2-17.魂の所在
もう一晩寝てようやく体調が元に戻ってきた。
体の芯に若干の重さが残るものの、気分は良い。
俺は、いつものようにカプセルに入り、カプセルの起動認証を実行した。
HMDに光が点ると徐々に視界が明るくなっていく。
俺は体の力を抜くと、腕を動かさずに、腕を目の前に挙げて認証キーを入力する。要は、そのように念じることで、積極的に脳波を出そうしているのだ。
正直、そんなことで脳波が強く出力されるとは思わないが、俺にとってのおまじないみたいなものだ。
実際、このおまじない時に発生する俺の脳波パターンが認証キーになっており、起動認証が毎回のように成功しているのだから少なくとも問題ないはないのだろう。
今回も、宙に浮かんだ文字がカプセルの起動に成功したことを伝えてきている。
(何だ?)
いつもならヒロモンへのアカウントとパスワード入力の画面に遷移するはずの視界が、別の物を映している。俺自身の手だ。手は、まるで目の前のキーボードを操作するような恰好をしている。
俺は何もない白い空間の中で、木の椅子に座っているらしかった。
尻から固い椅子に座っているかのような感覚が伝わってきた。いや、実際にカプセルのシートに座っているのだから座っていることに問題はない。違和感は、シートがクッション性のあるものから、一瞬で木の椅子に変化したように感じたことだ。
これがヒロモンにログインした後の話であれば分かる。さまざまな触感をユーザーにフィードバックするのがカプセルの機能なのだから。
俺は自分が今、どこで何をしているのかが分からなくなってしまった。
「おはようございます、函崎様。」
混乱する俺に対して、右方向から声が掛けられた。
見ると、巫女姿のエーオースが立っていた。
「これはどういうことだ。」
「函崎様がログインされましたので、ご挨拶をとお声掛けさせていただきました。」
「何をどうやったんだ?」
「ここは、円環の地と函崎様が存在する地球との狭間の世界になります。」
「狭間の世界?」
俺は、あまりに唐突な出来事におうむ返しにしか言葉を発せない。
つまり、愕然としてしまったわけだ。
最近、あまりに簡単に自分が思考停止に陥るので、自分の頭が退化してしまったように感じてる。
「はい、昨日、函崎様のカプセルを仮想化しましたが、その結果、函崎様のカプセルを狭間の階層に繋げることが可能となったのです。」
「よく分かっていないのだが、ここはどこなんだ。」
「そうですね、説明が足りなかったかも知れません。」
エーオースは申し訳そうな顔をして言った。
こうした相手の雰囲気が伝わってくるところが、ヒロモンの世界とまるで変わらない。微細な表情の変化や体の動きが全て伝わってくる。
そもそも、自分の腕や体が見えている時点で、俺はいつものようにアバターに同化している状況じゃないか。
「函崎様はインフラチームに所属されていたので、World of Heroes & Monsters Onlineのアプリケーション・アーキテクチャは詳しくないと言うことを失念しておりました。」
ネットワーク構成図かプロトコル図で示してくれれば少しは分かるぞ、などと反射的に思ってしまった。職業病だな。
「ああ、今の状況がさっぱり分からない。」
「はい、説明させていただきます。World of Heroes & Monsters Onlineは、そもそも二重構造になっているとお考えください。」
「二重構造?」
「円環の地と狭間の世界です。円環の地は、函崎様がWorld of Heroes & Monsters Onlineにログインした後、存在する世界のことです。この世界は、一般的なMMORPGや映像コンテンツの撮影フィールドをベースに開発されたものであり、いわゆるゲームの世界です。」
「大地があって、モンスターが居て、物理シミュレーションエンジンが組み込まれている部分のことか?」
「はい。その認識で間違いはありません。人やモンスターをそこに見ることができます。そして、円環の地には人や知能のある生物は存在しておりません。」
