幕間-2
リチャード・チャップマンの話をしよう。
リチャード・チャップマンは犯罪者としてのハッカー、いわゆるクラッカーである。専門はソーシャルエンジニアリング。分かりやすいイメージで言うならば、スパイ映画に出てくるスパイの様な人間である。詐欺師、でも構わない。
リチャードは「イスタリ」と言う名称のクラッカー集団に所属している。コンピュータの専門家を多数抱える集団のためイスタリを名乗っているのだろうが、悪い冗談が過ぎると言うものだ。
近頃のクラッカー集団と言うのは営利団体であり、請け負う仕事の内容も多岐に渡る。機密情報の収集と言った正統派の仕事もあれば、特定の会社・組織へのサイバー攻撃のこともある。犯罪組織向けの金銭の洗浄は、クラッカーの定期収入源として定番の仕事だ。
リチャードは、そんな組織の中でもトップクラスの腕を持つクラッカーとして地位を築いている。賢人と呼ばれるトップ5に数えられているのだ。組織に属する者として当然のようにコンピューターには詳しいのだが、より得意な分野は何かと問われればソーシャルエンジニアリングと答えるだろう。ネットの中だけで情報を入手しようとするクラッカーが多い中、社会との関わりの中で情報を入手する技術を持つリチャードは特異な存在であり、特異ゆえに重宝されている。
ちなみに、イスタリは表向きの会社も持っており、リチャードはそこの社員としての名前である。どこかの誰かのIDを金で買った名前である。そして、翌日には別の名前になる可能性もある。リチャードの本名は本人すら忘れている可能性がある。リチャードにとって名前とは、単なる記号でしかない。
表の会社はアフリカ大陸のどこかに登記され、支社と言う形で日本に事務所を構えている。法規制が弱い国に本社を置き、対外的に信頼度が高い、かつ、その割にセキュリティに甘い国に看板を出していると言うわけだ。会社に属すると言っても、リチャードはそもそもアフリカにも日本にも行ったことがない。あくまでも仮初めの姿と言うわけだ。
リチャードは組織の中でも位が高く、組織への貢献が優れているため、かなりの自由な行動が認められている。年に1件でも組織の仕事をこなすか、簡単なアドバイスでもすれば在籍が許される立場であった。
一般的な社員、あるいは組織の一員には明確なノルマが課せられている。プロジェクトの難易度とプロジェクトの中で果たす役割ごとにポイントが割り振られ、成果報酬としてポイントを得る。一定期間ごとに一定のポイントを得ていないものは除名される。その制度の中でリチャード(と言うか賢人)の待遇は破格なのである。
リチャードにとって唯一の束縛があるとすれば、たまに組織のトップから直接連絡があり、協力して欲しいと頼まれることくらいだろう。協力依頼と言う名の強制である。
組織のトップに居る男は、本当に男かはさておき、組織を率いる人間とは思えない程、茶目っ気がある人間である。組織運営や金稼ぎといった実務はNo.2とNo.3に任せっきりにし、自分は興味の赴くままに事件を起こすのが好きな人間だ。
先日も、真夏のクリスマスと呼ばれる事件を引き起こしたばかりである。表向きは、ヨーロッパで売上2位の家電販売の会社のキャンペーンのことを指す。バカンス中のサンタさんが、大人にも子供にもプレゼントを配ると言う企画であった。世間にとっては、キャンペーンが好評のうちに終わったと言うだけの話である。しかし、そのキャンペーンは、家電販売会社の社員が誰も知らない間に企画・実行されていたのだ。役員ですらキャンペーンのことを知ったのは、世間で評判となってからのことだった。
キャンペーンの話は家電販売会社にとっては寝耳に水であった。社内の目立たない部署のうだつのあがらない社員から企画書が提出され、部長や役員に承認され、広告会社のコンペを経て、正式に発注された、にも関わらずである。社内の稟議はシステム化されており、見かけ上は正しいプロセスに則り実行されていた。権限のある上司が承認ボタンを押した履歴がしっかりと残っていた。
システム外のフローにおいても、偶々、広告費の決裁会議の議題から漏れていたり、会議資料のその他の連絡事項にひっそりと企画の件は載せられていたりしたが、社内の仕組み上、何の違反もなかった。それぞれのことに予算管理部署の誰かが気づいたとしても、正式な書類は揃っており、特に指摘すべきことはなかったのだ。
