2 魔物の集落 レコルト村からテスタマッタ村へ
建物の外から、ふいにざわついた気配が届いた。
コボルトの村長は、慌ててドアを開けに立ち、1人の狼頭の男性を招き入れる。
「ご足労いただきまして、恐悦至極に存じます。パパレ局長様」
慇懃に腰を屈める村長を無視して入ってきたのは、軍人風の衣装に身を包んだワーウルフだった。
「人間が3匹、村に入ったという事だが?」
服の上からでも解る筋肉は、彼の地位を誇示するかのようだ。
「は、はい。捕らえた後で解ったのですが、人間は2匹だけで、それらと一緒にいたのが、こちらの方々でして」
村長は、低姿勢のままオリビエたちの方へ視線を投げる。
「ふむ・・・・」
局長と呼ばれたワーウルフは、2人を品定めするように見ながら近寄って来た。
「私は、フレグ魔王国・対人対策局長官、『根雪の奮戦』サムソン・パパレ男爵と申す。そちらは?」
低いが明瞭な声で名乗るワーウルフに、名乗りが長いなと思いながら、オリビエは立ち上がった。エルオリーセも、彼の二つ名の由来を考えながら、同じく席を立つ。
「『幽霊城の主』オリビエ・ローレンス・ロートホルン男爵だ。訳あって北西を目指して旅をしている。スティンガー山脈を越えて来たのだが、この地は初めてだ。ここは、フレグ王国なのだな?」
恐ろし気なワーウルフの顔に臆することなく、堂々と名乗るオリビエに、パパレ長官はそれなりの礼節を持って対話すると決めたようだ。
「はい、『偉大なる豪炎』ナラン・フレグ魔王陛下が治める、フレグ魔王国です」
そしてパパレは、スッと視線をエルオリーセに向けた。それに気づいたオリビエだが、そこにアルバがこっそりと伝えて来る。
〈この国では、二つ名を持つものは、それなりに地位があるようだって、エルオリーセが言ってる。『幽霊城の主』っていうのも、二つ名だと捉えてくれたみたい〉
成程、とオリビエは暫し考えて、パパレに向かってエルオリーセとアルバを紹介した。
「この女性は『最愛の至宝』エルオリーセ・ロートホルン。傍に控えるのは『忠節の守護者』アルバだ」
(・・・その二つ名、恥ずかしい・・・自分じゃ名乗れないかも)
そう思うエルオリーセだが、異議を申し立てるわけにはいかないだろう。アルバは全く気にしていないようだが。
パパレは、オリビエの言葉を聞いて考えた。
(と、言う事は・・・この女性は妻という事か?確かに高位の魔族風だが、それらしい雰囲気が無いような・・・)
それを察したように、オリビエはそっとエルオリーセを抱き寄せて言う。
「エルオリーセ、元の姿に戻っておくれ」
軽くウインクしながら言う彼に、彼女はその意図を察して変身をした。
雀斑が浮いた頬は艶やかな白い肌になり、栗色の髪は豊かに波を打って流れる。大きく美しい碧の瞳と知性を感じさせる額や鼻筋。静かな気品を湛えた彼女は、服はそのままだが、『幽霊城の主』の妻に相応しく見えた。
「いつも美しいね、エルオリーセ」
オリビエはそんな彼女の頬に、愛しさを溢れさせてキスをする。
パパレは驚いたように、固まっていた。
(異国の魔族は、変身能力もあるのか・・・いや、もしかしたら書物にあった精霊とか妖精なのかもしれない)
けれどパパレは、何とか長官としての職務を果たすことを思い出し、再び質問を投げかけて来た。
「それで、どのような目的で旅をされておられるのでしょうか?」
オリビエは少しだけ親し気な雰囲気を纏って、穏やかに言葉を続けた。
「知らずとは言え、国法を破ってしまったことを謝罪する。旅は、新婚旅行の様なものだ。親しい友人たちと共に、あちこちを巡っている。物見遊山の旅だから、こちらとは友好を深められたら良いと思っているよ。ああ、そうだ。その大切な友人を、牢から出して貰いたいが」
敵意や害意は無いということを前面に押し出し、とりあえずは自由を確保したいオリビエである。
「そう、『朝焼け色の髪の公女』と『信頼の大剣』をね」
イレーネとウィンにも、二つ名が付いてしまった。彼らの知らぬところで。
人間でありながら、箔が付いたのだからヨシとするべきか。
仲間内での、勝手な名づけなのだが。
それでもパパレは、軽く頷いて指示を出し、やがて2人はミノタウロスに連れられて出て来た。
不機嫌そうな顔も露わに、部屋に入って来たイレーネを見て、ワーウルフの長官は、雷に打たれたような表情で彼女を見つめた。
「・・・な、なんと・・・美しい髪・・・」
そして呟きながら数歩進み、淑女に対する礼をもってイレーネに話しかける。
「『朝焼け色の髪の公女』様、大変失礼を致しました。そのお美しい髪を拝する光栄に、心から胸を打たれております」
「・・・は?」
いきなり狼頭の魔物に、最大級の賛辞を受けて驚くイレーネだ。
(何これ・・・どう言うこと?)
