第36話:白亜の監視者
上層世界『カイゼル・シェル』――。
完全に無菌化された空気が流れる第2環状線の一角で、FELIXは衣服についた微細な塵を自動除去する光を浴びながら、冷たいカプセル型の官舎へと歩みを進めていた。
地下世界の汚物と重金属にまみれたあの戦闘から数時間が経過している。機体はセシルの手によってナノマシン分解され、一瞬で傷ひとつない「純白」へと再構成されていたが、彼自身の脳内システムに刻まれた違和感だけは、リセットできずにいた。
「面会時間定刻。思考パターンの同調を開始します、フェリックス准将」
無機質な自動ドアが開くと同時に、涼やかな電子音声のような声が響いた。
そこに待っていたのは、最高評議会『ゼニス』の重鎮の娘であり、彼の『配偶適性者』としてシステムに指定されている少女――エレノア(17歳)だった。
中央情報統治システムの統括官でもある彼女は、純白のドレスに身を包み、ホログラムの端末を虚空に浮かべながら、感情の読めない瞳でFELIXを見つめた。
「あなたの戦闘ログを拝見しました。地下第七居住区における排除シーケンスの失敗。……信じられません。あなたの遺伝子スコア、および最新鋭MSのスペックをもってすれば、確率論的にあり得ないエラーです」
「……計算外の不確定要素が連続した。地下の住人どもの行動、および保持されている旧文明の遺物は、我々の中央演算(予測)を超えている」
FELIXは淡々と答え、支給された無味無臭の合成栄養ペースト「純白の雫」を口に運んだ。
エレノアは彼の手元、そしてその瞳の奥の細かな動きを、端末の生体スキャナーで冷徹に観察している。彼女の職掌は、FELIXがシステムから逸脱しないかを監視する surveillance(監視者)でもあるからだ。
「フェリックス。あなたの精神波形に、通常値の3%を超える『ゆらぎ』が検出されています。あの、蒼きクズ鉄の機体に同行していた個体……15歳の少女の生体反応を記録した瞬間に、あなたの脳内パルスが不自然に急騰している。なぜですか?」
エレノアの問いは、刃のように鋭かった。
システムは、FELIXとJUSCOが実の兄妹であるという歴史を完全に抹消している。しかし、血の繋がりが引き起こす「生体エラー」までは完全に制御できていなかった。
「……分からない。私のデータベースに、あの個体に該当するインデックスは存在しない」
「そう。ならいいのです。システムに不要なノイズは、即座に記憶洗礼神殿で排除すべきですから」
エレノアは冷酷に言い放ち、ホログラムの画面を切り替えた。そこに映し出されたのは、最高評議会『ゼニス』の軍事総監ギルフォードの署名が入った、新たなる作戦命令書だった。
「次回の作戦は、ただの回収ではありません。情報統理長オーレリアの指示により、第七居住区の『全インフラの物理的凍結』が承認されました。反乱分子の苗床ごと、あの奈落の底を完全に沈黙させます」
画面の向こうで、JUSCOたちの生きる第七居住区のマップが、次々と「赤く(排除対象)」染まっていく。
その光景を見つめるFELIXの胸の奥で、再び、キチリと小さな金属音が擦れるような不快なバグが走った。
「了解した。……システムの調和のため、次こそ確実にバグ(ゼロ)を消去する」
天の上の『氷の檻』の中で、再び冷徹なマシーンへと最適化されていく兄。
彼が再び引き金を引くその時、地下のガレージでスパナを握るJUSCOに、かつてない冷酷な嵐が降り注ごうとしていた。




