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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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動き出す最後の仕掛け

源泉の最奥から現れた巨大な古代の鍵は、ユウたちが見守る中でも静かに宙へ浮かび続けていた。


人の背丈を優に超える黒銀色の鍵には、地下遺跡で見たものとよく似た複雑な文様がびっしりと刻まれており、青白い光が一定の間隔で表面を走っている。しかも鍵はただ浮いているだけではなく、まるで行き先を示すように地下遺跡のある方向へ先端を向けたまま動こうとしなかった。


「やっぱり、あっちへ持っていけってことだよな」


ダンが腕を組みながら言うと、ユウも巨大な鍵を見上げながら頷いた。


「たぶん、そうだと思う」


「昨日は地下遺跡が急に喋って、今日は源泉から巨大な鍵が出てくる。最近のこの谷、何が起きても驚かなくなりそうで怖ぇな」


「でも源泉の湯量は変わってないよ」


「そこはもう確認したから大丈夫だ!」


ダンの声にミナの耳がぴくりと動いたが、彼女は何も言わず鍵を眺めている。その少し離れたところでは、リーフェとエルメリアが表面の文様を調べていた。


「やっぱり昨日の地下遺跡で見たものと同系統ね」


リーフェが指先へ魔力を集め、鍵には触れないよう慎重に文様を追う。


エルメリアも隣で目を細めた。


「この辺りは昨日読めた文字とほぼ同じ。『精神安定』『第一段階』『解放』……全部繋げるなら、世界精神安定度が80%に到達したことで、何かが解放されたと考えるのが自然」


「それで出てきたのが、これか」


ダンが見上げる。


「鍵なんだから何かを開けるんだろうけど、問題は何を開けるかだよな」


「これだけ大きいなら、大きい扉じゃない?」


ユウが何気なく言うと、ダンはすぐに振り返った。


「それさっきも言ってただろ! もう少しこう、古代の封印とか秘密の施設とか考えろよ」


「でも鍵と扉って普通そうじゃない?」


「間違ってないのが余計に腹立つ!」


そのやり取りをしていた時、背後から低く落ち着いた声が聞こえた。


「その鍵には、まだ触れない方がいい」


振り返ったユウたちの表情が変わる。


そこに立っていたのはフェルザードだった。


普段なら温泉へ入りに来た時も、食堂で酒を飲んでいる時も、どこか余裕を感じさせる古竜だが、この時ばかりは様子が違っていた。金色の瞳はまっすぐ巨大な鍵へ向けられ、いつもの穏やかな笑みも消えている。


「フェルザード?」


ユウが声をかけても、フェルザードはすぐには答えず、ゆっくり鍵へ近づいていった。


文様の一つ一つを確かめるように視線を動かしたあと、中央に刻まれた幾重もの輪を見ると、その表情がさらに険しくなる。


「まさか、本当にここまで動くとはな」


エルメリアがすぐに反応した。


「この鍵を知っているの?」


「正確には、見たことがある」


その言葉を聞いた瞬間、ダンも表情を改めた。


「どこで?」


フェルザードは巨大な鍵から視線を外さないまま、少し昔を思い出すように答える。


「遥か昔、この谷に今の温泉街など影も形もなかった頃だ。まだ、あの勇者がここにいた時代にな」


「過去の勇者がいた頃?」


ユウが聞くと、フェルザードは小さく頷いた。


その場にいた全員が自然と黙り、ミナもユウのすぐ隣へ寄る。


「この文様は間違いない。あいつがこの谷に仕掛けを残す時に使っていたものだ」


「仕掛けって、地下遺跡のこと?」


「地下遺跡もその一つだが、それだけではない」


フェルザードは源泉の向こうに広がる谷を見渡した。


朝の光の中では、いつもと変わらない温泉街が見える。湯気が立ち、遠くでは客の声が聞こえ、露店街ではすでに店を開く準備が始まっている。


「この谷そのものが、一つの大きな仕組みとして作られている」


その一言に、リーフェが眉を上げた。


「谷そのもの?」


「ああ。源泉、地下遺跡、周囲を流れる地脈、それに元々この場所に満ちていた特殊な魔力まで、あいつは全てを繋げた。何もないところから作ったわけではなく、ここに存在していたものを利用して、一つの仕組みへ組み上げたんだ」


