足湯による和解
国際平和議事堂が完成してから、温泉都市『やわらぎ』には各国の代表者が以前にも増して集まるようになった。
最初は王国と魔族側の交易交渉や、西方諸国との通商協議が中心だった。
やわらぎで行われた会談は妙にまとまりがいいという評判が広がるにつれ、持ち込まれる問題も次第に大きくなっていった。
そして、議事堂が完成してから半月ほど経った頃、ついに本格的な国家間紛争が持ち込まれた。
「……戦争になりそうなの?」
ユウが文書を読みながら尋ねると、机の向こうに座っていたエルメリアが頷いた。
「可能性は高いわね」
問題になっているのは、西方にある二つの小国だった。
長年共有してきた山間部の街道付近で新しい鉱脈が見つかり、どちらの国に所有権があるのかを巡って対立が始まったらしい。
最初は外交官同士の交渉だったが難航し国王同士がそれぞれの王都で会談を行った。
それでも決まらず、とうとう双方が街道へ兵を置き始めた。
「まだ戦ってはいないのよね?」
「今のところは。ただ、国境付近で兵士同士の小競り合いが何度か起きてる」
ダンが腕を組んだ。
「一回死人が出たら止まりにくくなるな」
「だからその前に、両国が第三者を交えた会談を開くことになったの。ただし、互いに相手の王都へ行きたくないと言ってる」
カヤが帳簿を抱えたまま首を傾げる。
「それでやわらぎ?」
「そういうこと」
ユウは納得して頷いた。
「じゃあ議事堂を使えばいいね」
「そこまでは普通なのよ」
エルメリアが少し疲れた顔をする。
「問題は向こうから出された条件」
「条件?」
「両国とも、自国の武装護衛を議場まで連れて入りたいって」
ダンが眉を寄せる。
「それじゃ意味ねぇだろ」
国際平和議事堂では、中央議場への武器の持ち込みを原則として認めていない。
国王も魔王も例外ではない。
会談へ入る時は武器を預け、靴を脱ぎ、円卓の下にある足湯へ足を入れる。
最初は冗談のように思われていた決まりだったが、今ではやわらぎで会談をする際の暗黙の作法になっていた。
「なら断れば?」
ユウが言う。
「もう断ったわ」
「じゃあ大丈夫だね」
「ところが双方とも『相手が先に武器を置くならこちらも置く』って言い始めた」
ダンが顔をしかめる。
「子供か」
カヤが笑う。
「どっちが先に靴脱ぐかでも揉めそう」
エルメリアは否定しなかった。
そして会談当日。
温泉都市やわらぎへ到着した二つの国の一行は、議事堂へ入る前から険悪だった。
「我が国の兵を街道から撤退させろと言うなら、そちらが先に鉱山から退け!」
「そもそも鉱山は我が国の古い地図で領内とされている!」
「百年前の地図を持ち出すつもりか!」
「そちらこそ五十年前に勝手に境界石を動かしたではないか!」
国王同士が入口前で言い争っている。
その後ろでは互いの護衛も睨み合い、今にも剣へ手を伸ばしそうだった。
少し離れたところから見ていたダンがユウへ囁く。
「これ、会議始まる前に戦争始まらない?」
「困るね」
「もうちょっと危機感持て」
そこへ議事堂を管理している文官が前へ出た。
「申し訳ございませんが、議場への武器の持ち込みは禁止となっております」
片方の王が即座に反発する。
「相手が武器を持っている状況で、我らだけ預けろと言うのか!」
もう一方も負けていない。
「こちらとて同じだ!」
文官が困った顔でエルメリアを見る。
エルメリアは額を押さえた。
「本当にカヤの言った通りになったわね」
カヤが小声で言う。
「靴の方も来るかな」
「来なくていい」
ユウはしばらく二人の王を眺めていたが、やがて議事堂の入口へ歩いていった。
「じゃあ、二人一緒に預けたらいいんじゃないですか?」
言い争いが止まる。
二人の王が同時にユウを見る。
「同時に?」
「はい」
ユウは武器預かり所を指した。
「せーので置けば、どっちが先とかないですよね」
ダンが顔を覆った。
「国家間の緊張をそんな方法で解決していいの?」
しかし二人の王は互いを睨んだあと、意外にも納得した。
「……よかろう」
「こちらも異論はない」
両者は同時に剣を外した。
問題はそこで終わらなかった。
議場へ入ったあと、今度は足湯を前に二人が止まった。
「……これに入るのか?」
「はい」
ユウが答える。
「会談中ずっと?」
「出たくなったら出てもいいです」
「いや、そういう問題では……」
もう一人の王も困惑している。
先に到着していたエルグランが足湯へ浸かりながら笑った。
「諦めろ。この場所ではそういうものだ」
隣では魔王ゼルヴァディスもくつろいでいる。
「慣れれば悪くない」
西方の王が二人を見る。
「王国国王と魔王が普通に足を湯へ入れている……」
ダンが小声で呟く。
「改めて見るとすごい光景だな」
最終的に二人の王も靴を脱ぎ、円卓へ座った。
最初はかなり警戒していた。
しかし温かい湯へ足を沈めて数分もすると、少しずつ肩から力が抜けていく。
とはいえ、問題そのものが消えるわけではない。
「鉱山の所有権はこちらにある!」
「認められん!」
会談が始まると、すぐに声が大きくなった。
双方が古い地図や条約を持ち出し、自国の正当性を主張する。
話は一向にまとまらない。
やがて片方の王が円卓を叩いた。
「これ以上話しても無駄だ!」
もう一方も立ち上がりかける。
「ならば力で決めるしかない!」
緊張が走った。
ダンが壁際で身構える。
