フェルザードの静かな力
やわらぎの谷。
空気は、張り詰めたままだった。
王。
魔王。
強硬派。
襲撃者。
全員が同じ場所に居る。
普通なら、戦争寸前である。
だが。
まだ誰も動いていない。
温泉の魔力が、辛うじて均衡を保っていた。
その時だった。
グラディウスが静かに口を開く。
「陛下」
その声は冷たい。
「この場所は,あまりにも脆い」
周囲の騎士団員たちも緊張している。
武器へ手を掛ける者まで居た。
反対側。
魔族側も同じだ。
バルグレアの後方では、魔族兵たちが魔力を高め始めている。
一触即発。
その瞬間。
グーちゃんが低く唸った。
グルルル……。
ヘルウルフ群れまで警戒態勢へ入る。
空気が重い。
ミナが、静かにユウの前へ出た。
「……危ない」
だが。
ユウは首を横へ振る。
「まだ、止まれる」
そう言った瞬間だった。
――ゴォォォォォォォ!!
空が震えた。
全員が反射的に見上げる。
黒い影。
巨大。
圧倒的。
雲を裂きながら、何かが降下してくる。
「……来たか」
ゼルヴァディスが小さく呟く。
次の瞬間。
ドゴォォォォン!!
谷外れへ、巨大な存在が降り立った。
地面が揺れる。
温泉の湯面が震える。
観光客たちが悲鳴を上げた。
「竜ぅぅぅ!?」
完全顕現したフェルザードだった。
黒い鱗。
黄金の瞳。
山みたいな巨体。
谷そのものを覆うような圧迫感。
今まで見せていた“人型寄り”ではない。
完全に古竜。
それだけで、空気が変わった。
騎士団が青ざめる。
魔族兵まで固まった。
本能が理解していた。
“格が違う”。
その時。
フェルザードが、ゆっくり周囲を見回す。
黄金の瞳が、一人ずつを射抜く。
グラディウス。
バルグレア。
襲撃者たち。
そして――。
谷へ武器を向けようとしている全員へ。
『……騒がしい』
低い声だった。
だが。
空気そのものが震えた。
ビリビリと大気が軋む。
何人か膝をつく。
騎士団員たちが顔を青くした。
「な、なんだこの威圧……!」
魔族兵まで息を呑んでいる。
古竜級。
いや、それ以上。
フェルザードは、静かに続けた。
『ここは休む場所だ』
『吠えるなら外でやれ』
その瞬間。
ドォォォォン!!
凄まじい魔力圧が解放された。
空が震える。
地面が軋む。
だが。
破壊ではない。
“押さえつけている”。
暴れようとする殺気だけを。
グラディウスが歯を食いしばる。
「……っ!」
バルグレアも顔を強張らせた。
二人とも理解した。
もしこの竜が本気で暴れれば。
この場の軍勢など、一瞬で消し飛ぶ。
だが。
フェルザードは攻撃しない。
ただ。
威圧だけで止めている。
それが逆に恐ろしかった。
その時。
ユウが、小さく息を吐く。
「……助かった」
フェルザードの黄金の瞳が向く。
『勘違いするな』
『我は眠りを邪魔されたくないだけだ』
完全に照れ隠しだった。
ミナが小さく呟く。
「……優しい」
『聞こえているぞ銀狼娘』
だが。
否定はしなかった。
その時。
谷全域の温泉が、さらに強く発光する。
ブゥゥゥゥン!
暖かな光が広がる。
そして。
地下遺跡最深部。
巨大な古代術式が、静かに反応する。
『超位存在による抑止確認』
『防衛領域、安定』
ユウだけが、その声を聞いていた。
そして彼は気づく。
“やわらぎの谷”は、ただ守られているだけじゃない。
この場所に集まった皆が……。
少しずつ、“戦わない選択”を始めているのだと。




