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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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地下遺跡の謎のアナウンス

グーちゃん抱き枕が思った以上の勢いで売れ始め、露店街の朝に新しい行列までできるようになってから数日。


やわらぎの谷は、相変わらず平和だった。


温泉へ向かう客がいれば、食堂ではレインが朝から仕込みをしている。カヤは売り切れ続出の限定グッズを前に嬉しい悲鳴を上げ、その横ではリーフェが在庫数を数えていた。


ミナは初めて谷を訪れた客を案内しながら、ときどき道の端に座っているグーちゃんの頭を撫でている。


そんな光景を温泉街の入口から眺めていたダンは、大きく息を吐いた。


「……最近、本当に平和だな」


隣にいたユウが首を傾げる。


「いいことじゃない?」


「いや、いいんだけどよ」


ダンは改めて露店街へ目を向けた。


グーちゃん抱き枕を抱えて歩いている冒険者がいる。そのすぐそばでは魔族が温泉まんじゅうを買い、天界分館へ戻る前らしい天使が土産物を眺めていた。


さらに同じ列には、人間の商人と獣人の家族まで普通に並んでいる。


以前なら考えられなかった光景だ。


だからこそ、ダンは妙に落ち着かなかった。


「何か起きそうで逆に怖ぇんだよ」


「何も起きない方がいいと思うけど」


「それはそうなんだが……」


ダンが言い終わるより早く、谷の奥から低い音が響いた。


ごぉん。


二人ともぴたりと動きを止める。


ユウが目を瞬かせた。


「……今の何?」


ダンの顔が引きつる。


「ほら来た!」


「何が?」


「こういう時に限って何か起きるんだよ!」


その直後、もう一度。


ごぉん、と低い音が響いた。


ただし、空からではない。


足元からだった。


地面の奥深くで、何か巨大なものが動いたような振動がかすかに伝わってくる。


ユウは音のした方向を見て、すぐに思い当たった。


「地下遺跡?」


「あそこか?」


かつて、やわらぎの湯の地下で発見された古代遺跡。


過去の勇者が残した記録が眠り、この温泉が単に身体を癒やす場所ではなく、「争わずに休める場所」を作るために残されたものだと分かった場所でもある。


普段なら、必要がない限り誰も近づかない。


それなのに今日は、明らかに地下で何かが動いていた。


ダンはすぐに露店街の方へ顔を向ける。


「リーフェ!」


少し離れた場所で帳簿を確認していたリーフェが顔を上げた。


「聞こえたわ」


「魔力の異常は?」


問われると、リーフェはすぐに目を閉じ、周囲へ意識を広げる。


しばらくして、わずかに眉を寄せた。


「地下から魔力反応があるわ。でも、暴走している感じではない」


「じゃあ何だ?」


「分からない」


「珍しいな」


「私を万能だと思わないで」


そんなやり取りをしているところへ、今度はエルメリアが姿を現した。


魔王軍四天王の一人であり、『冥書』の異名を持つ彼女は古代魔法や遺跡にも詳しい。地下からの魔力を感じ取って、様子を見に来たらしい。


「地下遺跡が動いた?」


「たぶん」


ユウが答えると、エルメリアの目が一気に輝いた。


「行く」


「早いな!」


ダンが叫んだものの、誰も止める理由はなかった。


結局、地下遺跡へ向かうことになったのはユウ、ダン、リーフェ、エルメリアの四人。


さらに少し遅れて、ミナまでついてきた。


ユウが気づいて振り返る。


「ミナも来るの?」


「行く」


「危ないかもしれないぞ」


ダンがそう言うと、ミナは地下へ続く入口を見たまま答える。


「でもユウ行く」


「理由それだけ?」


「うん」


あまりにも迷いのない返事に、ダンはそれ以上何も言えなくなった。


地下遺跡へ続く石造りの階段を降りていく。


そこに広がっているのは、以前発見した時と変わらない古い石壁と、淡く光る魔導灯だった。