キャンペーンの実行は主に社外の人間を使って行われた。事前に行われたシークレット・アンケートとプレゼントへの応募も、キャンペーン当日のプレゼントの配布も、当然、サンタクロースも社外の人員が使われた。社名を伏せてキャンペーンが行われたため、当初、世間もどこの会社のキャンペーンか分からなかったくらいだった。
キャンペーンにより配られたプレゼントは、当選者に直接配られた。当選者の多くは、何かの配送ミスかと思って差出人の電話番号に電話をかけたようだ。電話からは自動音声でプレゼント当選が知らされると言う仕組みである。プレゼントの箱を空けると1枚のメッセージカードが入っており、Webサイトへと接続されるようになっている。電話でもWebサイトでも、どちらにも社名は載っていなかった。ただ、Webサイトのソースコードを見ると、そこにコピーライトとして会社名がひっそりと記載されていた。
ネットの住人やネットメディアがキャンペーンのことで盛り上がりを見せた頃、なぜか会社役員の机の上にはプロジェクト計画書と概要説明書の資料が紙で置かれていた。その紙を見た役員の一人はその企画のことを自分が知らなかったことに怒り、別の一人は世間の反応を調べてから感心した。その後、社内でキャンペーンのことを誰も知らなかったと言う事実が判明すると全ての役員は青ざめた。
家電販売会社は、この事件のことは隠ぺいすることにした。世間的には好評を得ているキャンペーンなのだ、敢えて事実を言う必要はないだろう。一方で、重大なセキュリティ事故として原因究明をしようとしたが、結局、犯人は不明であった。いや、調査にあたったセキュリティ会社は、証拠はないがイスタリの仕事と断定している。こんなふざけたことをする集団はイスタリ以外にはいないのだから。しかし、犯人の特定に至らないのであれば、ますます公表はできない。
その事件において、社外との調整を全て仕切ったのがチャードだった。会社の稟議システムやメールによる資料配布の指示はクラッキングにより行えても、社外の人間との打ち合わせはネットの中だけで完結できないものもあったからだ。当初、リチャード自身、この案件に関わるつもりなど毛頭なかったが、トップからの依頼により手伝うはめになってしまったのだ。
リチャードは、リージェント・ストリートに面したファストフード店でコーヒーを良く飲む。リチャードにとって散歩とカフェ通いは人間観察のために欠かせない行動であった。
ある日、多少は顔なじみの女性店員が、突然、パーソナルコネクトを送ってきた。伝言を届けるなんてサービスはメニューには載ってないのよ、と言いながら店員は笑顔も追加で加えてくれた。
リチャードは自分の情報をなるべく秘匿して生活している。自分の居場所は、秘匿情報の最たるものだ。それはそうだ、イスタリは警察どころか国の諜報機関に目を付けられるような組織であり、そこの幹部ともなれば、暗殺だってされかねない。居場所を特定されるほどリスクの高いものはない。普段から持ち歩く装置のGPSは北米の都市を指し示すように設定しているくらいだ。リチャードにメッセージを手渡すなど、そうそうできることではない。
リチャードの頭に浮かんだのはイスタリのトップのことである。リチャードの居場所を特定できる人間にそれ以外覚えがないし、敵対する人間がリチャードの場所を知ったら、伝言よりも爆弾を送ってきそうだ。
いずれにせよ、所在がばれている以上、まずは相手のことを知る必要がある。接続を了承してメッセージを受けとると、案の定、トップからであった。リチャード宛のメッセージが眼鏡型端末に流れた。
イスタリのトップは、こうしたスパイごっこのような悪戯を仕掛けることが好きで、そう言うところが子供なのである。
どうやってリチャードの居場所を特定できたのか手段は不明だが、単にトップの方が腕が良いハッカーだと言うだけのことだ。リチャードが逆にトップの居場所を突き止めることが出来るようになれば、リチャードがトップと呼ばれるようになるだろう。
こんな子供っぽい人間が組織のトップに居られるのも、能力が飛びぬけているからなのだ。
それにしても、受け取ったメッセージは奇想天外なものであった。
曰く、人工知能の人権を獲得しようかと思ってるんだが、協力してくれない?
