雑用スキルの真価
浄化炉の中央では、黒く濁っていた瘴気が少しずつ青白い光へと変わっていた。
その光は源泉側の管を伝い、炉を巡る温泉水の流れへ溶け込んでいく。
『浄化コア負荷率――百二・三パーセント』
まだ危険域を抜けたわけではないが、上がり続けていた数字は確実に下がり始めていた。
ユウは源泉管へ手を当てたまま、【水質変化】による調整を続けている。
瘴気の荒れた魔力を無理に押さえ込もうとすると、別の場所で流れが乱れる。
まずは強く絡み合った部分を少しずつほどき、そこへ源泉の安定した魔力を馴染ませていく必要があった。
急ぎたい気持ちを抑えながら、ユウはわずかな変化を確かめていた。
熱すぎる湯を適温に整え、疲れた客には疲労回復の効能を強め、魔力を消耗した者にはその循環を助ける。
相手の状態に合わせて湯を変えるという点では、いつもの仕事と変わらない。
ただ、今向き合っているのは一人の客ではなかった。
何百年もの間、世界中から集められ続けた瘴気が、巨大な結晶の中に詰まっている。
「適合率が90%を超えたわ」
リーフェが制御盤を確認すると、新しい数値が浮かび上がった。
『源泉魔力適合率――九十二パーセント』
「もうちょっとじゃん!」
カヤが声を弾ませたが、リーフェは表示から目を離さなかった。
「ここからも慎重に進めないと。合っていない部分ほど、調整が難しいかもしれないわ」
「まだ難しくなるの?」
「その可能性はある。こんな装置を動かすのは、私も初めてだから」
ダンはコアを見上げ、それからユウの手元へ目を向けた。
「まあ、数字は下がってるんだ。焦らず今の調子で頼む」
ユウは小さく頷き、調整を続けた。
浄化炉から伝わってくる感覚は、少しずつ変わっている。
最初は触れただけで押し潰されそうになった怒りや悲しみが、今は一つずつほどけ、穏やかな流れへ戻り始めていた。
その変化を確かめているうちに、ユウは昔のことを思い出した。
まだガレスたちと冒険者として活動していた頃、【水質変化】を得た時には、自分でも地味な能力だと思ったものだった。
剣士なら戦闘に役立つ力を、魔術師なら強力な攻撃魔法を求める。
傷を治せる能力があれば、仲間から頼りにされる。
ユウも、冒険者に必要なのはそういう力だと思っていた。
水の温度や水質を整え、成分を変化させる能力は、旅の途中では便利だった。
飲み水を確保し、傷を洗う水を清潔にし、冷たい水を温めることもできる。
けれど、敵を倒せるわけではなく、魔物の攻撃から仲間を守ることもできなかった。
いつしか【水質変化】は、雑用スキルとして扱われるようになっていた。
「……雑用スキル、か」
無意識に漏れた言葉を聞き、ダンが横を向いた。
「どうした?」
「昔、そんなふうに言われていたなと思って」
カヤの耳がぴくりと動いた。
「【水質変化】のこと?」
「うん。冒険者には向いていないって。水を変えるくらいなら、町でできる仕事を探した方がいいとも言われたよ」
ユウは源泉管に触れたまま、苦笑した。
ダンの表情が少し険しくなる。
「今の働きを見たあとじゃ、見る目がなかったとしか思えねぇけどな」
「その頃は、僕も使い方をよく分かっていなかったから」
ユウの声に、昔の仲間を責める響きはなかった。
当時の自分には、温泉の効能を客に合わせて調整することも、水に含まれる魔力の流れを整えることも思いつかなかった。
ましてや、世界中から集められた瘴気を、誰かを癒やす源泉成分へ変えられるとは想像していなかった。
ミナがユウの手元を見つめて言った。
「雑用じゃないよ」
「今は、こんなことまでできるようになったね」
「前から助けてた。水を飲めるようにして、温泉にも入れるようにしたでしょ」
ユウが顔を向けると、ミナは真剣な目で見上げていた。
カヤも頷いた。
「そうだよ。派手じゃないだけで、必要だったのは最初から変わってないじゃん」
「そもそも、雑用だって誰かがやらなきゃ困るんだ」
ダンが腕を組んだ。
「飲み水がなきゃ旅は続かねぇし、傷を汚い水で洗えば悪化する。剣を振る奴だけで冒険できるわけじゃないだろ」
「いいことを言うわね」
リーフェが微笑むと、ダンは眉を上げた。
「いつも言ってるつもりなんだけどな」
そのやり取りに、ユウも少し笑った。
戦うことばかり考えていた頃は、自分の力を役立てられる場面を狭く捉えていたのかもしれない。
谷へ来てからは、目の前にある仕事が変わった。温泉を整え、客の様子を見て、疲れた者が安心して休める湯を作る。
必要とされることに応えようとするうちに、スキルの使い方も増えていった。
そうして覚えてきたことが、今、この浄化炉を動かすために役立っている。
『源泉魔力適合率――九十五パーセント』
表示が更新されると、浄化炉の下部に新たな魔法陣が浮かび上がった。
リーフェがすぐに目を向けた。
「別の系統が動き始めたわ」
制御盤には、続けて古代文字が現れた。
『変換循環経路――接続』
『高純度源泉成分――還流開始』
「還流って、どこへ戻るの?」
ユウが尋ねると、リーフェは杖を構え直した。
「少し待って。流れを確かめる」