どういう態度を取れば良いか解らず、エルオリーセを見るが、そこにアルバが伝えて来た。
〈よく解らないけど、とりあえず公爵令嬢になってて、ってエルオリーセから伝言だよ〉
「(何か解らないけど・・・解った)・・・あら、それはどうも」
イレーネは、そんな賛辞はいつもの事だと言うように、尊大な態度でオホホと笑って見せる。
けれどどうやらこれで、パパレ長官は一行に対して可能な限りの優遇措置をすると決めたようだ。
「それでは、我々はこれからどうするか・・・国外退去を言い渡させるのかな? それとも無罪放免となって、自由にこの魔王国を楽しむことが出来るのか。先ほど聞いた話では、長官殿の沙汰次第では無いかと思うのだが?」
微かな嫌味を交えながら、おっとりとした口調で口を開いたオリビエに、パパレ対人対策局長官は、直立不動の姿勢で答えた。
「どうぞ、フレグ魔王国をお楽しみください。私から、許可証をお渡しいたします。何かありましたら、それを見せれば、国内を自由に移動できますので。ただ、人間は・・・『幽霊城の主』ロートホルン男爵が、監視下に置いていただけるとよろしいかと思います。捕らえられる可能性が大きいので」
そう言うと、パパレはサラサラと許可証をしたためて、オリビエに渡す。
「一応、上には報告を上げておきますが、問題は無いと思います。けれど、念のため私の部下を一緒につけさせていただきます。何かあった時のために、連絡手段を持ちたいと思いますので。おい、ピロを呼んで来い」
部下の1人が外に出ると、直ぐに1匹のインプを連れて戻って来る。
「このインプは、ピロと言います。道案内も観光ガイドも致しますので、どうぞお使い下さい。皆様がどこにいらっしゃるかを、こちらとしても把握しておきたいのです」
つまりは、GPSのようなものなのだろう。長官としては、必要な処置なのかもしれない。
「良いだろう。ピロ、同行を許す」
オリビエの言葉に、小さなインプはトコトコと前に進み出て頭を下げた。
「よろしくお願いします」
村を出て直ぐに、エルオリーセは歩きながらピロに話しかけた。
「よろしくね、ピロ。私はエルオリーセよ」
「はい、ヨロシクです、『最愛の至宝』エルオリーセ様」
やっぱりこうきたか、と思いながらもエルオリーセはサラリと返す。
「エルオリーセで良いから。二つ名も、要らないわ」
「でも・・・それじゃ、なるべくそうします。なるべく・・・で」
それでもピロは、少し緊張を解いたようだ。
「とりあえず、地図を作りたいの。どこに行くか、決めるために」
そう言って、紙とペンを出すエルオリーセは、歩きながら簡単な地図を描くつもりらしい。
「うん、ええと・・・魔王国は全体的に丸っこい形で・・・」
蝙蝠のような翼でパタパタと飛び、ピロは彼女の肩に乗って話し始めた。
大まかな地図が出来ると、エルオリーセは足を止め、全員に見せた。
「どこへ行く?」
「一番近いのは・・・テスタマッタ村ね。ここはどんな村なのかしら?」
イレーネに問いかけられ、ピロは少し恥ずかしそうに答える。
「レコルト村より大きくて、小さな町くらいに広いよ。生物保護区が近くにあって、そこで働いてる魔物が多いかな」
「生物保護区?」
「うん、大型で村や町に住めないとか、単独行動を好むタイプの魔獣なんかが暮らしてるんだ。ドラゴンとかワイバーンとか、グリフォンとか・・・他にも色々。保護区の中には、訓練所もあるよ。騎乗訓練とかをするんだ」
大形の魔物という事は、ロートホルン城を半壊させた犯人や、あの黒アガースもいるかもしれない。いないにしても、何か手掛かりくらいは得られそうだ。