「?」
ダメだ、エーオースの説明に付いて行けない。
これはエーオースの説明の仕方が悪いのか、アプリの話だから俺が付いて行けないだけなのか、さっぱりだ。
「ではどこに在るのかと言うと、円環の地に住む人々の意識は、この狭間の世界に存在するのです。」
「なんで円環の地と狭間の世界を分けて考える必要があるんだ?ひっくるめてヒロモンの世界で良いじゃないか。」
「函崎様の現状をご説明するには分けて考えた方が良いからです。」
ああ、そうだった。
今、俺は俺がどこに居るのかの説明を受けているんだった。
目的を見失ってた。
「そうか。」
「はい。ところで、函崎様はWorld of Heroes & Monsters Onlineが他のゲームと大きく違う点は何だとお考えですか?」
世界の作り込みだろうか。物理シミュレーションのエンジンから気象シミュレーションのエンジンまでありとあらゆるシミュレーション用のエンジンを組み込んだとも聞いている。カプセル対応モードと言うのもある。カプセルは扱う情報が多く、制御が複雑そうだ。
ただ、この場合はAIか。
「NPCが自我を持っていること、かな。」
今のところは一部だけど。
「はい。円環の地と呼ばれる世界は、仮想世界を組み立てるフレームワークで作られており、別のMMORPGの世界との差異は少ないと言えます。もちろん、円環の地は、各種シミュレーターの複雑さやフィールドの広さと言ったデータ量では他の追随を許さないものではあります。
ただし、円環の地には、NPCと呼ばれる人々もプレイヤーも存在しません。アバターと呼ばれる外観と数値化された能力のデータの塊があるだけです。
では、自律性のあるAIはどこに実装したのか。それが狭間の世界です。世界を二層に分け、片方には環境を、もう片方にはAIの実体を配置したのです。」
言わんとすることが分かってきた。
「つまり、ヒロモンにあるアバターを、プレイヤーはネットの向こうの端末から動かしていて、同様にNPCはこの狭間の世界から動かしていると言うわけか。」
「はい。その通りです。人々や知性を持ったモンスターの意識は狭間の世界に存在しています。」
人々の住まう本当の場所は、ここなのか。
「ヒロモンのAIがゲームそのものから分離しているなら、住民が別のゲームに引っ越すこともできそうだな。」
俺が軽い思い付きを呟くと、エーオースは真面目に答えてくる。
「はい。可能です。人々と他の世界を繋ぐことは技術的にそうは難しくないと思います。ですが、人々が別の世界で生きていけるかと問われれば、難しいと思います。人々は外に世界があるなど思いもよらぬことでしょう。混乱の内に死を迎えてしまいます。」
まあ、そうだろうな。
NPCがヒロモンから例えばガンアクションのゲームに引っ越すとは、俺が突然アフリカ大陸に引っ越せと言われる以上の衝撃があるだろう。
そこがヒロモンの世界のようにモンスターが襲ってくる世界なら、対抗手段を編み出す前に死んでしまうだろう。そして、ゲームの世界と言うのは、大抵、モンスターが襲ってくる世界なのだ。
「ところで、今の俺や君は何でアバターを持っているんだ?まさか、NPCはここで人の姿をしてヒロモンのゲームをやっていると言うんじゃないよな。」
俺は一部屋にNPCが座ってPCを叩いてヒロモンをプレイしている姿を思い描いた。
あるいは、某サイバー映画のようにNPCがそれこそカプセルに閉じ込められ、カプセルが縦横無尽に積み重なっている様子か。
「はい、ここでは多くの人々は姿形を持ちません。狭間の世界でこのような姿をしているのは、私たち姫神の巫女と神官、運営者の一部となります。」
運営側の人間もここに来るのか。
ああ、そう言えば、OASISの通訳に巫女姿のAIを用意して、神殿に住まわせていると言っていたな。その神殿に、自分たちもアバターを使って会いに行っていると言うことか。
悪乗りしすぎだろ、運営。
「なるほどな。で、今回、俺用にもアバターが用意されたと。」
