プラスチックと博多弁③
「…ところで、なんね、私に用があったと?」
レミファが怪訝そうに、尖った耳をぴくりと動かした。
「あ、実は仕事をしたいんだけどさ、俺、文字が読めなくて……」
「はぁ!?」今度は彼女が素っ頓狂な声を上げる番だった「嘘やろ?今どき人間の識字率、7割っち言われとーっちゃけど!? ウチのことからかっとーと?」
俺からしたら、博多弁のエルフこそ、からかってるんじゃないかと思うんだけど……。
「だから、異世界から来たって言ってるだろ? ここの世界の文字が読めないんだ」
「……嘘ば言いよーごたぁ、見えんっちゃけど」
博多エルフは俺の目をじっと覗き込んできた。大きな青い瞳が目前に迫り、不覚にもドキッとしてしまう。
「俺の知ってるエルフは、そういう喋り方してないんだ。でも、俺はお前の言ってること信じたんだぞ」
「ん~~……わかったけん。信じるよ」彼女は言った「で? どげな仕事さがしよーと?」
彼女は掲示板の前に歩み寄る。俺も後に続く。
「どんな仕事があるんだ?」
「そりゃ、いろいろあるばい。化け物討伐もあるし、要人警護もあるっちゃけど……」
「あの、腕に自信がないから、物騒なのはちょっと……」
「確かにあんた、ひょろかともんねー」
言いながら、彼女は値踏みするように俺の細い腕を見た。正直、何も言い返せない。
「あの、エルフさんはどんな仕事を探して?」
「レミファ」
「え?」
「ウチの名前」
彼女は掲示板を凝視したまま、とても簡潔に素っ気なく自己紹介した。
「ああ、レミファ……」
「ウチもそんな危なか仕事する気なかよ」
そう言ってジッと掲示板を眺める。そのまま黙っていれば、本当に高潔な森の賢者といった風情なのだが。
ぼんやりその横顔を見惚れていると、ハッとレミファの目が見開かれた。
「あ、これよかっちゃない? 薬の運び屋だって」
「運び屋? それって普通の薬?」
俺の世界だったら、響きだけで眉唾ものだ。
「医薬品ば隣町に運ぶだけらしかよ。定員10人で、まだ2人空きがあるっちゃ。ウチはこれにするけど、あんたは?」
「初めての仕事だし、知り合いがいてくれたほうが心強いな。……俺もご一緒していいのか?」
「何言いよーと。ウチには決定権も何もなかっちゃけん、好きにすればよかろ?」
ぷいっと顔を背ける。「それに……ウチも、知り合いおったほうが気楽やしね」
けれど、その頬が少しだけ緩んだのを俺は見逃さなかった。
「じゃあ、俺もそれにしよう」
「よっしゃ! ほんなら、さっそく受付してこよ。こっちばい、ついてきて」
こうして俺たちは酒場の中に併設されたギルドの窓口へ向かった。
当然、俺は自分の名前すら書けないので、レミファにぶつぶつ文句を言われながら代筆してもらう羽目になった。
仕事は明日の朝、酒場前に集合。
それが、この世界での俺の「初仕事」に決まった。
※
酒場を後にした俺とレミファはそのまま二人で町を歩いていた。
少し前を行くその後ろ姿はまさにファンタジー世界の住人そのものなのに、口から出るのはバリバリの博多弁。このギャップに、俺の脳内はまだ整理が追いついていなかった。
何となく一緒に歩いているが、シェルンが待っているであろう宿を探さなくてはならない。が、それがどこだかわからない。
「そーいや、リクト、さっき異世界から来たっち言いよったよね? どげなとこなん?」
レミファが、何でもなさそうに声をかけてきた。
「俺の世界?」
少し考える。ガソリンで走る鉄の馬車! なんて言っても俄かに信じられないだろうし、説明も難しい。だから、ありきたりな答えを述べる。
「魔物はいないし、野盗もいない。剣を持って歩いてる人なんて見たことないよ」
「ほー……」
レミファは小さく相槌を打つ。
「武器を持ち歩くこともないし、命のやり取りなんてニュース……ええと、人伝いに聞く情報だけだ。基本、毎日が平和だよ」
「毎日?」
「うん。学校に行って、帰って、飯食って、寝る。それの繰り返し……正直、ちょっと退屈に感じることもあるけどな」
「退屈ねぇ」レミファがくすっと笑った「命の心配ばせんでよか世界で、退屈って言えるんは……ずいぶん贅沢やね」
「そうか?」
「うん。ウチからしたら、夢みたか世界たい」
しばらく、足音だけが続く。
「……でもさ」レミファが前を向いたまま、ぽつりと言う「そげん世界で生きよったら、怖い思いとか、せんで済むっちゃろ?」
「まあ……そうだな」
「……ふーん」