壁や床には、今の時代では見ることのない技術の痕跡がそこかしこに残されている。


ただし今日だけは、明らかに雰囲気が違った。


廊下の奥では青白い線が一定の間隔で明滅し、施設そのものが呼吸しているかのように光が流れている。


ダンが警戒しながら呟く。


「……動いてるな」


エルメリアは壁へ手を近づけ、魔力の流れを確かめた。


「施設全体が再起動してる」


「再起動?」


「眠っていた機能が起きているの」


ユウが聞く。


「なんで?」


「それを調べるために来た」


「そりゃそうだ」


ダンはため息を吐いた。


さらに奥へ進むと、やがて過去の勇者の記録を見つけた部屋へ辿り着いた。


中央には、以前にも見た古い魔導装置がある。


これまでは必要な時に一部だけが反応する程度だったが、今日は装置全体が淡い光を放っていた。


床には見覚えのない文字列が流れ、壁にはいくつもの数字が浮かんでいる。


ダンが表示を睨む。


「読める?」


エルメリアはしばらく文字を追った。


「一部だけなら。状態確認、地域判定、精神……安定……」


そこで突然、部屋全体に声が響いた。


『管理領域、状態更新』


全員の動きが止まる。


ミナが小さく周囲を見回した。


「……誰?」


ダンは反射的に剣へ手を伸ばしかける。


「今のどこからだ?」


エルメリアだけは、すぐに中央装置へ視線を向けていた。


「装置から」


「装置が喋った?」


「そう見える」


ユウは驚きながらも、どこか感心したように装置を見る。


「昔の魔導装置って喋るんだ」


ダンが勢いよく振り返った。


「もっと驚けよ!」


その直後、再び平坦な声が響く。


『解析を継続』


人間の声に似てはいるものの、そこに感情はまったくない。


ただ情報だけを正確に読み上げている。


リーフェが眉を寄せた。


「魔法による自動音声……?」


エルメリアは装置へ一歩近づく。


「違う。もっと高度。命令体系が独立してる」


ダンが嫌そうな顔をした。


「つまり?」


エルメリアは少し考えてから答える。


「管理用の自律知能」


ユウが首を傾げた。


「……何それ」


「この遺跡を維持していた管理機構。人が操作しなくても、周囲の状況を判断して動く仕組みよ」


ダンの顔がさらに険しくなる。


「遺跡が勝手に考えてるってことか?」


「簡単に言えば」


「簡単に言わないでくれ!」


その時、中央装置の光がさらに強くなった。


そして淡々と、現在の状態を読み上げ始める。


『対象領域、やわらぎの谷』


ユウたちは一斉に黙った。


『人族活動量、増加』


『魔族活動量、増加』


『精霊活動量、増加』


『魔物活動量、安定』


『高位生命体活動、複数確認』


ダンが顔を引きつらせる。


「絶対、古竜と天使のことだろ」


「たぶん」


「高位生命体ってまとめ方されてんのかよ……」


さらに音声は続いた。


『敵対行動発生率、低下』


リーフェの表情が変わる。


『異種族間接触頻度、上昇』


エルメリアの目も鋭くなった。


『争議発生後平均収束時間、大幅短縮』


ダンは思わずユウを見る。


「そんなのまで測ってたの?」


「僕に聞かれても」


「だよな!」


やがて、わずかな間が空いた。


中央装置に浮かんでいた一本の光が広がり、大きな円を描いていく。


その中心に、一つの数字が表示された。


八十。


ユウが首を傾げる。


「80?」


エルメリアが画面を読み取りながら、わずかに表情を変えた。


「待って」


そして次の瞬間、地下遺跡全体にはっきりとした声が響いた。


『世界精神安定度――八十パーセント達成』


誰も、すぐには反応できなかった。


しばらく沈黙が続いたあと、ダンがゆっくり口を開く。


「……何?」


すると装置は、何の迷いもなく同じ言葉を繰り返した。


『世界精神安定度――八十パーセント達成』


「聞き直したかったわけじゃねぇ!」


ダンが思わず装置へ突っ込む。


ユウも表示された数字を見上げた。


「世界精神安定度?」


リーフェの表情は、いつになく真剣だった。


「谷の精神安定度ではなく?」


