見上げる大輪の花
四天王のバルグレイとセレディアが生み出した大花火が夜空に温泉印を描き、温泉都市『やわらぎ』全体から大きな歓声が上がったあとも、祭りはまだ終わっていなかった。
還らずの谷を囲む山々の上には赤や青、銀色の光が余韻のように残り、そこへ次の花火が次々と打ち上がっていく。
大通りを埋めていた人々は足を止め、屋台の料理を手にしていた者も、足湯に浸かっていた者も、誰もが同じように夜空を見上げていた。
「まだ行くぞ!」
高台からバルグレイの声が響き、その直後、赤い炎が三本同時に夜空へ駆け上がる。
セレディアはその軌道を冷静に追いながら氷晶と光の魔法を重ね、三つの炎が最高点へ達した瞬間、それぞれを赤、青、紫の大輪へと変えた。
轟音とともに夜空いっぱいに光が広がり、街中から再び歓声が上がる。
「すごい!」
「今の見た!?」
子供たちは夢中になって空を指差し、大人たちも負けないくらいの笑顔を浮かべていた。
ユウは高台からその光景を見下ろしながら、少しだけ不思議な気持ちになっていた。
人間の家族の隣には魔族の旅人が立ち、そのすぐ近くでは獣人の子供たちが飛び跳ねている。
エルフやドワーフも屋台の酒や料理を手にしており、誰がどの国から来たのか、どの種族なのかなど気にする者はいなかった。
ただ夜空に咲く花を見て、同じように笑っている。
少し離れた広場では、ガレス、セシル、フィアの三人も新人冒険者たちと一緒に花火を見ていた。
「先輩、あれすごいですよ!」
新人の一人が青白い光を指差す。
「見えてるって」
そう答えるガレスの顔にも自然と笑みが浮かんでいた。
依頼を終えて戻ってきたばかりの三人にとって、今回の祭りはちょうどいい休息になっていた。
セシルは空に広がる銀色の光を見ながら、小さく息を吐く。
「こういうのをゆっくり見るなんて、昔はほとんどなかったわね」
フィアも頷いた。
「依頼が終わったら、すぐ次の予定を考えていましたから」
「まあな」
ガレスはそう答えながら、手に持っていた串焼きを一口食べた。
昔なら、立ち止まって夜空を眺める時間など無駄だと思っていたかもしれない。
強くなることや依頼を成功させることばかり考え、休むことさえ後回しにしていた。
けれど今は、仕事を終えて戻れば温泉があり、温かな食事があり、「おかえり」と迎えてくれる者がいる。
そのうえ今日は、何の役にも立たないほど綺麗なものを皆で眺めている。
それが不思議なくらい心地よかった。
国王エルグランと魔王ゼルヴァディスも並んで夜空を見上げていた。
今日は会談ではないため二人とも祭りの料理と酒を片手にすっかりくつろいでいる。
「見事なものだな」
国王が感心したように言うと、魔王も素直に頷いた。
「バルグレイの炎を見て美しいと思う日が来るとは思わなかった」
「普段はどういう使い方をしているんだ?」
「城壁を焼くか、敵軍を吹き飛ばすか、そのどちらかだな」
「物騒だな」
「お前の宮廷魔術師も似たようなものだろう」
国王は少し考えてから笑った。
「否定はできん」
その近くでは騎士団長グラディウスも夜空を見上げていた。
バルグレイとは何度も戦場で死闘を繰り広げ、背中を預けて共闘したこともあるが、こうして彼の炎を純粋に美しいと思いながら見るのは初めてだった。
「戦う以外にも使えるものなのだな」
グラディウスが呟くと、そばにいた魔王軍兵士が笑う。
「本人に聞かれたら来年はもっと派手にしますよ」
「なら言わなかったことにしておこう」
さらに大きな花火が打ち上がり、金色の光が夜空に広がった。
獣人たちが集まる一角では、ミナがグーちゃんと並んで座っていた。
