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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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黄金の湯の誕生

地下大浴場遺跡の最深部から戻る途中、最初に変化へ気づいたのはミナだった。


ユウの手を握って階段を上っていた彼女が、不意に足を止め、耳を動かした。


「……水の音が変わった」


「水の音?」


まだ足元が頼りないユウも立ち止まり周囲を確認する。


反対側で身体を支えていたダンが、周囲を見回す。


「俺には、さっきまでと同じに聞こえるけどな」


「もっと、いっぱい流れてる」


ミナが見つめたのは、階段の壁に沿って伸びる古い配管だった。


リーフェが杖を近づけ、後ろを歩いていたエルメリアも足を止めた。


配管に沿う魔法陣を確かめると、彼女は流れの向かう先へ目をやった。


「源泉への還流が強くなっていますね。地下で変換された魔力が、地上まで届き始めたようです」


「それだけじゃないわ」


リーフェが目を細めた。


「温泉水の性質まで変わっているみたい」


一行の後ろにいたフェルザードも、壁へ目を向けた。


「確かに、随分と澄んだ流れになったな。先ほどまでとは気配が違う」


カヤがユウを振り返った。


「これも全域浄化のおかげ?」


「たぶん。整えた魔力が源泉へ戻って、湯に馴染んでいるんだと思う」


ダンは配管とユウを交互に見た。


「あれだけ溜まってたものを、一度に変えたんだもんな。地上でも何か起きてるってことか」


「確認した方がいいですね」


エルメリアの言葉に、カヤが階段の先を見上げた。


「じゃあ、私が先に見てくる! ユウたちはゆっくり来てね」


「転ぶなよ」


ダンに声をかけられ、カヤは手を振った。


「分かってるって!」


軽い足音が階段の上へ遠ざかっていく。残った一行は、ユウの歩幅に合わせて地上を目指した。


入口が近づくにつれ、全員にも変化が分かるようになった。


馴染みのある温泉の匂いが、いつもより濃く漂っている。湯気を吸い込むと、強張っていた肩が自然に下がり、呼吸まで深くなるようだった。


ダンが鼻を鳴らした。


「……何だか、楽になった気がするな」


「湯気にも源泉の魔力が含まれているわ」


リーフェが驚いたように言うと、エルメリアも頷いた。


「その働きが強まっているのでしょう。ただ、ここまで感じられるとなると、源泉の変化はかなり大きそうです」


ユウも自分の身体を確かめた。階段を上り続けていたはずなのに、先ほどより息が整っている。


「ここまで変わるとは思わなかったな」


「まずは見てみよう。お前は急がなくていい」


フェルザードの声に頷き、ユウは最後の段を上った。


扉を開くと、先に出ていたカヤの声が響いた。


「ユウ! こっち、すごいことになってる!」


一行が外へ出ると、源泉から湧き出す湯が金色に輝いていた。


乳白色でも、いつもの澄んだ色でもない。


淡い黄金色の湯が石の縁を越え、湯樋へ流れ込んでいる。


立ち上る白い湯気の下で、柔らかな光が揺れていた。


陽の光を反射しているだけではなかった。日陰を流れる湯まで、内側からほのかに輝いている。


「……金色?」


ダンが呟くと、源泉のそばにいたカヤが大きく頷いた。


「そう! ここの湯だけじゃないよ。途中で見てきたけど、大浴場も露天風呂も同じ色になってる!」


「効能特化湯も?」


リーフェが尋ねた。


「源泉を引いてるところは、みんな。サウナ横の水風呂は普通だったけど」


「源泉を共有する浴槽に、変化が伝わったんですね」


エルメリアは湯樋を流れる湯を見つめた。


源泉の周囲には、すでに大勢が集まっていた。


ドグランやレインのほか、王国の騎士、魔王軍の兵士、冒険者たちも湯を覗き込んでいる。


少し離れたところにはグーちゃんとヘルウルフたちまで座り、立ち上る湯気へ鼻を向けていた。


ユウを見つけたドグランが駆け寄ってくる。


「戻ったか! 地下はどうなった?」


「浄化炉は動いたよ。溜まっていた瘴気も処理できた」


「そうか……よくやったな」


ドグランは大きく息を吐いたが、ユウの様子に気づくと眉を寄せた。


「お前、ずいぶん疲れてるじゃねぇか」


「少し、魔力を使いすぎて」


「少しじゃねぇけどな」


ダンが横から言い、近くの腰掛けへユウを座らせた。


フェルザードもそのそばに立ち、ユウが落ち着いたのを見てから源泉へ目を向けた。


「こちらも、かなり様変わりしたようだな」


「ああ。さっき急に湯が強く湧き始めて、そのあとこの色になったんだ」


ドグランが源泉を指した。


「配管や浴槽に異常はありませんか?」


エルメリアが尋ねると、ドグランは首を振った。


「確認してきた。圧力も流れも問題ねぇ。むしろ、途中で乱れていたところまで落ち着いてる」


そこへレインが、小さな器に汲んだ湯を持ってきた。


「調べるなら、これを使ってくれ」


「ありがとう」


ユウは器を受け取り、湯へ指先を触れさせた。


新たに【水質変化】を使う余裕はなかった。


それでも、これまで何度も温泉を整えてきた感覚で、馴染みのある効能が幾つも重なっていることが分かった。


「……すごく濃いね」


リーフェがそばへ屈んだ。


「何が分かる?」


「疲労回復も、魔力の流れを整える性質もある。精神を落ち着かせる力も強い。今まで別々に調整していたものが、一緒に入っている感じがする」


