第二章 中学生
《麗》
爽と僕は中学生になった。小学生の時は、僕たちと妹たち4人でいつも一緒に学校に通っていた。妹たちはあと1年間一緒に通えないから、学校から帰ってきたら遊んでと訴えていた。可愛い妹たちだが、身長も人並み以上に伸び大人になった中学生が小学生と遊ぶのはちょっとカッコ悪いと思うのは当然。だから、帰ってくると逃げるように、二人で新しくできた友達の家に遊びに行ってしまった。
妹のレナは爽に、あゆみちゃんは僕にべったりで、4人でいると兄妹は入れ替わったかのようだった。二重だが少し切れ長で猫を思わせる目が魅力的な爽の妹あゆみちゃんは、性格も明るく、クラスの中心になるような人気者で、自慢の彼女になると思う。でも、あゆみちゃんは爽の妹に過ぎない。自惚れるわけではないが、面倒なことになる前に距離を置いたほうがいいと思っている。
レナは爽のことを気に入っているようだが、爽のまわりにはいつも女の子がいっぱいいる。性格はいいけど、彼氏となるとどうだろう。レナが心配。
爽とは同じクラスだった。爽はずっと野球をしているので、他のクラスにも友達がたくさんいる。僕はバスケ部に入ろうかと思ったが、結局朝練とか面倒なのでやめた。熱血にはなれそうもない。
「爽、お前2組?俺は隣のクラスだよ。」と野球部の仲間が声をかけていく。爽はキャッッチャーで、面倒見がいいので、後輩にも慕われている。
「ちょっと、トイレ言ってくる。」と爽に声をかけて、教室を抜けた。女の子たちのようにずっと一緒に行動するわけじゃないけど、急にいなくなると多分爽が探すので言っておいたほうがいい。時々、ひとりになりたい時はトイレの個室にはいる。個室から出るところを見られるのがいやな人もいると思うが、個室に入って考え事するのが気に入っている。
「爽と青木麗はまた同じクラスじゃん。俺同じクラスじゃなくてよかったよ。」トイレに入ってきたひとりが言った。
「何で?」ともう一人。
「さっき二人がいる教室のぞいたら、女子たちの目がハートになってた。爽はかっこいいけど、俺らに近い感じだろ。でも青木麗はハーフっぽい顔もあるけど、確かに王子様って感じだよな。まああんまししゃべんないし、爽以外は眼中にないって感じで、爽がいないときはいつも一人だよな。でも頬杖ついて爽を見上げる姿は、なんかこう憂いをおびて、胸がキュッってしちゃうわ。私!」
「おい、ホモかよ」
「まじ、女子だったら、俺は青木派だな。」
「俺は爽だな!って、俺らホモ? ハッハッ、行こうぜ」二人は出て行った。
個室の中で赤面してしまった。まあ確かに女子にはよく王子様って言われているようだけど、男子にまで思われていたとは。爽とは小学校の時から一緒に過ごしてきたから、緊張することもなしに話せる。実をいうとものすごい人見知りで、それを隠すために、周りに関心ないふりをして来ただけ。そっけない僕の態度に大抵近づいてこない。
桜ヶ丘中学校はうちの山下小学校と隣町の川和小学校の学区が一つになっている。半数ぐらいは顔を見たことがある気がした。ほっとしたことに僕の席は窓際の一番後ろだった。そこから教室を見渡す。いつものことだが、そこに爽がやってきて、爽のまわりに爽の取り巻きたちが集まる。爽は女の子にもてるが、この取り巻きは暑苦しい男たち。爽は僕に話しかける。僕は答えたり、答えなかったりする。爽の取り巻きが代わりに答えたりして、会話は進んでいく。
「野球の試合とかで、川和小学校へ結構行ったし、女の子たちもかなり知っているけど、あの子見たことない気がする。」と爽が視線を黒板の方に投げかけた。女の子の顔を覚えているなんて、どれだけ女の子が好きなのかと思いながら、視線を移した。そこには姿勢よく椅子に座って、前を向いている髪の長い女の子の後ろ姿があった。
「顔見たの?」
「ちょっと、見てくる。」と言って、爽が女の子の方に歩いて行った。机の前にまわり女の子を見つめる。爽の切れ長の目が大きく見開かれたところを見ると、かなり美人で好みらしい。
「ねえ、どこの小学校からきたの?」爽はストレートに確認する。
「東京の小学校から。」と静かな落ち着いた声が聞こえた。僕の周りにいた爽の取り巻きたちも爽の方へ行って会話へ加わった。僕は興味を失って、窓の外を見た。
「麗、こっちへ来いよ。」爽の方にゆっくりと顔をむけると、髪の長い女の子もゆっくりと僕の方を振り向いた。
あっと声を上げそうになり、声をのみ込んだ。公園で見たあの時の女の子に似ている。爽が何も言わないから、違うのかな?
