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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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39 砕けた王

翌日の夜。


“やわらぎの湯”の食堂には、いつも以上に賑やかな空気が流れていた。


宿泊客たちは温泉帰りで頬を緩め、レインの料理を囲みながら楽しそうに会話をしている。


焼き魚の香ばしい匂い。


煮込み料理の湯気。


酒の香り。


暖かな灯り。


まるで、どこにでもある普通の宿のような空気だった。


……ただし。


その食堂の隅には、アルディオン王国 国王エルグラン・ヴァルディスが普通に座っている。


「未だに慣れねぇ……」


ダンが遠い目をした。


しかも本人は正体を隠しているつもりらしく、地味な旅装のままだ。


だが。


隠し切れていない。


姿勢。


威圧感。


育ちの良さ。


全部漏れている。


「あの人絶対偉い人だよね」


宿泊中の冒険者が小声で呟く。


「うん……なんか空気違う」


完全にバレかけていた。


その時。


「お客さん!」


カヤが、酒瓶を抱えてエルグランの席へやって来る。


「昨日のお礼!」


「……礼?」


エルグランが少し首を傾げた。


「いっぱい寝れたでしょ!」


直球だった。


側近が吹き出しかける。


エルグラン本人は数秒固まった後、小さく笑った。


「……そうだな」


実際、驚くほど眠れた。


しかも。


ここ数年で一番深く。


目覚めた時、自分でも信じられなかったくらい頭が軽かったのだ。


その時。


カヤが酒瓶を机へ置く。


「今日はこれ!」


「また酒か」


ダンが嫌な顔をする。


理由は一つ。


前回、フェルザードが火を吹いた。


しかもグーちゃんまで真似した。


若干のトラウマである。


だが今回の酒は比較的軽めの果実酒だった。


香りも柔らかい。


カヤは嬉しそうに杯へ注ぐ。


「飲む?」


エルグランは少し迷った。


本来、外で気軽に酒を飲む立場ではない。


毒の危険もある。


常に警戒が必要だ。


だが。


ここへ来てから、妙にそういう緊張感が薄れている。


「……少しだけなら」


杯を受け取る。


そして、一口。


果実の甘みと香りが広がった。


「……美味いな」


自然に言葉が漏れる。


「でしょ!」


カヤが嬉しそうに笑う。


その様子を見ながら、ユウが穏やかに口を開いた。


「昨日、ちゃんと眠れた?」


エルグランは少し驚いた顔をした。


普通なら、誰もそんな風には聞かない。


王へ向かって。


だが。


ここでは誰も、彼を“王”として扱っていない。


ただ、“疲れた客”として接している。


その空気が、不思議と心地良かった。


「……あぁ」


エルグランは小さく息を吐く。


「久しぶりに、何も考えず眠れた」


その言葉に、食堂が少し静かになる。


リーフェが静かに目を細めた。


王という立場。


背負っているものは、想像以上に重いのだろう。


その時。


「じゃあ今日は飲もう!」


カヤが笑顔で追加の酒を注いだ。


「待て待て待て」


ダンが止めに入る。


「その流れ危険だろ」


「大丈夫!」


「お前の“大丈夫”は信用ならん」


だが。


数十分後。


「はっはっは!!」


食堂へ、普段では考えられない笑い声が響いていた。


全員が固まる。


笑っている。


エルグランが。


「……え?」


ダンが目を瞬かせる。


王は、頬を少し赤くしながら杯を持っていた。


しかも。


かなり砕けている。


「いやぁ、堅苦しい会議ばかりでな!」


「おぉ……」


「貴族共が延々回りくどいのだ!」


「ストレス溜まってるなぁ!?」


ダンがツッコむ。


側近は顔を覆っていた。


「陛下……」


「今は客だ!」


「酔ってる……!」


普段の威厳が消えていた。


しかも。


妙に親しみやすい。


「お前たち、いつもこんな感じなのか?」


エルグランが笑いながら聞く。


「大体こんな感じ」


ユウが苦笑する。


「毎日騒がしい」


ミナも静かに頷いた。


するとエルグランは、食堂をゆっくり見回した。


客たちの笑い声。


暖かな灯り。


穏やかな空気。


そして。


人間と一緒に寝転がるヘルウルフ。


「……本当に変な場所だ」


だがその声には、警戒ではなく柔らかさが混じっていた。


その時だった。


グゥゥゥゥ……。


低い声が響く。


グーちゃんが、のそりとエルグランの横へ来る。


巨大な身体が隣へ座る。


「おぉ」


エルグランが少し目を丸くした。


グーちゃんは静かに鼻を鳴らす。


そして。


ぽすっ。


巨大な頭を、エルグランの肩へ軽く押し付けた。


空気が止まる。


「なっ……!?」


側近が青ざめる。


だが。


エルグランは数秒固まった後。


ふっ。


小さく笑った。


「……懐かれたか?」


グーちゃんの尻尾が、ゆっくり揺れる。


完全に肯定だった。


「王が災害級魔物に懐かれてる……」


ダンが遠い目をする。


その頃には、エルグランもかなり砕けていた。


「いやしかし、そこの黒竜も面白いな!」


『誰が面白黒竜だ』


フェルザードが真顔で返す。


「火を吹く宴会芸は見事だったぞ!」


『やめろ』


珍しくフェルザードが嫌そうだった。


食堂には笑い声が広がっていく。


王。


冒険者。


獣人。


料理人。


魔物。


古竜。


本来なら絶対に同じ空間へ集まらない存在たちが、同じ酒を囲んで笑っていた。


白い湯気が夜空へ静かに昇っていく。


還らずの谷。


その奥では今。


一国の王ですら、肩の力を抜いて笑っていた。

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