五分の対話
「喧嘩する前に、まず足湯」
そんな半ば冗談のような言葉が国際的な取り決めとして広まり始めてから、温泉都市『やわらぎ』の国際平和議事堂には、それまで以上に様々な揉め事が持ち込まれるようになった。
国同士の交易問題や国境争いだけではない。
商業組合同士の利権争い、冒険者ギルドと領主の対立、異なる種族の集落同士で起きた水源問題まで、「戦うくらいなら一度やわらぎへ行け」と言われるようになり、エルメリアのもとには連日のように会談の申し込みが届いている。
そんな中でも、今回の案件は少し特殊だった。
「127年?」
ユウが聞き返すと、エルメリアは手元の資料を見ながら頷いた。
「記録に残っているだけで127年。実際にはそれより前から揉めていた可能性もあるそうよ」
「何でそんなに長く?」
「領土」
横から資料を覗き込んだダンが嫌そうに顔をしかめる。
「また土地か……」
問題になっているのは、アルディオン王国内に領地を持つ二つの大貴族家だった。
両家の領地の境には広い草原があり、その一帯をどちらの領地とするのかについて、何世代にもわたって争い続けているという。
百年以上も争っているなら、さぞ重要な土地なのだろうとユウは思った。
「鉱山でもあるの?」
「ないわ」
「大きな街?」
「ない」
「珍しい魔物の素材が採れるとか?」
「特にない」
ユウは首を傾げた。
「じゃあ何があるの?」
エルメリアが資料をめくる。
「草」
「草?」
「あと小さな川」
ダンが遠い目になった。
「100年以上、草原で争ってんの?」
「正確には、昔その草原を通る交易路があったらしいわ。でも50年以上前に街道が別の場所へ移されて、今では近隣の牧畜民が家畜を放す程度ね」
「じゃあ今はほとんど価値ないじゃん」
カヤが呆れる。
エルメリアも頷いた。
「そうね。でも『先祖代々の領地だから譲れない』という話になっている」
ダンが頭を抱える。
「一番面倒なやつだ」
やがて会談当日になり、二つの貴族家の当主がやわらぎへ到着した。
一人は白髪混じりの壮年男性で、背筋を伸ばした厳格そうな人物。
もう一人は体格のいい中年男性で、こちらも見るからに気が強そうだった。
議事堂の入口で顔を合わせた瞬間、二人の空気は明らかに険悪になる。
「相変わらず顔だけは立派だな」
「そちらこそ。祖父の代から厚かましさだけは変わらんらしい」
「何だと?」
「聞こえなかったか?」
ダンが少し離れた場所から見て呟いた。
「もう帰りたい」
カヤが楽しそうに答える。
「まだ始まってもないよ」
「始まる前から100年分の悪口出てんだけど」
ユウは二人の前へ出る。
「とりあえず中へどうぞ」
双方の当主はまだ睨み合っていたが、国王から直々に「一度やわらぎで話してこい」と言われて来た以上、帰るわけにもいかなかった。
武器を預け。
靴を脱ぎ。
そして円卓へ座る。
足元には、やわらぎの湯から引いた温かな足湯が流れている。
白髪の当主が不満そうに言った。
「本当にこれへ入る必要があるのか?」
「決まりなので」
ユウが答える。
「我が家は100年以上、あの家と争っているのだぞ」
「だから入るんじゃないですか?」
当主は言葉に詰まった。
反対側の男が鼻で笑う。
「怖気づいたなら帰っても構わんぞ」
「誰が怖気づいた!」
白髪の当主は勢いよく足を入れた。
「あ……」
声が漏れた。
向かい側の男が笑う。
「情けない声を出すな」
そう言いながら自分も足を入れる。
「……おお」
今度は白髪の当主が笑った。
「貴様も同じではないか」
「うるさい」
その時点で、少なくとも入口で顔を合わせた時より空気は軽くなっていた。
エルメリアが会談開始を告げる。
「では、両家の領地境界について話し合います」
二人の顔が再び険しくなった。
「我が家の主張は変わらん!」
「こちらもだ!」
ダンが壁際で小さくため息を吐く。
カヤは時計代わりの砂時計を置いた。
今回の会談がどれほど長引くか分からないため、レインには昼食どころか夕食まで準備してもらっている。
最悪の場合は宿泊して翌日に持ち越すことも想定されていた。
白髪の当主が地図を広げる。
「この川より東は、200年前の王国記録でも我が家の領地だ!」
「その記録は古い! 150年前の境界協定では丘陵部まで我が家の管理地となっている!」
「その協定そのものが不当だったと言っている!」
「負けた側が今さら何を言う!」
二人の声が大きくなる。
エルメリアが資料を確認し、リーフェも同席している文官たちと地図を見比べる。
ユウは少し離れたところから聞いていたが、あることに気づいた。
「その草原って、今は誰が使ってるんですか?」
二人の当主が止まる。
「何?」
「牧畜民が使ってるって聞きましたけど」
白髪の当主が答える。
「我が領の民が牛を放している」
反対側からすぐ反論が飛んだ。
「羊を放している者の大半は我が領民だ!」
「じゃあ両方使ってるんですね」
「……まあ」
「そうなるが」
ユウはさらに尋ねる。
「どっちかの領地になったら、片方は使えなくするんですか?」
また二人が黙った。
白髪の当主が先に口を開く。
「いや……今さら追い出すつもりはない。昔から互いの民が使っているからな」
もう一人も渋々頷いた。
「牧草地を分けたところで家畜は境界線など理解せん。実際には共同利用になっている」
ユウは首を傾げた。
「じゃあ今、何を争ってるんです?」
静かになった。
