神域への突撃工事
空中温泉パイプラインの工事が始まってからというもの、やわらぎの谷は朝からずっと騒がしかった。
源泉近くではドワーフたちが金属管を組み、古竜たちは高所作業や地盤固めを手伝い、セラフィエルは天界門の位置を何度も確認している。
そして、その様子を谷の中央から見上げていたダンは、腕を組んだまますでに嫌そうな顔をしていた。
「昨日より人増えてねぇか?」
隣にいたユウも同じ方向を見る。
「増えたね」
「なんで?」
「天界から技師の人たちが来たから」
「なんでそんな普通に言えるんだよ」
ダンが指した先では、白い翼を持つ天使たちが数人、地上の職人たちに混ざって作業をしていた。
全員がセラフィエルほど大きな翼を持っているわけではなく、二枚翼の者や四枚翼の者もいる。
その中でもひときわ目立っているのが、腰に大量の工具をぶら下げた四枚翼の天使だった。
「ここが地上側の接続部か!」
「そうだ!」
「この支柱では神域境界の揺らぎに耐えられんぞ!」
「なら補強すりゃいい!」
「話が早い!」
「お前もな!」
ドグランと、ものすごい勢いで意気投合していた。
その様子を見たダンが額を押さえる。
「昨日会ったばっかだよな?」
近くにいたセラフィエルが答えた。
「天界技師長のエルディオです。神域設備の建造と保守を担当しています」
「技師長?」
「はい」
「なんでそいつがもうドグランと肩組んでんだよ」
「技術者同士、通じるものがあったのでしょう」
実際、その言葉通りだった。
エルディオは昨夜、天界側の工事担当として地上へ降りてきた。
最初こそ「地上技術で神域へ配管を通すなど無謀です」と難しい顔をしていたのだが、ドグランが図面を見せた瞬間に目の色が変わった。
そこから話が進むのは早かった。
「この可動接続管、発想は悪くない!」
「だろう」
「だが位相境界を越える瞬間、管そのものがねじれる!」
「ならねじれない素材を使う」
「地上にそんなものがあるのか?」
「ない」
「ないのか!」
「だからお前らの技術を使う」
エルディオは数秒だけ黙ったあと、突然大きく笑った。
「面白い!」
その時点でダンは嫌な予感を覚えていたが、当然のようにその予感は外れなかった。
気づけば工事現場には、地上の建築技術だけでなく、ドワーフの鍛造技術、古竜たちの圧倒的な力、さらには天界に残る古代魔導技術まで投入され始めていた。
「やりすぎじゃねぇか?」
ダンが呟くと、近くにいたレグルスがすぐに答える。
「むしろ合理的ですよ」
「お前は何でも合理的って言えばいいと思ってるだろ」
「今回は本当に合理的です」
レグルスは空へ伸びている配管を見上げた。
「通常の金属管では、天界門を通る際に物質構造が不安定になります。しかし天界側には、神域同士を繋ぐための古代導管技術が残っている」
ユウが興味を示す。
「昔から使ってるの?」
「いえ」
今度はセラフィエルが答えた。
「現在では、ほとんど使われていません」
「なんで?」
「大規模な神殿や結界へ神聖力を送るための技術だからです」
ダンが嫌そうな顔をする。
「それを温泉に使うの?」
「……そうなりますね」
セラフィエルも、さすがに少しだけ気まずそうだった。
しかし、当の技師長エルディオはまったく気にしていない。
「神聖力が流れるなら湯も流れる!」
「理屈雑じゃねぇか!」
ダンが叫ぶと、エルディオが勢いよく振り返った。
「液体を送るだけなら、むしろ簡単だ!」
「それ天界の常識なのか?」
「技師の常識だ!」
「知らねぇよ!」
そこへドグランが横から口を挟む。
「気にするな。技師はだいたいこういうもんだ」
「お前が言うと説得力ありすぎるんだよ!」
二人はそんなダンを気にすることなく、すでに次の作業へ移っていた。
地上側から伸びる太い配管と、天界側で使われている古代魔導導管を直接繋ぐのではなく、その間に一本の巨大な湯樋を作る。
名付けるなら、空中湯樋だった。
しかも、それは普通の木材や金属で作られるものではない。
基礎に使われているのは、天界から持ち込まれた淡い白銀色の素材だった。
ユウがその表面へ触れてみる。
「軽い」
「神銀樹だ」
エルディオが答える。
「神域の高所に育つ樹木で、魔力変化に非常に強い。昔は神殿建築にも使われていた」
ドグランが表面を軽く叩く。
「軽いのに硬い。加工もしやすい」
