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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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ずっとこの場所で

大花火大会の最後を飾る大輪が夜空いっぱいに広がり、赤や青、金色の光を残しながらゆっくりと消えていったあとも、温泉都市『やわらぎ』にはしばらく大きな歓声と拍手が響いていた。


人間も魔族も獣人も、天使や古竜たちまで同じ空を見上げて笑った夜は、花火が終わったからといってすぐに終わるわけではない。


大通りでは祭りの余韻を惜しむ者たちが屋台の料理を囲み、国際平和議事堂の足湯にも多くの客が残っており、今日見た花火の中ではどれが一番綺麗だったかと楽しそうに話し合っていた。


ユウも高台から街へ戻り、祭りの後片付けを手伝おうとしたのだが、屋台の木材を運んでいたドグランに見つかるなり追い払われてしまった。


「お前はもう休め。朝からずっと動いてただろうが」


「でも、まだいっぱい残ってるよ」


「これだけ職人と住民がいるんだ。総支配人が最後の板一枚まで片づける必要はねぇ」


そこへ売れ残った商品を確認していたカヤまでやって来て、珍しくドグランの言葉に賛成した。


「そうだよ。ユウは今日はもうおしまい!」


ダンが近くで屋台の柱を外しながら振り返る。


「お、カヤがまともなこと言ってる」


「私いつもまともだよ!」


「昨日、祭り限定商品を十種類追加しようとしてレインに止められてただろ」


「八種類まで減らしたもん!」


「減らしたうちに入らねぇよ!」


いつもの言い合いが始まり、ユウは思わず笑った。


大きな祭りが終わったというのに、皆の様子は普段とそれほど変わらない。そのことが妙に嬉しかった。


少しして、治安維持隊の腕章をつけたミナがグーちゃんと一緒に戻ってきた。


祭りの間ずっと巡回していたため、さすがに耳には疲れが見えるものの、表情はどこか満足そうだった。


「ミナ、お疲れさま」


「うん。巡回、終わった」


「今日は大変だった?」


ミナは少し考えてから指を折る。


「迷子十一人。落とし物二十三個。喧嘩三回。でも、大きな怪我はなし」


「それならよかった」


グーちゃんも一声鳴き、その場へ伏せる。


ヘルウルフたちも交代で休ませているらしく、今日のもふもふ自警団は最後まで祭りの平和を守り切ったようだった。


ダンが感心したように腕を組む。


「客の数を考えたら上出来どころじゃねぇな。喧嘩三件で済んだのもすごいぞ」


「二件はグーちゃん見たら終わった」


「相変わらず強すぎる抑止力だな」


ミナがグーちゃんの頭を撫でると、巨大なグレートヘルウルフは満足そうに目を細めた。


その後、グーちゃんを休ませるため大浴場近くのいつもの場所まで送り届け、ユウとミナは宿へ戻ることにした。


祭りの中心から少し離れると、街の空気は急に静かになる。


道の両側には祭り用の灯りがまだ残っており、夜風に揺れる飾りの向こうから、温泉の湯気が白く立ち上っている。


時折、遠くの大通りから笑い声が届くものの、それも昼間の賑わいとは違い、祭りの終わりを惜しむような穏やかなものだった。


宿へ着いたところで、ミナが足を止めた。


「ユウ」


「何?」


「屋根、行きたい」


ユウは少しだけ驚いた。


「今から?」


ミナが頷き、宿の上を見る。


「花火、もう終わったけど、上から街見たい」


「いいよ」


宿にはドグランが作った点検用の足場があり、そこから安全に屋根の一部へ上がれるようになっている。


二人は裏手へ回り、ゆっくり屋根まで上がった。


夜風が頬を撫でる。


祭りの熱気が残った身体にはちょうどよく、ミナの銀色の髪も涼しい風に揺れていた。


そこから見下ろした温泉都市『やわらぎ』は、昼間とはまるで違う姿を見せている。


大通りにはまだ屋台の明かりが残り、国際平和議事堂の周囲にも人影がある。


少し離れた新しい居住区では家々の窓に温かな明かりが灯り、その向こうには暗い森と山々が広がっていた。


そして街の中心では、やわらぎの湯からいつもと変わらない白い湯気が上がっている。


ユウとミナは屋根の上へ並んで腰を下ろした。


しばらく二人とも何も言わず、祭りのあとの街を眺めていた。


ユウは温泉から立ち上る湯気を見ながら、この谷へ初めて来た頃のことを思い出していた。


あの頃は、こんな景色になるとは少しも考えていなかった。


冒険者パーティーから追い出され、自分の【水質変化】は大したことのできない雑用スキルなのだと思いながら、たまたま辿り着いた還らずの谷で古い温泉を見つけた。


最初にしたことも、大それたことではない。


ただ湯を調べ、熱すぎるところを調整し、濁りを整え、気持ちよく入れるようにしただけだった。


そこへミナがやって来て、ダンが来て、リーフェやカヤも加わった。


客が増えれば宿を直し、食べる場所が必要になれば食堂ができた。


温泉へ入りたい者が増えたから浴場を広げ、様々な種族が来るようになったから、それぞれが過ごしやすいように少しずつ手を加えていった。


それを繰り返しているうちに、国王と魔王が同じ湯へ入り、古竜や天使まで温泉を訪れるようになった。


気づけば住民が増え、家が建ち、学校や議事堂までできて、かつて誰も寄りつかなかった谷の中に一つの都市が生まれていた。


