異世界転生とシンメトリーガール①
喉の奥に小さな衝撃、からの異物感。それで俺は目を覚ました。
「んぐっ! ぶぇっ! ぺっ! ゲホっ、ゲホっ…何なんだよいったい!」
咄嗟に上体を起こす。吐き出した異物が制服のズボンの上に唾液まみれで転がる。
「どんぐり……? にしてはでかすぎるような…」
見たことのない木の実だった。どうやら、頭上の大きな木から落ちてきたものらしい。
こんなものがもし、ピンポイントで喉につっかえていたら間違いなく俺の物語はここで終わっていただろう。
それにしても背中が痛い。どれくらい寝ていたのだろうか。
「っていうか……ここどこだ?」
あたりを見回すとそこは森の中だった。
ちょうど大木の根が盛り上がっていたところに背中が当たっていたようだ。そりゃ痛くなるに決まってる。
泥を払い立ち上がる。どこも怪我はしてないようだ。
取り敢えず、と現代人の習性とばかりにポケットをまさぐり、スマホを取り出してみる。
「嘘だろ……マジかよ!」
ディスプレイが無残にも蜘蛛の巣状にひび割れていた。
先月、バイト代を全部費やして買ったばかりのハイエンドモデルだったんだぞ。かろうじて確認できた画面の右隅には「圏外」の表示。
今日のソシャゲのデイリーは全て終えてあっただろうか、などとつまらない心配事が頭を巡る。
「地図アプリも使えない…どうやって帰ったものかな」
頭を掻いて口に出してみるけれど、当然誰も答えてなどくれない。
そもそもどうやってここに来たんだろう。記憶をたどってみる。
………。
……………。
………………。
――え?
何も思い出せない。俺はここで倒れるまでどこで何をしていたんだ? 思い出そうとすればするほど頭にモヤがかかり、何も思い出すことができない。
「記憶……喪失……?」
落ち着け……。
一つずつ思い出していこう。まず、お前の名前は? って……まるで、ゲームの冒頭の名前入力画面じゃないか。
「……嘉納、陸翔」
カノウ リクト。
うん、これはきちんとデフォルトネームだ。次に、生年月日は…。
「9月19日生まれの高校2年……」
これもきちんと覚えてる。
家の住所も学校も、交友関係も(友達? そんなものはいない)好きな動画配信者に、好きなゲームやアニメもしっかり思い出せた。
抜け落ちているのはここに来る直前までの記憶だけ、だと思う。
そして俺はいま夏休み真っ盛りだったはずだ。
しかし、制服姿の俺。その日は学校に行っていた……? 夏期講習?
「やっぱり何も思い出せない」
夢を見ているのか? 明晰夢? とも思ったが、この生々しい感覚のリアルさ。
多分だけど、夢じゃない。そもそもそこを疑ったら先に進めない気がする。
何か近辺に手がかりがあるのかも知れない。
そう思い辺りを見回してみる。持っているのはポケットに入れていた壊れたスマホと折り畳みの薄っぺらい財布だけだ。
「とりあえず歩いてみないと」
地面は木の根や折れた枝、枯葉にまみれて足元が安定しない。
改めてみてみるとこの森は原生林のようだ。自宅近所にある、人の手が入った人工林とか二次林じゃない。
でもそんな森は日本では屋久島とかに行かないとないはずだ。まぁ、実物を見たことがないから何とも言えないんだけど。
いよいよ、ここがどこだかわからなくなってきた。
「すみませーーーん!」
とりあえず声を張り上げてみる。しかしその声は空に吸い込まれていき反響すらしない。
反響すらしないということは近くに岩や建物などの固い平らなものがないということだ。
もしかしたら俺は本格的にやばい状況なのかもしれない。
その時、背後の茂みでガサガサと音がした。
ビクッとして振り返る。
何かが……近づいてくる。
「……クマ!?」
こんな森の深くでそんなものに出会ってしまったら詰む。人生終わる。
俺は何かの動画かテレビで習ったように、そのガサガサから視線を逸らさずに後ずさりする。こちらの恐怖を気取られてはいけない。
しかし次の瞬間飛び出てきたのはクマではなかった。
「何だ!?」
それはワニのような、オオサンショウウオのような……少なくともそのどちらでもない、むしろそれが合わさったかのような奇妙な生き物だった。
記憶のどこをたどってもこんな生き物は見たことがない。ワニにしても何にしても少し大きすぎる。
そしてその謎の生物はこちらを睨みつけている。敵意を持っているのは明らかだった。
「それにあの額の物は……?」
そいつの額には黄色い大きな結晶のようなものがめり込んでいた。それは生えているようにも見えるし実際にはわからない。ただ、そのグロテスクさに体が拒絶反応を示す。
しかし当然ながらそいつはこちらにじっくり観察する暇など与えてくれなかった。
突然大きく跳躍して俺の頭めがけて飛びついてくる。
「ひぇっ!」
咄嗟に尻もちをついたことで、間一髪躱すことができた。
勢いあまってそいつが茂みに飛び込み姿を消したのを確認して、俺は慌てて立ち上がり反対方向に走り出した。
木々をかき分け、苔の生えた木の根に足を滑らせながらも必死に走る。
ーーなんだ? 何だったんだあれ!?
