19- ──腐ったリンゴは隣を腐らす──
2091.09.03 Mon. 08:21 JST
「……」
押し黙るシン以上に、教室中の生徒達は、今一体ここで何が起きているのか、もはや分けが分からないといった表情で茫然として、言葉を発する者がいない。
数秒ほど続いた沈黙の後、シンは我に返ったようにパッと窓の外に首を振り、ぼそっとつぶやいた。
「……そういうの、興味ないから」
「……。えっ?」
シンのそっけない言葉が無音の教室に伝播すると、リエリは一瞬驚いた顔をした後、目に涙を溜めていく。それ以上溜められないというところでリエリがうつむくと、一気に水滴がきらめいて落ちた。リエリはペタンと床に崩れる。
金縛りにでもあったかのように、生徒達はまだ口をぽかんとしている。
「うぅ、ううぅ……。ひぃっ、う、う、うぅ。ひぃ、うぅ、ううぅ、う……」
リエリの絶え絶えの鳴き声だけが教室を埋めていく。
泣きじゃくるリエリを見たシンは、少し困ったような表情を浮かべて頭を掻き、深く溜息をついた。
「えっと、……付き合った経験がないからよくわからないんだけど、……いいよ」
「え? うぅ、う、ううぅ、……い、いいの?」
「ああ」
「うぅ、う、ううぅ、……」
* * *
五限目が終わるチャイムが鳴った。
「……終わった。今日は疲れた」
シンは深く溜息をついて立ち上がり、早々に教室を出る。リエリは仕事のため二限目を受けると早々に下校した。そのため、一限目に起こった出来事に関する生徒達の質問は、必然的に全てシンに向けられた。
一限目のシンとリエリの様子は、密かにライブ配信していた生徒によってすぐに校内中に拡散したらしく、騒ぎを聞きつけた生徒が休み時間の度にシンに殺到し、質問攻めが延々と続いた。
シンが正面出入り口で靴入れを開けると、そこにあるはずの靴はなかった。代わりに紙切れが一枚入っていた。シンは紙切れを取り出してさっと読むと、また深く溜息をついた。
「……面倒くさいことになった」
シンはそう言うと来た廊下を戻り、体育館に入った。バドミントン部とバレー部が必死に汗を流している横を、シンは邪魔しないよう足早に通り抜け、その先の部室棟に入った。
シンは土と汗と埃の臭いが立ち込める棟内を歩き進め、部名札がない部屋の前で立ち止まった。
「来ましたけど。……クレイです」
いかにも面倒臭さを含んだシンの声がくすんだ黄色い引戸に向かうと、すぐにガラガラと音を立てて引戸が開いた。
「おうおう、よく来たよく来た。クレイ君、まあ入ってよー」
出てきた男子生徒は、爽やかな見た目に反して、ノリの軽そうな声の調子でシンにそう言い、不敵な笑みを浮かべながら、誘導するように手を室内に向けた。
「……」
シンが室内に入ると、ロッカールームの中央に人二人が寝れるほどの大きさのベンチがあり、そこに三人の男子生徒が座り、談笑している。
「お、きたきた。噂のクレイ君」
「おー、マジだ。有名人のクレイ君だぁ」
「いらっしゃーい!」
三人の男子生徒は嘲笑するような表情でシンにそうからかった。
「なにか俺に用ですか? 靴返してほしいんですが」
シンは面倒臭そうな表情を浮かべながら三人に要件を尋ねた。一人が起き上がり、シンに向けて笑顔を固定したまま顔を近づける。
「大した用じゃないけど、頼みがあるんだよね~。聞いてくれるかなぁ? 聞いてくれるよね。だって俺達、クレイ君の先輩だもんねぇ」
「ハァ。時間が惜しいので、要件を言ってください」
「クックククク、じゃあよ。リエリ脱がして動画とってこい。期限は、そうだな~、明日の放課後までにしてあげよう。……断ったら、お前のそのムカつく顔、誰も見分けらんなくなっちゃうかも?」
男子生徒の一人は笑みをこぼしてそう言い、シンの顔の輪郭を人差し指でなぞった。
「…………。そうか……そうか、そうか、そうか、そうか、そういうことか。身近にいたのか、こういうレベルの奴等が。これは見逃していた。囚人から裁いてたけど、こういう奴等もちゃんと裁かないとダメなんだ。こういう奴等が将来の凶悪犯罪者になっていくんだ。世の中を腐らすリンゴになっていくんだ。フハハハハハハハハハハハハハハハッ!! ……いや、待てよ。こいつらは既に腐り始めたリンゴだな、うん、そうか。〝腐ったリンゴは隣を腐らす〟か──確かに真理だ。腐ったリンゴはとっとと捨てるべきだ。そうじゃないと皆が不幸になってしまうから」
「んだとコラァ! 腐ったリンゴだぁ? テメェ殺すぞ。んだよこいつ、きんも~」
男子生徒三人は眉間を狭め、壊れたように独り言を吐き出すシンに激しい剣幕を向けてそう怒鳴った。
「おい、こら。クソ一年。黙れ、コラ。早く黙れ。分かったのか? 明日までにリエリの動画だぞ。持ってこなかったら──」
「──分かってる……ハァ。分かってる、分かってる、分かってる、分かってるって。……で、先輩達はいつに戻りたいですか?」
シンは男子生徒の脅迫を遮ってそう問うた。
「アァ?」
「アァ? じゃなくて、先輩達は、いつに戻りたいですか? 戻してあげますよ、やり直せるところまで、……いや、というか戻れ」
「……。ハァ? ヒッヒッヒッヒッヒッ! な~に言ってんだこいつ?」
三人はそうひき笑いをして、シンを嘲った。
「じゃ、高校一年からってことで」
シンはそう告げると、デリーターの画面で、距離が〈0・3〉〈2・2〉〈2・4〉のリストをまとめて選択、二度素早くタップする。そして、年月日画面が出現するのと同時に〈Y2089〉から〈Y2091〉の三行のリストを同時選択し、点滅する《DĒŁĒTĒ》ボタンを躊躇なく叩きつけるように押した。
【All done】
三人の生徒は途端に無表情になり、瞼は落ち、姿勢は糸の切れた人形のようにグラグラと不安定になった。
シンが入り口に向き直して数歩歩いたところで、一人の生徒が泡を吹きながらシンの立っていた場所に倒れこんだ。それとほぼ同時、二人の生徒もビタンと音を立てて床に倒れこんだ。
シンを中に案内した生徒が音を聞いたのか、ロッカールームに様子を見に来た。
「……な、なんだよ、これ」
「お前も、やり直したい?」
シンは不敵な笑みを浮かべて、状況を呑み込めない様子の生徒にそう告げると、生徒はブルブルと顔を横に振った。さきほど男子生徒が入口で見せた不敵な笑みは、シンと入れ替わったように消え去り、代わりに天敵に怯える小動物のような表情がシンに向けられている。
シンは開きっぱなしのロッカーに投げられてあった靴を拾い、何事もなかったかのように室内から出ていった。




