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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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41 四天王ヴァルト潜入

還らずの谷の朝は、今日も穏やかだった。


白い湯気が谷全体を包み、水路を流れる温泉の音が静かに響いている。


“やわらぎの湯”では、朝食の準備が始まっていた。


厨房から漂う焼きたてパンの香り。


レインが仕込むスープの匂い。


客たちも少しずつ起き始め、宿全体へゆったりした空気が流れている。


その頃。


迷いの森の奥では。


「……本当に一人で行くんですの?」


セレディアが呆れたようにため息を吐いていた。


その前では、ヴァルトがぼんやりした顔で頷く。


「潜入」


「温泉入りたいだけでしょう?」


「否定はしない」


即答だった。


セレディアは額を押さえる。


本来、“四天王潜入”など重大任務である。


もっと緊張感が必要だ。


だがヴァルトは完全に眠そうだった。


「まぁ……確かに、いきなり二人で行くと警戒されそうですけれど」


「ん」


「絶対問題起こさないでくださいましよ?」


ヴァルトは少し考えた後。


「多分」


「その返事が一番不安ですのよ」



数十分後。


“やわらぎの湯”。


朝食準備で少し慌ただしい食堂へ、カヤの声が響いていた。


「パン焼けたー!」


「運ぶ時走るな!」


ダンが即ツッコむ。


いつもの朝だった。


その時。


ミナの耳がぴくりと動く。


「……来る」


ユウが顔を上げる。


「お客さん?」


「一人」


ミナは静かに森を見る。


「眠そう」


「情報そこなんだ」


ダンが苦笑した。


やがて。


ガサ、と茂みが揺れる。


森の奥から現れたのは――。


小柄な少年だった。


淡い灰銀色の髪。


眠たそうな瞳。


旅装は簡素だが、妙に質が良い。


そして何より。


「…………」


歩き方に隙が無い。


リーフェが静かに目を細めた。


かなり強い。


それも異常なほど。


だが。


少年は宿を見た瞬間。


「……温泉」


ぽつりと呟いた。


目が少し輝いていた。


緊張感が消える。


「なんか思ったより普通だな……?」


ダンが戸惑う。


少年――ヴァルトは、ぼんやりした顔のまま宿を見上げる。


白い湯気。


木造の建物。


流れる温泉。


そして。


露天風呂で寝ているグーちゃん。


「……大きい」


グーちゃんがゆっくり片目を開ける。


黄金色の瞳と、ヴァルトの眠そうな視線がぶつかった。


空気が少し静かになる。


客たちが緊張した。


だが。


ヴァルトは。


「もふもふ」


第一声がそれだった。


「そこ!?」


ダンが思わずツッコむ。


グーちゃんも若干困惑していた。


するとヴァルトは、ぺこりと頭を下げる。


「……入っていい?」


完全に温泉目当てだった。


ユウは少し瞬きをした後、穏やかに笑う。


「もちろん。いらっしゃい、“やわらぎの湯”へ」



数十分後。


ヴァルトは露天風呂へ浸かっていた。


「…………」


無言。


完全停止。


湯気の中で、半分溶けている。


「大丈夫かあいつ」


ダンが不安そうに見る。


「死んでない?」


カヤまで心配し始めた。


だが次の瞬間。


「……はぁ」


ヴァルトが、深く息を吐いた。


その顔から、完全に力が抜けている。


「生き返った顔してる」


「むしろ今まで死んでたんじゃない?」


カヤが真顔で言う。


実際。


ヴァルトは普段、魔王軍四天王として働いている。


前線管理。


強力魔物の制御。


戦場監視。


魔族領でも上位存在ほど休めない。


だからこそ。


この温泉の“力を抜いていい空気”は、異常なほど刺さっていた。


その時。


ざぶん。


隣へグーちゃんが入ってくる。


巨大な身体が湯へ沈む。


ヴァルトはちらりと見る。


「……大きい」


グーちゃんは静かに鼻を鳴らした。


そして。


ぽふ。


巨大な尻尾が、ヴァルトの肩へ軽く乗る。


沈黙。


「え」


カヤが固まる。


「懐かれてる?」


ミナが静かに頷いた。


「グーちゃん、眠そうな人好き」


「基準ゆるいな!?」


ダンがツッコむ。


だがヴァルト本人は。


「……あったかい」


尻尾を抱えていた。


完全に気に入っている。



その日の昼。


食堂。


ヴァルトはレインの料理を無言で食べていた。


焼き魚。


温泉スープ。


焼きたてパン。


そして。


「……美味しい」


ぽつり。


小さいが、確かな声だった。


レインが少しだけ目を瞬かせる。


ヴァルトは続ける。


「久しぶりに、ゆっくり食べた」


その言葉に、食堂が少し静かになる。


普段、彼もまた戦い続けているのだ。


魔族も。


人族も。


結局、疲れている。


その時。


「おかわりあるよ!」


カヤが元気よくパン籠を差し出した。


ヴァルトは数秒見つめた後。


「……ください」


素直だった。


「なんか普通に馴染んでない?」


ダンが遠い目をする。


その頃。


森の奥。


木陰から様子を見守っていたセレディアは、小さく笑っていた。


「……本当に、“争う空気”がありませんのね」


白い湯気が昼空へ静かに昇っていく。


還らずの谷。


その奥では今。


魔王軍四天王の一人が、災害級魔物の尻尾を抱えながら温泉へ浸かっていた。

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