23 薬草採取人
“やわらぎの湯”へ客が訪れることは、もう珍しくなくなり始めていた。
冒険者。
行商人。
薬草採取人。
噂を聞きつけた旅人まで現れるようになり、還らずの谷だったはずの場所には、少しずつ人の気配が増えている。
もちろん最初は全員同じ反応をする。
ヘルウルフを見て青ざめ。
グーちゃんを見て絶望する。
そして数時間後には温泉へ浸かっている。
最近では、そんな流れが定番になりつつあった。
「順応力高すぎるだろ人類」
ダンが呆れたように呟く。
その隣で、グーちゃんは今日も温泉へ浸かっていた。
完全に主である。
そんな昼下がり。
ミナの耳がぴくりと動く。
「……薬」
「薬?」
ユウが首を傾げる。
少し遅れて、独特の香りが風へ混ざった。
乾燥薬草の匂いだ。
やがて森の奥から、一人の女性が姿を現した。
深緑色のローブ。
腰には大量の薬瓶。
背中には薬草の詰まった革袋。
年齢は二十代後半ほどだろうか。
切れ長の目をした、知的そうな女性だった。
だが彼女は谷へ入った瞬間、その場で完全に固まった。
「…………」
視線の先には、温泉へ浸かるグーちゃん。
さらに周囲にはヘルウルフの群れ。
女性はゆっくり後退しかけた。
「待ってください帰らないで」
ユウが慌てて声を掛ける。
「いや、無理でしょうこれは」
女性が真顔で返す。
正論だった。
するとダンが苦笑しながら前へ出る。
「大丈夫だ。襲わねぇよ」
「グレートヘルウルフですよね?」
「そう」
「大丈夫要素どこです?」
「温泉好き」
「意味が分かりません」
女性は頭を押さえた。
だがそのやり取りを聞いていたグーちゃんは、興味なさそうに欠伸をした後、再び湯へ沈んだ。
完全にやる気がない。
女性はしばらく呆然としていたが、やがて小さく息を吐く。
「……本当に噂通りなんですね」
「噂?」
リーフェが聞き返す。
女性は頷いた。
「“身体だけじゃなく精神まで安定する温泉がある”って、最近薬師たちの間でも話題なんです」
その言葉に、リーフェが静かに目を細める。
やはり広がっている。
しかも今度は薬師の間だ。
女性は改めて温泉を見る。
「私は薬師のセシルです。少し、この温泉を調べさせてもらえませんか?」
薬師――セシル。
彼女の目には、明らかな探究心が宿っていた。
普通の温泉ではない。
その噂を聞き、確かめに来たのだろう。
ユウは少し考えた後、頷いた。
「いいよ。危ないものじゃないし」
「……今のところはな」
ダンがぼそっと呟く。
リーフェは聞こえていたが、何も言わなかった。
実際、この温泉は普通ではない。
だが不思議と、“害意”だけは感じないのだ。
その後。
セシルはすぐ調査を始めた。
小瓶へ湯を採取し、香りを確認し、薬液を混ぜ、魔力反応を調べていく。
かなり慣れた手つきだった。
「ふむ……」
真剣な顔で分析を続ける。
最初は普通だった。
湯に含まれる微量な魔力。
高い浄化作用。
身体活性効果。
その辺りまでは理解できる。
だが。
「……え?」
セシルの眉が寄る。
再び薬液を混ぜる。
色が変わる。
もう一種類試す。
今度は薬液が白煙を上げた。
「ちょ、ちょっと待って」
さらに別の魔道具を取り出し、魔力波長を測定する。
だが数秒後。
パキン。
小さな音を立てて、魔道具が割れた。
空気が止まる。
カヤが目を丸くした。
「壊れたね」
「壊れましたね……」
セシル自身が一番困惑していた。
彼女は再び温泉を見る。
表情が真剣になる。
「……解析できない」
「そんなに?」
ユウが少し驚く。
セシルはゆっくり頷いた。
「普通の温泉なら、魔力傾向や効能は分類できます。でもこれは……」
言葉が止まる。
どう説明すればいいのか分からないのだろう。
やがてセシルは小さく息を吐いた。
「“安定しすぎている”んです」
リーフェが静かに視線を向ける。
セシルは続けた。
「魔力って普通、揺らぐんです。自然魔力なら特に。でもこの温泉、流れそのものが完成されてる」
まるで。
“誰かが常に整え続けている”みたいに。
その言葉に、リーフェは静かにユウを見る。
やはり原因は彼だ。
ユウ自身は全く自覚していないが、この谷全体を無意識に調律している。
だからこそ、温泉の力が異常なほど安定しているのだ。
セシルはさらに真剣な顔で温泉を見る。
「しかも……精神安定効果がありますね、これ」
「分かるの?」
カヤが首を傾げる。
セシルは頷いた。
「薬学的に説明できませんけど。ここ、妙に落ち着きません?」
その瞬間。
全員が少し黙る。
やはり、誰でも感じるのだ。
この場所の“やわらぎ”を。
その時。
グゥゥゥゥ……。
低い声が響く。
振り向くと、グーちゃんが温泉から上がり、セシルの横へ近づいてきていた。
巨大な身体が目の前へ来る。
セシルの顔が引きつる。
「ひっ」
だがグーちゃんは、セシルの薬草袋をじっと見つめていた。
「……え?」
ミナがぽつりと言う。
「薬草の匂い好きらしい」
「災害級魔物に嗜好があるんですか?」
「温泉も好き」
「情報量が多い」
セシルが頭を抱える。
だが次の瞬間、グーちゃんは静かに鼻を鳴らし、そのままセシルの隣へ座り込んだ。
まるで、“ここは安全だ”と言うように。
セシルはしばらく呆然としていたが、やがて小さく笑ってしまう。
「……本当に変な場所ですね」
その声には、もう最初ほどの警戒は無かった。
白い湯気が夕暮れの空へ溶けていく。
還らずの谷。
その奥では今、誰にも解析できない“やわらぎ”が静かに広がっていた。




