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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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20 やわらぎの湯

還らずの谷へ、柔らかな朝日が差し込んでいた。


源泉から立ち上る白い湯気は朝霧と混ざりながら空へ流れ、水路を巡る湯の音が宿全体へ静かに響いている。


かつて崩れかけていた廃屋は、もうほとんど面影が残っていなかった。


補強された木造の壁。


広くなった食堂。


温泉熱を利用した暖かな廊下。


建物裏には、静かな個室風呂まで完成している。


そして入口には、新しい木製看板が掛けられていた。


――やわらぎの湯。


深く彫られたその文字を見上げながら、ユウは小さく息を吐く。


「……完成したんだな」


最初は、本当に何もなかった。


追放された後、流れ着いた谷の奥で見つけた古い温泉。


崩れかけた建物を、ただ住めるように直していただけだった。


それが今では、“宿”になっている。


「感慨深いのぉ」


ドグランが満足そうに腕を組む。


職人として、かなり納得のいく出来らしい。


「最初見た時は、屋根半分落ちとったからな」


「それ言わないで」


ユウが苦笑する。


だが事実だった。


ミナと二人で修理を始めた頃は、本当に最低限暮らせるだけの状態だったのだ。


そのミナは、新しく完成した個室風呂を静かに眺めていた。


銀色の耳が小さく揺れている。


「……落ち着く」


かなり気に入っているらしい。


カヤは逆に食堂を走り回っていた。


「広っ! すごっ!」


「走るな危ない!」


ダンの声が後ろから飛ぶ。


その瞬間、全員が一斉に振り向いた。


「ダン!」


カヤがぱっと顔を明るくする。


森の入口から歩いてきたダンは、大量の荷物を背負いながら苦笑していた。


食材袋。


工具。


酒瓶。


その他細かい生活用品まで抱えている。


完全に買い出し帰りだった。


「……重かった」


荷物を下ろした瞬間、鈍い音が響く。


ドグランが目を丸くする。


「随分持って帰ってきたのぉ」


「街で色々買ってきた。あと噂が広がり始めてる」


その言葉に、空気が少し変わる。


ユウが目を瞬かせた。


「噂?」


「あぁ。“還らずの谷に温泉がある”ってな」


ダンは頭を掻きながら苦笑する。


「報告した瞬間、ギルド中が『意味分かんねぇ』って顔してた」


「分かる」


カヤが真顔で頷く。


ダンは続けた。


「でも温泉に興味持ってる奴は多い。」


戦い続ける冒険者たちは、常に疲労を抱えている。


怪我だけではない。


精神の消耗も激しい。


だからこそ、“身体が軽くなる温泉”という噂は妙に広がりやすかった。


「そのうち本当に客来るぞ」


ダンがそう言いながら周囲を見る。


完成した宿。


穏やかな湯気。


そして、温泉で昼寝しているヘルウルフたち。


相変わらず光景はおかしい。


だが以前ほど違和感は無かった。


むしろ、“帰ってきた”感覚の方が強い。


その時。


グゥゥゥゥ……。


低い声が響く。


振り向くと、グーちゃんがのそりと起き上がっていた。


巨大な身体を揺らしながらダンへ近づき、静かに鼻を鳴らす。


「……なんだその顔」


ダンが苦笑する。


まるで“戻ってきたか”と言われているようだった。


ミナがぽつりと呟く。


「歓迎してる」


「災害級魔物に歓迎される人生、未だに慣れねぇ……」


ダンが頭を押さえる。


だが、その表情はどこか柔らかかった。


レインが食堂の奥から顔を出す。


「朝飯できた」


その瞬間、カヤの耳がぴんと立つ。


「待ってた!」


食堂へ並べられていく料理は、以前よりかなり豪華になっていた。


焼きたての平焼きパン。


温泉水を使ったスープ。


香ばしく焼かれた川魚。


山菜料理。


さらに木の実を使った焼き菓子まである。


「増えてる!?」


ダンが驚く。


レインは少し照れ臭そうに視線を逸らした。


「宿っぽくした」


「十分すごいよ」


ユウが笑う。


レインはまだ味覚を失ったままだ。


だが以前より表情が柔らかい。


料理を作ることへの恐怖も、少しずつ薄れてきていた。


全員が席へ座る。


窓の外では白い湯気が揺れ、朝日が静かに差し込んでいる。


その景色を見ながら、ユウは小さく息を吐いた。


最初は一人だった。


追放され、居場所を失い、静かに生きていければいいと思っていた。


だが今は違う。


笑い声がある。


帰ってくる仲間がいる。


“また戻りたい”と思ってくれる人たちがいる。


そして、この場所そのものが、誰かを休ませる場所になり始めている。


ミナが静かにユウを見る。


「今、好き」


短い言葉だった。


だがユウには十分伝わった。


ユウは少し笑う。


「……うん」


白い湯気が朝空へ溶けていく。


還らずの谷。


人が恐れた危険地帯。


その奥で今、”この場所”は“やわらぎの湯”として静かに完成した。

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