「何?」声が不機嫌そうになってしまった。
「東京から来たんだって。俺は片桐爽で、あっちの王子様は青木麗だ。君はなんていうの?」女の子に視線を戻しながら、にっこりほほ笑む。大抵の女の子はこれで陥落する。
「私は柊碧。」
「みんな、席に着け。」と先生が入ってきて、会話は中断された。
《あゆみ》
私は片桐爽の一つ下の妹で片桐あゆみ。ひとつしか違わないので、お兄ちゃんとは呼ばず、爽と呼んでいる。私は隣のお屋敷の青木麗が大好き。麗の妹のレナは幼馴染。幼稚園の時から、いつも4人で一緒に遊んでいた。
麗はお屋敷に住んでいるから、本当は王子様じゃなくて若様って呼ぶべきかなって思ったりするけど、やっぱり王子様だよね。名前の通り、本当に麗しい。性格も超いい。よく、お屋敷の庭でおままごとをした。
嫌がる爽をなだめて、いつもおままごとに付き合ってくれた。偽物のハンバーグを食べるほっそりとした長い指は、優雅でうっとり見入ってしまう。
妹の私が言うのもなんだが、爽もかっこいい。もしお兄ちゃんでなかったら、絶対好きになっていたと思う。もちろん、麗がいなかったらだけど。
それに妹のレナも目鼻立ちのはっきりした正統派美人。麗もレナも背が高く、手足が長く優雅な身のこなしがモデルのよう。もうすでに、スカウトの人に声を掛けられたことがあるって言っていたっけ!まだ小学生なのに、中学生の男の子に告白されてた。もちろん断ってたけど。だって、レナは爽が大好きだから。
私はどうって?私も結構いい線いってると思うよ。まあレナには負けるけど、かわいいってよく言われる。
大人になったら、絶対に麗のお嫁さんになるって決めている。麗はモテるから心配だけど、彼女ができても奪っちゃうつもり。
「ただいま」爽の声が聞こえたので、階段を飛び下りながら、玄関に駆けつけた。中学生になった爽が帰ってきた。
「学校どうだった?可愛い女の子いた?麗なんかいってた?」って麗のことが聞きたい。
「東京から来たものすごくかわいい女の子がいたぞ。あゆみ、やばいぞ。」私が麗のことを大好きなのを知っていて、いつもからかう。麗は女の子に関心ないから、大抵冗談。
「だいたい、そんな可愛い女の子を爽がほっとく訳ないじゃん。」
「そうだけど。」爽が笑いながら言った。
爽は世間的には爽やかすぎて、女の子大好き男には見えない。でもかわいい子から申し込まれて断ったのを見たことない。小学生だから、メールをするとか、公園に一緒にいくとかだけど、付き合っているのかわからない微妙さで女の子たちに囲まれている。それに断ってもやさしく遠ざけるから、嫌な感情は持たないらしい。そんな実態を知っているのは妹の私と、隣の麗とレナだけ。レナは爽が好きだから、いつも私に探りを入れてくる。私たちが小学生で、爽たちが中学生になったので、学校での情報がない。そこで私たちはお互いの兄たちの情報を交換することにしている。
「ねえ、その子そんなにかわいかった?私やレナよりも?」
「髪の毛は日本人にしてはかなり茶色で、透き通るような白い肌をしていて、瞳が透明感のある薄い茶色で、目が離せなくなるっていうか、今までにあったことのないようなタイプだな。」
「なによ。全然わかんない。麗はなんだって?」麗の感想が知りたい。
「女の子のこと、麗が言うわけない。今までだってかわいい子をみんな断ってるんだぜ。もったいない。それなのにあいつ女キラーだとか、たらしとか言われてるんだ。笑っちゃうよ。」と爽が笑った。
麗が公園にいたら中学生の女の子に声をかけられて、付き合って下さいって言われた。断っているところを誰かにみられたらしく、翌日中学生と付き合っていることになった。そしたら、学校で告白される回数が減ったので、付き合っていることにしておいてくれって、麗が言ったので、しばらく中学生と付き合っていることになっていた。時々、みんなに彼女どうしたのって聞かれても、架空の彼女の名前なんて覚えてないから、そのたびに違う名前を適当に言っていたら、また女の子が変わったと思われて、女たらしってことになっていた。確か、こんな感じだった。
それでも、負けずに告白していた女の子がいた。確か、その子、女の子なのに爽と同じ野球部に入ったって聞いたような?
