第103話 依頼人だから
夏の夜は静かだ。
人口十万人程度の地方都市にすぎない常磐市は、繁華街を除いて夜は無音に近くなる。田畑が広がる郊外は虫や両生類の鳴き声が響き渡るが、繁華街から離れたこの地域はその鳴き声もしない。
常磐署の駐車場に停まる、一台の軽ワンボックス。中から、二人の人影が現れた。
一人は二十代後半の背の高い男、そしてもう一人は彼の六割ほどの背丈の少女……いや、彼女は少女ではない。
――まさちゃん。ここだよね
――ああ
――あたしの家族の仇、絶対に討てるよね
――ああ
少女の発言に、男はただ一言つぶやくだけ。しかし、彼には覚悟が決まっていた。
この中にいる男を処断すれば仇は討てる。裏社会の組織まで使って彼女を絶望のどん底に叩き落した腐った組織。
警察は裏組織と癒着している。それも根深く。上層部に意見することは、警察だけでなく、組織を通じて日本全国を敵に回すことを意味している。数年前、そのことで一人の警官が殺された。
今度も同じことが起きていた。しかし、幸いにも使用された薬が間違っていたためか、彼女は事なきを得た。一方で、彼女の家族は惨殺された。手を下したのは組織の連中である。
二人にとって、警察は敵。それに味方する、組織も敵。
直接手を下した警官二人はすでに葬った。あと一人を葬れば、反攻の第一段階は完了だ。あとは公安として身を隠し、不意打ちで組織を壊滅させる……。
計画としてはリスクが高いが、警察と組織、両方にダメージを与えるやりかたとしては、非常に効果的なのだ。
二人は目を合わせてうなずきあうと、建物の裏側に回った。
誰にも気づかれぬよう、足を進める。
すでにセキュリティシステムをハッキングし、無力化はしてある。だから、ピッキングで建物に入り、あいつを葬るだけ。
もちろん、警備はついているだろうから、その対策も心得ている。なんせ、二人は現役の警官なのだから。
二人は針金を取り出し、ドアノブに手をかけた。その時だった。
――そこの二人! 何をしている!
二人にまるでスポットライトのように、懐中電灯の光が照射される。片目を閉じてその先を見ると、三人の人影。しかし、三人は彼らの味方であったはずの探偵と、現職の刑事の姿。
ついに、自分たちが仕掛けた作戦が見破られてしまったのだ。
***
俺と椿、そして堂宮刑事は先を急いだ。常盤署では酒川刑事が足立警部、越川刑事を中心とした足立班に守られている。白装束との関係が確定している酒川刑事は、通信機器がすべて取り上げられ、外部への連絡手段は絶たれている。これは、酒川刑事を保護しつつ、白装束の情報を引き出すための作戦も兼ねていた。
そして、署の前には俺が一連の事件の犯人とした二人の〈殺し屋X〉。彼らは俺たち三人の姿を見て驚きを隠せず、片目を閉じて後ずさりしていた。
堂宮刑事が前に出る。
「これ以上、君らに罪を重ねさせるわけにはいかないよ、浅井さん!」
朝永……いや、浅井と呼ばれた男はじっと俺たちを見ていた。泰子という偽名を名乗る少女も不安そうにそれを見守る。
「もし君らが入れば、中で待機している警官が飛び出す。さあ、針金を捨てて投降するんだ!」
「……」
二人は何も言わない。
完璧な計画が崩され、動揺しているのか。それとも、あと一歩で復讐を果たせるところで邪魔が入り悔しがっているのか……。
「……なぜ、分かったんですか。探偵さん」
浅井の声は俺に向けられていた。犯行を認めているのか。
話せば長くなる。だが、話している時間はない。
俺は浅井の声に対し、首を横に振った。
「……刑事さんの言う通りです。その場を離れてください」
「……」
相手は武器を持っているわけではない。おそらく、制圧するのは難しくないだろう。
だが、なぜか緊張が張り詰めている。俺には一秒が何時間にも感じられた。額に冷や汗が滲み出ていた。
椿も、堂宮刑事も、おそらくは浅井と泰子も、同じような雰囲気だろう。
この気配は、次に起きる事態を予期していたのかもしれない。
その刹那。
――バン! バン!
耳をつんざく乾いた銃声が数発、署内から聞こえた。俺たちは思わず耳をふさいだ。鼓膜が耐えられるかわからない。
「な、なんだ⁉」
俺は思わず声を上げた。椿の車の中で襲撃を受けたときのように、心がパニックを起こす。
「おい、まさか!」
堂宮刑事は拳銃を片手に持つと、素早く俺たちのもとから走り出した。署内で異変を察知したらしい。
警官の意地を見せるように、彼は扉の前にいた浅井と泰子を目で押しのけると、まっすぐ中に入っていった。
一方の浅井と泰子は何が起きたのかわからず、ただ茫然としている。
さらに数発の銃声。
そして、外の窓ガラスに弾丸がはじけ飛んだ。
「身を伏せて!」
椿は大声で叫び周囲に呼びかける。
俺は椿に倣い、身を地面に伏せた。
しかし、浅井と泰子は立ち尽くしたまま。
俺は怒鳴った。
「伏せろ!」
「……」
「いいから! 死にたいのか!」
浅井も泰子も身動きしない。恐怖でフリーズしているのか、命を狙われていることを覚悟したのか。
すると、署の二階の窓が開いた。
窓から何者かが、こちらに何かを向けている……!
「あぶないっ!」
俺が叫んだその刹那、何者かが二人を突き飛ばした。
数発の弾丸が、浅井と泰子がいたまさにその場を打ち抜いた。
コンクリートには数個の穴ができ、硝煙を上げていた。
その先、銃弾が飛んできた方向から死角となる車庫の後ろに、倒れている二人がいた。その上に、椿がまるで二人を守るかのように両手を広げて上から覆いかぶさっていた。
「椿!」
俺は駆け寄る。
「な、なんで庇おうとするんだ、探偵さん」
浅井の小さな声がする。
「依頼人……だからですよ! ほかにも理由はあるけど、依頼人に死んでもらっちゃ困りますからね!」
「俺らのことはほっといてくれよ! 探偵さんらも巻き込まれるぞ!」
「もう私らも目をつけられてますからね。今更の話ですよ」
椿は必死になって依頼人を守ろうとしている。俺たちが守ろうと決めたルールを破るわけにはいかないからだ。すべては、依頼人のためだ。
しかし、相手は闇の中にいて、どこから発砲されるかわからない。一方、俺たちは武器を持っておらず、完全に丸腰。
車庫の裏にいることはいずれバレるだろう。
次の発砲が来る前に、安全なところに隠れないといけない。
ここをどうにかできるのは俺しかいない。
とにかく、警察に身柄を引き渡すまでの時間を稼ぐのだ。