それ以上、レミファは何も言わなかった。ただ、その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
それからしばらく取り留めのない会話を続けていると、ピタッとレミファが足を止める。
「じゃ、ウチはこっちやけん」
レミファは小道の先にあるお屋敷を指した。
「そうなのか」
「そこに人間の友達夫婦が住んでおってさ、親子二代で付き合いがあって、今はそこで下宿させてもらいよーと」
ちょっとアテが外れた。レミファは明らかに冒険者って格好だったので、彼女も宿に泊まるものだと思っていたのだが。
「待ってくれレミファ。頼みがある」
「ん、なんね?」
レミファは口元に笑みを携えて言った。最初に比べて、随分と友好的になったものだ。
「あのさ、宿に行きたいんだ」
「……宿? えええっ!?」
急に叫びだしたレミファの白い肌がみるみるうちに紅潮していく。長いエルフ耳の先までだ。そして俺をみる目に徐々に敵意が満ちていく。
「や、宿って……ウチと!? 二人で!?」
「あ、ああ……。いや、むしろレミファも行くつもりなのかなと思ってたから……」
「はぁぁぁ!? 誰があんたなんかとそげなとこ行くかぁ!」
「……レ、レミファさん?」
何故かますます激昂していくレミファさん。
「最低やし! ちょっとは紳士的な奴やと思っとったとに!」
流石に理解した! このおませエルフは明後日どころか、明々後日の方向くらいに勘違いしてる! え? 俺の言い方……悪かった、か!?
「待って! 違う! 勘違いするな! 話せばわかる!」
慌てて弁解に走ろうにも、もう何を言っても無駄なのはわかっていた。俺の言葉は彼女の耳に入っていない。
「聞かん! ウチ、そげん軽か女やなかと! あほーーーっ!」
レミファが渾身の力を込めて右手を天にかざす。
俺は覚悟を決めて歯を食いしばる。
彼女の手がしなやかに振り抜かれ、俺の頬を捉えようとした瞬間——。
横から伸びてきた白く細い指先が、その手首をガシッと、鉄の枷のように固定した。
「なっ!?」
突然の介入にレミファは目を見開く。
小柄な体躯に覇気のない眼差し、そして身の丈に合わないバトルアックスを背負った少女――シェルンだ。
風のように駆けつけてきた彼女の、絹のように繊細なピンクの髪が宙に名残りを残しながら、するりと背中に落ちていく。
「シェルン!」
「あ、あんたは!?」
レミファは腕を払おうとするが、シェルンの指に力が入り、岩のように動かない。
「顔はやめて……」シェルンが感情を殺した声で言った「やるなら、ボディにして」
「シェルンさんっ!?」
この人、本当に俺の『顔』以外はどうでもいいんだな。
やっとのことでレミファがシェルンの腕を振り払った。やや赤みを帯びた手首を押さえながら叫ぶ。
「その斧……さっき防具屋におったやろ! ……あっ、あんたよく見たら、そん時の連れやん!」
俺はさっき武器屋にいたフードを被ったローブ姿の客のことを思い出した。あれ、レミファだったのか。
「というか、俺たちのこと見てたのに、今更俺に気づいたの!?」
「そげん影うすか男の顔なんて、いちいち覚えとらんっちゃ!」
え、殴られるより痛いんだけど……。
「む! リクトの顔は影薄くなんかない!リクトの顔は……」シェルンが変なところで噛みつきだす。
「シェルン、やめてくれ。これ以上そのやり取りは耐えられない! ……レミファ、聞いてくれ」
「なんね」
「俺はただ宿の場所を教えてほしかっただけなんだ。シェルンと落ち合う予定だったんだけど、看板の文字が読めないから、できれば案内してほしかっただけで……その、お前が思ってるような、他意は全くなかったんだ!」
「……え?」レミファの目が泳ぐ。そして顔が、今度は別の意味合いで真っ赤に染まっていく。
「リクト、他意ってどういう意味?」シェルンが首を傾げる。
「いやーーーっ! ちょ、待って待って! それ以上言わんで! 言ったら殺すけん! ほんとに殺すけんね!」
レミファの情緒が爆発している。まぁ、わかる。逆の立場なら俺だって死にたくなる。
「お、落ち着け、レミファ。勘違いなんて誰にでもある」
「ううう……」
「まぁ、あれはちょっと酷かったけどな」俺は嫌味っぽく言ってやった。
「あーもうやだ! 最悪! 死にたい死にたい! このバカ! 覚えときんしゃいよーー!!」
真っ赤な顔を抑えながら彼女は、すごい速さで逃げていった。……覚えておいていいのか?