グラディウスも護衛として来ていたが、すぐには動かなかった。
その時。
「お湯、少し冷めてますね」
ユウが言った。
全員がユウを見る。
「……何?」
「長く会議してたから」
ユウは足湯の調整口へ近づいた。
【水質変化】で湯温をほんの少しだけ上げる。
温かな湯が円卓の下へ流れ込んだ。
立ち上がりかけていた王の足にも触れる。
「……」
王は一度止まった。
もう一人も黙る。
しばらくすると、二人とも再び椅子へ座った。
ダンが目を丸くする。
「座るんだ」
カヤが小声で笑った。
「気持ちよかったんじゃない?」
ユウは円卓へ戻ると尋ねた。
「ところで、鉱山そのものが欲しいんですか?」
二人の王が怪訝な顔をする。
「当然だ」
「なら、何が採れるんです?」
エルメリアが資料を確認する。
「魔導鉄と少量の銀、それから魔石ね」
ユウは続けた。
「鉱山を半分に分けるのは無理なんですか?」
「坑道が地下で複雑に交差している。境界線を引けん」
片方の王が答える。
「じゃあ一緒に掘るのは?」
沈黙。
ダンがユウを見る。
「また急に単純なこと言ったな」
だが魔王は少し考えた。
「共同管理か」
エルグランも頷く。
「所有権争いを続けるより、採掘量を一定割合で分配する方が現実的かもしれん」
二国の王たちはすぐには納得しなかった。
採掘権。
警備。
労働者。
利益配分。
街道使用料。
解決しなければならないことは多い。
それでも先ほどまでの「どちらのものか」という話から、「どう分けるか」という話へ変わっていた。
そこから会談はさらに数時間続いた。
途中で何度も声は大きくなった。
それでも。
どちらかが席を立ちかけるたびに。
足元には温泉があった。
怒鳴ったあと、一度息を吐く。
冷静になったら、また話す。
最終的に両国は、鉱山を共同管理地域とし、採掘物を一定割合で分配することで合意した。
国境付近へ置いていた兵も段階的に撤退させ、代わりに双方の警備隊を少人数ずつ配置する。
戦争寸前だった紛争は、ひとまず収まった。
会談が終わったあと。
片方の王が足を拭きながら苦笑した。
「まさか、国境紛争を足湯に浸かりながら決めることになるとはな」
もう一人も同じように笑う。
「我が国の歴史書にはどう書かれることやら」
ダンが呟く。
「そこは俺も気になる」
この一件は、すぐに各国へ伝わった。
戦争寸前まで険悪になった二つの国が、武器を置いて同じ足湯へ入りながら話し合った結果、武力衝突を回避した。
その成功を受け、国際平和議事堂を利用する国々の間で、一つの提案が出された。
「紛争が起きた場合、まず当事者がやわらぎで話し合うことを共通規則にしてはどうか」
国王エルグランの提案だった。
魔王ゼルヴァディスも同意する。
「異論はない。ただ話し合うだけでは、途中で席を立つ者もいるだろう」
カヤが手を上げる。
「じゃあ足湯までルールにしようよ」
各国代表が一斉にカヤを見る。
ダンが慌てる。
「待て、今国際的な取り決めの話してるんだぞ!」
「でも今回うまくいったじゃん」
「そうだけど!」
リーフェは意外にも真面目に考えた。
「象徴的な意味はあると思うわ。武器を置き、靴を脱ぎ、同じ湯へ入る。少なくとも相手をその場で攻撃するつもりがないことを示せる」
エルメリアも頷く。
「会談開始前の共通手順としてなら有効かもしれない」
ダンが周囲を見る。
「え、本当に採用する流れ?」
結果、採用された。
正式な取り決めは、文官たちによってもっと堅い文章にまとめられた。
『国家間、種族間、あるいは大規模組織間で武力衝突へ発展する恐れのある紛争が発生した場合、可能な限り温泉都市やわらぎの国際平和議事堂へ当事者を招き、中立的な立場で協議を行う。
その際、武器は議場へ持ち込まない。会談開始時には、当事者は円卓の足湯へ入る。』
住民たちはもっと簡単に覚えた。
――喧嘩する前に、まず足湯。
それがやわらぎの新しい決まりになった。
数日後、議事堂の入口へ新しい看板が掲げられた。
ドグランが立派な木材へ文字を刻み、カヤが勝手に下へ小さな一文を追加している。
『国際平和議事堂』
その下。
『揉めたらまず足湯!』
ダンが見つけた瞬間、頭を抱えた。
「せっかく立派な名前なのに!」
カヤは胸を張る。
「分かりやすいでしょ?」
「国際条約を観光案内みたいにするな!」
ユウは看板を見て頷いた。
「僕は分かりやすくていいと思う」
「総支配人まで!」
ミナも横から看板を見る。
「いいと思う」
「二対一にすんな!」
その声に、近くで足湯へ浸かっていた元英雄たちや旅人たちが笑い始めた。
戦争を完全になくせるわけではない。
温泉へ入れば、すべての恨みが消えるわけでもない。
国同士の利害も、種族同士の違いも残る。
それでも、剣を抜く前に一度だけ武器を置き、同じ湯へ足を入れて話すという選択肢が生まれた。
相手を倒す方法を考える前に、相手の言葉を聞く時間を作る。
それだけでも、避けられる争いは確かにあった。
こうして温泉都市『やわらぎ』では、世界でも前例のない新しい国際的な習慣が生まれた。
争いが起きたなら、まず当事者同士で足湯へ入る。
話がまとまらなければ、もう少し浸かる。
それでも駄目なら一度飯を食べ、必要なら温泉へ入ってから、また話す。
後に多くの国で語られることになる「足湯による和解」は、そんな温泉都市らしすぎる方法から始まった。




