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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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唯一の適合者

ユウが源泉側の制御管へ手を置き、【水質変化】を発動した瞬間、浄化炉の内部を走っていた青白い光が一斉に揺れた。


これまでユウが温泉へ使ってきた力は、いつも単純だった。熱すぎれば温度を下げ、冷たければ上げる。


疲れている者が多ければ回復を助ける成分を強め、魔力を使い果たした冒険者には魔力循環を整える湯を作る。


氷精霊のコルが来た時には彼女が心地よく入れるように調整し、天使たちには長年の疲労を癒やせる湯を整えた。


けれど、今ユウの手の向こうにあるものは、そのどれとも違っていた。


源泉管から浄化炉へ流れ込んでいるのは温泉水だけではない。


世界中から集められ、何百年もの間に濃縮されてきた怒りや悲しみ、恐怖や後悔が魔力と絡み合い、巨大な瘴気となって浄化コアへ押し込まれている。


『浄化コア負荷率――百三・八パーセント』


警告表示が赤く点滅し、結晶の亀裂から黒い霧が滲み出す。


リーフェは制御盤を確認しながら声を上げた。


「ユウ、無理に流量を上げないで! 今必要なのは量じゃなくて適合率よ!」


「分かってる。少しずつ変えてみる」


ユウは目を閉じ、源泉の状態へ意識を集中させた。


いつもの温泉なら、水に含まれる成分の一つ一つがなんとなく感覚で分かる。


けれど今回は、その先にある瘴気の状態まで探らなければならない。


最初に感じたのは、強烈な怒りだった。


誰かを許せない。


奪われたものを取り返したい。


次に押し寄せてきたのは悲しみで、二度と会えない誰かを思う感情が胸を締めつける。


そのさらに奥には恐怖や絶望まで折り重なっていて、ユウは反射的に手を離しそうになった。


「ユウ?」


ミナがすぐに気づいた。


「大丈夫」


そう答えたものの、額には汗が浮かんでいた。


ダンが心配そうに眉を寄せる。


「本当に大丈夫か? 顔色悪いぞ」


「自分の感情と混ざりそうになるだけ」


「それ大丈夫って言わねぇだろ」


リーフェもユウを見る。


「全部受け止めようとしないで。瘴気になった感情を理解する必要はないわ。あなたがやるのは温泉を合わせることだけ」


その言葉で、ユウは少し肩の力を抜いた。


全部を癒やそうとする必要はない。


怒った理由も、悲しんだ理由も、ユウには分からない。


過去の勇者が残した記録にもあった。感情そのものを消してはいけない。


ならば、やることはいつもと同じだった。


疲れた客が来た時、その人生全部を聞かなくても温泉は整えられる。


「この人には少し熱めかな」と考えるように。


「今日は魔力回復を強くしよう」と考えるように。


ただ、今そこにあるものへ合わせればいい。


ユウは再び【水質変化】を使った。


源泉の中に含まれる精神安定の作用を少し強め、それだけでは足りないと感じて魔力安定の性質も重ねる。


さらに身体を回復させる方向へ流れていた一部の性質を抑え、その分を瘴気に絡みついた乱れた魔力をほどく方向へ組み替えていった。


その瞬間だった。


『源泉魔力適合率――四十一パーセント』


数値が跳ね上がった。


カヤが目を見開く。


「上がった!」


リーフェも驚いたように表示を見る。


「一気に7%……ユウ、そのまま少しだけ続けて」


「うん」


ユウは慎重に調整を続ける。


温泉の性質を強くすればいいわけではない。強すぎる精神安定は、かえって感情そのものを押さえつけてしまう。


それでは過去の勇者が望んだ浄化とは違う。


怒りをなくすのではなく、怒りに絡みついた余分な魔力だけをほどく。


悲しみを消すのではなく、悲しみが他人の心まで侵食するほど増幅された部分だけを取り除く。


ユウはその境目を探していった。


『適合率――五十二パーセント』


『五十九パーセント』


『六十七パーセント』


数字が上がるたび、浄化コアの震えが僅かに弱くなっていく。


ダンが感心したように表示とユウを交互に見る。


「お前、本当に何やってるか分かってんの?」


「なんとなく」


「世界の危機をなんとなくで調整するなよ!」


カヤが苦笑する。


「でもユウ、いつも温泉作る時そんな感じじゃない?」


「だから怖ぇんだよ!」


いつものやり取りが聞こえたことで、ユウの緊張も少しだけ和らいだ。


そして適合率が70%を超えた頃、浄化炉に変化が起こった。


黒い瘴気が流れている透明な管の一部へ、源泉の青白い魔力が入り込む。


二つが接触すると、黒い色が一瞬だけ強くなった。


「来る!」


リーフェが杖を構えた。


だが、爆発は起きなかった。


黒い瘴気の一部がゆっくりと薄くなり、その中心から淡い金色の光が生まれた。


カヤが首を傾げる。


「何あれ?」


ミナが鼻を動かす。


「……いい匂い」


「匂い?」


ダンも思わず鼻を鳴らす。


確かに。


瘴気の嫌な気配に混じって、どこか懐かしい温泉の香りが漂い始めている。


リーフェが魔力を調べた直後、その表情が明らかに変わった。


「ちょっと待って」


「どうしたの?」


ユウが尋ねる。


「瘴気が普通の魔力へ戻ってるだけじゃない」


リーフェは信じられないものを見るように、浄化された部分を見つめた。


「源泉の魔力と結びついて、新しい性質を持ち始めてる」


ダンが嫌な予感を覚えたように尋ねる。


「新しい性質って?」


リーフェはしばらく確認してから答えた。


「疲労回復、精神安定、魔力循環改善……それに、身体の回復促進まである」


カヤの耳がぴくりと動く。


