↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/190

21 広がる噂

“やわらぎの湯”が完成してから数日。


還らずの谷には、以前よりもさらに穏やかな空気が流れるようになっていた。


朝になれば白い湯気が谷を包み、水路を流れる湯の音が宿全体へ静かに響く。


食堂からはレインの料理の香りが漂い、建物の周囲ではヘルウルフたちが思い思いにくつろいでいる。


その光景にも、ダンたちはすっかり慣れてしまっていた。


「……慣れって怖ぇな」


ダンが温泉へ浸かるグーちゃんを見ながら呟く。


巨大なグレートヘルウルフは、今日も気持ちよさそうに湯へ顎を乗せていた。


完全に常連である。


ミナはその横へ静かに座り込み、モフモフの背中へ寄りかかっている。


「暖かい」


「お前も馴染みすぎだろ」


「最初からいる」


「それはそう」


ダンが苦笑する。


その時だった。


ミナの耳がぴくりと動く。


「……来る」


全員の視線が森へ向く。


迷いの森の奥から、微かな足音が近づいてきていた。


しかも複数。


かなり慎重な足取りだ。


ユウは静かに立ち上がる。


「客かな」


数分後。


迷いの森を抜け、二人組の若い冒険者が姿を現した。


男と女の冒険者だった。


装備は土埃だらけで、顔には疲労が色濃く浮かんでいる。ここへ辿り着くまで、かなり神経を削られてきたのだろう。


だが二人は、谷の景色を見た瞬間、その場で完全に固まった。


「……え」


男の口から間抜けな声が漏れる。


視界の先には、白い湯気を立ち上らせる温泉宿。


暖かな木造建築。


整えられた水路。


そして。


温泉へ浸かる巨大なヘルウルフ。


「…………」


空気が止まる。


さらに奥で、グーちゃんがゆっくり顔を上げた。


黄金色の瞳が二人を見つめる。


次の瞬間。


「ひっ……!?」


二人の顔色が一瞬で青くなった。


当然だった。


グレートヘルウルフなど、本来なら遭遇した瞬間に逃走を考える相手だ。


しかも周囲には普通のヘルウルフまで居る。


だが。


グーちゃんは大きく欠伸をした後、再び温泉へ顎を乗せただけだった。


やる気がまるでない。


「……あれ?」


女冒険者が混乱した声を漏らす。


するとミナが静かに言った。


「グーちゃん、平気」


「グ、グーちゃん?」


名前の軽さに、二人はさらに混乱した。


ダンが苦笑しながら前へ出る。


「安心しろ。襲わねぇよ」


「ダンさん!?」


男冒険者が目を見開く。


どうやら顔見知りらしい。


ダンは肩を竦めた。


「噂聞いて来たんだろ?」


「え、えぇ……。“還らずの谷に温泉宿がある”って……」


「半信半疑だったんですけど……」


二人は呆然と宿を見上げる。


無理もない。


普通なら、こんな場所へ宿など存在しない。


だが。


漂う湯気。


暖かな木の匂い。


静かな水音。


その全部が、“休める場所”だと自然に感じさせていた。


ユウは穏やかに笑いながら二人へ近づく。


「いらっしゃい。"やわらぎの湯”へようこそ。疲れたでしょ?」


その声を聞いた瞬間。


二人の肩から、少しだけ力が抜ける。


迷いの森を抜けるまで、ずっと緊張し続けていたのだろう。


女冒険者は小さく息を吐いた。


「……本当に宿なんですね」


「うん。温泉もあるよ」


「温泉……」


男冒険者が白い湯気を見る。


その表情には、警戒より疲労の方が強く浮かんでいた。


ちょうどその時。


グゥゥゥゥ……。


男の腹が盛大に鳴る。


数秒の沈黙。


そしてカヤが吹き出した。


「お腹空いてる!」


男は顔を真っ赤にする。


だがユウは笑った。


「ちょうどご飯できるところだから、よかったら食べていく?」


その瞬間。


二人の表情が、少しだけ緩む。


それが、“やわらぎの湯”へ訪れた最初の客だった。


その二人は、結局そのまま一泊していった。


温泉へ浸かり。


レインの料理を食べ。


久しぶりに深く眠れたらしい。


翌朝、帰る頃には二人とも最初よりかなり表情が柔らかくなっていた。


「……また来ます」


帰り際、女冒険者が少し笑いながら言う。


ユウは少し驚いた。


還らずの谷。


本来なら、“また来たい”と思う場所ではない。


だが今、この宿は少しずつ変わり始めている。


そして、その変化は思った以上に早かった。


数日後。


「……また来た」


ミナが森を見る。


今度は三人組の冒険者だった。


さらに数日後には、薬草採取人の男が一人。


その次は行商人。


また別の日には、“噂を聞いただけ”という若い冒険者たちまで現れた。


最初は全員、同じ反応をする。


温泉宿を見て固まり。


ヘルウルフを見て青ざめ。


グーちゃんを見て絶望する。


だが。


温泉へ入り。


料理を食べ。


一晩休む。


それだけで、帰る頃には少し表情が変わっていた。


「……なんなんだろうな、ここ」


ある夜。


食堂で客の一人がぼんやり呟く。


レインの料理を食べ終えた後の、静かな時間だった。


「危険地帯のはずなのに、妙に落ち着く」


「身体も軽いし……」


「なんか、頭まで静かになる」


その会話を聞きながら、リーフェは静かに湯気を見る。


やはり温泉の影響は大きい。


この場所は、人の心を穏やかにしている。


だからこそ、疲れた者たちが自然とここへ集まり始めているのだ。


その頃。


グーちゃんは食堂入口で丸くなっていた。


完全に看板狼である。


しかも最近では、客たちも少し慣れてきていた。


「……近くで見ると、意外と可愛いな」


若い冒険者が恐る恐る呟く。


するとグーちゃんは満足そうに鼻を鳴らした。


「順応早ぇな人類……」


ダンが遠い目をする。


だが、それもこの谷らしかった。


人も。


魔物も。


ここへ来ると、少しずつ肩の力が抜けていく。


ユウは食堂からそんな光景を見つめる。


笑い声。


料理の匂い。


白い湯気。


以前の自分では想像もできなかった光景だった。


追放され、一人で流れ着いた谷の奥。


そこで今、“誰かが休める場所”が本当に生まれ始めている。


白い湯気が夜空へ静かに揺れていく。


還らずの谷。


人が恐れた危険地帯。


その奥では今、少しずつ優しい灯りが増え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。