一行は、そのテスタマッタという村へ行くことにした。
ピロの言う通り、テスタマッタ村は大きな集落だった。畜産がメインの暮らしのようだが、肉・毛皮・乳製品や卵などの生産に対する需要が大きいのだろう。整備された道路は、沢山の荷車が行きかい、レコルト村よりも多くの種類の魔物が暮らしているようだ。
一行は、夜しか出て来れないオリビエの都合もあり、またある程度の長逗留を予想して、宿を取るより良いだろうと、家を1軒借りることにする。ピロに案内してもらい、パパレ長官の通行証も使って、彼らは村はずれに良さげな家を借りることが出来た。
数日間は、外の出るのは夜だけで、常に全員が一緒ということになるが、やがてイレーネは不満を表すようになる。
「夜行性になっちゃうわ。明るいうちは外を歩けないなんて、日陰者みたいじゃないの」
ぶつくさ言う彼女に、ある日エルオリーセがある物を渡して来た。
「これ、着けてみて。こっちは、ウィンの分だけど・・・」
それは、魔物の角が付いたカチューシャだった。
イレーネに渡された物は、枝分かれした細く白い角がついている。ウィンの方は、野牛の角に似た太い物だが、中を繰り抜いて軽くしてあった。
「一昨日、ピロに案内して貰って、昼の内に材料を買いに行ったの。昨晩は天気が悪くて家にいたでしょ。その時に、オリビエと2人で作ってみたんだけど」
魔物には角を持つ者も多く、一見しただけでは種族が解らない魔物も多いため、誰もそんな事は気に掛けずに暮らしているようだ。それを知ったエルオリーセが、イレーネとウィンを変装させることを考えたのだ。
若い鹿のような角をつけたイレーネは、豊かな髪にカチューシャ部分が隠されて、綺麗な魔物の女性に違和感なく見ることが出来た。ウィンの方も、動いた時にずれないようにとハンター用のヘッドバンドをきっちりと着けたお陰で、ごく普通の魔物の若者に見える。
「うん、良さそうね。それじゃイレーネ、早速一緒に買い物に行かない?卵とジャガイモを買いに行こうと思ってるの。アルバも一緒だけどね」
「あ、行くいく~~!」
ついでにあちこち見て回って、自分自身の買い物もしたいイレーネだ。
「・・・・俺は?」
ウィンが、ちょっと不満そうに声を掛けたが、エルオリーセはすまなそうに答えた。
「ごめんなさい、ウィン。オリビエを置いていくから、一緒に留守番してて。こっちはアルバがいるから、大丈夫だと思うし」
たまには鍋を置いて、明るいうちに町を歩きたいと思っても仕方が無いだろう。それにアルバがいれば、安全も保障されそうだ。何かあって変身しても、魔物の村ならあまり驚かれることも無い。
ウィンには、お土産にお酒を買ってくるからと言って宥め、イレーネとエルオリーセは、町の大通りに向かった。もう案内は必要ないと言ったが、ピロはニコニコしてついて来る。どうやら、イレーネが気に入っているらしい。
そして通りを歩くと、何故かイレーネに視線が集まった。
「ねぇ、何か私、目立ってない? やっぱり角が変なのかしら?」
少しばかり不安そうに言うイレーネに、ピロがパタパタと目の前に飛んできて言う。
「違うよ、イレーネ。皆、その髪を見ているんだ。オイラもそうだけど、魔物はそういう色が好きなヤツが多いのさ。朝焼けの色だろ?この国では雨が少なくて、朝焼けの空を見ると皆、大喜びなんだ。今日は雨になりそうだって」
「え?」
「だから、朝焼けは雨になる先触れだろ?」
(そうなの?・・・朝焼けって、天気が悪くなる印ってこと?)