その周囲には治安維持隊のヘルウルフたちもいる。
大きな音が響くたびに何頭かの耳が動くものの、ミナが落ち着いているためか、怯える様子はなかった。
むしろ子供たちの方が大騒ぎしている。
「グーちゃん、花火見てる!」
「びっくりしないの?」
「グーちゃん強いから平気なんだよ!」
巨大なグレートヘルウルフの背中へもたれかかった子供が、次の花火が開くと両手を上げた。
「おっきい!」
ミナも同じ空を見上げる。
「うん。大きい」
普段は治安維持隊長として街を巡回し、迷子を探したり落とし物を届けたりしているミナも、この時間だけは仕事のことを忘れているようだった。
グーちゃんの頭を軽く撫でながら、次々と開く光を静かに眺めている。
少し上空には天使たちの姿もあった。
祭りに参加するため天界から降りてきた者たちが羽を広げ、地上とは少し違う角度から花火を楽しんでいる。
セラフィエルもその中にいた。
銀色の花火が開くと、その光が六枚の翼へ反射し、周囲の天使たちまで一瞬だけ光に包まれる。
「美しいですね」
若い天使が呟いた。
セラフィエルは夜空を見たまま頷く。
「ああ」
「天界でもできますか?」
その問いに、セラフィエルは少し考えた。
「技師長へ相談してみよう」
地上でその会話を聞いていたダンが思わず顔を上げる。
「天界でもやる気なの!?」
少し離れた場所にいたエルディオが笑いながら手を振った。
「空中ならかなり大きくできますよ!」
「余計に不安なんだけど!」
その声に周囲から笑いが起きる。
さらに街から少し離れた岩場では、フェルザードと四大古竜たちが花火を眺めていた。
巨大な竜の姿では街中にいるだけでも大騒ぎになるため、祭りの間は人の姿を取っていたが、花火が始まってからは街の外へ移動し、本来の姿に戻っている。
ヴァルガスが夜空へ開いた赤い花火を見ながら豪快に笑った。
『炎の広がりが甘いな! 我ならもっと大きくできるぞ!』
セレナがすぐに返す。
『あなたがやれば花火ではなく山火事になります』
『加減くらいできる!』
『信用できません』
アステルは二人の会話を聞き流しながら、光魔法と氷晶が作る複雑な色の変化を興味深そうに観察している。
一方、ガルヴァーンは巨大な身体を地面へ伏せたまま、空に咲いた金色の光を見つめていた。
『あれは食えるのか?』
アステルが振り返る。
『光ですから無理です』
『そうか』
それだけ答えると、ガルヴァーンはまた夜空へ視線を戻した。
フェルザードはそんな仲間たちのやり取りを聞きながら、静かに花火を眺めていた。
かつてこの谷には、今のような街も人々の笑い声もなかった。
世界を救ったあと、疲れ切ってこの場所へ辿り着いた一人の勇者が、小さな温泉を作って暮らしていただけだった。
フェルザード自身も何度かその湯へ招かれ、勇者と並んで長い時間を過ごした。
いつかここが、誰かが戦わずに休める場所になればいい。
そんなことを勇者が口にしていたのを、今でも覚えている。
その頃のフェルザードには、今夜のような光景など想像できなかった。
人間と魔族が肩を並べ、獣人の子供たちが笑い、天使まで空を飛び、そのすべてを古竜たちが同じ場所から眺めている。
フェルザードは、空に広がった大輪の花を見ながら小さく呟いた。
『……見えているか』
隣にいたアステルが顔を向ける。
『何か言いましたか?』
『何でもない』
フェルザードはそれ以上答えず、再び夜空へ視線を戻した。
やがて祭りの最後を飾る花火の準備が整った。
高台ではバルグレイとセレディアだけでなく、リーフェやエルメリア、王国と魔族の魔術師たち、それに天界の技師まで最終確認を行っている。
