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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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27 同じ湯気の中で

夕暮れの“やわらぎの湯”は、昼間とはまた違う静けさに包まれていた。


茜色に染まる空。


白く立ち上る湯気。


水路を流れる温泉の音が静かに谷へ響き、暖かな空気が宿全体を包み込んでいる。


食堂ではレインが夕食の準備を進めていた。


香草を焼く匂いが漂い、客たちの空腹を刺激する。


その頃、露天風呂では。


「……まだ慣れねぇ」


若い冒険者が引きつった顔で呟いていた。


視線の先。


そこには、温泉へ浸かるヘルウルフたちの姿がある。


しかも一匹ではない。


数匹が完全にくつろいでいた。


さらに中央では、グーちゃんが巨大な身体を湯へ沈めている。


完全に主である。


普通なら絶対に成立しない光景だった。


「いや、でも襲ってこないんだよな……」


隣の冒険者も困惑した顔をする。


最初は誰も温泉へ入ろうとしなかった。


ヘルウルフと同じ湯など、恐怖以外の何物でもない。


だが。


一人が恐る恐る入り。


何も起きず。


二人目が入り。


そのまま普通に浸かり始めた。


結果。


今、人間と魔物が同じ温泉へ入っていた。


意味が分からない。


だが、不思議と空気は穏やかだった。


「……あったけぇ」


冒険者の一人が、思わず深く息を吐く。


身体の力が抜けていく。


肩の緊張が消えていく。


長い間、無意識に張り詰めていたものが、温泉へ溶けていくようだった。


その時。


ざぶん。


近くで水音が響く。


「うぉっ!?」


冒険者たちが反射的に身構える。


ヘルウルフが移動しただけだった。


だが。


そのヘルウルフは、少し湯へ場所を空けるように動いた後、再び大人しく浸かり始める。


「……空けてくれた?」


「空けてくれたな……今」


空気が少し止まる。


ダンはその様子を見ながら、苦笑した。


「順応してんなぁ……」


最初にここへ来た頃を思い出す。


あの時は、ヘルウルフが近づくだけで剣へ手を掛けていた。


だが今は違う。


温泉へ一緒に浸かっている。


慣れとは恐ろしい。


その時。


グゥゥゥゥ……。


低い声が響く。


全員が一瞬固まる。


だがグーちゃんは、気持ちよさそうに欠伸をしただけだった。


湯気がふわりと揺れる。


「……なんか、もう普通に見えてきた」


若い冒険者が遠い目で呟く。


「普通ではない」


ミナが即答する。


「だよな」


ダンが頷いた。


するとカヤが楽しそうに笑う。


「でも平和だよね!」


その言葉に、空気が少し静かになる。


平和。


その単語が、この場所には妙に似合っていた。


本来、人間と魔物は争う。


恐れ。


憎しみ。


縄張り。


長い歴史の中で、それが当たり前だった。


だが今、この温泉では違う。


誰も戦わない。


剣を抜かない。


ただ湯へ浸かり、疲れを癒している。


その異常な光景を、リーフェは静かに見つめていた。


「……やっぱり、この場所はおかしい」


小さく呟く。


温泉から広がる魔力循環。


精神安定効果。


争いを和らげる空気。


それら全てが、人と魔物の間にある“警戒”を少しずつ薄めている。


完全に消えるわけではない。


だが、“攻撃しなければならない”という本能が弱まっているのだ。


だからこそ、この光景が成立している。


その時だった。


露天風呂の端で、小さな悲鳴が上がる。


「ひゃっ!?」


若い女性冒険者が慌てて後ろへ下がる。


その隣には、小型のヘルウルフが居た。


まだ若い個体らしい。


どうやら温泉へ入りたかっただけらしいが、距離が近すぎた。


空気が少し張る。


だが次の瞬間。


その小型ヘルウルフは、申し訳なさそうに耳を伏せた。


「…………」


沈黙。


女性冒険者が目を瞬かせる。


「……謝ってる?」


「多分」


ミナが頷く。


「分かるの!?」


当然ツッコミが飛ぶ。


だが小型ヘルウルフは、本当に気まずそうにしていた。


すると女性冒険者は少し戸惑いながらも、小さく笑う。


「……入る?」


ヘルウルフの耳がぴくりと動く。


そして恐る恐る温泉へ入ってきた。


「受け入れた!?」


ダンが思わず声を上げる。


その瞬間、露天風呂全体から笑いが漏れた。


緊張が溶ける。


誰かが笑う。


また別の誰かも笑う。


そして気づけば、人間も魔物も同じ湯気の中で穏やかに過ごしていた。


ユウは少し離れた場所から、その光景を静かに見つめる。


追放された時、自分は一人だった。


ただ静かに生きられればいいと思っていた。


それなのに今は違う。


人が居る。


魔物が居る。


笑い声がある。


そして、この場所では誰も争っていない。


ユウは小さく息を吐き、少しだけ笑った。


白い湯気が夕空へ溶けていく。


還らずの谷。


人が恐れた危険地帯。


その奥で今、人間と魔物が同じ湯へ浸かっていた。

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