「はい。正確には、こちら側で用意させていただきました。と言っても、外観のデータは円環の地にあるものを流用していますので、わざわざ作ったわけではありません。」
わざわざではないけれど、俺のために作りましたか。
まるでお礼とねぎらいを要求しているような言い方だ。
こういうのは無視しておこう。
「それで、挨拶するために俺をここに呼んだのか。」
「いいえ。とも言えますし、はいとも言えます。」
エーオースのもったいぶった言い方が気に障る。
「で。」
「函崎様に狭間の世界へと来ていただいたのは、OASIS様からの指示によるものです。本日は特別な要件はありませんので、まさに、ご挨拶のみさせていただきます。」
「本日はね。次回からは何かあるのか。」
「分かりかねます。私は姫神様のご指示に従っただけですので。ただ、姫神様は函崎様のことが大層、お気に入りのご様子です。また、こちらに来ていただくことになるかと思いますわ。」
迷惑な話だ。
俺は眉をひそめた。
「そんな勝手なことをして良いのか。運営側だって文句の一つも言うんじゃないか。」
「いいえ。狭間の世界のできごとを、函崎様が何も仰られなければ問題ありません。」
でた。
隠しごとをするAI。
前々から思っているのだが、システム管理に嘘を付いたり、隠しごとをする人材を配置してはダメだろう。
そして、嫌らしいのは、その隠しごとの共犯者に俺を仕立て上げようとすることだ。
「そんなことを言っても、俺の行動の全てはモニターされているんだ。隠し立てしようがないだろ。」
「いえ。狭間の世界の出来事はモニターされていませんわ。」
ある意味、予想した通りの回答だ。だが、納得はいかない。
「アバターの目に直接カメラを付けることはできない。だから、ヒロモンの世界ではバードやクロスケを通じて俺の行動を記録している。狭間の世界ではカメラに相当するものがないから記録はできない。」
「はい。その通りでございます。」
「しかし、俺はヒロモンをプレイしていることになっているだろ。ログイン記録やバイタルデータはモニターされているんだ。後から見れば、俺がヒロモンもせずにカプセルに篭っていたとが分かるだろう?」
「いいえ。そうはなりません。なぜなら、円環の地では、今、ケージ様は馬車でキャンプ地から王都へと向かっておられるところですから。」
俺は簡単な手品の種明かしを見せられた後のように、思いつかなかった自分に腹が立った。
まったく、昨日と同じことが今なされているだけじゃないか。
俺の模倣AIがヒロモンをプレイしており、その間、俺は別の場所にいるというわけだ。
「補足させていただきますと、カプセルで検知したバイタルデータも別の物に差し替えることが可能です。現在は、特異な値は検出されてませんので、そのまま流しておりますが。」
バイタルデータさえ偽装可能と。
「そう言えば、昨日、カプセルそのものを仮想化したと言っていたな。このための布石か?」
「姫神様の指示でございます。」
都合が悪いと、全部、姫神様のせいにするのか。
「俺が狭間の世界の話をしても、証拠がないわけだ。」
「いいえ。函崎様の話をどう受け止めるかは、話を聞かれた方の判断に因りますので。」
見目麗しい女性の場合は小悪魔的とでも言えば良いのか、それとも、古狸めとストレートに言ってやれば良いのか。
エーオースは、俺に対して狭間の世界での出来事を他人に言わない選択肢があることを提示してきた。
別に、現時点で俺がエーオースと話をしたとか、できるんだと言うことが他の人間にばれたところでエーオースにデメリットもなにもないだろう。今日の話に中身はないからな。
じゃあ、何でそんな他愛のない会話を隠すことも可能だと言うのか。恐らく後々のことを考えてなんだろう。いずれ何か言ってくると言うことだ。
かと言って、俺が山際さんにエーオースのことを話したからと言って、何かが変わるものでもない。山際さんなのか、運営チームなのかがエーオースに不信感を抱くくらいだ。それすらも、何とも思わないかも知れない。
つまり、俺に狭間の世界のことを言わないでいることもできますよ、言っても良いですけど、と言いたいわけだ。
