48 温泉に入ろう
“やわらぎの湯”の食堂には、妙に重い空気が残っていた。
先程まで、王国騎士団長ガルディアスと魔王軍四天王バルグレイが睨み合っていたせいだ。
現在は一応落ち着いている。
落ち着いてはいるのだが。
「…………」
「…………」
まだ若干、目が怖い。
グーちゃんが二人の間へ寝転がっていなければ、再び始まりそうだった。
ダンが遠い目で呟く。
「胃が死ぬ……」
その隣でカヤはパンを頬張っている。
「でもグーちゃんが何とかしてる!」
「一匹に負担掛かりすぎなんだよ」
その時だった。
ユウが周囲を見回しながら、ぽつりと言った。
「……とりあえず、まず温泉入ろうか」
空気が止まる。
「…………は?」
ガルディアスが固まる。
バルグレイも眉をひそめた。
エルグランとゼルヴァディスでさえ、一瞬黙った。
ダンが頭を抱える。
「お前、その状況でよく“まず温泉”って言えるな!?」
だがユウは割と真面目だった。
「いや、疲れてる時って、とりあえず温泉入ると落ち着くし」
「理屈は分かるけど相手が王と魔王なんだよ!」
しかし。
その時。
エルグランが小さく息を吐いた。
「……確かに」
「乗るの!?」
ダンが叫ぶ。
王は苦笑した。
「正直、ここへ来るまでかなり疲れた」
迷いの森。
護衛対応。
極秘移動。
神経を張り続けていたのは事実だった。
ゼルヴァディスも静かに目を閉じる。
「私も長距離移動の後だ」
「魔王まで納得した……」
リーフェが額を押さえる。
だが。
“やわらぎの湯”へ来た者たちは、皆同じ結論へ辿り着く。
温泉へ入ると、細かいことがどうでもよくなってくるのだ。
◇
数十分後。
露天風呂。
白い湯気が朝空へ揺れている。
そして現在。
王。
魔王。
騎士団長。
四天王。
全員が同じ湯へ浸かっていた。
意味が分からない。
宿泊客たちは、もはや現実感を失っている。
「夢かな……」
若い冒険者が遠い目で呟く。
「分かる」
隣の冒険者も頷いた。
その時。
ざぷん。
ガルディアスが湯へ肩まで沈みながら、小さく息を吐く。
「…………」
数秒後。
「……これは」
声が変わった。
身体の芯に溜まっていた疲労が、ゆっくり溶けていく。
長年、騎士として戦い続けてきた。
常に気を張り。
王を守り。
剣を握り続けてきた。
その蓄積した疲れが、湯へ溶けていくようだった。
一方。
反対側では。
「…………ふぅ」
バルグレイも完全に沈んでいた。
顔が緩んでいる。
武闘派四天王、陥落である。
ダンが吹き出す。
「お前ら効きすぎだろ」
「黙れ」
二人同時だった。
息ぴったりである。
空気が少し静かになる。
そして。
数秒後。
カヤが耐え切れず笑い出した。
「今ちょっと仲良かった!」
「良くない!!」
ガルディアスが即否定する。
だが、その声には先程ほどの殺気は無かった。
温泉の効果だった。
張り詰めていた神経が、少しずつ緩んでいる。
その時。
ざぷん。
グーちゃんが、当然のように湯へ入ってくる。
巨大な身体が湯気の向こうへ沈む。
そして。
どすん。
またしても、ガルディアスとバルグレイの間へ座った。
「…………」
「…………」
完全に定位置だった。
ミナが静かに頷く。
「監視中」
「見張り役なんだよなぁ……」
ダンが遠い目になる。
その時だった。
ゼルヴァディスが静かに湯へ手を浸しながら呟く。
「……不思議な場所だ」
エルグランも頷く。
「争う気が、長続きせん」
それは、この場の全員が感じていた。
完全に敵意が消えるわけではない。
だが。
“今すぐ戦わなければならない”という感覚が、薄れていく。
だから。
同じ湯へ浸かれてしまう。
同じ空間で、息を吐けてしまう。
リーフェは静かに湯気を見る。
やはりこの谷は異常だ。
魔力循環。
精神安定。
感情の鎮静。
その全てが、“争い”そのものを和らげている。
その時。
ぐぅぅぅ……。
低い腹の音が響いた。
空気が止まる。
音源。
バルグレイ。
「…………」
「…………」
数秒後。
カヤが爆笑した。
「お腹空くの早い!」
「温泉入ると腹減る」
ミナが真顔で補足する。
「普通の情報みたいに言うな」
ダンがツッコむ。
だが。
その瞬間。
露天風呂全体へ、小さな笑いが広がっていた。
王も。
魔王も。
騎士も。
魔族も。
人間も。
魔物も。
皆、同じ湯気の中で笑っている。
ユウはその光景を見ながら、小さく息を吐いた。
最初はただ、静かに暮らしたかっただけだった。
なのに今。
この谷では、世界でも有り得ない光景が広がっている。
でも。
悪くなかった。
白い湯気が空へ静かに昇っていく。
還らずの谷。
争いの外側にある場所。
その奥で今、“まず温泉”が世界を止め始めていた。




