背中を預ける者たち
黒い霧を纏った魔獣たちとの戦いが始まってから、どれほど時間が経ったのか。
迷いの森から押し寄せる魔獣の数は一向に減らず、一体を倒せば、その向こうから二体、三体と新たな影が現れる。
谷に居合わせた冒険者、王国兵、魔王軍兵たちは肩を並べて防衛線を維持していたものの、普通の魔物より遥かにしぶとい瘴気の魔獣を相手に、少しずつ疲労が積み重なっていた。
それでも、誰一人として後ろへ下がろうとはしない。
その時、谷の後方から新たな一団が駆け込んできた。
「王国騎士団、本隊到着!」
その声にダンが振り返る。
先頭にいたのは騎士団長グラディウスだった。
緊急の魔道具で送られた緊急連絡を受け、谷の比較的近くで任務にあたっていた部隊を率いて急行してきたのである。
さらに反対側からも、魔王軍の旗を掲げた一団が現れた。
その先頭では、大剣を担いだバルグレイが黒い霧を睨んでいる。
「随分派手なことになっているではないか」
ダンは狼型の魔獣を斬り払いながら叫んだ。
「感想言ってないで手伝え!」
「言われるまでもない!」
バルグレイが笑い、大剣を振り抜く。
炎を纏った一撃が魔獣を横から吹き飛ばした。
グラディウスもすぐに戦況を確認すると、騎士たちへ指示を出す。
「疲弊した者から後列へ下げろ! 前線を交代する! 魔王軍の配置は崩すな、今の防衛線をそのまま使え!」
王国騎士から一瞬だけ戸惑いの表情が浮かんだ。
魔王軍と同じ陣形で戦うなど、これまでなら考えられなかったからだ。
しかし、迷っている時間はない。
「了解!」
騎士たちはすぐに動いた。
魔王軍の兵士たちも何も言わず隙間を空け、そこへ王国騎士たちが入っていく。
人間と魔族が交互に並ぶ、奇妙な防衛線ができあがった。
少し前なら、それだけで一触即発になっていたかもしれない。
だが今は、目の前から襲ってくる相手を止めることの方が遥かに重要だった。
「正面、大型来るぞ!」
ガレスの声が響く。
黒い霧を突き破り、熊にも似た巨大な魔獣が飛び出してきた。
普通の熊の倍近い巨体を持ち、身体中から黒い瘴気を噴き出している。
「盾隊、構えろ!」
グラディウスの号令で騎士たちが大盾を地面へ固定した。
直後。
巨大な魔獣が真正面から激突する。
轟音とともに土が弾け、盾を構えた騎士たちがまとめて後ろへ押された。
「ぐっ……!」
「踏ん張れ!」
それでも盾列は崩れない。
だが、このまま力比べを続ければ長くは持たない。
そこへ横から飛び込んだのがバルグレイだった。
「いつまで押されている!」
「来るなら早く来い!」
「注文の多い男だ!」
大剣に炎がまとわりつき、熊型の魔獣の肩へ叩き込まれる。
爆発するような衝撃で巨体が傾いた。
グラディウスはその瞬間を逃さない。
「右脚を狙え!」
剣が鋭く走り、魔獣の前脚を斬り裂く。
支えを失った巨体が地面へ沈んだところへ、王国兵と魔族兵が同時に槍を突き込んだ。
「今だ!」
バルグレイの炎を纏った大剣と、グラディウスの剣がほぼ同時に魔獣の胸へ突き刺さる。
内部にあった赤黒い核が砕け、巨大な身体が黒い霧となって崩れていった。
「やったか!」
騎士の一人が叫ぶ。
しかし休む暇などなかった。
森の奥から今度は狼型の魔獣が群れとなって押し寄せてくる。
「まだ来るぞ!」
グラディウスが剣を構え直す。
その背後へ、バルグレイが自然に立った。
「右から三体!」
「見えている!」
「なら右は任せた!」
グラディウスは一瞬だけ振り返る。
「お前は左を見ろ!」
二人が背中合わせになる。
それを見た周囲の兵士たちが、一瞬だけ目を見開いた。