エルメリアの目が明らかに輝き始める。


「つまり、この谷全体が巨大な魔導装置になっている?」


「考え方としては近い」


ダンはしばらく無言だったが、やがて額を押さえた。


「俺たち、そんなものの上に宿建てて温泉街作ってたのかよ」


「今まで普通に住めてたよ」


「そこを問題にしてるんじゃねぇ!」


ユウの返事に、フェルザードの口元がほんの少しだけ緩んだ。


「お前を見ていると、あいつを思い出すことがある」


「僕が?」


「あいつも妙な男だった。勇者として十分な力を持っていたくせに、どうすれば敵を倒せるかより、どうすれば戦わずに済むかばかり考えていた」


ダンがすぐにユウを見る。


「やっぱ似てるじゃねぇか」


「そうかな?」


「自覚ないのかよ」


フェルザードはそのやり取りを見てから、再び巨大な鍵へ視線を戻した。


「だからこそ、あいつはこの谷に温泉を残した。疲れた者が武器を置き、争う前に一度休める場所があれば、無駄な争いを少しは減らせると本気で考えていた」


リーフェが静かに尋ねる。


「それが、やわらぎの湯の始まり?」


「ああ。ただし、それだけで終わりではなかった」


エルメリアが昨日の地下遺跡を思い出したように口を開く。


「世界精神安定度……」


フェルザードの目が彼女へ向いた。


「その言葉まで出たのか?」


「昨日、管理機構らしいものが突然起動して、『世界精神安定度八十パーセント達成』と告げた。その直後に施設全体が動き始めて、今朝になってこの鍵が源泉から浮かんできた」


