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四天王、誰も来ない

四天王へ招集の伝令を出してから、二日。


――勇者軍の侵攻予測まで、あと二十八日。


ナオトは執務机に広げた紙へ視線を落としていた。


兵力整理のために作り始めた一覧表。


昨日より埋まった欄は増えている。


それでも、判断するには足りなかった。


「……やっぱり、現場から直接聞くしかないか」


独り言を漏らしたところで、扉が控えめに叩かれた。


「失礼いたします」


エナが数通の書状を抱えて入ってくる。


普段と変わらない落ち着いた表情だが、その歩調はどこか慎重だった。


「四天王への招集について、返答が届き始めました」


ナオトは思わず顔を上げる。


「よかった。それなら今日か明日にでも――」


エナは言葉を継がなかった。


一拍置いてから、小さく告げる。


「……全員は、集まりません」


「え?」


返事が来た。


だから日程を合わせて会議を開く。


その程度の話だと思っていた。


どうやら違うらしい。


エナは一通目の書状を開いた。


「第一軍団長、ガルザ様からです」


紙面へ目を落とし、読み上げる。


――勇者軍の話なら行く。


会議だけなら行かん。


前線の確認を終え次第、魔王城へ向かう。


エナは書状を閉じた。


しばらく沈黙が流れる。


ナオトは眉を寄せた。


「……来るのか、来ないのか、どっちなんだ?」


「おそらく、ご本人が必要と判断された時点で来られるものかと」


「つまり、魔王の招集より、自分の判断が優先?」


「はい」


あっさり認められた。


思わず天井を見上げる。


(いきなり前提が違うな……)


エナは次の書状を開く。


「ネフィラ様です」


今度は文字数が多い。


整った筆跡だった。




――会議の目的、求められる判断、事前に確認すべき情報をお送りください。


出席の必要があると判断した場合は参上します。




読み終えたエナが顔を上げる。


ナオトは腕を組んだ。


「議題を先に送れ、ということか」


「はい」


「正しい。正しいんだけど……」


正論だ。


目的の分からない会議など出たくない。


前世でも散々経験した。


だが。


(新任魔王への最初の返事が『出席するかはこちらで判断します』か……)


なかなか手強い。


「バルク様からは返答が届いておりません」


「伝令が戻っていない?」


「いえ。戻っております」


「じゃあ?」


「お渡しできなかったそうです」


ナオトは目を瞬かせた。


「会えなかった?」


「軍団が移動中で、本隊の居場所が分からなかったとの報告です」


「中央にも知らせてないのか?」


「必要があれば届くそうです」


「今回は必要じゃない?」


「そのようです」


思わず額へ手を当てる。


(会議の前に、まず居場所探しからか……)


エナは最後の書状を手に取った。


「こちらはオルゼム様の配下からです」


「本人じゃないのか」


「現在、長期休眠中とのことです」


「休眠?」


「はい」


「いつ起きる?」


「あと十日ほどかと」


「……勇者軍が来ても?」


「生命の危機であれば起きられるそうです」


「会議は?」


エナは少し考えてから答えた。


「生命の危機ではありません」


「起こせないのか?」


「起こすことはできます」


「じゃあ起こそう」


「命の危険を伴います」


「……なるほど」


納得はできない。


だが、これが魔王軍の常識らしい。


ナオトは椅子へ深く腰を下ろした。


ガルザは自分で来るか決める。


ネフィラは議題を審査する。


バルクは居場所が分からない。


オルゼムは寝ている。


(まだ会議の日程すら決まってないんだけど……)


「四天王会議って、開くだけでこんなに大変なのか」


思わず本音が漏れる。


エナは申し訳なさそうに目を伏せた。


「セルガン様の頃も、四名が一堂に会することは多くありませんでした」


「先に言ってほしかった」


「申し訳ございません」


「いや、責めてるわけじゃない」


その時だった。


廊下の向こうから、重い足音が響く。


石床を踏み鳴らすたびに、執務室の床まで震える。


続いて、扉の外から守衛の声が響いた。


「第一軍団長、ガルザ・バシュ様、ご到着!」


その声を聞いた瞬間だった。


エナが、わずかに姿勢を正した。


肩がほんの少しだけ引き締まる。


普段の彼女にはない反応だった。


(そんなに警戒される相手なのか)


