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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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10 驚く冒険者たち

「……いや、落ち着け。まず状況を整理させろ」


白い湯気を立ち上らせる温泉を前に、ダンは額を押さえながら深いため息を吐いた。


還らずの谷。


誰も近づかない危険地帯。


その奥に存在していた巨大な温泉。


しかも周囲にはヘルウルフの群れが居座り、その中心には災害級魔物――グレートヘルウルフまでいる。


本来なら絶対に近づいてはいけない状況だ。


だが。


「……ほんとに襲ってこない」


カヤが恐る恐るヘルウルフたちを見る。


猫耳はまだ少し警戒で伏せられているが、最初ほどの緊張は薄れていた。


ヘルウルフたちは三人を見ている。


だが敵意がない。


唸り声もない。


むしろ、“なんだ人が来たのか”くらいの空気ですらある。


岩場では数匹が完全に寝そべり、白い湯気の中で気持ちよさそうに目を細めていた。


ダンは頭を抱える。


「俺の知ってるヘルウルフじゃねぇ……」


するとミナが静かに頷く。


「温泉入ると落ち着く」


「そんな簡単な話か?」


「グーちゃんも好き」


「だから名前が軽いんだよ」


ダンが思わずツッコむ。


その横で、グーちゃんは巨大な身体を半分温泉へ沈めながら眠そうに欠伸をしていた。


完全にくつろいでいる。


もはや災害級魔物というより巨大なモフモフだった。


ユウが苦笑しながら肩を竦める。


「よかったら入る?」


「いや……」


ダンは温泉を見る。


白い湯気。


穏やかな水音。


そして気持ちよさそうに浸かるヘルウルフたち。


……正直、かなり気になる。


迷いの森を抜けるまで神経を張り詰め続けていたせいで、身体も重かった。


しかもこの場所へ来てから妙に気が抜ける。


リーフェが静かに目を細める。


「魔力の流れはかなり安定してるわ。少なくとも危険な感じはしない」


「ほんとか?」


「ええ。むしろ落ち着く」


カヤがちらりと温泉を見る。


「……入りたい」


「お前なぁ」


「疲れたんだもん」






数十分後。


「…………っはぁ」


ダンの口から、完全に力の抜けた声が漏れていた。


温泉へ肩まで浸かった瞬間、身体中の疲労が一気に溶けていったのだ。


熱すぎない絶妙な湯加減。


筋肉の奥まで広がる温かさ。


張り詰めていた神経が静かにほどけ、呼吸すら楽になっていく。


しかも不思議なくらい安心感がある。


「なんだこれ……」


ダンは呆然と呟く。


隣ではカヤが完全に蕩けていた。


「しあわせ……」


猫耳はぺたんと寝ており、尻尾だけが湯の中でゆらゆら揺れている。


かなり駄目になっていた。


リーフェも岩へ背中を預けながら静かに目を閉じている。


濡れた金髪が肩へ張り付き、豊満な身体を包む白い湯気が柔らかく揺れていた。


普段は冷静な彼女にしては珍しく、かなり気が抜けている。


「……出たくないわね、これ」


「分かる」


ミナが即答する。


銀髪を濡らしながら耳をぴくぴく動かし、完全にリラックスしていた。


ユウはそんな様子を見ながら少し笑う。


「みんな疲れてたんだね」


「そりゃ還らずの谷なんか来れば疲れるだろ……」


ダンが呻く。


だが本当に妙だった。


身体だけじゃない。


頭まで軽くなる。


温泉へ浸かっていると、警戒心や苛立ちすら静かに薄れていく。


だからこそ。


少し離れた場所で温泉へ浸かっているヘルウルフたちを見ても、不思議と恐怖が続かなかった。


グーちゃんに至っては完全に寝ていた。


「……災害級魔物が温泉で寝るとか誰が信じるんだよ」


ダンが呆れたように呟く。


その後。


風呂上がりの建物には、香ばしい匂いが広がっていた。


炭火で焼かれた川魚。


湯気を立てるスープ。


森で採れた山菜と木の実を使った簡単な料理。


豪華ではない。


だが匂いが違う。


温泉へ入った後だからなのか、異常なくらい食欲を刺激される。


「……やばい」


カヤの猫耳がぴんと立つ。


ユウは苦笑しながら木皿を並べた。


「そんな大したものじゃないよ」


「いや絶対うまいやつ」


「分かる」


ミナが真顔で頷く。


完全に常連側だった。


「いただきます」


最初に魚へ齧りついたのはカヤだった。


そして次の瞬間。


「……おいしい」


真顔で呟く。


外は香ばしく、中は驚くほど柔らかい。


川魚特有の臭みもなく、脂の旨味だけが広がっていく。


ダンも魚を食べ、無言になる。


「……うまいな」


スープも異常だった。


身体へ入った瞬間、疲労がさらに抜けていく感覚がある。


温かい。


優しい。


そして妙に安心する味だった。


リーフェが静かに息を吐く。


「……水ね」


「え?」


「この料理、水が違う」


ユウは少し驚いたように目を瞬かせる。


「分かる?」


「ええ。この温泉、周囲の水質そのものへ影響を与えてる」


だから料理も変わる。


味が柔らかい。


身体へ自然に染み込む。


その時。


グゥゥゥゥ……。


建物の外から低い腹の音が響いた。


全員の視線が入口へ向く。


そこには、巨大な身体を縮めるようにして建物を覗き込むグーちゃんの姿があった。


数秒の沈黙。


そしてミナがぽつりと呟く。


「グーちゃん、お腹すいた」


「分かってた」


ユウは苦笑しながら焼き魚を追加で取り出す。


グーちゃんは差し出された魚を巨大な口で器用に咥え、そのまま満足そうに咀嚼し始めた。


完全に馴染んでいる。


ダンは頭を抱える。


「災害級魔物に魚やってる光景、一生忘れられねぇ……」


カヤは逆に少し楽しそうだった。


「大きい犬みたい」


「犬で済ませるな」


そんなやり取りの中、ユウが少し困ったように笑う。


「そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったね」


「あー……確かに」


ダンが頷く。


ここへ来てから情報量が多すぎて忘れていた。


ユウは静かに頭を下げた。


「俺はユウ。元冒険者」


その言葉に、ダンたちが少し反応する。


ユウは苦笑した。


「戦闘向きじゃなくてさ。パーティー追放されて、そのままここへ流れてきた感じ」


「……その温泉を整える力、スキルか?」


ダンが聞く。


「うん。【水質変化】」


「水系統……?」


「水を整えるだけ。戦えないよ」


その言葉にダンは少し黙る。


冒険者なら意味が分かる。


戦闘中心の世界では、補助系スキルは軽視されやすい。


だが。


ダンは温泉を見る。


ヘルウルフたち。


穏やかな空気。


身体の軽さ。


全部、目の前の青年が整えている。


「……十分すごいだろ」


その言葉に、ユウは少し驚いたように目を瞬かせた。


ミナが静かに頷く。


「ユウの力、好き」


「……ありがと」


ユウは少し照れくさそうに笑った。


その後、ダンが自分を指差す。


「俺はダン。戦士だ」


「リーフェよ。魔法使い」


「カヤ! 斥候とか盗賊担当!」


カヤは元気よく手を挙げる。


猫耳までぴこぴこ動いていた。


「三人でパーティー組んでるんだ」


「へぇ」


ユウは少し感心したように頷く。


三人の空気は自然だった。


長く組んでいるのだろう。


白い湯気が夜空へ溶けていく。


還らずの谷。


誰も近づかなかった危険地帯。


その奥では今、穏やかな食事と静かな笑い声が流れていた。

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