その説明を聞くうち、フェルザードの表情はますます真剣なものになっていった。


やがて一度目を閉じ、何かを確かめるようにゆっくり息を吐く。


「なら間違いないな」


ダンが嫌そうな顔で聞いた。


「何が間違いないんだ?」


フェルザードは巨大な古代の鍵を見上げた。


「過去の勇者が残した、最後の仕掛けが動き始めた」


その言葉には、いつもの冗談めいた響きがまったくなかった。


ユウもさすがに鍵を見つめ直す。


「最後の仕掛けって、何をするものなの?」


「俺も全てを知っているわけではない」


「フェルザードでも?」


「あいつは最後まで教えなかった」


リーフェが少し意外そうに聞く。


「あなたは本人と知り合いだったのでしょう?」


「だから聞いたさ。何を作っているのか、どういう意味があるのか、全部説明しろとな」


「それで?」


「笑って誤魔化された」


ダンが思わず苦笑する。


「古竜相手にそれやったのか、その勇者」


「ああ。そのうえ『未来の連中が自分で見つけた方が面白いだろ』とまで言われた」


「面倒くせぇ!」


ダンが即座に叫ぶと、フェルザードも小さく笑った。


「俺も同じことを言った」


しばらく場の空気が少しだけ和らいだものの、巨大な鍵が静かに明滅している以上、状況そのものが変わったわけではない。


エルメリアは改めて文様を見る。


「少なくとも昨日の80%が、最後の仕掛けを動かす条件の一つだったと考えていいのね」


「おそらくな。俺が昔見た時、この鍵はまだ実体化していなかった。あいつが設計していた装置の中に、同じ形のものが描かれていただけだ」


「それなら、この鍵を使う場所もあるはず」


「あるだろう。ただ、場所までは知らん」


ダンが眉を寄せる。


「地下遺跡の奥じゃねぇの?」


「可能性は高い」


「そこまで分かってるなら、もう行くしかないか……」


ミナがフェルザードを見る。


「危ない?」


フェルザードはその質問にだけは、すぐ答えなかった。


少し考えてから、静かに首を振る。


「危険がないとは言えない。だが、あいつが誰かを滅ぼすための仕掛けを残すとは思えん」


「どうして?」


「そういう男だったからだ」


フェルザードの返事には迷いがなかった。


「強い力を持ちながら、最後まで戦わない方法を探していた男だ。その男が、この谷の最後に残したものなら、少なくとも世界を壊すための仕掛けではない」


ダンが少し肩の力を抜く。


「それを古竜が保証してくれるなら、多少は安心できるけどよ」


「多少にしておけ。何が起こるかまでは俺も知らん」


「そこはやっぱり分からないのかよ」


ちょうどその時、巨大な鍵の文様が一斉に光った。


先ほどまで淡く明滅していただけだった青白い光が、持ち手から柄を通り、複雑に枝分かれした先端へ向かって流れていく。


それと同時に、足元から低い振動が伝わってきた。


「地震?」


ユウが周囲を見る。


「違うわ」


リーフェはすぐに地面へ意識を向けた。


「地下の魔力が動いてる」


エルメリアも遺跡の方角を見た。


「昨日よりずっと大きい。地下のさらに奥で、何かが起動してる」


谷を揺らすほどではない。


それでも地の底から聞こえてくる低い音は、岩が崩れるものとは明らかに違っていた。


長い間動かなかった巨大な歯車が、ゆっくり噛み合い始めるような音だった。


フェルザードはその響きを聞きながら目を細める。


「やはり始まったか」


「今のが最後の仕掛け?」


ユウが聞く。


「その一部だろう。鍵が現れた時点で起動は始まっているらしい」


「止められる?」


「止める必要があるのかどうかも分からん」


ダンが盛大に顔をしかめた。


「それが一番困るんだよ!」


幸い、揺れは長く続かなかった。


しばらくすると谷は再び静かになったが、巨大な鍵だけは以前よりも強い光を放ち、地下遺跡の方角へゆっくり動き始めた。


数メートル進んだところで止まり、まるでユウたちがついてくるのを待つように宙へ浮かんでいる。


「完全に案内してるな」


ダンが呟く。


フェルザードは迷わず歩き出した。


「行くぞ。ここまで動いた以上、地下で何が起きているのか確かめるしかない」


ダンがすぐにその背中を見る。


「フェルザードが先頭だよな?」


「構わん」


「よし、それなら行く」


「決断早いね」


ユウが笑うと、ダンは真顔で返した。


「古竜本人が知らない『最後の仕掛け』がある場所だぞ。俺が先頭歩く理由が一つもねぇ」


「それはそうかも」


「納得するな!」


ミナも自然にユウの横へ並び、リーフェとエルメリアは鍵の光を追うように歩き始める。


ユウも最後に一度だけ源泉を振り返った。


湯量は変わらず、白い湯気もいつもと同じように立ち上っている。


自分がこれまでしてきたのは、温泉を整え、疲れた人を迎え、争いそうな者たちには一度湯へ浸かってもらうことだった。


人間も魔族も、古竜も天使も、気づけば同じ場所で休むようになっていた。


それが世界精神安定度という数字と本当に関係しているのか、ユウにはまだ分からない。


ただ、その積み重ねが遠い昔に眠った仕掛けを目覚めさせたのだとしたら、その先に何があるのかは自分の目で確かめてみたかった。


「行こうか」


ユウが言うと、ダンもため息交じりに頷いた。


「ああ。ここまで来たら見ない方が気になる」


巨大な古代の鍵は、そんな彼らを導くように青白い光を放ちながら、地下遺跡へ続く道をゆっくり進んでいく。


過去の勇者が遥かな未来へ残した最後の仕掛けは、長い眠りを終え、ついにやわらぎの谷で本格的に動き始めていた。

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