75- ──崩壊──
2091.11.23 Wed. 16:11 JST
「なんなのよ、これ……。なんでこんな事態になってるの……」
一ノ瀬は、高層ビルの窓際に立ち、東京湾の方面を強張った表情で見据えている。冬の快晴の空に向かって、湾岸のあちこちで発生した無数の黒煙が昇り、沈みかけの太陽の光を幾束にも分岐させている。
「一ノ瀬さん! 早くここから離れましょう!」
イトウが、興奮気味に一ノ瀬にそう言った。
「私には責任があるの。この事態を何とかして止めないと……」
「無理です。既に自衛軍が投入されているんです、我々にできることは何もありません。早く、ここを出ましょう!」
「他のボディガードはまだいますか?」
「既に、他の二百名以上は職務放棄し、ここから離れました」
「……そう」
「早く、行きましょう! 下にクルマを用意してあります」
一ノ瀬はイトウと共にエレベーターで一階まで降り、エントランスを出た。
「このクルマです、早く!」
イトウはそう言って、エントランス前に横付けした黒塗りの高級車に駆け寄り、後部座席のドアを開けた。
「……イトウさん、あなたも行きなさい。私は弟を探さなければならないの。この混乱の中で、きっと泣いてるわ」
一ノ瀬はそう言うと、右手側に向きを変え、歩き始めた。
「一ノ瀬さん、これ以上は……。ボディガードとしての役割はここで限界です。ついていくことはできませんよ」
「……いいわ。今までありがとう」
冬の空の下、一ノ瀬はコートも纏わずに、いつもの上下黒のスーツだけで、とぼとぼと歩き始める。一ノ瀬の背に、イトウはしばらく視線を送った後、クルマに乗り込んでどこかに消えていった。
一ノ瀬がしばらくの間、力なく歩き進めると、次第に喧噪が強まっていった。
爆発音や破裂音、奇声のような音も聞こえてくる。
一ノ瀬は、前方を横切る大通りの方に進んでいく。
――――一ノ瀬が大通りに出ると、そこは紅く燃えていた。
通りの中央にある白いクルマの上で、複数人の男が狂ったように叫んでいる。道端には、大量のゴミや破片のようなものが散乱し、所々に水溜りができている。
「なんなの、これ……」
一ノ瀬は、そう一言つぶやいて、茫然とその様子を眺めている。
「オイオォイ、いい女だなぁ。あんた」
暗がりから突如現れた男が、そう言いながら一ノ瀬の右腕を掴んだ。
「は、離しなさい!」
「フェハハァ。元気いいなぁ、オイィ」
一ノ瀬は気丈に言ったが、男は目尻を深く折るだけで離そうとしない。不気味なほど垂れた細い目は、一ノ瀬に向いてはいるが、視点が合っていない。
男は抵抗する一ノ瀬などまるで意に介さず、暗がりに連れ込んでいく。
「やめなさい!! ゲートシティに戻りなさい!!」
「ハァ? な~に言ってんだオメェ?」
男は構わず一ノ瀬を引きずっていく。
「……やめさない! この卑怯者!」
「へへへ、うるせえ女だなぁ」
男はそう言って笑うと、抵抗する一ノ瀬に向き直り、同時に一ノ瀬の左頬を容赦なく拳で打ち付けた。
一ノ瀬の華奢な体が力なく地面に向かうが、男が右手を掴んでいるため膝立ちの状態で止まった。
「うぅ……うぅ……うぅ……」
一ノ瀬は痛みを堪えているのか、痙攣したように息を吸っている。
「へへ、一発叩きゃ大人しくなるなぁ」
「……やめて……罪を重ねないで。……あなたもきっとやり直せるのに」
「へッ、バカかぁ? やっと窮屈から自由になったんだ。戻る理由はねぇわなぁ」
一ノ瀬はシャッターが破られた雑居ビルに引きずられていく。膝が地面と擦れて出血し、血跡を地面に残している。
――その時、一人の青年がビルの前で止まった。サイズが合っていないジーンズは、所々に黒いシミがあり、炎の揺らぎに合わせて濃赤色に変化している。
「あぁ? なんだオメェ。 あぁ……オメェもやりてぇのか? まあ俺のあとならいいぜ」
「……」
青年は一ノ瀬の方を向いて、黙っている。
「マサト? ……マサト!! 無事だったのね!!」
一ノ瀬は青年に向かってそう言い、僅かに安堵の表情を見せた。
青年は黙ったまま一ノ瀬を見据えている。
「なんだアンチャン、この女と知り合いかぁ?」
男はそう言って、右ポケットに手を入れて身構えた。
「……知らねぇよ、そんな奴」
青年はそう言って一ノ瀬を睨み付けると、そのまま大通りを進んでいった。
「……。ごめん、ごめんさない。マサト……」
一ノ瀬はそう言って顔を押さえ、むせび泣いた。
「ヘヘッヘ。そんじゃ、さっさと済ませるかぁ」
男が一ノ瀬のブラウスを掴んで力任せに引っ張ると、ボタンが飛び、白い下着が露わになった。しかし、一ノ瀬は一切抵抗することなく、うつむいている。
「オイオイィ、それじゃおもしろくないぜぇ。ねぇちゃんよぉ、ま、いっかぁ、もうとりあえず抜きてぇわ」
男はそう言うと、一ノ瀬の髪を右手で乱雑に掴み、頭を無理やりに自身とは反対側に押し込んだ。
一ノ瀬の白く細い首が露わになり、男は息を荒くした。
男は舌を動物のように垂らしながら、一ノ瀬の首に向かって近づけていく。男の舌からは唾液が垂れ、一ノ瀬の肩にポタポタと落ちていく。しかし、一ノ瀬は力なくうつむいたまま動かない。
――――瞬間、男の狂気に満ちた目は一瞬にして生気を失い、一ノ瀬と共にその場に倒れた。
けたたましいサイレンの音や銃撃音、爆発音は一向に鳴りやむ気配なく続いている。
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