イレーネは初めて知った。朝焼けは、天気が悪くなる予兆なのだ。
確かに朝焼けの空は綺麗だが、そんな意味があるのなら、王都では何故、自分の髪を『朝焼け色』と呼んだのだろう。
(今は綺麗だけど、直ぐに天気が悪くなる・・・まさか、そんな意味で?)
もしかしたら、今は美しい髪色の公女だが、いつか落ちぶれて酷い目に遭うだろうと、そんな気持ちがあってそう呼んだのではないだろうか。
妬まれていたのかもしれない。
意味も知らず、ただ喜んで自慢に思っていた自分が悔しい。
イレーネは、思い切り凹んでしまった。
「ど、どうしたの? イレーネ・・・様?」
つい名前を呼び捨てにしてしまったのが悪かったか、と慌てて言い募るピロである。
「あの・・・でも、その髪が素敵なのは本当で、ホラ、見て下さい。皆、嬉しそうな顔してるでしょ?」
その言葉に、イレーネは顔を上げて辺りを見回す。
屋台を出しているオバちゃんコボルトは、目が合うと微笑んでくれるし、擦れ違いざまに目が合った男性のドワーフは恥ずかしそうにポッと頬を染めて、会釈して通り過ぎる。
イレーネは、何だか少しだけ嬉しくなった。
(今は・・・ここなら・・・この髪は、吉兆っていうことなのよね)
公爵令嬢だった時の事は、もう全部切り捨てて良いのかもしれない。
(だったら、今まで通りで良いんだわ)
イレーネは、しっかりと前を見て歩き出した。
翌日の午後、一行は保護区を訪れた。オリビエは、まだ鍋の中だ。
見学をしたいと申し入れると、一行は建物の屋上へ案内される。
「ここから、保護区の中が見学できます。夜行性の魔物もいるので、夜間も受付を通せば観察可能です。保護区の中にも入れますが、その場合は誓約書が必要になります」
案内係は、1枚の書類を見せた。
「保護区内の生物を傷つけたり、その生活を邪魔した場合は、相応の罰金と処罰が下される。見学者は、例え魔物に殺されてても一切の文句は言えず、全て自己責任とする」
つまりは、食われる覚悟で入れ、と言う事らしい。
案内係は、最後に付け加えた。
「保護区内に入る時も、受付は通して下さいね。遺品を届ける場合に必要ですし、規則を破った場合の罰金請求先も必要ですからね」
にっこりと笑ったドワーフは、生きて出てこれても場合によってはとんでもない対価を払うのだと言っているのだ。
保護区内に入るには、それ相応の準備が必要だろう。そう思ったエルオリーセは、案内係に尋ねる。
「ここ以外にも、普通に見学できる場所はありますか?」
「そうですね、訓練所の一部とかは、見学できますよ」
それなら今日はそっちに行こう、と一行は屋上からの見学を終えて、外に出た。
騎乗訓練を受けるドラゴンやワイバーンなどを見せて貰うと、時刻は日没になっていた。
鍋から出て来たオリビエに、見学した内容を伝えながら歩くと、小さな牧舎らしい建物と放牧場のような場所出る。
もう誰も居ないだろうと思いながら眺めると、やがて牧舎の中から2頭の翼を持った馬が出て来た。
「あ!あれって、ペガサスじゃない!」
夜の静寂の中で、静かに草を食む、白い翼を持つ馬が浮かび上がった。
「・・・綺麗・・・」
うっとりと呟くイレーネ達の傍に、ランプを持った1人の老コボルトが歩み寄る。
「・・・誰かね?」
ランプの明かりに照らされた4人と1匹に、コボルトは慌てて踵を返そうとする。
「あ、待って。怪しい者じゃ無いわ。見学に来ただけで、帰ろうと思って歩いてただけなの」
もう一度ランプを向けた男性は、イレーネの髪を見ると少し警戒を解いて口を開いた。
「・・・それじゃ、あの子らを見たことは、黙っててくれないか?」
何かわけがありそうだ。
イレーネはしっかり約束し、この牧夫らしい老コボルトに話しかけた。
「あの子たち、ペガサスよね。初めて見たわ。すっごく美しいのね。ここにいるのは、あの子たちだけなの?」