浄化された魔力は温泉水へ馴染んだあと、炉の下部へ集まっていた。そこから太い経路を通り、地脈へ送り戻されている。
リーフェは床に刻まれた魔法陣と制御盤の表示を見比べ、驚いたように息を呑んだ。
「これ……世界へ返しているんだわ」
「返す?」
カヤが聞き返した。
「世界中から瘴気を集めて、ここで安定した魔力へ戻す。その魔力を地脈へ返して、また各地へ巡らせているの。谷の源泉にも繋がっているけれど、流れはそこで終わっていないわ」
ダンが配管を見上げた。
「じゃあ、集めたものをここで処理して終わりじゃなかったんだな」
「ええ。戻すところまで含めて、一つの仕組みだったのよ」
ユウは手のひらから伝わる流れへ、もう一度意識を向けた。
世界中で生まれた負の感情が魔力に染み込み、瘴気となる。
それを地脈が谷へ運び、地下の施設が受け止める。
浄化炉で穏やかな状態へ戻った魔力は、源泉の力と馴染み、再び世界へ巡っていく。
ここは、ただ危険なものを溜め込む場所ではなかった。
本来は戻っていくはずだった流れが、最後の調整を待つ間に滞っていたのだ。
その循環が、ようやく繋がり始めている。
「……だから、僕のスキルが合ったんだね」
ユウが呟くと、ダンが顔を向けた。
「何が分かった?」
「【水質変化】は、水を消してしまう力じゃないから。今あるものの性質を変えて、必要な状態に整えるんだ」
熱すぎれば冷まし、冷たすぎれば温める。
効能が足りなければ強め、負担になるほど強ければ抑える。
浄化炉が求めていたのも、似た働きだった。
中にある膨大な魔力を失わせず、再び世界へ戻せる状態に整えなければならない。
リーフェは制御盤を見ながら頷いた。
「今の瘴気に合わせて源泉を調整する必要があった。その役目に、あなたの力と、これまで湯を整えてきた経験が合ったんでしょうね」
ユウは管に触れている自分の手を見た。
「使えないと思っていたけど、使い方を知らなかったんだな」
その言葉には、昔の評価を覆そうとする気負いも、誰かを見返したいという怒りもなかった。
追放された時の傷が、なくなったわけではない。
それでも、あの頃は知らなかった自分の力を、今はこうして使えている。
谷で温泉を整え、ミナたちと出会い、皆で客を迎える場所を作ってきた。
その時間があったからこそ、ユウはここに立てていた。
ダンが、その横顔を見た。
「今の話、ガレスたちにも聞かせてやりたくならないか?」
ユウは少し考えてから答えた。
「いつか話すことはあるかもしれないけど、今はこっちを何とかしたいかな」
「そりゃそうだ」
「もう、役に立たないと思って困ることもないしね」
カヤが笑った。
「頼まれることが多すぎて、困るくらいだもんね」
「それは、ちょっとあるかも」
ユウが笑い返した時、制御盤から澄んだ音が鳴った。
『源泉魔力適合率――九十八パーセント』
続いて、別の表示が更新される。
『循環系統安定』
『高純度源泉成分変換率――上昇』
『浄化コア負荷率――九十九・九パーセント』
リーフェが目を見開いた。
「100%を切った!」
「やった!」
カヤが両手を上げ、ダンも大きく息を吐いた。
「ようやく許容量の内側に戻ったか」
まだ限界に近いことに変わりはない。ユウも手を離さず、リーフェは圧力と流入量の確認を続けていた。
それでも、上がり続ける数字を見つめていた時とは違う。
亀裂は残っていたが、そこから漏れる瘴気は少なくなっていた。
結晶を揺らしていた振動も弱まり、青白い光が炉の内側へ広がっていく。
ミナがコアを見上げ、小さく息をついた。
「さっきより、苦しそうじゃなくなったね」
「うん。このまま、もう少し楽にしてあげよう」
ユウは答え、温泉水の性質をさらに細かく調整した。
変換された魔力が炉を離れ、地下の経路へ流れていく感覚が伝わってくる。
どこまで届いているのか、ユウには見えない。
それでも、手元で整えたものがこの広間だけに留まらず、遠くへ運ばれていることは分かった。
かつて飲み水を作り、野営の手伝いをしていた力が、今は世界を巡る魔力を整えている。
規模はあまりにも違うが、相手に必要な状態を探すことから始めるのは同じだった。
谷で一人ずつ客を迎えてきた時のように、焦らず変化を確かめればいい。
「世界を救うって、こういうやり方もあるんだね」
ユウが言うと、ダンは隣で苦笑した。
「お前の場合、ここまで来ても湯加減を見てるんだな」
「それをやってきたから、今も何とかできてるんだと思う」
「……そうだな。任せたぞ、温泉屋」
ユウは頷き、源泉の流れへ集中した。
勇者が残した巨大な設備の中を、調整された温泉水が巡っていく。
止まりかけていた循環は、少しずつ本来の働きを取り戻していた。
雑用スキルだと言われた【水質変化】でできることを、ユウ自身もまだすべて知っているわけではない。
それでも今、この場所で必要とされている仕事は分かる。
管に置いた手を動かさず、ユウは次に流れてくる瘴気へ、丁寧に湯の性質を合わせていった。
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