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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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14 味のしない料理人

還らずの谷へ、冷たい雨が降っていた。


朝から空は厚い雲に覆われ、白い湯気を立ち上らせる温泉の周囲もしっとり濡れている。


建築途中の宿へ落ちる雨音は静かで、どこか落ち着いた空気が流れていた。


そんな中でも、改築作業は続いている。


「そこ押さえろ!」


「こっち?」


「違う、そっちじゃねぇ!」


ドグランの怒鳴り声が飛ぶ。


ダンとカヤが慌てて木材を支え、リーフェは魔法で柱を固定する。


ミナは巨大な木材を軽々担ぎ、グーちゃんは屋根用の丸太を何本も運んでいた。


完全に建築チームだった。


ユウは苦笑しながら水路を調整していく。


宿の改築が進むにつれ、温泉の湯を建物全体へ巡らせる仕組みも少しずつ完成し始めている。


「……これなら内湯も作れそうだな」


そんなことを考えていた時だった。


ミナの耳がぴくりと動く。


「……人」


「え?」


「近い」


その瞬間、ダンたちも表情を引き締めた。


迷いの森の奥へ人が来ること自体が珍しい。


しかもこの雨の中だ。


やがて。


ガサッ。


森の奥から、一人の男が姿を現した。


黒髪。


細身。


年齢は二十代後半ほど。


服は雨で濡れ、かなり疲弊しているようだった。


だが冒険者には見えない。


腰に武器もない。


代わりに背負っていたのは、大きな包丁ケースだった。


「……料理人?」


ユウが思わず呟く。


男はふらつきながら温泉の湯気を見る。


そして。


「……あった」


安心したように小さく呟いた直後、その場へ崩れ落ちた。


「ちょっ!?」


ユウたちは慌てて駆け寄る。


男は意識こそあるが、かなり衰弱していた。


熱も高い。


しかも顔色が悪い。


「運ぶ」


ミナが即座に男を担ぎ上げる。


相変わらず躊躇がない。


ユウたちは急いで建物へ運び込み、温泉で身体を温めながら介抱を始めた。


しばらくして。


男はゆっくり目を開ける。


視界へ映ったのは、知らない天井と大量の人影。


しかも奥には巨大なヘルウルフまで居る。


「…………夢?」


第一声がそれだった。


「分かる」


ダンが真顔で頷く。


男はしばらく呆然としていたが、やがて身体を起こそうとして顔をしかめる。


「無理しない方がいいよ」


ユウが静かに言う。


男は少し警戒したように周囲を見る。


だが、不思議と空気が穏やかだった。


温泉の湯気。


静かな水音。


暖かな室内。


張り詰めていたものが、少しずつ緩んでいく。


男は小さく息を吐いた。


「……助かった」


その後、落ち着いたところで簡単な食事が用意された。


焼いた川魚と温かなスープ。


男は礼を言ってスープを口へ運ぶ。


そして。


動きが止まった。


「……どうした?」


ダンが聞く。


男はしばらく無言だった。


やがて小さく笑う。


だが、その笑みはどこか苦かった。


「いや……うまそうだと思ったんだけどな」


「え?」


男は静かにスープを見る。


「味がしない」


空気が止まる。


ユウが目を瞬かせた。


「味が……?」


「分からないんだ。何食べても」


男は苦笑する。


「塩も、甘味も、香りも。全部薄い」


その言葉に、リーフェが少し眉を寄せた。


「……病気?」


「医者にも診てもらった。でも原因不明だ」


男は静かに視線を落とす。


その横顔には、かなり深い疲れが滲んでいた。


ユウはそっと尋ねる。


「料理人なの?」


男は少し驚いたように包丁ケースを見る。


「……あぁ」


静かな返事だった。


「レイン。元料理人だ」


“元”。


その言葉に重さがあった。


レインは静かに続ける。


「料理しかやってこなかった。でも味覚が消えて、店を続けられなくなった」


料理人にとって味覚は命だ。


それを失う意味は、ユウでも想像できた。


レインは自嘲気味に笑う。


「笑うだろ。料理人なのに味が分からない」


「いや」


ユウは静かに首を振った。


「笑わないよ」


その言葉に、レインが少し目を見開く。


ダンたちも何も言わなかった。


誰も茶化さない。


ただ、静かな空気だけが流れる。


その時。


グーちゃんがのそりと近づいてきた。


巨大な顔がレインの前へ出る。


「……っ」


レインが固まる。


当然だ。


初見なら絶対に怖い。


だがグーちゃんは静かに鼻を鳴らし、そのままレインの手へ頭を押し付けた。


「……え?」


レインが呆然とする。


ミナがぽつりと言う。


「グーちゃん、元気ない人に優しい」


「なんだそれ……」


ダンが苦笑する。


だが不思議と、レインの表情から少しだけ力が抜けていた。


温泉の湯気が静かに揺れる。


味覚を失った料理人。


戦えない元冒険者。


そして、人と魔物が共に過ごす温泉宿。


還らずの谷には、また一人――居場所を失った人間が辿り着いていた。

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