グルメガイド爆売れ
温泉都市『やわらぎ』の治安が落ち着き、もふもふ自警団の巡回が日常の風景として馴染み始めた頃、今度は別の意味で街を騒がせる出来事が起きた。
その中心にいたのは、もちろんカヤだった。
「できたー!」
昼前の食堂に響いた大声に、近くで黄金湯の状態を確認していたユウが顔を上げた。
ダンも食事の手を止め、リーフェは嫌な予感がしたのか、読んでいた資料からゆっくり視線を上げる。
カヤは胸の前に一冊の本を抱えていた。
それほど厚くはないが、表紙には湯気の上がる食堂街と、温泉まんじゅうを手にしたカヤ自身の絵が描かれている。
その周囲にはレインの料理や串焼き、果実水、極上氷を使ったかき氷まで、所狭しと並んでいた。
中央に大きく記されているのは、『やわらぎ温泉街・食べ歩き完全ガイド』という題名だった。
ダンが本とカヤを交互に見た。
「……いつの間に作った?」
「少しずつ!」
「少しずつで、本が一冊できるか?」
「夜とか、店番の合間とか、移動中とかに書いてたんだよ」
リーフェが眉を上げた。
「最近、やたらと色んな店で食べていると思ったら、これの取材だったの?」
「半分は取材!」
「残り半分は?」
「普通に食べたかった!」
「でしょうね」
カヤは気にする様子もなく、完成した本をテーブルへ置いた。
中を開くと、予想以上にしっかり作られていた。
温泉街の簡単な地図から始まり、朝食向け、食べ歩き向け、しっかり食べたい人向け、甘味、土産物、湯上がり向けと、目的ごとに細かく分けられている。
店の名前を並べるだけでなく、『朝風呂のあとならここ』『サウナのあとならこれ』『湯上がりに軽く食べたい人向け』と、温泉との組み合わせまで紹介されていた。
ユウが感心したようにページをめくる。
「すごく分かりやすいね」
「でしょ!」
カヤの尻尾が勢いよく揺れた。ダンも横から覗き込み、地図と店の紹介を見比べる。
「……これ、普通に便利だな」
「なんで驚くの!」
「もっと『カヤおすすめ! 全部食べよう!』みたいな本だと思ってた」
「それじゃガイドにならないじゃん」
「意外とちゃんとしてる……」
「意外って言うな!」
さらに読み進めると、食堂のページにはレインの料理が細かく紹介されていた。
特製やわらぎ鍋や希少魔獣肉を使った料理、季節の野菜煮込み、冒険者向けの大盛り定食、湯治客向けの消化に良い料理まで紹介され、それぞれに簡単な説明がついている。
新しく考案された軽食も載っており、初めて来た客が何を頼むか迷ったときには役立ちそうだった。
しかし、あるページでダンの手が止まった。
「ちょっと待て。この『レインに新作を頼むときの注意』って、必要か?」
「大事な情報だよ」
そこには、『忙しい時間に無茶な注文をすると、静かに怒られるので注意!』と書かれていた。
食堂の奥から、レインの声が飛んでくる。
「消せ」
カヤが慌てて本を閉じた。
「もう印刷した!」
「消せ」
「第二版から考える!」
「今すぐ考えろ」
ダンは笑いを堪えながら本を開き直し、次のページを見た。
今度は温泉まんじゅうの特集だった。
定番から新作、季節限定の品まで紹介され、食べ比べのおすすめ順や、「朝は売り切れやすいので先に買うべし」という実用的な情報も載っている。
「これは完全にカヤの専門分野だな」
「でしょ?」
「温泉より詳しくないか?」
「失礼だなぁ。温泉にも詳しいよ!」
「主に、湯上がりに何を食うかだろ」
「それも大事!」
ミナも横から本を覗き込んでいたが、あるページを見つけて指を止めた。
「私、いる」
「看板娘おすすめ」という欄に、ミナが好きな軽食や甘味が紹介されていた。カヤは嬉しそうに頷く。
「看板娘のおすすめなら、気になる人も多いと思って!」
「私、宣伝された?」
「ちゃんと許可を取ったよ」
「いつ?」
「前に、好きな食べ物を聞いて、本に載せてもいいって言ってくれたとき」
ミナは少し考えてから頷いた。
「……あれ、取材だったんだ」
「半分は!」
「また半分かよ」
ダンの声に、テーブルを囲む皆が笑った。
本はその日の午後から、露店街の案内所と宿の受付、温泉手形を扱う窓口の近くで販売されることになった。
最初に用意したのは百冊だった。カヤは自信満々だったが、ダンは少し多すぎるのではないかと思っていた。
「本って、そんなに簡単に売れるものなのか?」
「絶対売れる!」
「百冊だぞ?」
「今、温泉街に何人来てると思ってるの!」
カヤの予想は当たっていた。販売を始めて間もなく半分が売れ、夕方前には残り十冊となり、日が沈むより先に最後の一冊までなくなった。
