113『異世界の古代人・4』
風に運ばれるように届いた笛の音をたどって、私は宮殿の回廊を歩いた。
勇者は宮殿内で一番見晴らしの良い場所──バルコニーで黒髪をなびかせながら優雅に横笛を吹いていた。
戦場では雷のように鋭い彼が、笛を吹く時だけは不思議と静かな人になる。
「美しく、けれど少し悲しい曲ですね。なんという名なのですか?」
「曲名は失念しましたが私の故郷で幼い頃によく吹いていたものです。山寺の夜を思い出します」
「今度、その笛を教えていただけますか?」
「ええ、構いませんよ。アシェーア姫」
私──ハイナスタリ家のアシェーア・ハイナスタリはお師様の意志を継ぎ、10年の歳月をかけて「別世界の勇者をこちらの世界に連れてくる方法」を完成させた。
現れた勇者の活躍は目覚ましかった。
彼の世界にはスキルはなかったけれど、“試練の洞窟”とこちらの世界では彼のスキルが発現した。しかも4つも。
そのスキルを駆使した勇者の力は千の兵にも匹敵するほどだった。
勇者は個人の力以外でも人間族に貢献した。
自分の国では軍略家だった彼が持ち込んだ小規模集団による奇襲、地形の高低差を利用した戦術、上長下短の長弓で雨のように降らせる矢は魔王軍を翻弄した。
「アシェーア姫、例の作業の方はまだ……?」
「先ほどすべて終わりました。“試練の洞窟”の作り方を一冊の本にまとめましたので、これを完成したばかりの大賢者の塔に収蔵してもらおうと思います」
「けっきょく“試練の洞窟”は、あれから一度も出現しなかったのですね」
「はい。何度試しても駄目でした。きっとあの時のように“世界を救わねばならない切実さ”が、今はもう足りないのかもしれません」
こちらに来た勇者は彼ひとりだけだった。
けれどたったひとりでも人間族は魔族に奪われた土地を再征服し、魔族が体系的に魔法を習得できるようになる前とほぼ同じくらいまで国土を回復することができた。
人間族は、滅亡を免れた。
各王家が協力しあって人間族と魔族が暮らす境界に長城を作り、監視塔を設置する計画が現在進んでいる。
それを指揮するのは彼────
自分の世界では実兄に命を狙われて逃げ、
こちらの世界で勇者と呼ばれ、
来月からは私の夫で、
やがてハイナスタリの王となる人だ。
父上は彼が王となることを望んだ。
たとえ異邦人であっても彼は英雄であり、反対する民衆も貴族もいない。
「この笛を姫に差し上げましょう。私のはまた木を削って作ればいいですから」
「よろしいのですか? 嬉しいです。一生大事にいたします」
私のこれからの人生で、“試練の洞窟”が必要になることがないのを祈る。
けれど、これから……いつか
それは100年後かも、1000年後かも、
また人間族は“試練の洞窟”を出現させなければならない日が来るかもしれない。
そのときは未来の勇者よ。
私が愛した彼……次代のハイナスタリ王と同じように
幾多の魔獣を倒し、
幾つもの選択を積み重ね、
────上へ上へと、試練を乗り越えて
階段を“のぼって”この世界まで来てください。