ダンが口元を押さえた。
カヤも笑いを堪えている。
二人の当主は互いの顔を見る。
「……領有権だ」
白髪の当主が言う。
「それが変わると何か困る?」
ユウが聞く。
「我が家の……」
言葉が止まる。
「面子だ」
もう一人が代わりに答えた。
自分で言ってから、本人も妙な顔になった。
ユウはさらに聞く。
「そのために100年以上?」
二人とも答えなかった。
足元では、温かい湯が静かに流れている。
少し前まで険しかった顔から、徐々に力が抜けていた。
白髪の当主が長く息を吐く。
「……正直に言えば、俺もよく分からん」
向かいの男が顔を上げる。
「何?」
「父から『あの草原だけは絶対に譲るな』と言われて継いだ。理由を聞けば、祖父からそう言われたと答えられた」
もう一人が眉を寄せる。
「うちも似たようなものだ」
「貴様のところも?」
「父は『あちらにだけは負けるな』と言っていた。だが草原を取ったところで収入が増えるわけでもない」
そこで初めて。
二人は敵としてではなく、同じ面倒事を先代から押しつけられた者同士のような顔をした。
「……馬鹿らしくないか?」
白髪の当主が言う。
向かい側の男も足湯へ視線を落とした。
「127年だぞ」
「俺たちが始めたわけでもない」
「息子にも引き継がせる気か?」
「嫌だな」
即答だった。
それから少しだけ沈黙が続き。
白髪の当主が地図の中央を指差した。
「共同管理でどうだ」
もう一人が見る。
「共同?」
「今まで通り両方の領民が使う。税も取らん。境界石は撤去する」
「……街道が戻る可能性は?」
「その時は収益を折半」
「水の管理は?」
「共同で水路を整備する」
男は少し考え。
手を差し出した。
「なら、それでいい」
白髪の当主も、その手を握る。
「決まりだ」
部屋が静かになった。
エルメリアが書類を持ったまま止まっている。
リーフェも瞬きをした。
ダンがカヤを見る。
「……終わった?」
カヤは砂時計を見る。
まだ砂がほとんど落ちていない。
「5分」
「は?」
「会談始まってから5分くらい」
ダンは二人の当主を見る。
「127年揉めてたんだよな?」
エルメリアが資料を確認する。
「記録上は」
「それが5分?」
「5分ね」
二人の当主も今になって気づいたらしい。
互いに何とも言えない顔で見つめ合う。
「……我々は100年以上、何をしていたんだ?」
「それを俺に聞くな」
「お前の家が意地を張るからだろう」
「そちらが先だ」
再び空気が険しくなりかけた。
ダンが慌てる。
「待て待て! 今和解しただろ!」
ユウが足湯の流量を少し増やした。
新しい湯が二人の足元へ流れ込む。
二人は同時に息を吐いた。
「……まあいい」
「そうだな」
ダンは天井を仰いだ。
「足湯強ぇ……」
カヤは完全に面白がっている。
「新記録だね!」
「何の記録だよ」
「紛争解決時間」
「競うもんじゃねぇ!」
その後、文官たちが正式な共同管理協定を作成する方が、二人が和解するまでより遥かに時間がかかった。
しかも署名を終えた両当主はすぐに帰らず、そのまま足湯へ残った。
「ところで、お前のところの羊は最近どうだ?」
「去年から新しい品種を入れた。毛の質がいい」
「それは興味があるな」
「牛と交換するか?」
「悪くない」
百年以上争っていた二つの家の当主とは思えない会話だった。
やがてカヤが飲み物を持ってくると、二人は並んで受け取り、そのまま領地同士の交易について話し始めた。
ダンは少し離れた場所からその光景を見ながら、まだ納得できない顔をしていた。
「5分かぁ……」
ユウが隣で頷く。
「早く終わってよかったね」
「127年を5分で終わらせた感想が軽いんだよ!」
「でも本当に争う理由がなかったみたいだし」
「それはそうなんだけど!」
リーフェが小さく笑う。
「長く続いた争いほど、途中から『なぜ争っているのか』より『争ってきたから譲れない』に変わることもあるのかもしれないわね」
ユウは足湯へ浸かりながら話している二人を見る。
やわらぎの湯が百二十七年分の歴史を消したわけではない。
互いの家が争ってきた事実もなくならない。
ただ、肩の力を抜いて同じ湯へ足を入れたことで、二人とも初めて自分たちに問い直す余裕ができた。
本当に、今も争う必要があるのかと。
その日の夕方には、議事堂前の掲示板へ新しい共同協定の成立が貼り出された。
それを見た住民たちは驚き。
事情を聞いてさらに驚いた。
そして数日もしないうちに、温泉都市『やわらぎ』では新しい話が広まることになった。
――百年以上続いた争いでも、足湯なら五分。
もちろん、ユウたちはそんな宣伝をした覚えはなかった。
ただ一人。
カヤだけは、その言葉を聞きながら何やら新しい看板の案を考えていた。
「カヤ」
ダンが低い声で呼ぶ。
「何?」
「『最短五分で和解できます』とか看板に書くなよ」
「まだ何も言ってないよ!」
「顔に書いてあるんだよ!」
議事堂の外に笑い声が響く。
武器を置き。
靴を脱ぎ。
温かい湯へ足を入れて。
ほんの少しだけ相手の話を聞く。
それだけで、百年以上動かなかったものが動くこともある。
温泉都市『やわらぎ』の足湯は、また一つ、長い争いを終わらせる場所になっていた。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークやページ下部の☆を押して評価をお願い致します!
作者の励みになります!




