不穏な動き
やわらぎの谷。
表面上は、まだ平和だった。
露店街は賑わっている。
温泉へは客が入り続けている。
祭りの余韻すら残っていた。
だが。
空気の奥には、確かに緊張があった。
王国軍強硬派。
魔族軍強硬派。
両方が動き始めている。
そして今――。
“谷を壊したい者たち”まで現れ始めていた。
夜。
王都外れ。
地下会議室。
薄暗い部屋へ、数人の男たちが集まっていた。
貴族。
武器商人。
旧軍関係者。
顔ぶれは最悪だった。
その中央。
グラディウス侯爵が静かに立っている。
「確認する」
低い声だった。
「“やわらぎの谷”の存在は、国家均衡を崩す危険がある」
誰も反論しない。
むしろ頷いていた。
「人族と魔族の境界を曖昧にし」
「軍事的緊張を弱め」
「戦力意識を鈍らせる」
グラディウスの眼は冷たい。
「戦争が無くなれば平和になると思っている者もいる」
「だが現実は違う」
空気が重くなる。
「力を失えば、いずれ侵略される」
それが彼の信念だった。
だからこそ。
“戦わない場所”という思想が許せない。
その時。
武器商人の男が小声で聞く。
「……どう動くおつもりで?」
グラディウスは静かに答えた。
「破綻させる」
空気が止まる。
「谷内部で衝突を起こす」
「共存が不可能であると証明する」
その瞬間。
部屋の空気がさらに冷えた。
同時刻。
魔族領側。
黒い軍用拠点。
バルグレアもまた、部下たちへ指示を出していた。
「谷の監視を強化しろ」
「人族側が動けば即報告だ」
だが。
部下の一人が恐る恐る聞く。
「もし、人族側が先に攻撃した場合は……?」
バルグレアは沈黙する。
数秒後。
「……魔族を守る」
短い言葉だった。
つまり。
場合によっては戦う。
こちらも完全には止まれない。
その頃。
やわらぎの谷。
夜の露天風呂。
静かな湯気が漂っていた。
ユウは、ぼんやり空を見上げている。
最近。
地下施設の声が増えていた。
まるで。
何かを警戒しているみたいに。
その時。
ミナが隣へ座る。
「……眠れない?」
「少しな」
ユウは苦笑する。
谷は平和だ。
でも。
外の世界は違う。
“戦わない場所”は、簡単には受け入れられない。
その時だった。
ブゥゥゥン……。
地下方向から、低い振動が響く。
ユウの脳裏へ、静かな声が流れ込む。
『敵意観測』
ユウの表情が変わる。
さらに。
『谷内部への侵入計画を確認』
空気が止まる。
ミナがすぐ顔を上げた。
「……来る?」
ユウは静かに頷く。
地下施設が、明確に警告している。
誰かが。
“やわらぎの谷”を壊そうとしている。
その瞬間。
谷全域の温泉が、淡く青白く発光した。
まるで。
谷そのものが、警戒を始めたみたいだった。
翌朝。
露店街。
「おはよーございまーす!」
カヤはいつも通り元気だった。
観光客も多い。
グーちゃんも温泉まんじゅうを食べている。
平和そのもの。
だが。
ユウは気づいていた。
見慣れない視線。
妙に周囲を観察している旅人たち。
武器を隠している気配。
さらに。
グーちゃんまで低く唸っている。
「……やっぱりいるな」
ダンも気づいたらしい。
空気が変わっていた。
そして。
谷の外れ。
森の奥。
黒装束の集団が、静かに潜伏していた。
その中心の男が、小さく呟く。
「作戦開始は今夜だ」
冷たい声だった。
「“共存の谷”を壊せ」
その瞬間。
地下遺跡最深部。
巨大な古代術式が、ゆっくり起動を始める。
『――防衛領域、限定解放』
『――継承者へ警告』
そしてユウは理解する。
“やわらぎの谷”は、初めて本当の敵を迎えようとしているのだと。