「地上の職人に分かるか!」
「触れば分かる」
「素晴らしい!」
「また仲良くなってる……」
ダンは遠い目になった。
その後も作業は止まらない。
空中湯樋の内部にはドワーフ製の耐魔金属を張り、外側には天界の防護術式を刻んでいく。
レグルスが術式の流れを細かく調整し、セレナが素材の冷却を担当し、ヴァルガスが鍛造用の火力を提供していた。
「もっと熱を!」
ドグランが叫ぶ。
「任せろ!」
ヴァルガスが手をかざすと、ごうっと炉の炎が一気に跳ね上がった。
「熱すぎる!」
「どっちだ!」
「少し下げろ!」
「最初からそう言え!」
その横では、セレナが呆れた顔をしながら冷気を送り込んでいる。
「結局、私が調整するのね」
ダンが頭を抱えた。
「古竜が普通に鍛冶場の温度管理してる……」
一方、ガルヴァーンは巨大な支柱の根元へ手を当てていた。
「これでいい」
低い声と同時に地面が震え、支柱周辺の土が一気に圧縮されて、まるで岩盤のような硬さへ変わっていく。
その光景を見たエルディオが目を見開いた。
「何だ今の技術は!」
「地殻竜の力」
ドグランが答える。
「技術ではない!」
「安定すれば何でもいい」
「分かる!」
「分かるのかよ!」
どうやらダンだけが、この勢いについていけていなかった。
だが、工事そのものは恐ろしいほどの速さで進んでいった。
本来なら何か月、下手をすれば何年もかかるような規模だったはずだ。
それが地上と天界、さらに古竜たちの技術と力まで合わさった結果、夕方には谷の中央から空へ向かって、巨大な白銀の湯樋が伸びていた。
何本もの支柱に支えられながら、ゆるやかな角度で上空へ続いている。
途中には魔力安定装置や温度維持装置、逆流防止弁まで取り付けられ、万が一湯が詰まった場合に備えて排水路まで用意されていた。
ダンは完成しつつある設備を見上げた。
「……温泉運ぶだけだよな?」
「そうだ」
ドグランが答える。
「要塞じゃないよな?」
「違う」
「だったら何でこんな頑丈なんだよ」
今度はエルディオが胸を張った。
「神域を跨ぐ設備だぞ! 百年や二百年で壊れるようなものを作れるか!」
「使用年数がおかしい!」
少し離れたところでは、セラフィエルも完成しつつある湯樋を見上げていた。
「……ここまでのものになるとは思っていませんでした」
隣にいたユウが聞く。
「いい意味で?」
「もちろんです」
そう答えたセラフィエルは、少しだけ声を小さくした。
「これなら、天界の者たちも安心して利用できます」
その表情には、審判の天使長としての厳しさよりも、仲間を心配する者としての柔らかさが表れていた。
ユウも空中湯樋を見上げながら笑う。
「じゃあ、あとは湯を流すだけ?」
「まだだ」
ドグランが即答した。
「天界門との接続試験が残ってる」
ダンが途端に嫌な予感を覚える。
「試験って何するんだ?」
エルディオは迷いなく空を見上げた。
「門を開く!」
その言葉を合図にしたかのように、セラフィエルが六枚の翼を広げる。
「接続座標を固定します」
レグルスも術式盤を構えた。
「位相差を測定します」
ヴァルガスが楽しそうに笑う。
「湯を押し上げる!」
セレナが小さくため息を吐く。
「熱すぎたら私が冷やすわ」
ガルヴァーンも腕を組んだ。
「土台は任せろ」
さらにフェルザードまで上空から降りてくる。
「資材運搬は終わったぞ!」
ダンは全員を見回し、慌てて声を上げた。
「待て待て待て。なんで全員そんなやる気なんだよ!」
ところが誰も止まらない。
ドグランは楽しそうに笑った。
「ここまで作ったら、流したくなるだろ」
エルディオも大きく頷く。
「当然だ!」
ダンは深く頭を抱えた。
「技師って生き物は、どこの世界でも同じなのか……」
その横で、ユウは完成した空中湯樋を見上げていた。
谷の温泉を天界まで本当に運ぼうとしている。
最初に話を聞いた時には、いくらなんでも無茶だと思った者も多かった。
けれど今、その無茶はもう冗談ではなく、ほとんど形になっている。
ドグランとエルディオ。
地上と天界。
本来なら交わることのなかった二人の技師が出会い、古代魔導技術と地上の建築技術を組み合わせた結果、前代未聞の空中湯樋が、やわらぎの谷の空へ堂々と姿を現していた。
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