私、本当に大変な人を好きになっちゃったな。
翌日、レナにその女の子のことを麗から聞き出してもらうように頼んだ。こっちも爽がその子を好きか聞いてみることにした。ただし、爽の場合はいつも好きっていうから、逆に本当のところは分からないかな。
《麗》
休み時間、教室の窓側の席に座っていると、爽がいつものように近づいてきた。
「東京からきたすごくかわいい女の子がいたってあゆみに言ったら、麗はどう思ってるか教えろってうるさいんだ。柊碧はどう?美人だよな。」にやっと笑いながら、僕の前の椅子に後ろ向きに座った。
「うん。きれいな子だね。」と黒板の前に座っている柊碧の方を見た。
「麗は柊碧が好き?あゆみに報告しなくちゃ。」と爽が僕に聞いた。本当は僕の方が聞きたい。柊碧はあの公園の女の子だろうかと。
「あゆみちゃんとレナには二人とも柊碧のことが気になっているって言っておけば、しばらく僕ら自由になると思うけど。」妹たちがそれぞれ僕らのこと好きだということは暗黙の了解。
「麗と違って、俺はレナちゃんのこと好きだよ。」笑いながら爽が言った。
「爽の場合、みんな好きが問題何でしょ。みんなその爽やかな顔に騙されている。それにあゆみちゃんは本当にとってもかわいい妹。」
「妹か。あゆみもかわいそうに。まだ友達として好きのほうが、可能性が残ってるんじゃないか?柊碧の顔をみたらあきらめるかな?ものすごい美人だから。」結論がでないまま休み時間は終わってしまった。
夏に向けて時間は静かに何事もなく過ぎて行った。
その日はとても暑い日だった。ひとりになりたくて、いつものようにトイレの個室にいた。
「2組の柊碧って駅前のマンションに住んでいるみたいだけど、兄弟いないって聞いたよな?中学生らしいモデルみたいにかっこいい男と腕組んでマンションへ入って行くのを見たぞ。」
「へえ~、彼氏いるんだ! まあ、あれだけ美人なら当たり前だよな。彼女欲しい~!」と言いながら出ていった。聞かなければよかった。なぜか、がっかりした。
爽は柊碧に話しかけていたが、僕はその日まで柊碧とあまり話したことはなかった。柊碧が振り向いて、僕たちを見た。突然立ち上がり、僕たちの方にやってきた。手には数学の教科書をもっていた。
「わからないところがあるから、教えてほしいのだけど。」と柊碧は僕の隣の席に座った。その問題は簡単で、頭のいい柊碧が分からないはずもなく、ただの口実のように感じた。
その日から、休み時間になると、僕と爽と三人での勉強会が始まった。
「数学の期末試験の範囲はどこからどこまで?」僕の前の席に座って、柊碧が僕の方を向いた。
「50ページから98ページまでだよ。」爽が寄ってきて、代わりに答えた。
「青木君って、無口よね。いつも片桐君が答えている気がする。女の子と話すのは苦手?」と柊碧がクスリと笑いながら聞いた。
「こいつには年上の彼女がいるんだ。そうだよな。」と爽が僕の肩をぽんとたたいた。
「そうなの?」驚いたように柊碧が僕の顔を覗き込む。瞳の色はかなり薄い茶色、いや光の加減か、緑?不思議な色。石鹸の清潔な匂いに囲まれた。
「そうみたいだね。」視線をそらしながら、僕はつぶやいた。
「俺は彼女いないよ。俺はどう?」爽が柊碧の顔を覗き込んだ。
「う~ん。ひとりで帰るのはつまらないから、誰か一緒に帰る人がほしい。一緒に帰る?」