ナオトがそう思った直後。


大扉がゆっくりと開く。


現れた男は、とにかく大きかった。


頭が扉の上枠に届きそうな長身。


厚い鎧には乾いた泥がこびりつき、肩当てには黒い煤が残っている。


戦場から、そのまま歩いてきたような姿だった。


鋭い金色の瞳が、まっすぐナオトを見る。


玉座の前まで歩み寄ると、最低限だけ頭を下げた。


「魔王か」


「ナオトだ」


短く返す。


ガルザは一度だけ頷いた。


「勇者軍が来るそうだな」


「約二十八日後だ」


「なら、先に叩く」


迷いがない。


ナオトは思わず苦笑する。


「結論が早いな」


「敵は待ってくれん」


一言だった。


その一言だけで、前線を預かる者の実感が伝わる。


「待ってくれ」


ナオトは椅子から立ち上がる。


「敵の数は?」


「知らん」


「こちらが出せる兵は?」


「必要なだけ出す」


「それじゃ判断できない」


ガルザは腕を組んだ。


「全部分かるまで待つのか」


「そうは言ってない」


「前線じゃ、全部分かる日は来ん」


静かな声だった。


怒鳴っているわけではない。


それでも、その言葉には重みがあった。


「七割分かれば動く」


「残りは?」


「動きながら確かめる」


「危険じゃないか」


「迷ってる間に村が燃える」


ナオトは言葉を失った。


その返答には理屈ではなく、経験があった。


誰かを守れなかった悔しさを知る者だけが口にできる重さだった。


だからこそ否定できない。


しかし。


「第一軍団が出た後、その土地は誰が守る?」


「残す」


「何人?」


「場所による」


「補給は?」


「距離による」


そこでナオトは気づく。


ガルザは質問を避けているわけではない。


兵数だけでは答えられないのだ。


守る土地。


進軍距離。


食料。


種族。


それらが変われば、出せる兵も変わる。


昨日まで帳簿の上で見ていた数字の食い違いが、今度は現場の言葉として目の前に現れていた。


ナオトは質問を変える。


「第一軍団のことは、誰が決める?」


「俺だ」


「補給も?」


「俺たちで決める」


「中央じゃなく?」


「当然だ」


ナオトはエナを見る。


エナは小さく頷いた。


「第一軍団は、ほぼ独立しております」


「他も?」


「はい。程度の差はありますが」


ナオトは静かに息を吐いた。


ようやく全体像が見えてきた。


魔王軍は一つの軍ではない。


いくつもの軍団が、それぞれのやり方で兵を率いている。


そして必要な時だけ、同じ旗の下へ集まる。


だから中央だけでは何も分からなかったのだ。


「今までは、誰がまとめていた?」


「セルガンだ」


「会議で?」


「違う」


ガルザは首を横へ振る。


「あいつが来た」


「前線へ?」


「勝手にな」


少しだけ口元が歪む。


「迷惑だった」


一拍置く。


「だが、早かった」


ナオトは黙って聞く。


「話が終われば、その日のうちに全部動いた」


「四天王を集めなくても?」


「集めてもまとまらん」


ガルザは鼻で笑った。


「あいつは必要な相手から先に話を付けた」


「最後には全員が動いていた」


ナオトは五行しか書かれていなかった申し送りを思い出す。


「セルガンは……いつも、そうだったのか?」


思わずエナを見る。


しかし、エナはすぐには答えなかった。


何かを言いかけて、静かに口を閉じる。


「……そのお話は、また別の機会に」


ナオトはそれ以上聞かなかった。


目の前で語られるセルガンは、その紙に残った印象とはまるで違っていた。


(……本当に、あの人が書いたものだったのか?)


