09 迷いの森から来た3人
迷いの森は、今日も深い霧に包まれていた。
木々の隙間を漂う白い霧は視界を曖昧に歪め、真っ直ぐ進んでいるつもりでも、気づけば同じ場所へ戻される。
方角感覚を狂わせるこの森は、還らずの谷へ近づこうとする者を拒むように存在していた。
そんな森の中を、三人の冒険者が慎重に進んでいた。
先頭を歩くのは、大剣を背負った筋肉質の男――ダン。
その後ろには、長い金髪を揺らすエルフの魔法使いリーフェ。
そして最後尾では、小柄な猫獣人の少女カヤが木の枝を飛び移るように移動していた。
「……またここか」
ダンが低く呟く。
木の幹には、数十分前に自分たちで付けた剣傷が残っていた。
カヤが嫌そうに猫耳を伏せる。
「四回目なんだけど」
「迷いの森だからな……」
ダンは小さく舌打ちする。
本来なら、とっくに抜けていてもおかしくない距離だった。
だが霧のせいで方向感覚が狂い、進めば進むほど森そのものが道を変えているような感覚になる。
しかも妙だった。
森の奥へ近づくほど、逆に魔物の気配が減っている。
普通なら危険地帯ほど魔物は増えるはずだ。
なのに今は、静かすぎた。
リーフェが周囲の魔力を探るように目を細める。
「……この先、空気が変わってる」
「どういう意味だ?」
「魔力が安定してるのよ。迷いの森とは思えないくらいに」
その言葉にダンは眉を寄せた。
こんな場所で“安定”という単語が出ること自体おかしい。
その時だった。
カヤがぴくりと耳を動かす。
「……あったかい匂い」
「匂い?」
「うん。変な感じ。血でも魔物でもない」
カヤは鼻をひくひく動かしながら森の奥を見る。
「なんか……落ち着く匂い」
獣人であるカヤの感覚は鋭い。
三人の中でも特に気配察知能力が高かった。
ダンは少し考えた後、小さく息を吐く。
「行くぞ」
三人は警戒を強めながら、さらに森の奥へ進んでいく。
すると次第に霧が薄くなり始めた。
張り詰めていた空気が変わる。
冷たかった風が少し柔らかくなり、どこか温かな空気が流れ込んでくる。
そして。
木々を抜けた瞬間、三人は同時に足を止めた。
「……は?」
ダンの口から間抜けな声が漏れる。
そこに広がっていたのは、白い湯気を立ち上らせる巨大な温泉だった。
澄み切った湯。
静かに流れる水路。
修理途中の古い建物。
そして、その周囲には――。
「ヘルウルフ……!?」
カヤが尻尾を逆立てる。
岩場には複数のヘルウルフが寝転がっていた。
灰黒色の毛並みを持つ狼型魔物たちは、白い湯気の中で気持ちよさそうに目を細めている。
しかも、その中心には。
「……嘘でしょ」
リーフェが息を呑む。
普通の個体より遥かに巨大なヘルウルフが、温泉へ肩まで浸かりながら静かにくつろいでいた。
圧倒的な威圧感。
間違いない。
グレートヘルウルフ級。
本来なら国が軍を動かすレベルの災害級魔物だった。
だが。
そのすぐ近くには、銀髪の獣人少女が普通に座っている。
さらに。
「ん?」
水路を整えていた黒髪の青年が、こちらへ振り向いた。
「……人?」
ダンが思わず呟く。
青年は驚いた様子もなく立ち上がり、少し困ったように笑った。
「珍しいね。人が来るの」
その自然すぎる態度に、逆に三人の警戒が強まる。
普通じゃない。
どう考えても。
ダンはゆっくり大剣へ手を掛ける。
「お前……何者だ?」
すると青年は少し考えるように首を傾げた。
「えっと……ここに住んでるユウだけど」
「いや意味が分からねぇ」
ダンが真顔で返す。
危険地帯の奥。
ヘルウルフの群れ。
災害級魔物。
そんな場所で普通に暮らしている人間が居る時点でおかしい。
しかもヘルウルフたちが全く敵意を見せていない。
むしろ眠そうですらある。
ミナが静かに立ち上がる。
「大丈夫」
「何がだよ!?」
カヤが即座にツッコむ。
するとミナは巨大なグレートヘルウルフを指差した。
「グーちゃん、優しい」
「グーちゃん!?!?」
ダンとカヤの声が綺麗に重なった。
一方、リーフェだけは静かに温泉を見つめている。
翡翠色の瞳には驚きと困惑、そして強い興味が浮かんでいた。
「……この温泉、普通じゃないわ」
その呟きと同時に、白い湯気が静かに揺れる。
還らずの谷。
誰も近づかなかった危険地帯。
その奥で今、人間と魔物が同じ空間に存在していた。
そして三人はまだ知らない。
この“温泉”が、これから少しずつ世界を変えていくことを。