「それって、友達からって感じ?」爽が白い歯をみせて言った。
「ん~ そうだけど、ボディガードって感じとか?」言葉はあいまいだったが、柊碧はまっすぐ爽を見つめた。
「いいよ。その代り、付き合っていることにしてよ。」爽があっさり言った。「どこかで聞いた話だけど。」ぼそっと続けた。
「・・・・・」柊碧は爽から僕へと視線を移し、「そうだ。消しゴム二つ持っている?持っていたら貸してくれない?失くしちゃったみたいなの。」と柊碧が話題を変えた。
「使いかけならある。」と僕は持っていた消しゴムを渡した。
「今日から一緒に帰ろう。碧ちゃん!帰りまたね。」爽が念を押した。
《あゆみ》
私は桜ヶ丘中学校の門の前で、爽と麗が出てくるのを待っていた。爽がいっていた美人の女の子も見たかった。あまり待つことなく、爽と女の子が出てきた。爽の後ろから麗がのろのろ歩いてきた。
「麗、早く来いよ。」
「僕が並んだらだめでしょ!」と麗は面白くなさそうにみえた。
「麗、見っけ!」私は麗のところに駆け寄って、腕を組んだ。爽の隣の女の子は、透き通るような白い肌の笑顔で、「だれ?」と問いかけるように麗の顔を見た。
「俺の妹のあゆみ、麗の年下の、未来の彼女かな?」と爽が答えた。
「今はまだ小学生だから、相手にしてもらえないけど、来年は中学生になるから、待っててね、麗。」組んだ腕に力を込めた。
「あゆみ、ひどいよ、先にいちゃうなんて!やだ、爽もいるじゃん。やったあ。」とレナまで現れた。爽に駆け寄ろうとして、レナの足が止まった。
「俺の彼女の碧ちゃん。麗の妹のレナちゃん。」爽が隣のきれいな女の子を紹介した。
「どういうこと?」レナと私の声がはもった。
「青木君、片桐君、今日は先に帰る。可愛い妹さんたちにちゃんと説明しといてね。」手を振って去って行った。
「何、何~、どういうこと?彼女って。どっちが言ったの?」
「もちろん俺だよ。柊碧っていうんだ。美人だろ。」爽が満足そうに言った。
「そうなの。麗?」レナが否定してほしいと訴える瞳で問いかけた。
「そうみたいだね!」ヘーゼルの瞳を曇らせて、瞳にかかった前髪を掻き上げ、憂鬱ように言った。麗、美しい、うっとりする。レナには申し訳ないが、麗と柊碧という組み合わせでないことにほっとした。
「だめだよ。爽はレナが中学生になるまで待っていなくちゃ。」とレナが爽の腕を取って言った。
「じゃあ、1年間は碧ちゃんと付き合ってもいいってことだろ?」からかうように言った。
「レナが中学生になったら、あの子と別れて、レナと付き合ってくれる?」
「どうかな?かなり気に入ってるんだよ。俺!」と麗の顔を覗き込むように言った。麗は何も言わず、先にいってしまったので、爽を残して後を追った。お屋敷の前で追いついたけど、不機嫌そうだったのでもう声をかけられなかった。
《麗》
爽はいったいどういうつもりなのか。本当に柊碧を好きなのだろうか?色々な女の子を好きだっていつも言っているけど、本気で好きになったことはないと思っていた。でも今度は今までと違うって、僕に言っているのか?僕は何を気にしている?今まで爽が誰を好きだって、気になったことなんかなかったのに・・・。
3人で帰る日が続いた。下駄箱の前で二人を待っていると、柊碧がやってきた。無意識のうちに目の片隅で追っていた。下駄箱を覗いて小さなため息をつき、靴をはたいていた。小石でも入っていたのか?