「はぁ……」シェルンがため息をつく「エルフはあんなのばっかり」
「あんなのばっかなの!?」まぁ、博多弁にも動じてなかったもんな。
レミファが去っていった方向を、遠い目で眺める彼女の横顔を夕日が照らす。控えめに凪いだ微風が髪を揺らすと、それはとても儚く見えた。
「と、ところで、探しに来てくれたんだな。ありがとう」
そう声を掛けると彼女は不思議そうに俺を見上げる。
「別に探してなかったけど……」
「……え?」
「窓の外から騒がしい声が聞こえたから出てきただけ」
「それって……つまり」
シェルンが右手の方を指さした。
「宿、そこ」
見てみるとすぐそこに宿屋らしき看板を下げた2階建ての石造りの建物があった。
※
そこは、年季の入った分厚い石材を積み上げて造られた、いかにも異世界らしい佇まいの宿だった。
室内のひんやりとした空気とオイルランプの暖かい灯がちょうどよく室内の温度を保っている。
磨き込まれた木のカウンターに、シェルンが迷いのない足取りで進み出た。
「……戻りました。鍵を」
すると奥の方から俺の母親くらいの年頃の女主人がやってくる。
「はいはい、アウスバッハさんね。どうぞこちらです」
鍵をカウンターのトレイに載せながら彼女は俺の顔をまじまじと見る。何故か訳知り顔でニヤリと頷くと、夕飯の時にお呼びしますからね、と言って奥にまた引っ込んで行った。
「行こう」
「ん、ああ」
シェルンに促され、俺たちは石階段を上る。靴音がコツコツと壁に反響する。
二階の廊下を歩きながら、俺はふと、気になっていたことを口にする。
「あのさ、シェルン。俺の部屋も、ちゃんと抑えてくれてるんだよな?」
「……」
シェルンの足が、わずかに乱れた。
いつもなら寸分違わぬ歩調を刻む彼女が、今はなぜか小刻みに身体を震わせる。
「シェルン?」
「……ご飯を……」
「ん? ご飯?」
「ご飯を食べたのがいけなかった」
「……なぜ?」ちょっと話が見えない。
「宿に着くのが遅れて、個室が、すべて埋まっていた。……残っていたのは、ここだけ」
彼女が止まったのは、廊下の突き当たりにある部屋の前だった。
シェルンが鍵を差し込み、木扉をゆっくりと押し開ける。
「……これ」
開かれた扉の先。
窓から差し込むわずかな外の明かりと、室内のランプが、やや広めな室内を照らし出していた。
石壁に囲まれたその部屋の中央には、二つのベッドが置かれていた。だが、問題はその配置だ。
一人用のベッドが二つ、申し訳程度の隙間さえなく、ぴったりと、まるで一つの大きなベッドであるかのように隙間なく並べられていた。
「……」
「……」
俺の心臓の音が室内で大きく反響しそうなくらい鳴り響く。
ひどく喉が渇く。言うまでもないが、俺は歳の近い女の子と一つ屋の下で夜を明かしたことなどない。でも、何とか動揺を悟られまいと努める。
ちら、と横を見ると頬を赤らめ石のように固まっているシェルンの姿。
その反応に、俺は「もしかして彼女も少しは俺を意識して……」なんて、淡い期待を抱いてしまった。
「……ランス……」
「はい?」
「……アンバランス。醜い。なんて事なの。こんな、左側にだけ重心が寄った、片端な配置の部屋しか用意できなかったなんて……! 恥ずかしい!」
「え、そっち!? 恥ずかしがってたの、そこなの!?」
恋の予感なんて微塵もなかった。その瞳にあるのは、不浄なものを見るかのような強い嫌悪感。
「リクト、どいて。今すぐこの空間の均衡を正す」
「宿の人に怒られるぞ!」
彼女は華奢な見た目からは想像もつかない力を込め、重厚なベッドを床の上で滑らせる。耳障りな摩擦音が響くが、彼女の表情は真剣そのものだ。
「……手伝おうか」
「いい! 角度がずれる」
「あ、はい……」
――数分後。
部屋の北西の角と、南東の角にベッドは分かれた。
いわゆる、点対称というやつだ。その他、家具や備品は彼女の独自の審美眼によって、部屋の中心点を挟んだ均衡の取れた空間になった。らしい。
「……ふぅ。これでようやく、眠れる」
満足げに額の汗を拭うシェルン。
もはや会話を交わすのにも大声が必要なほど離れた、二つの孤島のようなベッド。彼女はその片方で、左右の枕の位置をミリ単位で整えると、満足げに布団に潜り込んだ。
「明日は早いんでしょ? 君も早く寝たほうがいいよ。おやすみ」
それっきり全く動かなくなった。
俺は部屋の対極に位置する自分のベッドに寝転んだ。そして、さっきの「照れ」を都合よく解釈した自分を戒める為に無機質な石壁に頭を押しつけ、その熱を冷やすのだった。
「俺の……ドキドキを……返せ」