「それって温泉じゃない?」


「温泉よ。それも普通のやわらぎの湯より、かなり濃い」


全員の視線がユウへ集まる。


ユウ自身も驚いていた。


「瘴気が、温泉になってる?」


正確には水そのものへ変わったわけではない。


浄化された瘴気の魔力が源泉へ溶け込み、やわらぎの湯が持つ効能をさらに高める成分へ変化している。


リーフェはその現象を何度も確認した。


「過去の勇者の浄化炉は、瘴気を普通の魔力へ戻す設計だったはず。でもユウの【水質変化】が間に入ったことで、戻した魔力をそのまま源泉へ馴染ませてる」


ダンが頭を掻く。


「つまり?」


カヤが先に答えた。


「世界中の嫌なものが、ものすごくいい温泉の成分になってる?」


リーフェは少し考えたあと、頷いた。


「ものすごく雑に言えば、そう」


「雑すぎるだろ!」


ダンが叫んだものの、制御盤も同じ結果を示し始めていた。


『未知変換反応を確認』


『瘴気魔力――源泉成分化』


『変換効率――上昇』


それまで赤く点滅していた表示の一部が、青白い色へ変わっていく。


そして次の瞬間、今まで見たことのない文字が現れた。


『適合者能力解析中』


ユウが首を傾げる。


「僕のスキル調べてる?」


リーフェが表示を読む。


「そうみたい。浄化炉が【水質変化】の性質を解析してる」


しばらく文字が高速で流れた。


『水性媒体への成分付与』


『魔力性質調整』


『複合成分再構築』


『精神・魔力干渉成分変換』


やがて。


最後の判定が表示される。


『最終浄化工程――完全適合』


カヤが目を丸くした。


「完全?」


『現存登録能力との照合結果――同系統能力なし』


ダンが表示を見つめる。


「……それって」


リーフェが静かに言う。


「この浄化炉を完全な状態で使えるのは、ユウだけってことになるわね」


ユウは困ったように自分の手を見る。


「でも【水質変化】だよ?」


その言葉には、昔この能力を与えられた頃に何度も聞いた評価が残っていた。


水を変えるだけ。


戦えない。


冒険者には役に立たない。


使えないスキル。


けれど今、その【水質変化】だけが、何百年も世界中から集められた膨大な瘴気を安全に処理できる唯一の能力だと、古代の浄化炉が判定している。


ダンは呆れたように笑った。


「使えないスキルねぇ」


カヤも笑う。


「世界で一人しか使えないじゃん」


ミナは当然のように頷いた。


「ユウのスキル、すごい」


「昔から温泉には便利だったけどね」


「そこ基準なの?」


リーフェが苦笑した。


けれどユウにとっては、本当にそれが一番大事だった。


強い敵を倒せるわけではない。


剣を強くすることもできない。


城を吹き飛ばす魔法も使えない。


ただ水を整える。


温度を変える。


成分を変える。


誰かが気持ちよく入れるようにする。


その力を使い続けた結果、今では世界中の怒りと悲しみさえ、誰かを癒やすための成分へ変えようとしていた。


『源泉魔力適合率――八十二パーセント』


数値はさらに上昇する。


同時に浄化コアの亀裂から漏れていた黒い霧が目に見えて減り始めた。


『浄化コア負荷率――百二・九パーセント』


下がった。


ほんの僅かではある。


しかし、確かに。


カヤが声を上げる。


「減った!」


ダンも表示を見て笑う。


「やっと103%を切ったか!」


リーフェはさらに別の数値を確認する。


「変換された魔力が源泉側へ戻ってる。しかも普通の魔力じゃなくて、温泉の効能そのものを強める形で」


「どのくらい?」


「まだ分からない。でも、今までのやわらぎの湯とは比較にならないくらい濃い可能性がある」


カヤの商売人らしい目が一瞬だけ輝いた。


「新しい温泉……」


ダンがすぐに振り返る。


「今商品化考えたろ」


「まだ考えただけ!」


「考えるの早ぇよ!」


ミナが小さく首を傾げる。


「極上?」


ユウも浄化された魔力を感じながら頷いた。


「うん。たぶん、すごくいい湯になる」


リーフェが思わず笑った。


「世界の危機を前にして、感想がそれなのね」


「だって温泉になるなら、ちゃんといいものにしたいし」


ダンが天井を仰ぐ。


「もう好きにしてくれ」


だがその時、浄化炉から低い音が響いた。


警告ではない。


何かが起動する音だった。


中央の巨大な魔導環が一つずつ回転を始め、浄化コアと源泉を繋ぐ全ての管へ青白い光が走っていく。


『完全適合者を確認』


『最終浄化工程、起動準備開始』


『変換方式を更新』


そして最後に表示された文字を見て、リーフェが目を見開いた。


『瘴気魔力変換先――高純度源泉成分』


カヤが小さく笑う。


「本当に温泉にする気だ」


ダンも呆れながら笑った。


「過去の勇者でもそこまでは考えてなかっただろうな」


ユウは源泉管から手を離さなかった。


まだ浄化コアの負荷は100%を超えている。


危険な状態に変わりはない。


それでも、解決する道は見つかった。


世界中から集められた怒りも。


悲しみも。


恐怖も。


絶望も。


消し去るのではなく、絡みついた魔力をほどき、やわらぎの湯へ溶け込ませ、今度は誰かを癒やすための力へ変えていく。


かつて「使えない」と言われた【水質変化】は、戦う力を持たなかったからこそ、過去の勇者が残した浄化炉と完全に噛み合った。


そして今、世界で唯一の適合者となったユウの手によって、何百年もの間に蓄積された瘴気は、少しずつ極上の湯成分へと姿を変え始めていた。

もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、


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