爽がすぐにやってきた。2人の他愛無い会話を聞きながら、後ろから歩いた。ときどき、爽が振り返り、会話に入れようとする。なぜ僕も一緒なのか、うんざりしながら、適当に返事をした。
「麗にお願いがあるんだけど。」と爽が振り返った。
「何?」
「今は期末試験前だから、部活がないけど、試験が終わると部活が始まるんだ。そうなると碧ちゃんと帰れなくなる。部活がある日は、麗が碧ちゃんを家まで送っていってほしい。」と手をあわせた。
「青木君は私と帰るの、いやそう!」僕が黙っていると柊碧が僕の顔をまっすぐ見つめた。
「わかったよ。」そっけない返事をしながら、それとは裏腹に、柊碧の瞳の中に何かを確認したくて僕もまっすぐ見た。その瞳に中に欲しいものはなかった。実際、何を見たかったのかは僕自身もわからなかった。
《爽》
まさか、柊碧と帰ることができるとは。ボディガードとか言われちゃったけど、いっしょに帰れるならいいかって感じだ。
麗もいっしょだと、碧ちゃんが麗を好きになる可能は十分あり過ぎるし心配だけど、碧ちゃんと帰るからといって、いつも一緒にいた麗と急に別行動するのはなんとなく違う。友情をないがしろにしている気がする。
それに、俺が碧ちゃんを好きだと麗に知らせておいた方がいい。実際、それでも麗が本気で碧ちゃんを好きならしかたがないことだ。
好きになった女の子のことで、麗を意識したことなんかなかったのに、今回は麗の気持ちが気になった。
《麗》
翌日の帰り、柊碧と僕は一緒に教室を出た。
「浮気しちゃだめだよ。碧ちゃん。麗、よろしく。」と僕たちの背中に、爽の笑い声が覆いかぶさった。
柊碧は、駅前のマンションに住んでいる。商業施設やスーパーをぬけて、学校から歩いて15分ほどのところにそのマンションはあった。
「実際のところ、この一緒に帰る儀式は何なの?」と最初から疑問だったが、爽が聞かないので、気になっていた疑問を投げかけた。
「この間も聞いたけど、私と帰るのはいやなの?」前を向いたまま、柊碧は言った。
「そういうことじゃなく、爽と帰りたいなら、僕とじゃつまらないでしょ?」
「そんなことない。かっこいい男の子と歩くのは楽しい。」長い睫を重たそうに持ち上げながら、横を向いた。肩から鞄を手に持ち替えて、話を続けた。
「ところで年上の彼女はやきもちやかないの?自分じゃない女の子と一緒に帰っているって知ったら、私だったら悲しい。」
「(架空の彼女だし)僕はボディガードなんだから言う必要もないね。」嘘はついていない。
「へえ~、結構俺様なのね!」
「傷つくのがわかっている事をわざわざ知らせて、苦しめることもない。柊さんだって、彼氏に迎えに来てもらえばいい!」と口を滑らした。モデルみたいにかっこいい中学生に。
「彼氏?」と不思議そうに言って、考え込むように口を噤んだ。
柊碧は一歩後ろを歩く僕を何度が振り返った。いや、僕のさらに後ろを見ているような。気のせいかな?
あっという間にマンションの入り口に来てしまった。ちょっとがっかりしている自分にひどく驚いた。一緒に歩くだけの行為にも意味があるときもあると初めて知った。
「ありがとう。ボディガードさん!」柊碧はにっこり笑って、マンションに入っていった。
爽が部活の間、柊碧と僕が帰るようになって、三角関係とか四角関係とか、みんな初めは面白がっていたが、もめている様子もないのが分かって、周りは興味を失ったようだった。
柊碧は爽と僕のことは聞き出そうとするくせに、自分のことになるとうまくはぐらかされた。柊碧のことは何一つわからないうちに夏休みになった。
爽と僕は同じ塾に通っていた。大抵は一緒に塾に行っていたが、爽が部活でひとりのときは塾をさぼりたい気分になった。新学期がもうすぐ始まろうとしていた日曜日、塾をさぼって、中央公園の七重の塔の階段に座っていた。薄暗くなってきたと思っていたら、あっという間に真っ暗になってしまった。
階段の正面に噴水が見えた。あの時と同じように目の前を、青味を帯びた緑色の何かを見たように思った。そこに女の子がいて、まわりに高校生が集まっていた。
「向こうへ行って、ほっといて!」と女の子が小さくつぶやく。
からまれているらしい。どうしようか?でも僕一人じゃ助けられない。警察を呼ぼうか?人と人の隙間から女の子の顔が見えた。柊碧だった。柊碧と分かった途端、噴水に走り寄り無意識のうちに高校生を押しのけていた。
「彼女に何か用ですか?僕と待ち合わせしているんです。」高校生と柊碧との間に滑り込んだ。
「中学生が生意気な。」と僕を蹴ろうとした。
「おまわりさん!こっちです。」噴水の向こうの人物に向かって、柊碧が声を張り上げた。
おまわりという言葉に驚いて、高校生たちはあわてて逃げて行った。力が抜けたのか、柊碧は噴水の縁に座りこんだ。
