11 新たな来訪者
還らずの谷へ、今日も穏やかな朝が訪れていた。
源泉から流れる湯は静かな水音を響かせ、白い湯気が朝霧と混ざりながら空へ溶けていく。
温泉の周囲ではヘルウルフたちが思い思いにくつろいでおり、グーちゃんに至っては岩場を枕代わりにして完全に寝ていた。
もはや誰もツッコまなくなっている。
ダンたち三人も、昨日までは警戒していたはずなのに、今では普通にその光景を受け入れ始めていた。
「慣れって怖ぇな……」
ダンがぼそりと呟く。
その隣でカヤはヘルウルフの背中へもたれ掛かりながら魚を食べていた。
「モフモフ気持ちいい」
「お前順応早すぎるだろ」
「ダンも昨日グーちゃん見て『でか……』って撫でようとしてた」
「してねぇよ!」
そんな騒がしいやり取りを聞きながら、ユウは水路の確認をしていた。
最近は湯の流れもかなり安定してきている。
廃屋の修理も進み、少しずつ“住める場所”らしくなっていた。
だが。
「……やっぱり限界あるな」
ユウは崩れかけた壁を見る。
素人修理ではどうしても粗い。
水路ももっと効率良く整えられるはずだ。
するとその時だった。
ミナの耳がぴくりと動く。
「……来る」
銀色の瞳が森の奥へ向く。
その瞬間、ダンたちも表情を引き締めた。
また魔物か。
だが次に聞こえてきたのは、魔物の唸り声ではなかった。
ガチャ、ガチャ……。
金属音。
さらに。
「ぬおおおおおおっ!? なんじゃこの森はぁぁ!!」
盛大な叫び声が響く。
全員が一斉に森を見る。
数秒後。
木々をかき分けながら、小柄な影が飛び出してきた。
「やっと抜けたわぁ!!」
地面へ膝をつきながら荒く息を吐くその人物は、立派な髭を生やしたドワーフだった。
身長は低い。
だが身体は岩のように分厚く、腕は丸太のように太い。
背中には大量の工具と巨大な槌まで背負っている。
「……ドワーフ?」
ユウが目を瞬かせる。
ドワーフ――鍛冶や建築を得意とする種族だ。
職人気質で有名だが、こんな危険地帯へ来る種族ではない。
ドワーフは荒く息を吐きながら周囲を見回す。
「なんじゃここ……湯気?」
そして次の瞬間。
視界へ飛び込んできた巨大なヘルウルフの群れを見て、完全に固まった。
「…………は?」
グーちゃんがのそりと顔を上げる。
黄金色の瞳がドワーフを見る。
その瞬間。
「ぎゃあああああああ!!」
ドワーフは凄まじい勢いで後ろへ飛び退いた。
「グレートヘルウルフぅぅぅ!?」
ダンが思わず耳を押さえる。
声が大きい。
ドワーフは顔面蒼白になりながら震えていた。
当然だ。
普通なら絶望する状況である。
だが。
「大丈夫」
ミナが真顔で言う。
「グーちゃん、優しい」
「どこがじゃぁ!!」
ドワーフが全力でツッコむ。
するとグーちゃんは面倒そうに欠伸をし、そのまま再び温泉へ顎を乗せた。
完全にやる気がない。
ドワーフは呆然とその光景を見る。
「……なんじゃこれ」
「俺たちも最初そうだった」
ダンが遠い目で頷く。
ユウは苦笑しながらドワーフへ近づいた。
「えっと……大丈夫?」
「大丈夫に見えるか!?」
即答だった。
かなり元気である。
ユウは少し安心しながら尋ねる。
「どうしてこんな場所に?」
ドワーフはようやく息を整えながら立ち上がる。
「ワシはドグラン。旅の職人じゃ」
そう言って胸を張る。
「珍しい鉱石探しとったら、森で迷った」
「迷いの森だしね……」
ユウが苦笑する。
ドグランは再び周囲を見回した。
温泉。
水路。
修理途中の建物。
そして巨大なヘルウルフたち。
しばらく無言だったが、やがてその目が細くなる。
「……ほぉ」
今度は職人の目だった。
ドグランは建物へ近づき、柱や壁をじっと確認し始める。
「古いが骨組みは悪くない……水路も面白い構造しとる」
さらに源泉の流れを見る。
その目が少し驚いたように見開かれた。
「……誰じゃ、これ整えたんは」
「俺だけど」
ユウが答えると、ドグランはまじまじとユウを見る。
「お主、職人か?」
「いや、元冒険者」
「冒険者ぁ?」
信じられないと言いたげだった。
ドグランは再び水路を見る。
流れは綺麗に整えられている。
しかも温泉全体の巡りまで計算されていた。
素人仕事ではない。
「……変な若造じゃの」
「よく言われる」
するとその時。
グゥゥゥゥ……。
ドグランの腹が盛大に鳴った。
静まり返る空気。
ドグランは気まずそうに髭を撫でる。
「……腹減った」
その瞬間、カヤが吹き出した。
ユウも苦笑しながら頷く。
「ちょうどご飯作るところだったし、食べる?」
ドグランは一瞬警戒したようにグーちゃんを見る。
だが。
建物から漂う香ばしい匂いに、腹の虫が再び鳴いた。
「……食う」
即答だった。
還らずの谷。
誰も近づかなかった危険地帯。
その奥へまた一人、新しい来訪者が現れる。
しかも今度は――職人だった。




