破裂寸前のコア
過去の勇者が残した最後の記録を読み終えたあと、ユウたちは浄化炉の制御部へ向かった。
巨大な円筒状の炉は、広間の入口から見た時よりもはるかに大きく感じられた。
幾重にも重なった魔導環がゆっくりと回転し、その内側では青白い光と黒い瘴気が絡み合っている。
中心には、人の背丈を遥かに超える透明な結晶が浮かんでいた。
内部では黒と赤の光が脈打つように明滅し、そのたびに周囲の魔導環も僅かに揺れている。
ユウは足を止め、結晶を見上げた。
「……あれが浄化コア?」
「たぶん。蓄積槽から送られてきた瘴気を受け止めて、源泉の魔力と合わせながら処理する中心部分ね」
リーフェは慎重に魔力を探りながら答えたが、その表情は明るくなかった。
結晶の表面には無数の細い亀裂が走り、隙間から黒い霧が糸のように漏れている。赤い光が強まるたびに鈍い振動が響き、床に刻まれた魔法陣まで震えていた。
「ずいぶん嫌な光り方してるな」
ダンの言葉に、カヤも不安そうに頷いた。
「もう壊れかけてるように見えるけど、大丈夫なの?」
「まずは状態を確認するわ」
リーフェが制御盤へ近づくと、表面に古代文字が次々と浮かび上がった。
遺跡の中で見てきた表示と共通するものが多く、今度はそれほど時間をかけずに読み取れた。
しかし、最初に現れた数値を見た途端、彼女の手が止まった。
『浄化コア負荷率――102.4%』
ダンが表示とリーフェの顔を交互に見た。
「……今、100って言ったか?」
「102.4。許容される負荷を超えているわ」
「100が限界なんじゃないの?」
カヤが尋ねると、リーフェは結晶へ目を向けた。
「本来はね。それを超えても、保持機構が無理に支えているんだと思う」
「じゃあ、かなりまずいってことか」
ダンが言い終えるのとほぼ同時に、コアが大きく震えた。
内部から鈍い音が響き、結晶の表面に新たな亀裂が走る。
そこから噴き出した黒い霧を見て、カヤが思わず後ずさった。
「下がって!」
リーフェが杖を振ると、風の膜が広がり、噴き出した瘴気を炉の内側へ押し戻した。
ユウも源泉側の配管へ手を当て、【水質変化】で精神を安定させる性質を強める。
炉の内側を巡る温泉水の流れが淡く輝き、触れた瘴気が白い蒸気へ変わっていった。
大剣の柄に手をかけていたダンは、その様子を見て手を離した。
「そうだったな。霧になったやつは斬れねぇんだった」
「漏れた分は抑えられているけど、中はまだ危ないわ」
リーフェは制御盤へ視線を戻した。新たに浮かび上がった文字を読むにつれて、その顔が険しくなる。
『警告――浄化コア構造限界超過』
『内部圧力上昇』
『安定化処理遅延』
『緊急排出機構――停止』
「最後の表示、嫌な予感しかしねぇんだけど」
ダンが呟くと、カヤも制御盤を指さした。
「負荷が高くなった時に、別の場所へ逃がす仕組みが止まってるってこと?」
「そうね。別系統へ逃がして圧力を下げるはずが、今はそれもできないみたい。長い間にどこかが壊れたのか、詰まったのか……ここからでは分からないわ」
ユウは、コアへ繋がる太い配管を見た。
「じゃあ、今まではずっと溜めるだけだったの?」
「最低限の処理は続いていたと思う。そうでなければ、もっと前に限界が来ていたはずよ。ただ、本来の浄化能力を使えないまま、蓄積槽にもコアにも負荷が積み重なっていたんでしょうね」
「世界精神安定度が80%に届いていなかったから?」
リーフェは頷いた。
「本運転は、条件を満たすまで封印されていた。その間も瘴気の回収は続いていたから、処理しきれない分が残り続けたんだと思う」
「何百年分もか」
ダンが低い声で言い、結晶を見上げた。
内部には黒い光が渦を巻いていた。
