冒険者たちの新しい拠点
ガレスたちが護衛任務から戻った翌朝、温泉都市『やわらぎ』はいつもと変わらない湯気に包まれていた。
まだ日が昇りきる前だというのに大浴場へ向かう住民の姿があり、食堂ではレインたちが朝食の仕込みを始め、露店街でも少しずつ店を開く準備が進んでいる。
そんな街の中を、昨日ガレスたちと一緒に戻ってきた新人冒険者たちが歩いていた。
「……本当に朝から温泉入るんですね」
一人が眠そうな顔で言うと、先頭を歩いていたガレスが振り返った。
「嫌なら入らなくてもいいぞ」
「いや、入りますけど」
「昨日も入ったじゃないですか」
別の新人が言う。
ガレスは当然のように答えた。
「昨日は依頼帰りの風呂だ。今日は朝風呂だろ」
新人たちが顔を見合わせる。
後ろを歩いていたセシルが苦笑した。
「ガレス、完全にここの生活に染まったわね」
「お前だって来てるだろ」
「私は付き添いよ」
「その割に着替え持ってるじゃねぇか」
セシルは何も答えなかった。
フィアが隣で楽しそうに笑っている。
結局、新人たちも含めて全員で朝風呂へ向かい、昨日の疲労がまだ少し残っていた身体を温泉でほぐすことになった。
依頼中は野営が続き、身体を拭くだけで済ませる日も少なくなかった新人たちにとって、二日続けて広い浴槽へ浸かれるだけでも贅沢だったらしい。
湯船へ沈んだ一人が大きく息を吐いた。
「……ここから次の依頼行きたい」
ガレスが横を見る。
「まだ帰ってきたばっかりだぞ」
「だからですよ。依頼前にここで休んで、終わったらまた戻ってくるんです」
別の青年も頷く。
「冒険者ギルドのある街って、宿が高かったり飯が微妙だったりするじゃないですか」
「お前、昨日レインの飯を腹いっぱい食ったから余計そう思ってるだろ」
「否定できません」
少し離れたところで同じ湯へ入っていたダンが笑った。
「若いのにもう贅沢覚えちまったな」
新人が反論する。
「ダンさんだって毎日のように入ってるんでしょう?」
「俺は常連だからいいんだよ」
「理由になってませんよ」
「最近の新人は遠慮がねぇな!」
浴場に笑い声が響いた。
朝風呂を終えると、今度は食堂へ向かう。
そこにはすでに温かなスープと焼きたてのパン、卵料理、それに朝からしっかり食べたい冒険者向けの肉料理まで並んでいた。
新人たちが席につくなり目を輝かせる。
「これ、普通の朝飯ですか?」
レインが厨房から答える。
「足りなければ言え」
「足りないどころか宿より豪華なんですけど」
「昨日働いたんだろ。なら食え」
それ以上の説明はなかった。
ガレスはそんなやり取りを眺めながら、どこか懐かしいような、不思議な気持ちになっていた。
昔は、依頼が終われば身体が疲れていても、報酬を受け取り、そのまま次の仕事を探していた。
休むことそのものを、どこか怠けることのように考えていた。
けれど今は、まず戻って湯に入る。
飯を食べ、そして眠る。
それから次を考える。
その方が身体も動くし、何より余計な苛立ちを抱えたまま依頼へ出なくて済むことを、三人とも知ってしまった。
食後、ガレスたちが宿の前で次の予定を話しているところへ、ユウがやって来た。
「今日は休み?」
「ああ。ギルドへの報告は明日でも間に合う」
「じゃあゆっくりできるね」
ユウがそう言うと、セシルが少し迷ったあと尋ねた。
「ねえユウ。この街って、冒険者が長く滞在するための場所はまだ空いてる?」
「宿?」
「宿でもいいけど……もう少し長期間借りられる部屋みたいなもの」
ユウは首を傾げた。
「住むの?」
ガレスが頭を掻く。
「そこまで大げさな話でもないんだがな。最近は谷周辺の依頼が多いし、遠くへ出ても結局ここに戻ってきてるだろ」
フィアも頷く。
「毎回宿を取り直すより、拠点にできる場所があった方がいいかなと思いまして」
昨日、新人から「ここに住んでいるのか」と聞かれた時には、似たようなものだと答えた。
けれど一晩経って考えてみれば、もう本当にそうしてもいいのかもしれないと思えてきた。
ユウは少し考え、
「ちょうど新しい居住区に、長期滞在者向けの建物も作ってるよ」
「また増えてるの?」
セシルが思わず聞き返す。
「うん。元英雄の人たちだけじゃなくて、湯治で何か月か暮らす人も増えたから」
ガレスが笑った。
「本当に来るたび何か増えるな」
