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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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戦わない選択

夜。


やわらぎの谷。


昼間の賑わいが嘘みたいに静かだった。


露店街の灯りだけが、柔らかく揺れている。


だが。


その空気の奥には、確かに敵意があった。


「……いるな」


ダンが低く呟く。


谷外周。


森の気配が不自然だった。


ヘルウルフたちも警戒している。


グーちゃんは、ずっと低く唸ったままだ。


「数、多い」


ミナが静かに耳を動かす。


ユウも感じていた。


潜伏している。


しかも。


一組ではない。


王国側。


魔族側。


さらに、それ以外の怪しい気配まで混ざっていた。


完全に“谷を壊したい者たち”だ。


その時。


エルメリアが地下遺跡から走ってくる。


「来ます!」


「どっちだ!?」


「両方です!」


最悪だった。




谷外周。


黒装束の男たちが、静かに武器を抜く。


目的は単純。


混乱を起こすこと。


人族側と魔族側を衝突させればいい。


“共存”など不可能だと証明できれば、それで十分だった。


「合図と同時に火を放て」


低い声が響く。


その時。


別方向の森でも、別の集団が動いていた。


こちらは魔族側の過激派。


「人族側が先に攻撃したように見せる」


完全に潰し合い狙いだった。




その頃。


谷中央。


ユウたちは集まっていた。


ダンが剣へ手を掛ける。


「どうする」


短い言葉だった。


戦うなら、もう動くべきだ。


相手は武装している。


しかも複数。


だが。


ユウは、静かに谷を見渡した。


温泉。


露店街。


眠っている客たち。


笑い声が残る場所。


そして。


過去勇者が残した思想。


“戦わない場所”。


その時。


地下から、静かな声が響く。


『継承者へ確認』


『防衛行動を選択しますか?』


ユウは目を閉じる。


もし選べば。


地下施設は動くだろう。


敵を排除する力も、きっとある。


でも……。


それでは意味がない。


ユウは、ゆっくり首を横へ振った。


「……戦わない」


空気が止まる。


ダンが目を見開く。


「正気か?」


「相手は武装してるぞ」


「分かってる」


ユウは静かに頷く。


怖くない訳じゃない。


でも。


ここで力で押さえ込めば、“戦わない場所”は終わる。


その時。


ミナが、静かにユウの隣へ立った。


「……一緒」


グーちゃんも前へ出る。


ふんす、と低く鼻を鳴らした。


さらに。


ヘルウルフ群れが、谷全域へ散っていく。


だが。


牙を剥いていない。


“警戒”だけだ。


その時。


ユウは静かに言った。


「迎えに行こう」


「……は?」


ダンが固まる。


「敵を?」


「客として」


空気が止まる。


数秒後。


カヤが頭を抱えた。


「いや待って意味分かんない!!」


だが。


ユウは本気だった。




数十分後。


谷外周。


潜伏していた黒装束集団が、違和感に気づく。


「……なんだ?」


遠くから灯りが近づいてくる。


しかも。


武装していない。


先頭を歩いていたのは、ユウだった。


後ろにはミナ。


グーちゃん。


さらに。


大量のヘルウルフ。


普通なら恐怖で逃げる光景。


だが。


ユウは静かに声を掛けた。


「冷えるだろ」


全員が固まる。


「温泉、入っていくか?」


空気が止まった。


黒装束たちの思考が停止する。


「……は?」


「飯もある」


「待て」


「争いに来たんじゃないのか!?」


当然の反応だった。


だが。


ユウは静かに答える。


「ここ、“戦わない場所”だから」


その瞬間。


ブゥゥゥン……。


谷全域の温泉が、淡く青白く光る。


暖かな風が吹いた。


張り詰めていた殺気が、ほんの少しだけ揺らぐ。


地下遺跡最深部。


巨大な古代術式が静かに反応する。


『継承者選択確認』


『非武力解決経路、開放』


そして。


“やわらぎの谷”の本当の試練が、今始まろうとしていた。

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