近くに立っているだけで胸の奥が重くなり、ユウにも理由のない苛立ちや不安が湧いてくる。
漏れ出す瘴気を抑えても、それだけでは防ぎきれないものがあるらしかった。
カヤが俯き、服の裾を握った。
「……なんか、私、ここにいても役に立ってない気がしてきた」
ダンが振り返る。
「何だ、急に」
「前線で戦ってたのはみんなだし、ここでも私は古代文字を読めないし、魔法も使えないから……」
「カヤ。それ、ここへ来る前から考えていたこと?」
リーフェに尋ねられ、カヤは戸惑ったように顔を上げた。
「ううん。さっきまでは、そんなこと思ってなかった」
「瘴気の影響だよ」
ユウが言うと、隣にいたミナがカヤの手を握った。
「カヤ、いっぱい役に立ってるよ」
「……ありがと、ミナ」
「前線で何往復したと思ってんだ。お前が人を集めて、物を運んでくれなきゃ、あそこまで持ちこたえられなかったぞ」
ダンの言葉に、カヤは握っていた服の裾を離した。
「そういうの、もっと早く言ってよ」
「言うまでもないと思ってたんだよ」
いつもの調子で返されたことで、カヤの表情が少し和らいだ。
けれど、今度はダンが眉間を押さえた。
「……俺まで、昔のことを思い出してきやがった」
「昔のこと?」
「助けられなかった依頼人とか、仲間が大怪我した時とかだ。今さら考えたってどうにもならねぇのに、もっと上手くやれたんじゃないかってな」
リーフェは皆を覆う防護魔法を強めた。
「距離を取っていてもこれなら、コアの中に溜まっている瘴気は相当よ。自分の気持ちがおかしいと思ったら、黙っていないで言って」
ユウは亀裂だらけの結晶を見つめた。
怒りや悲しみ、恐怖、後悔。人々の心を荒らす瘴気が、世界中から何百年もこの場所へ集められてきた。
その仕組みによって地上へ広がる量が抑えられていたのだとすれば、コアは処理しきれないものを、ずっと抱え続けてきたことになる。
「これも、疲れてるんだね」
ユウがぽつりと言うと、ダンは横を向いた。
「装置だぞ?」
「うん。でも、受け止められる量を超えても、ずっと支えてきたんでしょ」
ミナが伏せていた耳を僅かに動かした。
「世界より先に、ここが限界になっちゃった」
「……たぶん、その通りね」
リーフェが答えた時、制御盤の数値が変わった。
『浄化コア負荷率――103.1%』
「また増えた!」
カヤが声を上げ、リーフェは周囲の表示を急いで読み直した。
「流入量も増えているわ。地上の瘴気を浄化したことで、滞っていた地脈の流れが一部戻ったのかもしれない」
「回収がうまくいくようになったってことか?」
「ええ。でも、今のコアには受け入れる余裕がない」
その直後、先ほどよりも大きな音が結晶の内部から響いた。
床が揺れ、天井から細かな石片が降ってくる。ユウたちが姿勢を低くした時、コアの中央を横切るように大きな亀裂が走った。
ミナの尻尾が膨らみ、リーフェが叫んだ。
「全員、離れて!」
五人が後退すると、亀裂から濃い瘴気が噴き出した。黒い霧は炉の縁を越え、床を這うように広がり始める。
ユウは源泉側の制御部へ手を伸ばした。
「温泉水を増やせば――」
「待って! 中へ送る量を急に増やすと、圧力まで上がるかもしれない!」
リーフェはユウを止めながら、もう一度風の膜を張った。押し戻された霧が炉の周囲で渦を巻き、防護魔法の表面を黒く染める。
「でも、このまま漏れ続けたら……」
「分かってる。外へ出た分を抑えながら、中を安定させる方法を探すしかないわ」
声に滲む焦りを聞き、ダンが二人の間へ入った。
「一度、整理しよう。今やることは、こいつを破裂させないことと、中身を浄化することだな?」
「そうよ」
「先にどっちをやる?」
「同時に進めないと間に合わない」
ダンは顔をしかめたが、すぐに頷いた。