エルメリアが首を振る。


「表示は確かに『世界』になってる」


ダンが固まった。


「いや待て」


数秒考え込んだあと、勢いよく顔を上げる。


「なんで温泉街の地下遺跡が、世界全体の精神状態を測ってんだよ!」


当然ながら、誰も答えられない。


そんな中、ミナだけが数字を見ながら聞いた。


「80って、高い?」


ユウも表示を眺めながら答える。


「たぶん高いと思うけど……」


「残り20?」


「そういう問題か?」


ダンが頭を抱える。


その隣では、エルメリアが完全に装置へ夢中になっていた。


「精神安定度という言葉が何を意味するかで、話が変わるわね」


ユウが聞く。


「ただ気分が落ち着いてるって話じゃないの?」


「世界規模で測定しているなら、もっと大きな概念かもしれない。争い、敵意、種族間緊張、魔力の乱れ……そういった複数の要素を統合した指標という可能性もある」


ミナが小さく呟く。


「難しい」


リーフェも苦笑した。


「私も今、同じことを思ったわ」


ダンは再び、中央に浮かぶ80という数字を見る。


そして、これまで谷で起きた出来事を思い返した。


人間と魔族が同じ温泉へ入るようになった。


王と魔王がサウナで顔を合わせ、言葉を交わした。


古竜たちまで同じ湯へ浸かり、天使は谷を浄化しに来たはずなのに、今では天界に分館までできている。


さらに大宴会では、国王、魔王、騎士団長、四天王、古竜、天使、冒険者、一般客、さらには魔物まで同じ場所で酒を飲み、食事をし、笑っていた。


そこまで考えたところで、ダンが小さく呟く。


「……まさかな」


ユウが振り返った。


「何?」


ダンは表示された数字を指差す。


「この数字」


「うん」


「今まで、この谷でやってきたことと関係あるんじゃねぇだろうな」


その言葉で部屋が静かになった。


リーフェも否定しなかった。


エルメリアはむしろ、さらに真剣な表情で画面を見つめている。


「可能性はある」


「あるの!?」


「この遺跡は、やわらぎの湯と何らかの形で連動している。過去の勇者が『争わずに休める場所』を作ろうとしたことを考えれば、谷で起きた変化を継続的に観測していたとしても不思議ではないわ」


ダンがすぐに手を上げた。


「待て待て。じゃあ何か?」


まず中央装置を指差し、次に地上の方向を指す。


「この地下遺跡は、俺たちが温泉入って、飯食って、宴会してるのをずっと見てて」


最後に80という数字を見る。


「採点してたの?」


ユウが少し考えた。


「80点?」


「百分率だ!」


ミナが小さく言う。


「まあまあ高い」


「そういう話なの!?」


ダンの声が地下遺跡へ響き渡った。


しかし装置は、それ以上何も答えなかった。


中央にはただ80%という数字だけが淡く光り続けている。


ユウはしばらくその数字を眺めていたが、やがて少しだけ笑った。


「まあ」


その言い方を聞いた瞬間、ダンが嫌な予感を覚える。


「何だよ」


「世界が少し落ち着いてるってことなら、いいことじゃない?」


ダンは数秒、何も言わなかった。


やがて深く息を吐く。


「……お前は本当に、それで済ませるよな」


「だめ?」


「いや」


ダンももう一度、80という数字を見上げる。


「今回は、まあ……いいかもしれねぇ」


地下遺跡の奥で、過去の勇者が何を考え、何のためにこんな仕組みを残したのか。


その答えは、まだ分からない。


ただ一つだけ確かなのは、やわらぎの谷でこれまで積み重ねてきたものが、少しずつ形になっているということだった。


温泉に浸かり、食事をして、休み、時には喧嘩をして、それでも最後には同じ場所で笑う。


人間も、魔族も、精霊も、古竜も、天使も関係なく。


そんな日々の積み重ねが、もしかするとこの谷だけではなく、世界そのものへ何かを与え始めているのかもしれない。


その証拠のように、地下遺跡の中央では80%という数字が、いつまでも静かに光り続けていた。

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