これまでに上げた花火よりも、さらに大きなものになるらしい。
「今度こそ本当に最後だからな!」
ダンが念を押す。
バルグレイが笑う。
「分かってる!」
セレディアが冷静に付け加える。
「あなたは余計なことをしないで予定通り撃ちなさい」
「俺を信用しろ!」
「火力については信用しているわ。加減について信用していないだけよ」
「そこ分ける必要あるか!?」
そんな二人のやり取りを聞きながら、ユウも思わず笑った。
そして合図とともに、最後の光が空へ上がった。
一本の巨大な炎が還らずの谷の夜空を真っ直ぐに駆け上がり、それを追うように青白い氷晶と無数の光が集まっていく。
高く、高く昇った光は、山々よりもさらに上で一瞬だけ止まったように見えた。
次の瞬間、夜空いっぱいに巨大な花が咲いた。
赤を中心に青、白、金、緑、紫が重なり、それぞれの色が互いを消すことなく一つの大輪を形作っていく。
あまりの大きさに、誰もすぐには声を上げなかった。
ただ見上げていた。
人間も魔族も獣人も、エルフもドワーフも天使も古竜たちも、その瞬間だけは種族や立場の違いなど忘れたように同じ夜空を眺めていた。
やがて最初に声を上げたのは子供だった。
「きれい!」
その一言をきっかけに、街中から大きな歓声が上がる。
拍手が重なり、笑い声が広がり、誰かが隣の者と顔を見合わせて笑っている。
ユウはそんな街の様子を高台から眺めていた。
いつの間にか隣にはミナが戻ってきている。
「巡回は?」
「交代した」
「お疲れさま」
ミナは頷き、そのままユウと並んで夜空を見上げた。
「きれい」
「うん」
少し前まで、ここは誰も近づきたがらない還らずの谷だった。
今では温泉都市『やわらぎ』があり、大勢の人が暮らし、旅人が訪れ、依頼へ出た冒険者たちが帰ってくる。
王国と魔族が争いそうになれば足湯で話し合い、傷ついた者は黄金湯で身体を休め、腹が減れば種族の違う料理人たちが同じ厨房で作った料理を食べる。
今夜はその全員が、同じ花火を見て笑っていた。
「みんな、楽しそう」
ミナが言う。
「そうだね」
「ユウは?」
ユウは少しだけ考え、街を見渡した。
屋台の前で笑っているカヤ。
食べ物を配り終え、ようやく花火を見ているレイン。
いつものように何かへ突っ込んでいるダン。
ガレスたち旧パーティー。
王国の人々。
魔族たち。
天使と古竜。
そして隣にいるミナ。
ユウは自然に笑った。
「僕も楽しいよ」
ミナはその返事を聞いて、少し嬉しそうに笑う。
夜空の大輪は少しずつ形を崩し、無数の光となって還らずの谷へ降り注ぐように消えていった。
けれど、その光が消えても人々の笑顔は残っていた。
かつて戦場で向かい合った者たちも、遠い国から来た旅人も、この街で生まれ育った子供たちも、今だけは同じ祭りを楽しむ一人の客だった。
過去の勇者が本当に見たかった景色が何だったのか、ユウには分からない。
それでも、もし彼が今ここにいたなら、温泉から上がる湯気の向こうで笑っている人々を見て、きっと悪くないと言ってくれるような気がした。
還らずの谷の夜空に咲いた大輪の花は、やがて完全に消えて星空へ戻っていく。
それでも誰もすぐには帰ろうとせず、人々は余韻を惜しむように夜空を眺めながら、隣にいる誰かと今日見た花火について楽しそうに語り合っていた。
温泉都市『やわらぎ』初めての大花火大会は、種族も国も越えて同じ空を見上げ、同じ美しさに笑顔を浮かべる夜として、そこにいたすべての者の記憶へ残ることになった。
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