運び屋と用心棒③
俺はわけがわからずその場に立ち尽くしていた。
先に異常な事態に気付いたのは、手練れの男達だった。彼らは一斉に立ち上がり剣を抜く。
「何があった!」
「構えろ!」
次の瞬間、山際の森の方から、武器を持った見知らぬ大勢の男達が、彼らに向かって飛び掛ってきた。
「敵だ!」
「奴ら多いぞ」
やがて男たちは入り乱れるようにして剣を打ち合う。俺はそれを呆然と立ち尽くしたまま眺めていた。
次の瞬間ーー
「リクトっ!!」
強い衝撃が体の側面に加わり、俺は地面に仰向けに倒れる。間もなくしてさっきまで俺が立っていた位置に、どこからともなく飛んできた矢が突き刺さる。
「リクト! 大丈夫ね!?」
目の前にレミファの顔があった。近い。押し倒されて、体が密着してて……。彼女が少し顔を上げて周りをキョロキョロしてる。目の前に彼女の胸があって、目のやり場に……困る。俺は堪らず、顔を横に逸らした。
そこには、さっき俺に笑いかけてたはずのスキンヘッドの顔があった。目を見開いたまま俺を見て、ゴボッという音と共に口から血が噴き出た。
「うわぁあああああああ!?」
叫んでいた。心臓が激しく脈打つ。
「リクト? リクト!? しっかりしんしゃい!」
「死んでる! 死んでるっ!! ころ……殺されるっ!!」
俺はレミファにしがみつく。そうでもしなければパニックで体がバラバラになりそうだった。死人を見たことがないわけじゃない。映画でもっと酷いシーンも見たことがある。なのに、目の前で人があんな簡単に死ぬことがこんなにも怖いだなんて!
パシンっ!!
左頬に痛みが走る。レミファの平手打ちだった。
「しっかりせんね! ほら、立ちんしゃい!」
動揺する間も与えず、レミファが俺の腕を引き、体を起こす。立ち上がろうとしたら今度は頭を抑えつけられ、中腰のまま走らされる。
「走るばい! ほら!」
腕を引かれ走る。背中の大きな剣を徐に引き抜くゼムスの脇を俺たちは通り抜け、森の茂みへと駆け込んだ。レミファが俺の背中を太い幹の木に押し付け、座らせる。遠くで剣がぶつかり合う音と男たちの罵声が聞こえる。
「……落ち着いた?」レミファがこちらを覗き込んでくる。
「あ、あああ……ああ……」体の震えが止まらない。我慢しようにも恐怖で叫びたい衝動が抑えられない「ううう……ぁぁぁあああ……!」
抑えきれない恐怖に耐えきれず、叫びかけたその時、レミファが俺の頭をきつく抱きしめた。頭が真っ白になった。
「大丈夫……。大丈夫やけん……」
彼女の胸の中で、荒くなっていた俺の呼吸は徐々に落ち着きを取り戻していく。体の震えが収まっていくのを確かめると、レミファはそっと抱擁を解き、俺の顔を同情するような、慈しむような目で覗き込む。
「あんた……ホントに……平和な世界で生きてきたっちゃんね」
「レミファ、俺……」
「いいから……あんたはここに隠れとき」
その言葉を最後にレミファの表情が一変した。
何かを小声で詠唱し、指先で両目の間をなぞる。するとエメラルド色のオーラが、仮面舞踏会のドミノマスクのような形となって彼女の目元に張り付いた。
そしてそのまま木の陰から顔を出した直後、レミファを目がけ、見えない速度で矢が飛来する。
「危な――」
風を切る音に俺が叫ぶより早く、彼女の右手が空を払った。
レミファの手の中には、いつの間にか一本の矢が握られている。無から生み出したのではない。飛んできた敵の矢を、彼女はその手で捕らえたのだ。
「弓の撃ち合いでエルフに勝とうなんて……千年早かとよ!」
凄みを利かせた声。彼女は奪った矢を即座に自分の弓に番え、放った。
矢は緑の軌跡を描き、森の闇へと吸い込まれていく。
その矢がどうなったのかは、彼女の悲しげな瞳を見れば明らかだった……。
「おーい! エルフの姉ちゃん! いねーのか!?」
男の怒声が響く。
護衛の男たちが数に任せて押し寄せる敵を必死に押し留めていた。
その後ろでは、リーダーであるはずのクレベルが腰を抜かし、無様に地を這っている。
「援護してくれぇ! ついでにこのお荷物を安全なところへ!!」
レミファは返事する代わりに無言で矢筒から二本の矢を抜き取り、目にも止まらぬ速さで矢を放つ。野太い悲鳴が2つ。
「リクトはここにおり。行ってくるけん」
そう言い残しレミファは戦地へと駆けていく。
心細さはあった。でも、彼女が行かなくては状況はもっと酷くなるだろう。
俺はシェルンから預かってきたナイフを抜いて、その冷たい切っ先を見つめた。
俺はこんなところで震えてるだけでいいのか?