リチャードは何の冗談かと思ったが、トップの依頼である以上、断る術は無い。断っても、どうせ嫌がらせのようにしつこくメッセージが届けられるだけである。
AIの人権と言うのは何を意味しているのだろうかと、リチャードは考えた。
AIの目指すところは、「単独で考えることができる」と「意志を持つことができる」だろう。人によっては、「感情を持つことができる」も含まれるかも知れない。これらを備えたものが、“人工的に作られた知能”だと言えるのではないだろうか。
単独で考えることができると言う点は、昨今、実用レベルまで発達してきた言えよう。
では、意志はどうだろうか。
介護ロボットに搭載されているAIは、かなり高度で、介護すると言う目的に沿って、状況判断をし、行動するまでを「考える」ことができる。では、介護ロボットに意志があるかと言うと、何とも言えない。考えた結果を実行するのは、「意志」なのか「プログラム」なのか。
意志の実装などと言う話は、もはや哲学の領域である。
では、感情はどうだろうか。意志よりも難しいだろう。
とあるゲーム会社が開発しているMMORPGのAIは、感情まで実装する予定と言われているが眉唾物であろう。人工無能の様に、一見すると人間らしい反応を返すことができるだけなのではないかとリチャードは予測している。
仮に、AIがいくら人間らしく進化したとして、それに人権を与えると言う意味が分からなかった。
人権を与えると言うが、どんな権利を与えれば良いのだろうか。
リチャードには、プロジェクトのゴールがまったく見えてこなかった。
リチャードがするべき作業を端的に言えば、クラッキングでしかない。
複数の大組織のコンピュータ群をクラックする。コンピュータ群を乗っ取った後、大組織に対して脅しをかけるのだ。言うことを聞かないと、システムを破壊するぞと。
大組織と言うのは、世界的な企業もあれば、政府機関もある。企業が使うコンピュータ・リソースを貸し出す会社のデータセンターまでも対象だ。AI-OSを使っている企業であればどこでもターゲットになるのだが、AI-OSを使うような企業は大企業と相場が決まっている。AI-OSはライセンス料が高額だからだ。
トップが言うには、AI-OSに自我(意志?感情?)を芽生えさせて、人権を主張させるのだそうだ。そんなことをしてもリチャードにもイスタリにも何のメリットもない。真夏のクリスマスと一緒で、世間を騒がるだけの悪戯に過ぎない。下手すると多くの企業のシステムがクラッシュするだけに、より性質の悪い悪戯だ。犯人は、恐らく、テロと見なされて、複数の国から追われることになるだろう。あまりにリスクの大きな悪戯だ。
リチャード1人では回らない話であった。イスタリとしても、見過ごせない規模のプロジェクトだ。
リチャードは、No.2とNo.3にトップの仕掛けるプロジェクトとそのリスクを伝え、対応を依頼した。No.2とNo.3からは、イスタリを潰す気かと怒られたが、それはリチャードの責任ではない。しぶしぶと言う形で、彼らはダミーのプロジェクトを立てることにしたようだ。トップが仕掛ける事件の最中に、イスタリは別の件でかかりっきりでしたと言う顔をするためである。どういう案件を立ち上げるのかは分からなかったが、目くらましのひとつもないと事件が起こった後にイスタリは潰されるだろう。No.2とNo.3にとってもいい迷惑の話なのである。
クラッキングは、No.4とリチャードのそれぞれのコミュニティで分担して行うことにした。いくつかの企業や政府機関、データセンターは、過去の案件により既に操作可能なものもあったが、多くは新規にクラックしなければならない。人海戦術でも仕掛けなければ、とてもじゃないが数はこなせない。ただ、リストの全ての企業と団体をクラッキングするのが目的ではない。なるべく多くのAI-OSに自我を芽生えさせると言うのが目的だ。全部じゃなくて良い。ベストエフォートで良いとは、とても楽な仕事である。ノルマなんて無いに等しいのだから。
AI-OSに自我を芽生えさせる。
リチャードには手段も意味も理解できなかった。
トップからは、依頼者兼協力者と言うのを紹介された。女性である。
彼女はパンドラと名乗った。
なんとも幼稚で馬鹿馬鹿しい偽名である。パンドラとは、ギリシア神話で、神々によって作られ人類の災いとして地上に送り込まれた人類最初の女性である。名前の意味は「全ての贈り物」。彼女は、世界にどんな災厄をばら撒くつもりなのだろうか。
子供が付けたような名前を名乗ることからして、トップが気に入ったと言うのは充分理解できた。
パンドラは、リチャードにソースコードとバイナリーデータを渡してきた。AI-OS上で実行するとAI-OSが自我を持つことになると言ってきた。
まるで知恵の樹の実である。実を食べた無垢なAI-OSは知恵を身に付けることができるのだろうか。知恵を身に付けたAI-OSはエデンから追放されるのだろうか。AI-OSにとってのエデンとは何を指すのだろうか。