「分かった。必要なことを言ってくれ」
その時、制御盤を見ていたカヤが二人を呼んだ。
「こっちに、別の表示が出てる!」
赤く点滅する警告の下に、新しい文字列が浮かんでいた。
『緊急安定化処理を推奨』
『源泉魔力適合率――34%』
ユウが目を細めた。
「適合率……今の温泉水が、コアの中の瘴気に合っていないってこと?」
リーフェは続く表示まで確かめてから頷いた。
「そうみたい。源泉の力が足りないというより、今の瘴気を処理するための性質に合っていないのね。さっき漏れた分を浄化できても、この濃さと量では追いつかないんだわ」
ユウは勇者の記録を思い返した。
その時代の瘴気に合わせて、源泉の魔力を調整する。
未来の状態を知ることができなかった勇者は、その工程だけを後の時代に託していた。
施設を動かすだけではなく今ここにある瘴気を確かめ、温泉水の性質を合わせる必要がある。
ダンがユウを見た。
「お前の出番だな」
「うん。やってみる」
ユウは源泉側の制御管へ近づいた。
コアの内部では黒い光がうねり、亀裂の奥から赤い光が漏れている。
今まで相手にしてきたどの瘴気よりも濃く、量も多かった。
それでも、強い力をぶつければいいわけではないことは分かる。
急な変化を与えず、状態を確かめながら、少しずつ処理できる温泉水へ調整する。
これまで客の身体に合わせて湯を整えてきた経験を、ここでも使うしかなかった。
リーフェがユウの横に立った。
「私が魔力の流れと内部の圧力を見るわ。表示が悪くなったら、すぐに伝える」
「お願い」
ミナもそばへ来て、ユウの顔を見上げた。
「気持ちが変になったら、ユウも言ってね」
「うん。ありがとう」
「必要なものがあったら、私が取ってくるから」
カヤは制御盤が見える位置へ立ち、ダンも周囲の配管と支柱を確かめた。
「俺は何を見てればいい?」
「配管や支えが壊れそうになったら教えて。できる範囲で支えてもらえると助かるわ」
「ようやく俺にも分かる仕事が来たな」
ダンの声に、皆の緊張がほんの少し緩んだ。
ユウは制御管へ手を置き、流れてくる温泉水の魔力を探った。
穏やかで温かい、よく知っている感触だった。地上では数え切れないほどの人を癒やしてきた湯が、今も変わらず源泉から流れてきている。
ユウはその流れを確かめながら、コア側へ意識を向けた。近づけた途端、胸の奥に重たいものが押し寄せたが、隣から聞こえる仲間の息遣いを頼りに集中を保つ。
「少しずつ合わせるよ。流量は、まだ増やさない」
「それがいいわ。まずは今の量で、どこまで安定させられるか見ましょう」
リーフェが答えた直後、警告音が広間に響いた。
『浄化コア負荷率――百三・八パーセント』
ダンは表示を見上げ、それからコアへ目を戻した。
「……本当に間に合うか?」
もし結晶が破裂すれば、ここに蓄えられた瘴気は抑えを失う。地脈へ逆流すれば、地上で迎え撃った黒い霧とは比べものにならない被害が出るだろう。
ユウは管に置いた手へ意識を戻した。
「間に合わせるよ」
声は静かだったが、手を離すつもりはなかった。
疲れた冒険者のために湯を整え、冷え性の氷精霊にも入れる温泉を作った。
人間にも魔族にも、それぞれに合う湯を考えてきた。
今回も、まずは相手の状態を知るところから始めればいい。
ユウは呼吸を整え、【水質変化】を発動させた。
温泉水の性質が僅かに変わり、淡い光が源泉管を伝っていく。
リーフェが制御盤を見つめる中、その光は亀裂だらけの浄化コアへ流れ込み始めた。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークやページ下部の☆を押して評価をお願い致します!
作者の励みになります!