「ありがとよ。ああ、今はもうあの2頭だけなんだ。ずぅっと昔は、もっといたんだがな。遠い遠い昔に、ここに連れて来たペガサスを繁殖させていた時代があったのさ。あの子たちは、その最後の2頭で、両方雄だから、これ以上増えることは無いんだよ」
イレーネは柵に寄り掛かるようにして、ゆっくりと話を聞く体勢になった。他の仲間もそれぞれ、近くの石や草の上に腰を落ちつける。
コボルトは、いつもは1人でここにいるのだろう。話し相手が出来たことが嬉しそうな様子だ。
「何で、夜に放牧するの?」
「昼間はここが、騎乗訓練を受ける魔物たちの待機場所になってるからなんだ。色々と事情があってな」
老コボルトは寂しげに夜空を見上げて、淡々と話し始めた。
先代の魔王、スラルヴィオ・フレグは騎乗する魔物をダークペガサスとしていた。
ダークペガサスはペガサスの上位種で、漆黒の翼と馬体を持つ。防御も攻撃も高い能力を持つ、美しい馬だ。
「ペガサスをダークペガサスにする魔法は、前魔王様にしか使えなかったんだ。けど、今の魔王様はドラゴンがお好みでな、40年ほど前の代替わりの時に、ペガサス系の部門は閉められたんだ。儂も済んでのところ、解雇されるはずだった。可愛がってたペガサスたちが、次々といなくなるのは寂しくて堪らなかったよ」
「ペガサスやダークペガサスは、どうなったの?」
「詳しくは知らねぇけど、国の外に放逐されたり処分されたりしたんだと思う。儂はどうにも我慢できなくて、こっそり前魔王様に手紙を差し上たんだ。隠居なさってると言う話だったんでな。そしたら直ぐに返事と、かなりの量の金貨が送られてきた」
手紙には、こうあった。
ペガサスたちのことは、気に掛かっていたが、隠居の身ではどうすることも出来なかった。せめて、まだ残っている彼らは、何とか救ってやって欲しい。ひっそりとでも、そこで暮らせるように、何とか取り計らうから、と。
そして前魔王は、何とかしたのだろう。
小さな厩舎で、充分な食事を与えられ、専属の牧夫が付いた。
日陰者の生活ではあったが。
「今はそのお金で、あの子たちも儂も多少の不自由はあっても何とか暮らしているのさ。夜しか外に出してやれないのが、ちょっと可哀そうだがな」
「あの2頭だけ、なのね・・・処分されずに残ったのは」
イレーネは、想いの籠った視線を2頭のペガサスに投げる。
けれど老コボルトは、表情を曇らせて、悲しそうに言った。
「いや・・・ダークペガサスもいるよ、2頭な。母と子なんだが、母親はもう先が長くないし、その子は・・・」
口ごもる牧夫に、イレーネは真顔になって言った。
「私は、イレーネと言うの。貴方は?」
「・・・へっ? ヤマニンと申しますが」
「それじゃ、ねぇヤマニン、ダークペガサスも見せてくださらない?」
イレーネに気圧されるように、ヤマニンは頷いた。
ダークペガサスにも興味はあるが、この老コボルトからはまだ他にも話が聞けそうだ。
一行は、ヤマニンの後について、小さな厩舎に向かった。
歩きながら、老コボルトは独り言のように話す。
「母子って言ったけどな、実はそれってとんでもなく珍しいコトなんだ。それまでダークペガサスの繁殖には、一度も成功しなくてな。ペガサスの繁殖も難しいほうだが、魔力で進化させられたダークペガサスの方は、発情さえしない。何故かは解らないけどな。もしかしたら、野生に帰れば繁殖するのかもしれないけど、少なくともここでは一度も無かった。それが、ペガサス系の魔物の処分が始まった頃、1頭のダークペガサスが妊娠したんだよ」
相手の雄がどの個体なのかさえ解らないが、1頭の雌が子どもを授かっていた。ヤマニンはそれを知ると、必死に母親を隠し、何とかこの状況に漕ぎつけたのだと言う。
「仔馬は何とか産まれたが、母馬の方はそれ以来体調を崩してて、近頃は立ち上がることも出来なくなってるんだ。仔馬の方は、ずっと傍にくっついてる」