「そんなにかな」
「そこは昨日も聞いたわ」
セシルが呆れる。
そこへドグランが建築現場から歩いてきた。
「長期滞在用なら東側だ。冒険者向けなら倉庫付きの建物が一つ空いてるぞ」
ガレスが興味を示す。
「倉庫?」
「武器、防具、野営道具を置ける。普通の住宅に泥だらけの装備持ち込まれちゃ掃除が大変だろ」
「それは助かるな」
「簡単な手入れ場も付けてある」
ダンまで話を聞いて近づいてくる。
「冒険者宿より便利じゃねぇか」
ドグランが鼻を鳴らした。
「住む奴が増えれば必要になると思って作った」
カヤもどこからともなく現れた。
「じゃあガレスたち引っ越すの?」
「まだ決めてねぇよ」
「三人用?」
ガレス、セシル、フィアが同時にカヤを見る。
「三人まとめて住むと思ってるの?」
セシルが言う。
カヤはきょとんとする。
「ずっとパーティーだから」
「部屋は別に決まってるでしょう!」
「なんだ」
「何を期待してたのよ!」
ダンが横で笑い出し、フィアも困ったように頬へ手を添えた。
ガレスだけは面倒そうにため息を吐く。
「とりあえず見てから決める」
三人はドグランに案内され、新居住区へ向かうことになった。
新人冒険者たちも興味を持ってついてくる。
「俺たちも将来ここに住めるんですか?」
「冒険者なら誰でも住めるって話じゃねぇぞ」
ガレスが言う。
「ちゃんと家賃払うならいいと思うよ」
ユウが普通に答える。
「ユウ、そういうとこ軽いな」
ダンが呆れる。
「空いてるなら住んでもらった方がいいでしょ」
「総支配人らしいのか湯守らしいのか、もう分かんねぇな」
新しい居住区には、小さな家々が並んでいた。
元英雄たちの姿も見える。
朝の散歩をしている者。
庭で武器の手入れをしている者。
近所の子供へ昔の冒険話をしている者。
そして居住区の一角には、冒険者の長期滞在を想定した建物が数棟作られていた。
三人が中へ入る。
一階には共同の居間と簡単な調理場。
奥には装備を置く倉庫。
二階には独立した個室が並んでいる。
セシルが窓を開けると、遠くに温泉街の湯気が見えた。
「……いいわね」
フィアも頷く。
「静かですし、大浴場までも近いですね」
ガレスは倉庫を見る。
武器を掛ける場所があり、防具を乾かすための台まで用意されている。
「冒険者のこと分かって作ってやがる」
ドグランが笑う。
「何人住んでると思ってんだ、この街に」
しばらく三人で建物を見て回ったあと、ガレスがセシルとフィアを見る。
言葉にする必要もなかった。
二人とも、すでにほとんど決めている顔だった。
「借りるか」
「そうね」
「私は賛成です」
決まるのは早かった。
ユウは笑う。
「じゃあ、これからは本当におかえりって言えるね」
ガレスは少しだけ黙った。
昨日も言われた言葉だった。
けれど今度は意味が少し違う。
一時的に戻ってくる宿ではない。
次の依頼まで休むだけの場所でもない。
ここから仕事へ出て。
ここへ戻ってくる。
そういう拠点を自分たちで選んだ。
「……そうだな」
ガレスは窓の外を眺めた。
温泉の湯気が街の上へゆっくりと昇っている。
その向こうではグーちゃんたちが巡回し、ミナが子供に道を教えていた。
遠くからカヤの元気な声まで聞こえてくる。
セシルが小さく笑った。
「こんな場所を拠点にするなんて、昔の私たちに言っても信じないでしょうね」
フィアも笑う。
「温泉に入りたいから依頼を早く終わらせるようになるかもしれません」
「それはもうなってる」
ガレスが答えた。
三人が顔を見合わせる。
そして一緒に笑った。
こうしてガレス、セシル、フィアの三人は、温泉都市『やわらぎ』を正式な冒険者としての拠点にすることを決めた。
依頼があれば外へ出る。
困っている者がいれば助ける。
新人を連れて旅をすることもある。
けれど仕事が終われば、還らずの谷へ戻ってくる。
そこには温泉があり、温かな食事があり、自分たちを迎える仲間がいる。
かつてユウを追放した三人が長い遠回りの末に見つけたものは、強さでも名声でもなく
「行ってきます」と言える場所と、「ただいま」と帰ってこられる場所だった。
冒険者として旅を続けながらも、彼らにもようやく帰る家ができようとしていた。
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