王国騎士団長グラディウス。
魔王軍四天王バルグレイ。
これまで何度も戦場で刃を交え、互いの軍を率いて正面からぶつかってきた者同士だった。
本来なら、背中を見せるなど考えられない相手。
それなのに今、二人は互いの死角へ視線すら向けていなかった。
「背中は任せたぞ!」
グラディウスが叫ぶ。
バルグレイは大剣を振り上げながら笑う。
「足引っ張るなよ!」
「誰に言っている!」
「お前に決まっているだろう!」
右側から飛び込んできた狼型をグラディウスが斬り伏せる。
その直後、背後から迫った別の個体をバルグレイの炎が吹き飛ばした。
今度はバルグレイの死角へ細身の魔獣が回り込む。
しかしバルグレイは振り返らない。
グラディウスの剣が、その魔獣の喉元を正確に貫いた。
「遅いぞ!」
「十分間に合った!」
「もう少し早く斬れ!」
「注文が多い!」
口では言い争っている。
それでも二人の動きには一切の迷いがなかった。
相手がどこまでなら攻撃を届かせられるか。
どの方向へ踏み込むのか。
どんな時に大技を使うのか。
互いに敵として何度も戦ってきたからこそ、その癖を嫌というほど知っている。
それが今では、皮肉なほど見事な連携になっていた。
少し離れた場所で戦っていたダンが、その様子を見て叫ぶ。
「お前ら、敵だった時より息合ってねぇか!?」
『誰がこいつと!』
二人が同時に答える。
ダンが魔獣を斬りながら呆れた。
「声まで揃ってるじゃねぇか!」
ちょうど後方から回復薬を運んできたカヤも笑う。
「この前の宴会でも普通に話してたし、もう仲良しなんじゃない?」
『誰がだ!』
また完全に重なった。
「ほら!」
「カヤ! 煽ってないで薬運べ!」
「はーい!」
カヤは笑いながら次の負傷者のところへ走っていく。
その間にも戦線は動き続けていた。
負傷した王国兵をフィアが治療し、その隣では魔族兵が同じ順番を待っている。人間の魔術師が魔族の戦士を援護し、獣人の冒険者が騎士の死角へ入った魔獣を仕留める。
誰がどこの所属なのかなど、もはや気にしている余裕はなかった。
必要なところへ行き、危険なら助ける。
自分では届かない場所なら、隣にいる者へ任せる。
ただそれだけで、即席だったはずの防衛線は少しずつ一つの軍のように動き始めていた。
その時、森の奥から低い咆哮が響く。
エルメリアが黒い霧へ目を向けた。
「正面中央、瘴気濃度上昇! また大型が来る!」
木々の間から巨大な影が現れた。
今度の魔獣は太い四本脚を持ち、頭から何本もの黒い角を生やしている。一歩進むたびに地面が沈み、周囲の草木が黒く変色していった。
バルグレイが楽しそうに大剣を肩へ担ぐ。
「さっきのより強そうだな」
グラディウスが顔をしかめる。
「喜ぶな」
「強い敵が来たのだぞ!」
「目的は谷を守ることだ!」
「だから倒すのだろう!」
遠くでダンが叫んだ。
「噛み合ってるようで噛み合ってねぇぞ!」
巨大な魔獣が速度を上げる。
その正面でグラディウスとバルグレイは、示し合わせたわけでもないのに同時に一歩前へ出た。
グラディウスが剣を構える。
バルグレイの大剣に炎が宿る。
二人は互いを見ることなく、それぞれの正面だけを見据えていた。
もう、背後を確認する必要はない。
そこには、自分の死角を任せられる相手がいる。
「背中は任せたぞ!」
「何度も言わせるな! 足を引っ張るなよ!」
かつて敵として幾度となく刃を交えた二人は今、やわらぎの谷を守るため、誰よりも自然に背中を預け合っていた。
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