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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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19 戦士の帰還

還らずの谷を出た後も、ダンはしばらく妙な感覚を引きずっていた。


迷いの森を抜け、王国街道へ戻り、見慣れた石畳の街へ帰ってきても、身体の軽さが消えないのだ。


普通なら、還らずの谷へ近づいた時点で神経が擦り減る。


凶悪な魔物。


方向感覚を狂わせる森。


常に死が隣にある危険地帯。


本来なら数日は疲労が残るはずだった。


なのに今は違う。


肩が軽い。


頭も妙に静かだ。


「……なんなんだ、あの温泉」


ダンは小さく呟きながら、馴染みの酒場の扉を開いた。


ガチャッ。


いつもの騒がしい空気が流れ込んでくる。


酒の匂い。


焼いた肉の香り。


冒険者たちの怒鳴り声。


普段なら落ち着くはずの光景だった。


だが今日は、酒場の空気が少し違った。


「……あ」


誰かがダンへ気づく。


次の瞬間。


「ダンが帰ってきたぞ!」


酒場中の視線が一気に集まった。


ダンは嫌そうに顔をしかめる。


「うわ、面倒くせぇ……」


だが既に遅かった。


冒険者たちが次々席を立ち、ダンの周囲へ集まり始める。


「お前、還らずの谷の調査依頼行ったんだろ!?」


「生きて帰ってきたのか!?」


「どうだった!?」


質問が一気に飛ぶ。


ダンは深いため息を吐き、カウンター席へ腰を下ろした。


「酒」


「お、おう……」


店主が慌てて酒を差し出す。


ダンは一気に飲み干した後、頭を掻いた。


「……説明むずい」


「何だそれ」


「いや、本当に意味分かんねぇんだよ」


還らずの谷で見た光景を思い出す。


白い湯気を立ち上らせる巨大な温泉。


修復された宿。


穏やかな黒髪の青年。


静かな銀髪の獣人少女。


そして――温泉へ浸かるヘルウルフ。


何度思い返しても意味不明だった。


ダンは諦めたように口を開く。


「温泉宿がある」


酒場が静まり返る。


数秒後。


「はぁ!?」


叫び声が響いた。


「だからそうなるって分かってたんだよ……」


ダンが頭を押さえる。


だが冒険者たちは止まらない。


「還らずの谷だぞ!?」


「なんで宿なんかあるんだ!」


「魔物は!?」


「いる」


「終わりじゃねぇか!」


「でも襲ってこねぇ」


空気が止まる。


ダンは疲れた顔のまま続けた。


「ヘルウルフの群れもいる。あとグレートヘルウルフもいる」


その瞬間、酒場の空気が完全に凍った。


グレートヘルウルフ。


災害級。


その名前が出た時点で、酔っていた冒険者たちの顔色が変わる。


「……お前よく生きてるな?」


「俺もそう思う」


ダンは遠い目をした。


だが、次の言葉でさらに空気がおかしくなる。


「しかも温泉入ってる」


「……誰が?」


「グレートヘルウルフ」


沈黙。


そして。


「意味分かんねぇよ!!」


酒場中からツッコミが飛んだ。


ダンはもう訂正しなかった。


どうせ説明しても伝わらない。


実際、自分も未だに理解できていない。


だが。


「……でも、悪くなかった」


その言葉だけは自然に出た。


酒場が少し静かになる。


ダンはゆっくり酒を飲みながら続けた。


「温泉入ると、身体軽くなるんだよ。頭も妙に落ち着くし、イライラもしねぇ」


それは冒険者たちにとって、かなり魅力的な話だった。


日々戦い続ける彼らは、常に疲労と緊張を抱えている。


怪我だけではない。


精神の消耗も大きい。


だからこそ、“休める場所”という言葉へ敏感だった。


「飯も美味い」


「飯?」


「あぁ。料理人もいる」


ダンはレインの料理を思い出す。


温泉水で作られたスープ。


香ばしい川魚。


優しい味。


戦い続けた身体へ、自然に染み込む料理だった。


しかも。


「宿の空気が妙なんだよな」


「妙?」


「……争う気が薄れる」


その言葉に、冒険者たちが眉を寄せる。


ダン自身、うまく説明できない。


だが確かに感じた。


還らずの谷の奥では、怒りや警戒心が長続きしない。


ヘルウルフですら穏やかだった。


「あそこ、本当に危険地帯なのか……?」


誰かがぽつりと呟く。


すると別の冒険者が酒を置いた。


「……ちょっと行ってみたくね?」


空気が変わる。


興味。


半信半疑。


疲れ。


それらが混ざり始めていた。


「最近まともに休めてねぇんだよな」


「連続依頼で肩ぶっ壊れそう」


「温泉かぁ……」


少しずつ。


本当に少しずつ。


“温泉”の噂は冒険者たちの間で広がり始めていた。


その頃。


還らずの谷では。


「魚焼けた」


レインの静かな声が宿へ響いていた。


改築を終えた面々が集まり、白い湯気が夜空へ揺れている。


グーちゃんは既に入口前で待機していた。


完全に常連である。


ユウはそんな穏やかな光景を見ながら、小さく笑う。


まだ誰も知らない。


この静かな場所へ、少しずつ人が集まり始めていることを。


そして。


戦いに疲れた者たちが、“やわらぎ”を求め始めていることを。

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