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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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37 極秘訪問

王国による調査隊派遣が()()してから数日後。


アルディオン王城――。


深夜の執務室には、まだ灯りが残っていた。


机の上には山積みの書類。


各地の魔物被害。


貴族間の対立。


国境警備。


終わりの見えない報告書へ目を通しながら、エルグラン・ヴァルディスは静かに眉間を押さえる。


疲れていた。


ここ最近は特に酷い。


眠っても頭が重い。


気を抜く時間が無い。


王という立場上、それは当然だった。


だが。


「……やわらぎの湯、か」


ふと、机の端へ置かれた報告書へ視線が向く。


還らずの谷。


危険地帯。


人と魔物が共存する温泉宿。


そして。


“行った者が皆、穏やかになる場所”。


何度読んでも意味不明だった。


だが。


報告書に書かれていた、ある一文だけが妙に頭へ残っていた。


――“久しぶりに、安心して眠れた”。


エルグランはしばらく黙った後、小さく息を吐く。


そして。


「……行くか」


誰も居ない執務室で、ぽつりと呟いた。



翌々日。


還らずの谷近辺。


深い外套を羽織った男が、迷いの森を慎重に進んでいた。


護衛は最小限。


同行者は側近一人のみ。


極秘行動だった。


「本当に来るんですか……」


側近が青い顔で呟く。


「還らずの谷ですよ?」


「知っている」


エルグランは淡々と返す。


だが内心、自分でも少し呆れていた。


王が単独同然で危険地帯へ向かうなど、本来あり得ない。


しかし。


大規模調査を入れる前に、自分自身で見ておきたかった。


“やわらぎの湯”という場所を。


しばらく森を進む。


やがて。


ふわり。


風に混じって、温かな匂いが流れてきた。


湯気。


木の香り。


料理の匂い。


その瞬間。


エルグランは、わずかに目を細めた。


「……空気が違うな」


張り詰めていた神経が、少しだけ緩む。


迷いの森特有の圧迫感が薄れている。


側近も驚いた顔をしていた。


「本当に……息が楽です」


さらに奥へ進む。


そして。


白い湯気の向こうに、“やわらぎの湯”が姿を現した。


木造の宿。


静かな水路。


暖かな灯り。


まるで昔からそこにあったような、穏やかな空気。


だが次の瞬間。


側近が凍りつく。


「へ、陛下」


視線の先。


露天風呂。


そこには。


巨大なグレートヘルウルフが、温泉へ顎を乗せていた。


「…………」


沈黙。


「……本当に居たのか」


エルグランが静かに呟く。


報告は受けていた。


だが実際に見ると衝撃が違う。


災害級魔物。


本来なら軍が動く存在。


それが。


温泉へ浸かっていた。


しかも。


めちゃくちゃ気持ちよさそうだった。


「意味が分かりません……」


側近が震える。


その時。


グゥゥゥゥ……。


低い声が響く。


グーちゃんがゆっくり顔を上げていた。


黄金色の瞳が、二人を見る。


空気が張り詰める。


側近の顔色が真っ白になった。


だが。


グーちゃんは数秒見つめた後。


ふあぁ……。


大きく欠伸をした。


そして再び湯へ沈む。


「……見逃された?」


「多分な」


エルグランが静かに息を吐く。


その時。


「いらっしゃい」


穏やかな声が響いた。


振り向くと、黒髪の青年が立っていた。


ユウだった。


自然な笑顔。


敵意も警戒も薄い。


まるで普通の宿へ客が来た時のような対応だった。


「泊まりですか?」


その言葉に、側近が逆に困惑する。


王だ。


普通なら気づく。


だがユウは本当に気づいていないらしかった。


エルグランは少しだけ口元を緩める。


「……あぁ。少し休ませてもらいたい」



その夜。


エルグランは、食堂の隅で静かに夕食を食べていた。


レインの料理。


温泉水を使ったスープ。


香草焼きの魚。


焼きたてのパン。


派手さはない。


だが、不思議と身体へ染み込む味だった。


「……美味いな」


自然に言葉が漏れる。


側近も完全に無言で食べ続けていた。


余裕がない。


美味すぎるのだ。


その頃。


食堂では、いつも通りの空気が流れていた。


カヤが騒ぎ。


ダンがツッコミ。


ミナが静かに食事をしている。


グーちゃんは入口前で丸くなっていた。


完全に看板狼だった。


エルグランは、その光景を静かに見つめる。


誰も怯えていない。


誰も争っていない。


冒険者も。


魔物も。


ただ同じ空間で、穏やかに過ごしている。


そんな場所を、彼は今まで見たことがなかった。


その時だった。


「お客さん」


ミナが、じっとエルグランを見た。


銀色の瞳が静かに細められる。


「……疲れてる」


空気が少し静かになる。


エルグランは一瞬目を見開いた。


ミナは続ける。


「ちゃんと寝れてない顔」


直球だった。


側近が青ざめる。


だが。


エルグランは数秒黙った後、小さく笑った。


「……そう見えるか」


「ん」


ミナは静かに頷く。


その返答が、不思議と胸へ刺さった。


王としてではなく。


ただ、“疲れている人”として見られた気がしたのだ。


その夜。


エルグランは、“やわらぎの湯”の個室風呂へ一人で浸かっていた。


静かな湯気。


水音。


暖かな空気。


肩から力が抜けていく。


ずっと背負っていた重さが、少しずつ溶けていく感覚。


「……これは、反則だな」


誰にも聞こえないように、小さく呟く。


還らずの谷。


人が恐れた危険地帯。


その奥で今。


アルディオン王国の王は、静かに湯へ浸かっていた。

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