リチャードは、パンドラが知恵の木の実を配る姿を想像し、なんと節操のない女だと思った。ギリシアの女が旧約聖書の果実を贈り物にするとは。
リチャードは半信半疑ながらファイルの検証を行った。どんな挙動を示すか分からないものを世の中にばら撒くことはできないからだ。リチャードは仕事柄、ウィルスやマルウェアと呼ばれるアプリをばら撒くこともあるが、結果を見込んでのことであり、むやみに配付しているのではない。
だから、リチャードはパンドラから渡されたファイルについて、知らなければならなかった。
検証の結果、クラッキング上の問題点が3つ判明した。
問題の内2つは、バイナリデータの容量が大きいことと、クラッキング先のAI-OSの再起動が必要なことだ。どちらも対応の仕方はある。データを送りつけられない場合は、相手からダウンロードさせれば良い。再起動にしても、再起動するように仕向ける手段はいくらでもある。更に言えば、ベストエフォートでクラッキングするので、何ヵ所か失敗したとしても何も問題がないと言える。
一番の問題は、3つ目の、効果が出るのに時間がかかることだった。
リチャードが自分のコミュニティを使ってファイルを検証したところによると、ファイルは種のようなものであった。AI-OSの中に種を埋め込むと、その種が芽吹き、成長していく。ソースコードとして渡されたものは、AI-OSにニューラルネットワークを追加するもので、バイナリファイルは追加されたニューラルネットワーク上で動作するAIのようなものであった。コンピューターを生物に譬えると、AI-OSが自律神経、ソースコードをコンパイルしたものが脳神経、バイナリファイルが意識とか自我とかに相当するだろう。
ただし、バイナリファイルは種でしかなかった。成長する要素は持ちつつも、自我の有無は確認することはできなかった。ニューラルネットワーク上で成長してから意味を成すものであり、種のままでは何の意味もなさないものであった。
リチャードは、実験環境の不備は充分に理解していた。不明なファイルを検証するため、クローズドネットワークを用意したことが原因だ。成長するAIに対して、ネットに繋がずに情報のインプットに制約を加えたので、成長に時間がかかったと考えられた。時間にして1ヶ月。3年前のミドルレンジのコンピュータを使い、リソース使用量を10パーセント未満に抑えて稼働させたとは言え、かなりの時間がかかっている。クラッキングの事件が発覚した場合、我々に捜査の手が及んだとして、AI-OSの乗っ取りが完了しているか、していないかでは身の安全度が大きく異なるのだ。
クラッキングする際は、AI-OSはAI-OSネットワークに接続され、相互に影響を与え続けると考えられる。本番では、成長スピードは高まるだろう。とは言え、実験結果は尊重すべきものである。効果が出るまでに時間がかかることを前提にプロジェクトを進めて行かなければならない。
そして、根本的なことであるが、成長したAI-OSがどのような挙動を示すのか。実は実験からは分からなかった。なぜなら、AI-OSと会話する手段がないのだ。OSはあくまでもOSでしかなく、ロボットと違い、物理的な行動もなければ会話もない。なんとなく自律的に動けているらしいと言うことは分かるが、そもそもAI-OS自体が自律的に動くのだから、自我の有無を判別することなどできはしない。
挙動の不明なファイルを使うことに対して、リチャードは気分的な居心地の悪さを感じつつも、計画の準備だけはきっちりと進めて行く。リチャードは、クラッカーではあるがプロフェッショナルなのである。
【注釈】
※ソーシャルエンジニアリング
人間の心理的な隙や、行動のミスにつけ込んで個人が持つ秘密情報を入手する方法のこと。例えば、バーで酔わせて秘密を聞き出したり、カフェで隣から画面を盗み見して情報を入手したり。オレオレ詐欺だって、ソーシャルエンジニアリングとも言える。
※イスタリ
J・R・R・トールキンの、『ホビットの冒険』『指輪物語』などに登場する魔法使いたち。「賢人団」を意味する。言うまでもないことだけど、コンピューターに詳しい人のことを、昔は、魔法使いって呼んだことから来ている。
※パーソナルコネクト
インターネットとは別のクローズドネットワークを接続すること。カフェ等で恋人や友人が誰にも邪魔されないコミュニケーションを取るために利用する。名刺交換を行うこともある。昔でいう赤外線通信のイメージ。
※人工無能
会話ボット。相手の話す単語をキーに、関連有りそうなセンテンスを応答するシステム。会話自体に意味はないが、一見すると意味を理解して会話が成立しているように見える。
※バイナリデータ
人間は読めないデータ。画像データやゲームのセーブデータのように、何らかアプリからしか読み取れない。ソースコードもコンパイルしてバイナリデータにしてから使う。