「大きくなったね」


ユウが呟く。


ミナも街を見ながら頷いた。


「うん」


「あそこなんて、最初は何もなかったんだよ」


ユウが新しい居住区の方を指差す。


今では元英雄たちの家が並び、ガレスたちも冒険者としての拠点を構えようとしている場所だ。


「向こうもほとんど森だったし、あっちに議事堂ができるなんて考えたこともなかった」


「足湯もある」


「うん。国際平和議事堂なのに、普通に近所の人が足湯使ってるけどね」


ミナが少し笑った。


「やわらぎだから」


「そうだね」


改めて考えてみると、この街は最初から何か大きな計画に沿って作られたわけではない。


必要だから作った。


誰かが困っていたから直した。


誰かがここに住みたいと言ったから家を増やした。


その積み重ねが今の景色になっている。


ミナがしばらく街を眺めたあと、ぽつりと言った。


「最初、もっと静かだった」


「覚えてる?」


「覚えてる」


「ミナもあんまり喋らなかったよね」


ミナの耳がわずかに動く。


「今は喋る」


「かなりね。治安維持隊長までやってるし」


「ユウも総支配人」


「僕はあんまり変わってないと思うけど」


ミナはすぐに首を振った。


「変わった」


「どこが?」


「前より、人に頼る」


その言葉に、ユウは少し驚いた。


地下遺跡で瘴気を浄化した時、自分は一人で全部を何とかしようとして倒れかけた。


その時にミナから言われた。


一人で全部持たなくていい。


頼っていい。


あれから本当にできているのか自信はなかったが、少なくとも以前よりは周囲へ任せられるようになった。


行政の実務はエルメリアや文官たち。


建物ならドグラン。


料理ならレイン。


商売はカヤ。


警備や冒険者との調整ならダン。


そして街の巡回にはミナとグーちゃんたちがいる。


「そうかも」


ユウが認めると、ミナは満足そうに頷いた。


「一人じゃないから」


「うん」


そのまま二人は並んで夜空を見上げた。


花火はもう終わっている。


それでも夜空には無数の星があり、先ほどまで大輪の光が咲いていた場所を静かに照らしていた。


すると遠くの高台から、小さな光が一つだけ上がった。


片付けの合図に使った魔法花火なのか、それとも余ったものを最後に打ち上げたのか、昼間の大花火とは比べものにならないほど小さな光だったが、暗い夜空へ上がると十分に綺麗だった。


赤い光が開き、ゆっくり消えていく。


ミナがその光を見ながら呟いた。


「終わったね」


「うん」


「楽しかった」


「僕も」


明日になれば、祭りの屋台は片づけられる。


レインはいつも通り朝から食堂を開け、カヤは今日の売上を数えながら次の企画を考えるだろう。


ドグランは朝から建設現場へ向かい、ダンは何かに突っ込み、ミナはグーちゃんたちと街を巡回する。


ユウも源泉を見て、大浴場の湯温を確認し、必要なら【水質変化】で温泉を整える。


祭りのような特別な一日ではない。


それでもユウは、そんな普通の日が来ることを嬉しいと思った。


何か危険が迫ったから協力するのではなく、誰かと戦うために力を合わせるのでもなく、ただ同じ街で暮らし、仕事をして、温泉に入り、食事をして一日を終える。


そして外へ出た者が戻ってくれば、「おかえり」と迎える。


そんな日々の方が、きっとこの街には似合っている。


ミナが膝を抱えながら、眼下の明かりを見つめていた。


国際平和議事堂の足湯では、人間らしい旅人と魔族らしい旅人がまだ並んで座っている。


元英雄たちの居住区にも明かりが見え、その向こうでは夜間巡回を担当するヘルウルフがゆっくり道を歩いていた。


大浴場からは変わらず湯気が上がっている。


ミナが、その景色を眺めたまま静かに言った。


「ずっと、こうだといいね」


ユウはすぐには答えず、もう一度街を見渡した。


きっと何も起こらない日ばかりではない。


都市がさらに大きくなれば、新しい問題も生まれるだろう。


人が増えれば意見がぶつかることもあるし、世界中の争いがすべて簡単になくなるわけでもない。


それでも、この場所だけは変わらずにいてほしいと思った。


疲れた者が休めて、傷ついた者が湯に浸かり、違う種族の者同士でも同じ食卓を囲める場所。


一度旅立っても、また戻ってこられる場所。


誰かにとっての「帰る場所」であり続けることができれば、それでいい。


ユウは隣のミナを見て、穏やかに頷いた。


「うん」


ミナも小さく笑った。


二人の前には、花火が消えたあとの温泉都市『やわらぎ』が広がっている。


その街を包む還らずの谷も、遠くに連なる山々も、夜空に輝く星も昔から変わらない。


けれど谷の中には、昔にはなかった無数の明かりと、人々の暮らす気配がある。


かつて誰も近づこうとしなかった還らずの谷は、今では多くの者が訪れ、多くの者が暮らし、そして多くの者が帰ってくる場所になっていた。


ユウとミナは肩を並べたまま、しばらくその景色を眺め続けた。


明日の朝になれば、また温泉から湯気が上がる。


いつものように誰かが「おはよう」と声をかけ、誰かが朝風呂へ向かい、食堂から料理の匂いが漂ってくる。


そんな当たり前の日々が、この先もずっと続いていけばいい。


二人は同じ景色を見つめながら、言葉にしなくても同じことを願っていた。

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