『……足手まとい、ってこと?』
『……ごめん』
昨日の酒場でのシェルンとの会話が過ぎる。
足手まといにはなりたくない。これから、あいつの助けになるために、こんなところで立ち止まったまま、あいつの隣に立てるのか?
「……っ!」
震える膝を叩き、俺は立ち上がる。
例え何の役に立たなくても、ここで震えて隠れているより、前に出たほうが絶対に意味がある。
身を隠しながら戦いの様子を伺う。
護衛の男たちは流石に腕に覚えのある手練れで、多勢に無勢の状況でも渡り合っている。だが、これまでの長旅と泥濘の行軍の影響か、その表情に疲労が見える。
レミファは、醜態をさらすクレベルを無理やり引きずり、岩陰の安全な場所へと誘導している。
そして爽やかさが売りのカイデンの姿が見えない。……あいつ、真っ先に逃げ出したのだろうか? それよりも……。
俺が探したのは、もう一人の――漆黒の鎧の男だった。
そこは不自然にも喧騒から切り離されたような場所だった。乱戦のただ中、そこだけがぽっかりと空白地帯になっている。その中心に、ゼムスはいた。
彼は大剣を無造作に地面へ突き立て、両手をその柄に乗せたまま、まるで屋敷の彫像のように動かずにいた。降り注ぐ矢も、飛び交う怒号も、彼には届いていないかのようだ。
不気味だった。だが、今の俺にとって彼は、この地獄における唯一の「正解」に思えた。
「ゼムスさん……!」
俺は茂みを飛び出し彼のもとへ駆け寄る。
「……逃げなかったのか、お前は」
鎧から覗く鋭い眼光。低く、地を這うような声。
「逃げたくないんです。……足手まといには、もうなりたくないから」
自分に言い聞かせるように、震える声で決意を口にする。ナイフを握る手に力を込めた。
「それより、どうして戦わないんですか! みんな必死に戦ってるのに……!」
ゼムスはふっと息を吐いた。それは溜息のようでもあり、どこか冷ややかな自嘲のようでもあった。
「……そうだな。そろそろ仕事をするか」
彼がおもむろに大剣を引き抜いた、その時だった。
「おい、ゼムス! 何サボってやがる、手伝えよっ!」
腕から血を流した眼帯の男が、数人の野盗を引き連れてこちらへ逃げ込んできた。
「こいつら、きりがねぇ! お前のそのデカい剣で――」
――一閃。
男の言葉は、最期まで紡がれることはなかった。
ゼムスが、一歩も動かずに大剣を横一文字に薙いだ。野盗ではない。助けを求めたはずの仲間に、だ。
鎧ごと肉を断つ嫌な音がして、男の体がくの字に折れ、物言わぬ肉塊となって地面に転がった。返り血がゼムスの黒い鎧に吸い込まれる。
「え……?」
思考が停止した。なぜ、ゼムスが味方を? その問いを口にする暇さえ与えられなかった。
ゼムスを見据える俺の視界が大きく歪んだ。
ゼムスの硬質なガントレットが、俺の鳩尾に深々とねじ込まれていた。反射的に身を守ることさえできなかった。
「が…………っ!?」
胃を吐き出しかねない圧の衝撃。俺の体は宙に浮き、そして間抜けにも地面に叩きつけられる。
痛い……。死ぬほど、痛い。何だよこれ。わけわかんねぇ……。
霞む視界の先で、ゼムスがこちらを見下ろしている。その背後からは、カイデンが悠然と歩み寄ってくるのが見えた。
「思ったより手こずってるじゃないか」