しばらく沈黙が続いた。


先に口を開いたのはナオトだった。


「分かった」


机の前まで戻り、一枚の紙を引き寄せる。


「全員を集めるのは、ひとまず諦める」


ガルザは何も言わない。


「その代わり、各軍団から必要な情報だけ出してもらう」


「書類か」


露骨に嫌そうな声だった。


「全部を書けとは言わない」


ナオトは羽根ペンを取る。


「今いる場所」


さらさらと書く。


「勇者軍に対して何ができるか」


さらに一行。


「それをするために何が足りないか」


書き終えた紙をガルザへ向ける。


「これだけだ」


ガルザは紙を見下ろした。


「少ないな」


「最初から欲張っても集まらない」


「分かってるじゃないか」


初めて、ガルザが少しだけ笑った。


ほんのわずか。


口元が緩んだだけだった。


だが、最初に部屋へ入ってきた時より空気は柔らかい。


「数字を書くなら」


ナオトは付け加える。


「確かめた数字か、見込みか、それとも分からないのか。それだけは分けてくれ」


ガルザは眉をひそめる。


「分からんものは、分からんと書けと?」


「そうだ」


「魔王への報告にか?」


「分かったふりをされる方が困る」


ガルザは黙った。


しばらくナオトを見つめる。


ガルザはしばらくナオトを見つめていた。


やがて、小さく息を吐く。


「妙な魔王だ」


「初めて言われた」


「そうか」


「覚えておく」


ガルザは鼻で笑う。


「褒めてはいない」


「それでも構わない」


ガルザは小さく息を吐いた。


「三日だ」


「何がだ?」


「報告を出す」


「助かる」


「だが、勇者軍が動けば、そっちを優先する」


「もちろんだ」


ナオトは頷く。


「その時は一言知らせてくれ」


「できればな」


「できればじゃ困る」


「善処する」


言葉とは裏腹に、ガルザの表情は少しだけ穏やかだった。


踵を返し、扉へ向かう。


その途中で一度だけ振り返る。


「遅れるなよ、魔王」


「何にだ?」


「判断にだ」


それだけ言い残し、ガルザは部屋を出て行った。


重い足音が遠ざかっていく。


やがて静寂が戻った。


ナオトは小さく息を吐く。


「……四天王会議は延期だ」


エナは静かに頷く。


「開催日は未定といたします」


「まずは、一人ずつ話を聞こう」


「承知いたしました」


ナオトは大きく息を吐く。


「……疲れた」


「お疲れさまでした」


エナがお茶を差し出す。


一口飲んで、ようやく肩の力が抜けた。


「四天王一人でこれか」


「ガルザ様は、話し合いには応じてくださる方です」


ナオトの手が止まる。


「今のが?」


「はい」


ナオトは黙って天井を見上げた。


(……先が思いやられる)


考えないことにした。


今は目の前の仕事だ。


「報告書式を作ろう」


「承知しました」


エナは新しい紙を並べる。


ナオトはガルザとの会話を思い返しながら、項目を書き始めた。


現在守っている地域。


勇者軍に対して可能な行動。


そのために不足しているもの。


数字を書く場合は、


――確かめた数字。


――見込みの数字。


――まだ分からない数字。


この三つを区別する。


「ようやく並べて見られる」


これなら、欠けているところが見える。


それがナオトの狙いだった。


「軍務局には?」


「兵の配置について」


「補給部は?」


「必要物資だ」


「財務局は?」


「軍を維持できる資金」


エナが次々と書き留めていく。


「期限は、いかがいたしましょう」


ナオトは少し考えた。


短すぎれば間に合わない。


長すぎれば勇者軍が来る。


「三日後」


「承知しました」


魔王印が押される。


一通。


また一通。


机の上へ積み重なっていく命令書を、伝令たちが次々と運び出していった。


最後の一枚が部屋を出る頃には、窓の外が夕焼けに染まり始めていた。


ナオトは背もたれへ体を預ける。


「これで、一歩前へ進める」


そう思った。


エナだけは、机の上に残った控えを見つめたままだった。


「どうした?」


ナオトが尋ねる。


「……いえ」


そう答えながらも、視線は紙から動かない。


「少し、気になりまして」


「何が?」


「皆様が、この通りに答えてくださればよいのですが」


「分からないところは、分からないと書いてもらえばいい」


ナオトは当然のように言う。


エナは少しだけ目を伏せた。


「……皆様も、そのように考えてくださればよいのですが」


それ以上は続けなかった。


それ以上は何も言わなかった。



軍務局。


命令書を囲み、役人たちが顔を見合わせる。


「すぐに動かせる兵、とは」


「負傷兵は入れるのか?」


「訓練中は?」


「国境警備は?」


誰も答えを持っていない。



補給部。


「勇者軍への対応って、第一軍団だけか?」


「全軍団なら食料が違うぞ!」


「ドラゴン部隊まで含めるのか!」


倉庫中に怒号が飛び交う。



財務局。


ミレアは命令書を最後まで読み終えた。


ゆっくり紙を机へ置く。


若い職員がおずおずと尋ねた。


「局長」


「何ですか」


「どの数字を提出すればよろしいのでしょう」


ミレアはしばらく答えなかった。


やがて静かに問い返す。


「その数字は」


「誰が責任を持つ数字ですか」


職員は口を閉ざした。


部屋に沈黙が落ちる。


やがて、一人が小さく呟く。


「……確認してから提出しましょう」


別の職員も頷く。


「ええ。その方が安全です」


しかし、その"確認"を誰が行うのかを知る者はいなかった。


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