ついてった方がいいぜ」
初めて見た火に、かなり驚いたらしいノイだったが、それでも直ぐに落ち着いたようだ。意外にも、結構図太いところがあるらしい。
そしてウィンの言葉は、殆ど理解してはいなかったが、主という単語は拾えた。
「ブルルルッ・・・ヒヒン」
漆黒の不格好な若馬は、鼻を鳴らして、小さく嘶いた。
(・・・イレーネ・・・主・・・)
拙い心話で伝えて来た2つの単語が、未来を定めた。
ずっと傍にいて欲しいと思って、彼女についてきた。
けれどイレーネは、母親の代わりではなく、自分の主なのだ。
美しい朝焼け色の髪を持つ彼女は、自分が大好きな主で、優しく撫でてくれるけど厳しく叱ってくれる。
そんなイレーネと、これからも一緒にいたいから・・・
頑張ろうと思ったノイは、確かに心が成長しているのだった。