「売り切れたー!」
案内所から響いた声に、ダンが目を丸くする。
「本当に?」
「本当に!」
「百冊、全部か?」
「全部!」
購入した客の多くは、初めてやわらぎへ来た観光客だった。
街が大きくなったことで、どこで何を食べればいいのか迷う者が増えていたらしい。
本には店の場所だけでなく、混みやすい時間帯まで載っている。
買ったばかりの本を開き、連れと相談しながら歩く客の姿が、街のあちこちで見られた。
「昼はレインの食堂が混むらしい。先に串焼きを食べて、少し時間をずらすか」
「こっちには、湯上がりにおすすめの果実水が載ってるぞ」
「じゃあ、風呂のあとはそこへ行こう」
翌日には増刷が決まった。今度は五百冊と聞いて、ダンはまた驚いた。
「急に五倍かよ!」
「昨日買えなかった人が予約してるの!」
「本まで予約するようになったのか」
「欲しいって言われたんだから、用意しないと!」
さらに、王都へ戻る商人の一人が販売用にまとめて買っていったことで、本は街の外へも広がり始めた。
王都の書店や冒険者ギルド、宿屋などに置かれ、旅商人も扱うようになった。
やわらぎを訪れる予定のある者だけでなく、どんな料理があるのか見てみたいという者まで買い求めるようになったらしい。
魔族側でも販売の話が進み、馴染みのない料理名などに説明を加えた版が作られることになった。
カヤは机いっぱいに積まれた注文書を見ながら、しばらく固まっていた。
「……どうしよう」
ユウが横から覗く。
「いっぱいだね」
「いっぱいどころじゃないよ!」
ダンも注文数を確認した。
「これ、全部で何冊だ?」
「今のところ、三千以上」
「三千!?」
リーフェも驚いて注文書へ目を向けた。
「街で売る観光案内だと思っていたけど、ずいぶん遠くまで広まったのね」
話を聞いたエルメリアもやって来た。
「王国側の文官から報告が届いているわ。都市外への流通量が、かなり増えているらしいの」
カヤの目が輝いた。
「ベストセラー?」
「少なくとも、この地域の実用書としては異例の売れ方ね」
「やった!」
カヤが両手を上げると、ダンは半ば呆れながら笑った。
「お前、とうとう土産物だけじゃなく、本まで売り始めたな」
「街のいいところを教えてるだけだよ!」
「それで儲かってるけどな」
「売れたら、次も作れるし!」
その言葉に、ダンが眉を寄せた。
「次?」
カヤはすでに新しい紙を取り出していた。
「『やわらぎ温泉完全攻略ガイド』とか!」
「温泉を攻略するな!」
「じゃあ、『初めてでも安心! やわらぎ一泊二日満喫コース』は?」
「もう次の本を作る気満々じゃねぇか!」
「絶対、欲しい人いると思う!」
二人のやり取りを聞きながら、ユウは最初の一冊をめくっていた。
内容はカヤらしく賑やかだったが、料理の紹介を読んでいくと、店で働く人たちの様子まで目に浮かんだ。
レインの食堂については、「疲れた旅人にもちゃんと食べてほしいので、量は相談できます」と書かれている。
獣人の露店には、「朝から元気なお店。夕方は忙しさが落ち着くので、ゆっくり選びたい人におすすめ」とある。
ドワーフの酒場には、「酒の話を聞くと長くなるけれど、面白い」と添えられていた。
品物や味だけでなく、店に立つ人の気遣いや、話をする楽しみまで紹介されている。
「カヤらしい本だね」
ユウが言うと、カヤは紙から顔を上げた。
「そう?」
「うん。店だけじゃなくて、そこで働いてるみんなのことも書いてある」
カヤは少し照れたように尻尾を揺らした。
「だって、料理だけじゃなくて、作ってる人も込みでやわらぎでしょ」
ユウは頷いた。
温泉も同じで、黄金湯の効能は確かに多くの人を呼び寄せているが、湯を整える者や料理を作る者、家を建てる者、客を案内する者、街を守る者たちがいなければ、訪れた人々を迎えることはできなかった。
カヤの本には、そんな人々が作ってきた街の魅力が詰まっていた。
食べ歩き完全ガイドは、その後も増刷を重ねるほど売れ続けた。
やがて各国からやって来る旅人の間では、温泉手形と一緒に一冊持っておくのが定番になり、案内所で最初に聞かれる言葉まで変わっていった。
「温泉手形と、食べ歩きガイドを一冊ください」
そんな声がするたびに、カヤは誇らしそうに胸を張って本を差し出した。
その横でダンは、客がさっそくページを開く様子を眺めながら、苦笑するのだった。
「風呂に入る前から、何を食うか決めてるのかよ……」
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