47 一触即発
“やわらぎの湯”の食堂には、異様な緊張感が漂っていた。
白い湯気。
焼きたてのパンの香り。
温かな朝食。
本来なら穏やかな朝の光景。
だが現在。
中央の席には、人族の王――エルグラン・ヴァルディス。
その向かいには、魔王ゼルヴァディス。
世界規模で危険な存在が、普通に同じテーブルへ座っていた。
意味が分からない。
宿泊客たちは完全に硬直している。
王国騎士たちは壁際で厳しい視線を向け、魔王側も静かに周囲を観察していた。
特に問題だったのは。
双方とも、“護衛が強すぎる”ことだった。
王国騎士団長ガルディアス。
そして魔王軍四天王バルグレイ。
両者が、今まさに同じ空間へ居る。
しかも。
互いにめちゃくちゃ睨んでいた。
「…………」
「…………」
空気が痛い。
ダンが頭を抱える。
「胃が痛ぇ……」
カヤは逆にちょっとワクワクしていた。
「すごい! なんか歴史の教科書みたい!」
「ならねぇ方がいいタイプの歴史だよ!」
その時だった。
ガルディアスが低い声で言う。
「……本当に信用してよろしいのですか、陛下」
視線はゼルヴァディスへ向いている。
鋭い殺気。
空気が張る。
バルグレイも即座に目を細めた。
「それはこちらの台詞だ、人族」
低い声が響く。
周囲の温度が、一瞬で下がった気がした。
宿泊客たちが青ざめる。
「や、やばくない?」
「戦争始まる?」
リーフェも静かに目を細めた。
まずい。
ここは確かに“争いが和らぐ場所”だ。
だが完全に敵意を消せるわけではない。
王国と魔王軍。
長年戦い続けてきた相手同士なのだ。
その緊張は根深い。
そして。
ガルディアスの手が、ゆっくり剣へ伸びた。
同時。
バルグレイも立ち上がる。
床板が軋む。
「……やるか?」
「望むところだ」
空気が爆ぜた。
宿泊客たちが悲鳴を上げる。
騎士団も武器へ手を掛ける。
ヘルウルフたちが一斉に顔を上げた。
完全に一触即発だった。
その瞬間。
――ざぷん。
妙に気の抜ける水音が響く。
全員の動きが止まる。
露天風呂側。
そこから、のそり、と巨大な影が現れた。
グーちゃんだった。
湯気を纏った巨大なグレートヘルウルフが、ゆっくり食堂へ入ってくる。
そして。
ずん。
ガルディアスとバルグレイの“ど真ん中”へ座った。
「…………」
「…………」
空気が止まる。
グーちゃんは、二人を順番に見る。
それから。
ふすぅ……。
深いため息みたいに鼻を鳴らした。
「…………」
「…………」
妙に“やめろ”感が強かった。
カヤが小声で言う。
「仲裁してる……」
「二回目だぞこれ」
ダンが遠い目になる。
その時。
グーちゃんが、ぐい、と巨大な頭をバルグレイへ押し付けた。
「ぬおっ」
続けて反対側へ向き、ガルディアスへも頭突きをする。
「ぐっ」
両者とも、体勢を崩した。
そして。
グーちゃんはそのまま、二人の間へ寝転がった。
完全封鎖だった。
「…………」
数秒後。
カヤが耐え切れず吹き出す。
「間入ってる!!」
食堂へ笑いが漏れ始める。
緊張が崩れる。
ガルディアスも。
バルグレイも。
しばらく無言だった。
やがて。
「……ふん」
「……くだらん」
互いに座り直す。
だが、その空気からは先程までの殺気が少し抜けていた。
その様子を見ながら、ゼルヴァディスが小さく息を吐く。
「賢い狼だ」
エルグランも苦笑した。
「下手な外交官より優秀かもしれんな」
「待って、グーちゃん外交担当になった」
カヤが笑う。
ミナは真顔で頷いた。
「向いてる」
「向いてるのか……?」
ダンが頭を抱える。
だが。
空気は確かに変わっていた。
ほんの少しだけ。
人族と魔族の間にあった鋭い緊張が、和らいでいる。
その時。
レインが静かに皿を置いた。
「……冷める」
短い一言。
だが妙に説得力があった。
全員が料理を見る。
焼きたてのパン。
温かなスープ。
香草焼きの魚。
湯気が静かに立ち上っている。
そして不思議と。
今は“戦うより食べたい”空気になっていた。
エルグランが小さく息を吐く。
「……そうだな」
ゼルヴァディスも静かに頷いた。
「まずは食事にしよう」
結果。
数分後。
王国騎士団長と魔王軍四天王が、グーちゃんを挟んで朝食を食べていた。
意味が分からない。
宿泊客たちは、もはやツッコむ気力も失っていた。
白い湯気が朝空へ静かに昇っていく。
還らずの谷。
争いの外側にある場所。
その奥では今、“戦うより飯が優先される空気”が静かに広がっていた。