ヤマニンは、粗末だが修繕や掃除が行き届いた厩舎のドアを開けると、一行をそこに待たせて中に入り、灯りを点けた。何やら奥の方で話しかけていたが、やがて戻って来る。
「入っていいよ。一番奥だ。だが、驚かせたり怖がらせたりはしないでくれ」
イレーネを先頭に、エルオリーセとアルバ、そしてオリビエとウィンが中に入る。
そこには、寝藁の上にぐったりと蹲るダークペガサスの母親がいた。
苦し気な息遣いと、痩せた身体。漆黒の翼も力を失って、だらりと下がっている。けれど片方の翼は、すぐ傍に寝そべる仔馬の上に広げられていた。
アルバはサッと進み出ると、軽く鼻を鳴らしながら母馬の傍に歩み寄る。慌てて止めようとするヤマニンを、エルオリーセが制した。
「彼に任せて下さい」
皆が見守る中で、アルバは母馬の額に鼻を押し付けていたが、やがてその身体に寄り添うように寝そべる。
〈・・・ツラさや苦しさを、和らげることは出来るから〉
アルバは、そこにる全員に、心話を伝えて来た。
やがて母馬は、少し楽になったのか、頭を上げてこちらを見る。
〈・・・ありがとう・・・ございます・・・〉
そしてイレーネを見つけると、微かに笑みを浮かべるような表情になった。
〈・・・最後に・・・希望を与えられたように・・・思います。本当に・・・ありがとう〉
そして母馬は、静かに頭を倒した。
アルバは寄り添ったまま、伝えて来る。
〈助けることは出来ないけど、出来れば最後まで癒し続けてあげたいんだ。エルオリーセは知ってるけど、『癒しの獣』でも治せない場合はあるんだ。寿命が尽きかけているとか、生命そのものが終わりを迎えている時は、どうしようも無いんだよ。クリスタル・・・この母馬の名前だけど、彼女は妊娠・出産・子育てで、生命力を使い果たした状態なんだ。ダークペガサスとし、て無理なことをし続けたせいかもしれない。だから僕は、今晩はずっとここにいるよ〉
瀕死の母親と、その子の傍にいてやりたい。
そう伝えて来るアルバに、イレーネは囁くように言う。
「私も・・・傍にいてイイ?」
魔物が好むと言うこの朝焼け色の髪が、少しでも母馬と仔馬の安らぎになるのなら、と思った。
オリビエとエルオリーセは、ヤマニンにそっと伝えた。アルバの能力と、イレーネの気持ちを。
老コボルトは、泣きそうな笑顔で何度も頷く。
「ありがとな」
「明日の早朝、また来る」
そう言って帰ろうとしたオリビエとエルオリーセだが、それまでずっと沈黙を続けて来たウィンは、ここに残ると言って厩舎の前に座り込んだ。
「あのお嬢さんを、守ることにする。アルバは手いっぱいだろうし、俺には他に出来ることも無ぇしな」
どこか寂し気な表情を浮かべて大剣を抱き、そこで夜明かしをするつもりの男に、オリビエは黙って頷くだけだった。
「・・・エルオリーセも、残りたかったんじゃないのか?」
誰もいない道を歩きながら、オリビエが気遣うように尋ねた。
「うん・・・でも・・・私も、出来ることは無いし・・・・・色々、複雑な思いもあるけど、この方が良いだろうって思うから」
あのダークペガサスの母子への、深い憐憫の気持ちもある。
何とかしてあげたいが、出来ることは無いという悔しさもある。
そして、初めて見た、イレーネの他者を思いやる心。それに対する驚きと、不思議な寂しさ。
それは、子の成長に喜びながらも、微かに感じる寂しさに似ているのかもしれない。
「何年生きていても、初めてわかることってあるのね。私も、もっと成長しないとって思うわ」
イレーネは、これからも色々な学びを得て成長するだろう。やがていつかは、手助けが必要なくなるかもしれない。けれどそれは、喜ばしいことなのだ。
オリビエは彼女の肩を、想いを籠めてそっと抱き寄せた。
大丈夫、ずっと傍にいるから、と。
そして翌日の早朝、陽が昇る前に厩舎に来たオリビエとエルオリーセを待っていたのは、老コボルトのヤマニンだった。
「ついさっき、クリスタルは息を引き取りましたです」