「大丈夫?」柊碧の隣に座った。柊碧は今あったことを締め出すように、目を強く閉じていた。
ありがとう、怖かった。」と言って深く息をしながら、ゆっくり目を開いて僕を見た。その瞳の色が名前ように碧がかって見えたのは、気のせいかな?守ってやりたいと思った。思わず引き寄せた。震えている身体が僕の腕の中にすっぽり収まった。石鹸の香りがした。次の瞬間、自分のしたことに狼狽えて、あわてて腕を離した。
「とっさにおまわりさんと叫んだのがうまくいったね。家まで送っていくよ。」真っ赤になっているのが分かったので、下を向いた。マンションまで無言だった。
「今まで、ありがとう。」と憂いをおびた微笑みで、柊碧は言った。
新学期が始まり、柊碧が転校してしまったことを知った。
心の痛みに、柊碧に対する気持ちが何だったのか、初めて気がついた。
《碧 中学3年生》
父の私に対する態度がなぜ突然変わってしまったのか、その理由がやっとわかった。二流小説の世界の出来事のようで全く信じられないことだった。
「私たちは蝶の一族、特別な血筋で、この美しい容貌は蝶一族の特徴なの。」唐突に母は言った。
「蝶?蝶って、パピヨン!」声が裏返った。
「そう。信じられないわよね。蝶の一族だけではなく、蛾の一族もあるの。そして、それぞれ特徴がある。蝶は美しさで、蛾はフェロモンで異性を引き付けると言われているの。あなたには小学生になったぐらいから蛾の特徴もみえだした。お父さんも私も純血の蝶一族だから、あなたには蛾の血がまざっている、自分の子供ではないとお父さんは思ったのね。DNA検査すれば判ることなのに、全く信じなかった。」
「信じないって!」
「そのうち、私たちの関係もぎくしゃくし始めて・・・。あなたには本当にかわいそうな事をしたわ。」
「それで、私はあんなに冷たくされたの?」
「あなたは特別な子だと、私は思っているけど、あの人は違ったわ。」
「特別?」
「数百年に一人、蝶の美しさだけではなく、蛾の特徴も併せ持つ特別な子供が生まれるとういう伝説があるの。私はあなたがその特別な子だと思っている。もう少し大人になってから話そうと思っていたのだけれど、あなたは男性を引き寄せ過ぎるわ。知らなければ自分で守れないでしょ!すこし早いけど、話すことにしたの。」母は続けた。
『蝶の血は栄光と幸福がもたらされる。』このことのために、蝶一族は狙われている。
そしてまた、こうも言われている。『栄光と幸福は血の濃さに比例している』と。その頂点にいるのは純血の蝶の女であり、一族の継承者となる。純血の男は継承者を守る役目を担い、血の濃さの力という点では継承者に次ぐものである。
継承者には証が現われる。証は継承者にしか見えず、その『蝶の末裔の証』は母親から娘へと伝えられ、誰にも男たちにも知られてはならない。継承者だという事実が知れ渡り、男たちが意図的に寄ってくることは更なる争いを招く。
「家系がはっきりしている一族もあるけど、純血の蝶の末裔かどうかはほとんどわからなくなっているの。知っているのは『蝶の末裔の証』を持つ継承者だけ。それなのに、蝶の血には引き寄せられるみたい。」
「『証』ってなに?」
「蝶の痣よ。」声を潜めて言った。
「痣なんてないわ。」
「・・の・・・・の普段見る事のない場所にあるのよ。」と耳元で囁いた。
「それは受け継がなければならないものなの?」
「純血の蝶の男性と結婚しなければならないのかということ?」母がにっこり笑った。
「どうなの?」
「力のある蝶一族の男がそばにいて、蝶を守っていると不思議と、他の蝶や蛾はあまり寄ってこないの。ただ結局、想いの強さの問題だから、全く寄せ付けないわけでもないし、いつも一族があなたを守れるわけじゃないから、蝶の血筋の人と結婚してくれると安心なの。」
「純血の蝶じゃなきゃだめってことなの?」
「お父さんとは離婚してしまったけど、お父さんと結婚するときに蝶の純血の血筋なのかなんて考えたことなかったわ。それに、私はこう考えるの。純血同士が結びついたとき継承者に受け継がれるのではなく、継承者になる運命なら純血の蝶の男性と結ばれるって。誰か気になる人がいるの?」
《Ⅹ》
血筋を確実に引き継いでいる一族もあるが、蝶と蛾の血筋の境界線は不明瞭になってきている。
蛾の一族だからと言って、不幸が降りかかるわけではない。それなりの栄光と幸福はあるのだろう。しかし、蛾ではなく蝶の血筋であったら、どんなに幸せだったろうと思う。そして、いっそ蛾一族だと知らなければ、蝶一族を羨むこともなかっただろう。
両親に尋ねたことがあった。なぜ、蝶の血を入れようとしなかったのかと。
「運命には逆らえない。」と言った。
その運命に逆らい、蝶の血を残そうと誓った。