見たことない敵意むき出しの生物。
あれはまるで……モンスターだ。
そいつにまさにしっくりくる呼び名を思いついたとき、目の前に2つの人影が見えた。
人だ! これで何とか助かるかもしれない。俺は最後の力をふり絞って走った。
「すみません! 助けてください!」
叫びながら飛び出した瞬間、血の気が引くのを感じた。
「おおっ、なんだぁ? 妙な格好のガキが出てきやがった」
そこいたのは俺の知る『人間』ではなかった。
不潔に伸びた髭と髪。粗末な皮を継ぎ合わせたような鎧。そして手には血に汚れた歪な鉈。
ゲームや映画でしか見たことのない本物の『野盗』だ。
「あ……いや……」
後ずさりする俺を、二人組は下卑た笑みを浮かべて囲い込んでくる。
「その服、見たことねえ生地だな。金持ちの坊ちゃんか?」
こんなテンプレみたいなセリフ……。俺はハッとした。
「……まさか、ここは異世界?」
これが夢じゃないのなら……答えは他にない。
「は? 何言ってんだこいつは?」
「さぁ?」
間違いない、ここは異世界だ。
となれば、次に起こる展開はもう決まってる!
物語の主人公に、当然与えられるべき権利――。
「そう……俺は……選ばれし者っ!」
そう叫び、俺は広げた右手を2人の野盗に向けて突きだす。二人はビビりながら身構える。
「こいつ、魔法が使えるのか」
「だとしたら、ヤバいぞ! に、逃げねぇと!」
魔法! やっぱりな!
ならば俺は、この世界で無双の力を振るう伝説の魔導師に……!?
「ふ、案ずるなよ。殺さない程度に痛めつけてやる! おおおおおお……! くらえ!」
「ひぃぃぃっ!」
俺は何かに導かれるまま、脳裏に浮かび上がる言葉を口にした。
「メギド・フレイッ!!」
「ぎゃああああああああ…………」
何も起きなかった。
「……あ?」
……何も、起きなかった。
俺の手の先で、野盗が「いつまで叫んでればいいんだ?」という顔で薄目を開けた。
俺の右手からメギド・フレイは出なかった。
しん、と辺りに静けさが帰ってきた。
「なるほどー」と俺は言った「そっちかー。俺強えくないやつかー」
とりあえず理解はできたけど、ちょっとよくない状況だ。
具体的に言うと、目の前の野盗さんたちがご立腹だ。……とりあえず尋ねてみる。
「……ここから入れる保険はありますかね?」
「何わかんねーこと言ってやがる」
片方の野盗が頬をヒクヒクさせながら血濡れの鉈を構える。
「身ぐるみ全部置いていきゃ、命だけは盗らねぇつもりだったが……ぶっ殺してやる!」
……わかったことがある。
この世界には、保険という概念がないということ。
そして、俺は多分ここで死ぬということだ。
「おっ死ねやぁーーーー!」
野盗の片割れが鉈を振り上げ、俺に踏み込んでくる。
「ぎゃあああああ!」今度は俺が小物な叫び声を上げる番だった。
詰みだ。
きっとこの世界で保険業を営む予定だった俺の異世界ライフは転生初日で――。
「均衡が悪い…」
突然、無愛想な、温度を感じさせない女の子の声が水面に落ちる雫のように俺たちの間に割って入った。
野盗が動きを止める。
「ああ?」
声のする方に振り向くと、そこに一人の少女が立っていた。
左右に一点の狂いもなく分けられた、桃色の長い直毛。
温度を感じさせない大きな瞳は、顔の中心から等距離に配置され、完璧な対称を描き出している。
腰の両端に下げたポシェットさえも、その装いは寸分のズレを許さず、鏡合わせのような均衡を保っていた。
――だが、その極限まで整った輪郭の中、背に負った身の丈に合わない巨大なバトルアックスだけが、彼女の完成された世界を真っ向から否定し、あまりにも禍々しい不調和を撒き散らしていた。