リーフェは器へ杖をかざした。


エルメリアも隣から湯の状態を確かめ、二人でそれぞれの反応を照らし合わせていく。


疲労回復、回復促進、魔力循環の改善。心を落ち着かせ、眠りを助ける性質も確認できた。


「これほど性質が重なっているのに、干渉していないわ」


リーフェが驚きを隠せずに言った。


エルメリアも、器の中に揺れる光を見つめた。


「地下で変換された魔力が、源泉の性質に馴染んだ状態で戻ってきたのでしょうね。別々の効能を無理に加えたのではなく、湯そのものが変わったようです」


「つまり、前よりいい湯になったんだな?」


ドグランに尋ねられ、二人は頷いた。


「回復を助ける働きは、かなり強くなっているわ。温度も安定しているし、今のところ負担になるような反応もない」


ミナが器の湯へ、そっと手を入れた。


「あったかい」


そのまま目を細め、指先をゆっくり動かす。


「すごく気持ちいい」


伏せ気味だった耳が起き、尻尾がふわりと揺れた。


「ミナ、尻尾まで元気になってる」


ミナは自分の尻尾を見たあと、もう一度湯へ目を向けた。


「……ほんとだ」


フェルザードも器の湯へ指を浸し、静かに目を細めた。


「これはいい。今までの湯より、身体の奥まで温かさが届くようだ」


「古竜にも、はっきり違いが分かるのですね」


エルメリアが言うと、フェルザードは頷いた。


「ああ。人間だけの話ではなさそうだ」


その足元で、グーちゃんが源泉へ鼻を近づけた。


湯気を嗅いでから舌を出しかけたところを、ミナが呼び止める。


「グーちゃん、そこは熱いよ」


グーちゃんは鼻を引っ込め、残念そうに小さく鳴いた。


その様子に、集まっていた人々から笑いが起きた。


リーフェは地下で見た流れを思い返しながら、源泉を眺めていた。


「瘴気を受け止めていた魔力が、今は回復を助ける湯になっている。浄化炉の循環が完成した結果が、ここに現れたのですね」


ユウも頷いた。


「源泉から送った湯で瘴気を整えて、その力がまた源泉へ戻ってきたんだね」


黒い霧だった時には、近くにいるだけで心が乱れた。


その魔力が、今はミナの表情を和らげ、疲れた身体を温めている。


フェルザードは、湯樋へ流れていく光を目で追った。


「長く溜まっていたものが、ようやく役目を変えて巡り始めたか」


その言葉を聞き、ユウは地下に残された勇者の記録を思い出した。


傷ついた者が休める場所を作りたかった。


その願いが、谷の湯として今も続いている。


しばらく源泉を眺めていたカヤが、明るい声を上げた。


「これ、何て呼ぼう?」


「もう名前を考えてるのか」


ダンが顔を向ける。


「だって、こんな湯ができたんだよ。呼び名があった方がいいじゃん」


ドグランが顎を撫でた。


「見たまんまなら、黄金湯だな」


「黄金湯! いいね!」


カヤがすぐに頷き、ミナも湯面を見つめて呟いた。


「黄金の湯……」


ユウはその響きを確かめるように繰り返した。


「うん。分かりやすくて、いいと思う」


「悪くない名だ」


フェルザードも賛成すると、カヤはますます嬉しそうな顔になった。


「超効能の黄金湯、って看板に書いたら――」


「看板は、調べ終わってからにしましょう」


エルメリアとリーフェが同時に微笑んで止めた。


「効能の強さも、入浴した時の変化も、きちんと確かめたいですから」


「分かった。名前だけ先に決めておく!」


ダンは笑いながら首を振った。


「本当に、こういう時は早ぇな」


ユウも笑い、器をレインへ返した。その時、先ほどより腕が軽く動くことに気づいた。


まだ疲労は深いが、頭の重さが少し和らいでいる。


リーフェもユウの顔を見た。


「顔色が戻ってきたわね」


「ここにいるだけでも、楽になってる気がする」


「回復薬が効いてきたところへ、湯気の作用も加わっているんでしょうね」


ミナがユウの手を握り直した。


「温泉、入ろう」


「そうだね。ようやく休めそうだ」


ダンも頷いた。


「ただし、ふらつくうちは一人で動くなよ」


「私、浴場の用意を見てくる!」


カヤが手を上げると、エルメリアも続いた。


「私も浴槽の状態を確認してきます。ユウさんは、もう調整しようとしないでくださいね」


「今日は湯に任せればいい」


フェルザードが穏やかに言った。


「お前が整えた湯なのだから、今度は自分も休ませてもらえ」


ユウは少し照れたように笑い、頷いた。


レインも器を受け取りながら声をかける。


「湯から上がったら、食べられそうなものを用意する。少しでも腹に入れた方がいいだろう」


「ありがとう。お腹も空いてきたよ」


その返事に、レインは安心したように笑った。


地下の浄化が成功し、源泉にも異常がないと分かると、集まっていた人々も動き始めた。


浴場の様子を見に行く者や、仲間へ知らせに走る者がいて、谷にはいつもの賑わいが戻りつつあった。


ユウはダンに支えられて立ち上がり、ミナと並んで浴場へ向かった。


リーフェとフェルザードも、そばについて歩く。


湯樋を流れる黄金色の湯が、道に沿って光っていた。


地上へ出た時には驚くばかりだったその色が、今はどこか頼もしく見える。


今日は自分も、その温かさに身を預ければいい。


源泉からは、黄金の湯が絶えず湧き出していた。


地下で長く滞っていた魔力は新しい流れに乗り、谷を訪れる人々を癒やす湯となって、浴場を満たしていった。

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