間話1:第七居住区(セブンス・ジャンクヤード)のとある一日
キィィィィン……オォォォォン……。
大深度多階層都市『アンダー・バビロン』の第七居住区――通称『セブンス・ジャンクヤード』の朝は、世界の天井に釣り下がった巨大な人工太陽『ヘリオス・レプリカ』が、不気味な駆動音と共にその明度を「夜」から「朝」へと引き上げることで始まる。
中央の巨大な吹き抜け(セントラル・シャフト)を通じて、はるか数千メートル上空の上層世界から、冷たく乾燥した排気が吹き下ろしてくる。それはジャンク街の住人たちにとって、今日も生き延びたことを知らせる目覚まし代わりの風だった。
「おーい、テオ! そっちの油圧ポンプ、マダムが『午前中に査定終わらせとけ』ってさ!」
「わかってるよカイルの兄貴! でもこれ、コアの基盤が焼き切れてて僕の手に負えないんだよ!」
東側の交易区からは、早くも改造重機の爆音と、マダム・チェイシーの豪快な怒鳴り声、そして見習い商人のテオが伝票を片手に走り回る足音が響いてくる。
そんな喧騒から少し離れた西側のキワ。岩肌の横穴をくり抜いて作られたJUSCOのガレージでは、いつもと変わらない、穏やかな日常が駆動していた。
「――よし、これでよし。ルカ、左脚の調子はどう?」
JUSCOが額の汗を拭いながら、父親形見の歪なスパナを工具箱に収める。
作業台の椅子に腰掛けたルカは、新しく調整された機械義足を何度か屈伸させ、その精緻な駆動音を確かめるように小さく微笑んだ。
「うん、完璧。リンのところの給水ポンプを直した時より、さらに反応速度が上がってる。ありがとう、JUSCO姉ちゃん」
「ふふ、ギルバートのおじいちゃんが『いいグリスが入った』って分けてくれたからね。あ、ミラお姉ちゃんが置いていってくれた泥芋、そろそろ蒸し上がるかも」
コンロの上で、地下水脈の濾過水で満たされた鍋がコトコトと音を立て、土臭くも香ばしい匂いを漂わせている。
そのガレージの奥、薄暗いコンクリートの床にドッシリと鎮座しているのが、全高2メートルの蒼きモビルスーツ――「ゼロ」だ。
ジジ……と、メインモニターに走る走査線が青く明滅する。
『報告。主人、および個体名ルカ。我が魔力炉の液化オイル注入率が98%に達した。機体コンディションは極めて良好だ』
「もう、ゼロったら朝から堅苦しいんだから。ほら、あなたにはこれ」
JUSCOが苦笑しながら差し出したのは、高純度のエネルギーオイル……ではなく、柔らかな雑巾だった。
「せっかくチェイシーさんが新しい予備装甲を融通してくれたんだから、ちゃんと磨いてあげなきゃ。ルカ、ちょっと手伝って」
「うん」
ルカは背中に愛用の旧文明の長銃を背負い直すと、慣れた手つきでゼロの脚部の装甲を拭き始める。かつては街の嫌われ者だった少年が、今ではこのガレージの朝に完全に溶け込んでいる。
『ふむ。人間の手による摩擦洗浄(ワックス掛け)は、装甲の表面電位を0.02%安定させる効果がある。……悪くない効率だ』
「素直に『気持ちいい』って言えばいいのに。ロボットなんだから」
JUSCOの鈴を転がすような笑い声が、鉄錆の匂うガレージに響く。
そこへ、バタバタと騒がしい足音が近づいてきた。
「JUSCO姉ちゃん! ルカ兄ちゃん! 大変だ!」
飛び込んできたのは、自警団の見習い「チビ」と、ジャンク拾いの少年「ニコ」だ。二人の手には、壊れた旧文明の携帯ゲーム機らしきプラスチックの塊が握られている。
「これ、東のゴミ捨て場(廃棄スロット)の奥で見つけたんだけど、全然動かないんだ! JUSCO姉ちゃんの魔法で直してよ!」
「どれどれ? ああ、これは中の配線が錆びちゃってるね。よし、泥芋のスープが沸騰するまでの間に、お姉ちゃんが直してあげる!」
JUSCOが再びスパナを手に取り、子供たちと頭を突き合わせる。
その様子を、ゼロは静かにメインモニターで見つめていた。
上層世界から見れば、この『アンダー・バビロン』の第七居住区は、ただのクズ鉄とゴミが溜まる底辺のセクターに過ぎない。いつ潰されてもおかしくない、価値なきパーツの集まりだ。
だが、ここには技術があり、生活があり、人々が分け合うスープの温もりがある。JUSCOが愛し、ゼロが定義した「守るべき日常」のすべてが、この3,000人の小さな社会に詰まっていた。
『警告。チビ、およびニコ。JUSCOの作業スペースに近づきすぎだ。彼女の右腕の最適駆動範囲を阻害している。それ以上近づく場合、我がマニピュレーターで排除(お片付け)する』
「うわっ、ゼロが怒った! 逃げろ!」
「ルカ兄ちゃん、ゼロを止めてー!」
ワーワーと騒ぐ子供たちの声。
天井の大穴から吹き下ろす冷たい風を浴びながら、ジャンクヤードの穏やかな一日が、今日もゆっくりと駆動していく。




