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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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40 魔王軍四天王動く

魔族領――黒城。


重厚な石造りの廊下には静かな緊張感が漂っていた。


巨大な窓の外では、黒い雲が山脈を覆い、遠くで雷鳴が鳴っている。


その最上階。


魔王ゼルヴァディスの執務室では、一枚の報告書が静かに机へ置かれていた。


「……王自ら赴いたか」


低い声が響く。


報告書には、アルディオン王国国王エルグランが極秘裏に“やわらぎの湯”を訪れていた情報が記されていた。


当然、表向きには極秘。


だが。


魔族側の情報網は、それを既に掴んでいる。


ゼルヴァディスは静かに書類を閉じた。


「人族の王が、自ら危険地帯へ向かうとはな」


その声に、部屋の空気がわずかに動く。


ソファへ腰掛けていたセレディアが、楽しそうに笑った。


「ますます面白い場所ですこと」


長い銀紫色の髪を揺らしながら、妖艶に脚を組み替える。


「しかも報告によれば、“王が酔って笑っていた”とか」


「……信じ難いな」


重低音が響く。


武闘派四天王バルグレイだった。


巨大な腕を組み、険しい顔をしている。


「人族の王がそこまで気を抜くなど、普通なら有り得ん」


「だから気になるんですのよ」


セレディアが微笑む。


「“やわらぎの湯”だけは、常識から外れてますもの」


その時だった。


部屋の隅。


椅子へ半分寝転がっていたヴァルトが、ぼそりと呟く。


「……行く?」


全員の視線が向く。


ヴァルトは眠たそうな顔のまま、ゆっくり瞬きをした。


「温泉」


「お前は本当にぶれねぇな……」


バルグレイが頭を押さえる。


だが。


ゼルヴァディスは否定しなかった。


むしろ、静かに考え込んでいる。


人族の王。


冒険者。


商人。


薬師。


立場の違う者たちが、皆同じことを言う。


“また行きたい”。


“落ち着く”。


“争う気が薄れる”。


それは異常だった。


だが同時に。


妙に惹かれる。


長い戦乱の中で、ゼルヴァディスは数え切れない争いを見てきた。


疲弊する人族。


疲弊する魔族。


誰もが戦い続けている。


だからこそ。


“争わなくていい場所”という存在が、信じられないほど異質だった。


その時。


コンコン。


執務室の扉が叩かれる。


「失礼します」


入ってきたのは、以前“やわらぎの湯”へ使い魔を送った魔族だった。


彼は恭しく頭を下げる。


「報告です。“やわらぎの湯”側に敵意は確認されませんでした」


「……ほう」


「加えて、使い魔が干し肉を受け取っています」


空気が止まる。


バルグレイが真顔になった。


「なんだその報告」


「事実です」


「交流してる……」


セレディアが肩を震わせる。


完全に面白がっていた。


報告はさらに続く。


「加えて、グレートヘルウルフが使い魔へ食料提供を行っています」


「待て」


バルグレイが即座に止めた。


「情報量が多すぎる」


ゼルヴァディスですら、数秒沈黙した。


災害級魔物。


本来なら縄張り意識の塊だ。


それが他勢力の使い魔へ食料を与える。


意味が分からない。


だが。


「……本当に、“争う空気”が存在しないのかもしれんな」


ゼルヴァディスが静かに呟く。


その言葉に、室内が少し静かになる。


そして。


ヴァルトが、ぽつりと言った。


「行きたい」


即答だった。


セレディアが楽しそうに笑う。


「奇遇ですわね。私もですの」


「観光気分か」


バルグレイが呆れる。


だが。


彼自身も完全否定はしていなかった。


むしろ少し気になっている。


「……ならば」


ゼルヴァディスが静かに口を開く。


全員の視線が向く。


「直接確認するか」


空気が変わる。


「四天王のうち二名。“やわらぎの湯”へ向かえ」


その瞬間。


セレディアが妖艶に笑った。


「承知しましたわ」


ヴァルトも、ぼんやりした顔のまま小さく頷く。


「温泉……」


完全に楽しみにしていた。


バルグレイは深いため息を吐く。


「……大丈夫かこれ」


誰も答えなかった。



数日後。


還らずの谷近辺。


迷いの森の奥。


二つの影が静かに進んでいた。


一人は、銀紫色の髪を揺らす妖艶な女魔族。


もう一人は、眠そうな顔の少年型魔族。


セレディア。


そしてヴァルト。


魔王軍四天王。


本来なら、一国が警戒する存在だ。


だが現在。


「温泉楽しみですわねぇ」


「ん」


完全に旅行気分だった。


白い湯気は今。


ついに魔王軍四天王すら、還らずの谷へ引き寄せ始めていた。



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