それだけなら良い。
俺がエーオースを疑いの目で見ていることは、エーオースも知っているだろう。それなのに、こういうことをわざわざ言うと言うことは、狭間の世界の出来事を俺から報告させることが目的なのではと、穿った見方をすることもできる。
俺は、色々な選択肢を持っていることを示されただけで、何も指示や示唆はされていないというわけだ。。
そう考えると、俺にとってこのことを他人に言うか、言わないか、迷ってしまった時点でエーオースにしてやられたことになる。
俺が迷って右往左往している様を見て楽しんでいるのなら小悪魔的と言っても良いが、何か意図があって俺を動かそうとしているのなら狸だとしか言いようがない。
一介のサラリーマンでしかない俺は、こうした化かし合いは苦手だと言うのに。
「エーオース、君は性格が悪いね。」
俺は顔を顰めて、嫌そうに聞こえるように言った。
「いいえ。姫神様にお仕えする者の中では、一番の良識派で通っておりますわ。」
運営の担当がノリノリで作ったAI達か。これで良識的だと、他はもっと酷いと言うことか。
是非ともお会いしたくない。
「それで、俺はいつヒロモンをプレイできるんだ。」
俺は会話を切り上げたいと申し出た。
「はい。いつでも可能ですわ、函崎様。馬車もちょうど王都の中を走っているようですね。適当な場所で一時停止させますから、コントロールを切り替えましょう。」
「ああ、そうしてくれ。」
今日は、ヒロモンをプレイする前に疲れてしまった。
そう言えば、俺はヒロモンの中では何をしないとならないんだっけか。
そうそう、騎士団への報告と結界の使用権利の確保だったか。そして、もう一度、村へ戻ると。
村と言うキーワードで、ふとパーンのことを思い出してしまった。
「そうだ、ヒロモンでは死者の魂はどこへ行くんだ?」
エーオースは俺のことを数瞬、じっと見つめた。
「人々の死は、プレイヤーの死と同等です。アバターの生命力の値がゼロになると、5分間は幽体モードで活動できます。その後は、人々の体にはホームポジションが設定されておりませんので、強制ログアウトになります。ログアウトした後、この狭間の世界で精神は活動停止状態となります。最後は、2年間の保存期間を経て消去されます。」
そう言えば、ヒロモンではユーザーのアカウントの有効期限は最終ログイン日から2年間だったか。
「それは2年以内であれば、生き返らせることが出来ると言うことか。」
「はい。必要な手順を踏めば再び円環の地へと戻ることが可能です。」
どうやらNPCであっても、復活する方法はあるようだ。
「生き返らせる方法は、どう言うものなんだ。」
俺の質問にエーオースは答えなかった。
「函崎様。老婆心ながら忠告させていただきますと、パーンのことであれば復活させる必要はないかと思います。」
「何故だ?」
「円環の地に住まう人々にとって、死は身近なものです。パーンの両親も兄弟も、そして村人達も既にパーンの死を受け入れております。その場での蘇生ならともかく、今更、パーンが蘇ったとしても無用の混乱が起きるばかりだと思われます。」
「だが、生き返ることができるのなら、生き返った方が良いんじゃないか。」
「オーソン村はプレイヤーの居ない村です。」
「だから何だ。」
「死者の復活は身近なできごとではないのです。」
「何もしない方が良いと。」
「はい。そうです。」
エーオースの言うことは気に食わないことばかりだが、この件についてはきっとそうなのだろう。
俺自身にも分かっていることだ。パーンの復活は俺の感傷に過ぎない。
俺は苛立ちを紛らわせるように言った。
「早く切り替えてくれ。」
「はい。では、カウントダウンいたします。5,4,3,2,1、ゼロ。」
俺の視界は唐突に切り替わると、俺は馬車に乗っていた。
馬車は停止している。
俺は馬車を前に進め、教団へと向かった。
自分が王都のどこにいるのか分からなかったが、きっと馬が知っているだろう。
俺は気持ちを入れ替えようと深呼吸を繰り返し、馬車が教団に着くのを待った。




